3泊4日で実施した鳥取遠征の2日目です。なお、遠征の途中で活動の趣旨が変わる都合上、1日目のみ別のタイトルを付けており、2日目以降を「鳥取遠征」と銘打って記事を執筆しているため、この記事でレポートする日程は鳥取遠征としてみれば2日目ですが、遠征全体から見れば3日目となります。
記事としての時系列は「鳥取遠征(1日目)」の続きとなりますので、なるべくそちらから先にご覧になることをおすすめします。
本日の行程
遠征全体の趣旨などは前回までのレポートを既にご覧頂いているものとして省略させて頂くとして、2日目の本日の活動内容についてです。
昨晩宿を取った鳥取から青春18きっぷを使って因美線に乗るところからスタートします。智頭で乗り継ぎ一気に津山まで乗車して因美線完乗を果たしたら、津山駅では滞在時間を長めに確保した上で「津山まなびの鉄道館」を訪問ののち、津山線に乗り継いで岡山へ1往復、更に姫新線を新見まで1往復するなどして乗りつぶしを進めて津山へ1泊となります。
なお、「津山まなびの鉄道館」については単独でのレポートの需要も多いと判断し、別記事でのレポートとしたいと思います。だいぶ書かなければならない記事を貯めてしまっているのはありますが、とりあえず鳥取遠征シリーズが完結したあとで執筆したいと思いますのでしばらくお待ち下さい。
出発前におまけ
まだ本編が始まってもいない段階での”おまけ”というわけですが、前回のレポートの最後の方で、翌朝に訪問すると宣言したアレです。覚えていますか?w
私にしては珍しく列車の時間ギリギリじゃなくてちょっと余裕を持って起きることが出来たので、簡単に見学することにしました。
というわけでやってきました。
「鳥取鉄道記念物公園」です。
名前から既に鉄分の匂いが漂っていますねw
ホームっぽい遺構がありますね。調べてみると高架化前の鳥取駅の遺構の一部を移設しているようです。
遊具のようにも見えますが、レールを跨いで設置されているので違うんでしょうか?
現役の線路でもあるまいし、存在意義がイマイチ分かりませんw
ホームの屋根も残っていました。
よく見ると支柱にはレピーターもありますね。
乗り場案内発見!
それにしても、岡山は今でも「スーパーいなば」で結ばれているから違和感ないとしても、下関はすごいですね。
確かに山陰本線の終点は下関(厳密には1つ手前の幡生)ですが、鳥取から下関までだと移動だけで1日がかりになりそうです。
今なら、岡山に出てから新幹線ですかね。
あの小屋の中にあるのはタブレット閉塞器だと思いますが、見せる気ゼロのやる気ない展示方法ですねw
レールと踏切部分も残っていました。
元々の鳥取駅の位置ではないのでわざわざ移設したんだと思いますが、どうせやるならバラストも敷いてほしかったなw
ホーム側を振り返ります。分岐器の片方がホームへ突っ込む形になっているのが気になりますが、脱線転轍機ならば逆方向にすべきでは?w
でも、入換信号機がセットで置かれているのはポイント高いですね。
ATS地上子やら転轍機やら
しかし、一切の解説がないので、鉄オタ以外は「何これ?」ってなるでしょうねw
レールがたくさん並んでいますが、展示の趣旨がいまいち分からない・・・w
どうやら駅の遺構の一部と鉄道関連の物品の展示だけで、車両は置いていないみたいです。
鉄道記念物公園を名乗るならば貨車の1両でもあれば・・・と思いましたが、展示品の保存状態を見るに、車両を置いても錆びて朽ち果てるだけになりそうなので、そんな無残な姿を晒すくらいならば潔く初めから置かない選択もありかもと思いました。
というわけで、おまけは以上で、いよいよ本編スタートです。
朝の鳥取から因美線乗りつぶしスタート
それではいよいよ本編スタートということで、まずは因美線の普通列車で智頭を目指します。
その前にまず因美線について解説してから本題へ入っていきますが、因美線は鳥取駅と東津山駅を結ぶ全長70.8kmの路線であり、運行系統は大きく智頭を境に分かれており、鳥取~智頭間は郡家~鳥取間で乗り入れる若桜鉄道の列車も含めて比較的本数があり、また、智頭急行線を経て岡山・京都方面へ至る特急「スーパーいなば」「スーパーはくと」も乗り入れるなど賑やかな区間です。
一方で、智頭~東津山間は現在は普通列車のみが走るローカル線と化しており、2015年度の平均通過人員では鳥取~智頭間では3773人の利用があるのに対して、智頭~東津山間は197人と圧倒的な差があります。
なお、東津山からは全ての列車が姫新線に乗り入れて津山駅発着で運転されています。
かつては津山線と直通して岡山~鳥取間を結ぶ急行「砂丘」や「みささ」といった優等列車が存在していたのですが、智頭急行線開業により「スーパーいなば」へ発展的解消という形で消滅し、智頭~東津山間からは優等列車が無くなりました。
というわけでやってきました鳥取駅
明るい時の様子も撮影しておきましょう。
最初は「スーパーはくと」が停まっているのだと思っていましたが、よく見るとHOT3500系ですね・・・
なんで鳥取駅にいるんだと思ったら、上郡~鳥取間を走破する普通列車が存在するようであり、それにHOT3500系が充当されるようです。
「スーパーはくと」の名前の由来でもある「因幡の白兎」の像がありました。
日本昔ばなしの中でも紹介された神話であり、有名だと思いますが一応内容をかいつまんでご紹介すると、白兎が隠岐の島から因幡へ渡ろうとした時に、自分の仲間とワニ(ここではサメのこと)の仲間のどちらが数が多いか勝負しようと持ちかけて、数えてやるからとワニを海に並べさせてその上を飛び越えながら因幡まで渡り切る寸前になって、自らの嘘を暴露してしまい、報復として毛皮を剥ぎ取られてしまうというお話です。
なお、神話の方は「しろうさぎ」と読むのが一般的のようですが、列車名については「しろうさぎ」だと長くて収まりが悪いと思ったのか音読みして「はくと」としています。
鳥取名産の二十世紀梨の木だそうです。
駅前に本物を植えてしまうとはw
構内に入るとHOT3500系の姿が・・・
いつかこの運用に合わせて乗りに来ないといけませんねw
ここだけ見ると国鉄時代の写真なんじゃないかと思えてくる光景ですねw
実はもう1本キハ40系がいて3本の並びだったのですがうまく入らず・・・w
それでは因美線のキハ40系に揺られて智頭へ向かいます。
高校生の登校時間帯とあってなかなかの混雑を見せており、のんびりローカル線の旅という雰囲気には程遠い中、鳥取駅をあとにします。
朝日で逆光ですが、ようやく席にありつけたので車窓を貼っていきます。
今度は車窓に川が出てきました。
高速化改良がされたりして特急の走行ルートとしても現役ながら車窓だけ見ればローカル線の雰囲気がありますね。
天空にかかるかのように高所を横切る鳥取自動車道の高架橋
こういうのを見ると土木技術の進歩を感じます。
智頭に到着です。
ここはすぐに津山行きに乗り換えなので駅の方は簡単にご紹介します。
ホームは2面3線の国鉄型配線で、それとは別に智頭急行線専用の1面2線があります。
あちらが智頭急行線の乗り場です。
ごく僅かにある鳥取直通の列車以外の智頭急行線の普通列車は当駅で折り返しなのでこのような行き止まりのホームから発着します。
跨線橋からキハ187系「スーパーいなば」を撮影です。
山をバックにちょっといい感じになりました。
ここから先はキハ120系です。
なんか、この車両が来るだけで一気にローカル線っぽく感じますw
津山方面は原則としてこの車両ばかりですが、那岐止まりの区間列車についてはキハ40系が充当される場合があるようです。
うん、いかにもなローカル線の車窓w
なお、この区間には「みまさかスローライフ列車」というイベント列車が走っており、途中駅で停車時間を設けて地元の名産品を買ったり出来るという催しがあるようです。
ここなら鳥取や岡山といった主要都市からのアクセスも悪くないですし、「スーパーはくと」を介して智頭乗り換えも考慮すれば京阪神からの乗り換えもしやすいなど、乗り鉄ライト層を取り込むには良さげですよね。
津山に付いたら「津山まなびの鉄道館」を見るもよし、姫新線にも手を出すもよし!
ちょっと古めかしい駅名標ですが、那岐駅です。
鳥取県内最後の駅となり、この次の美作河井駅からは岡山県に入ります。
この間にそびえる峠は物見トンネルで一気に貫きますが、トンネルまでは25パーミルの勾配が控え、蒸気機関車や非力な旧型気動車が現役だった時代には難所として立ちはだかっていたことでしょうね。
今では軽快気動車のキハ120系が軽々と登っていきますが、線路規格の低さやJR西日本お得意の保守コスト低減のための徐行運転のため、むしろ性能を持て余し気味にゆっくりゆっくりと登っていきます。
例えば、智頭急行線が開業せず今でも岡山~鳥取間の鉄道ルートが津山経由のままだったらここをキハ187系が全速力で駆け抜けた光景もあったかも知れません。
ご丁寧に案内板もありましたが、ここは美作河井駅です。
那岐駅からは10kmも駅がないので長く感じましたがようやくの岡山県入りです。
ところで、この転車台についてですが、元々除雪車の向きを変えるために使われていたようで、使用停止後は土に埋もれていたものの、2007年に掘り返されて、2009年には近代化産業遺産に認定されたそうです。
いつかちゃんと駅に降り立って見学したいものです。
姫新線の線路が見えたら東津山駅です。
因美線としてはここが終点ですが、全ての列車は1区間のみ姫新線に乗り入れる形で津山駅発着となっているため、私の乗る列車もこのまま津山駅まで行きます。
最後の1区間はあっという間に過ぎて津山に到着です。
津山駅
ここ津山駅では「津山まなびの鉄道館」を含めて2時間以上滞在時間があるので駅の方も割とじっくり見て回ることが出来ます。
なので、今回のレポートでは最初の”ちゃんと取材する駅”ということになりそうです。
乗換案内ですが、ちゃっかり中国ハイウェイバスも載っているのが面白いですね。
「中国ハイウェイバス」は国鉄時代に国鉄バスによって開設された高速バス路線であり、当時は鉄道を補完するものとして位置づけられていたこともあり、駅構内の乗換案内にも掲載されているんでしょうね。
余談ですが、東名ハイウェイバスも、東海道新幹線の補完路線という位置づけからスタートしたため、一時期は時刻表で東海道新幹線のすぐ後のページに掲載されていたそうですよ。
ホームです。2面4線となっており、津山線・姫新線・因美線の3路線が集まるターミナルらしい規模になっています。
ここにも乗り場案内がありました。
それにしても、中国ハイウェイバスもしっかり案内されているんですねw
こちらも乗り場案内ですがより詳細に書かれていますね。
このように路線ごとに概ね乗り場が固定されているようです。
駅舎側へ出て来ました。
島式ホームなので駅舎とホームは完全に独立しています。
こんなパネルがお出迎え
「津山まなびの鉄道館」がデザインされていますね。
と、こんなものを発見!
最初は単なるパンフレットかと思ったのですが、よく見ると優待券になっているようなのでもらっていきましょう。
それにしても、改札内に設置することで必然的に列車で訪れた人しか入手できないようにするとは、流石ですw
駅前はそのままバスターミナルとなっていて、大阪・京都・東京など各地への高速バスが集まります。
そこへやってきたのは神姫バスですが、これが例の「中国ハイウェイバス」です。
国鉄バスが起源の路線ですからJRバスも関わっていますが、共同運行の相手として神姫バスも参入しています。
この路線が開設された当時はまだ高速バスの黎明期でしたが、従来は姫新線で姫路に出てから乗り換えだったのが直通で行ける利便性が受けて利用者を伸ばし、ついには並行する姫新線の乗客まで奪う事態となり、国鉄バスが国鉄の客を奪ったと大騒ぎにもなったそうです。
おかげで今の姫新線は姫路市周辺の区間を除いては閑散としたローカル線になってしまいましたが、国鉄バスがやらなくてもいずれどこかの民間バス会社が同じような路線を開設して鉄道は衰退する運命だったのでしょうか。
何やら銅板がありますが、箕作阮甫という人物についてのものらしいです。
銅像もありました。
この方は津山藩士の蘭学者だそうで、郷土の偉人としてこうして像が作られているようですね。
こちらは像のタイトルみたいな感じでしょうか?
随分と豪華に作られていて、丁重に扱われている様子が伺えます。
少し離れてから駅舎を撮ります。
駅前ロータリーは新しくなっていますが、駅舎自体は古いものがそのまま残るようです。
ただ、駅前にごちゃごちゃと色々あるので駅舎を撮りづらいのがちょっと残念・・・
更にSLも鎮座していました。
ローカル線の名機C11ですね。
ちょっと可愛らしいサイズのこのバスは中鉄北部バスです。
中鉄バスの子会社であり、津山地区の路線を担当しています。
当駅には東京への路線バスが3つも乗り入れており、両備ホールディングス・東北急行バスが運行する「ルブラン号」、小田急シティバス・下津井電鉄が運行する「ルミナス号」、そして両備ホールディングス・関東バスが運行する「マスカット号」がありますが、この看板は下津井電鉄なので「ルミナス号」利用者向けのパークアンドライド駐車場ということですかね。
よく見ると鉄道グッズが目白押し!
どうやら鉄道模型店のようですが、鉄ちゃんなら反応してしまう店構えだけに、これは宣伝としては成功例でしょうねw
ちなみに、駅前にバスターミナルがある関係で、道路側からは駅舎が見づらいためここにも「津山駅」と看板が出ていました。
そういえば、「中国ハイウェイバス」の乗り場案内が国鉄チックでした。
コンビニの駐車場の脇には屏風のような看板があり、津山市内の見どころをPRしていました。
もちろん「津山まなびの鉄道館」もあります。
さて、ここからは「津山まなびの鉄道館」へ向かうわけですが、冒頭で宣言したとおり、「津山まなびの鉄道館」については別記事でレポートしたいと思いますので、レポートとしてはこのまま津山駅のレポートを継続して旅を続けていきたいと思います。
ここからは撮りバスです。
中鉄北部バスですが、普通のサイズです。
このポンチョは言うまでもなくコミュニティバスであり、津山市の「ごんごバス」というんだそうです。
「ごんご」というのは津山の方言で河童のことらしく、車体も河童のデザインになっています。
近くの踏切(確か「津山まなびの鉄道館」へ向かう途中)から撮ったリバイバルカラーのキハ40系
岡山行きはやっぱり当駅で一番需要が多いのか目立つように案内されていました。
こちらのホームからは側線群が見えますが、この向こう側に「津山まなびの鉄道館」があります。
この時点での私はすでに訪問した帰りだったわけですが、歩くとあんなに遠かったのにこうしてみると直線距離は近いんだなぁ・・・としみじみしていましたw
快速「ことぶき」で岡山へ
それではここからは快速「ことぶき」で岡山へ向かってから再び津山へ戻る1往復です。
まずは津山線についてですが、岡山と津山を結ぶ全長58.7kmの路線であり、現在は岡山と津山を結ぶ都市間輸送を担うほかはローカル線の色が濃いですが、かつては因美線と一体となって岡山~鳥取の陰陽連絡路線としての役割もあり、急行「砂丘」などの優等列車が走っていた頃もありました。
智頭急行線の開業で同線経由の「スーパーいなば」が登場するとこちらの方が所要時間も短かったこともあって津山線・因美線経由の「砂丘」は存在意義が無くなり廃止になりました。岡山~津山間には代替として快速「ことぶき」が設定されることとなりましたが、津山市などが急行停車駅でなくなることによるイメージダウンを懸念して急行全廃に反対したという経緯から1往復のみは急行「つやま」として急行列車として運行されることとなりました。
しかし、快速「ことぶき」と比べると停車駅については法界院駅に停車するかどうかという違いしかなく、所要時間でもほとんど差がない上に、最初こそ津山から因美線に入って智頭まで直通するなどの差別化要素がありましたが、末期は「ことぶき」と同じく津山止まりになった上に使用車種もキハ58系引退後は普通・快速列車と同じキハ40系となるなどスピードのみならず設備面でも快速との差がほとんどないこととなり利用が低迷したために2009年春のダイヤ改正を持って廃止になりました。
JRグループでの最後の昼行急行列車でしたが、「つやま」廃止を以ってJRグループから昼行急行列車は消滅しました。
そりゃあ利用者からしてみれば、所要時間も大差がなく、使用車種まで快速と同じ急行列車にわざわざ急行料金を払ってまで乗りたいかと言われたら答えは「NO」ですよねw
そのため、現在の津山線には急行列車などの優等列車は運転されていませんが、快速「ことぶき」が都市間輸送を担う列車として運行されています。
歴史的には現在の中鉄バスとなる中国鉄道が建設した路線であり、この津山線と吉備線は元々中国鉄道の路線でした。
それが国有化を経てJR西日本に継承されているということになります。その中でも津山線は中国鉄道の本線に相当する路線だったようです。余談ですが、岡山~津山間にはかつて中鉄バスによる路線バスがありましたが利用者減少により2003年に廃止、その後2013年に両備バス・中鉄北部バス・中国JRバスの3社共同運行で「岡山エクスプレス津山号」という高速バス(高速バスを名乗りますが高速道路は経由せず国道53号を走ります)が設定されるも2017年には中鉄北部バスは中国JRバスとともに撤退してしまったため、かつて自社の鉄道の本線だった区間に相当するバスについてはなかなかうまく行っていないようです。
まあ、それだけ鉄道が強い区間ってことでもあるんでしょうけどね。
なお、「岡山エクスプレス津山号」自体は両備バス単独運行となり1日4往復に減ってしまってはいますが今でも運行されているので興味がある人は乗りに行くのもいいでしょう。
また、1996年には地元自治体の負担による高速化事業が行われており、交換設備の増設(厳密には一旦撤去されたものの復活)や1線スルー化といった対策が行われており所要時間短縮や列車の運行本数の増加と言った利便性向上が図られており、地方線区にしてはしっかりテコ入れされています。
運行形態としては普通列車が岡山~津山間を走破するものに加えて福渡、金川といった駅と岡山を結ぶ区間列車などがあり、極端な例では岡山駅の1つ隣の法界院までの1駅しか走らない区間列車まであります。
快速「ことぶき」は全列車が岡山~津山間での運行となっており7.5往復が設定されています。
停車駅は津山・亀甲・弓削・福渡・金川・法界院・岡山となっており、これに追加で野々口・建部にも停車する列車や福渡~津山間は各駅停車になる列車などバリエーションがあります。
ところで、「ことぶき」という列車名についてですが、沿線にある福渡・神目・亀甲・金川・誕生寺と言った縁起の良い駅名が多いことに因んだそうです。確かに駅名だけで集客できそうなくらい縁起の良い駅名が多いです。
それでは乗車レポート本編へ進みましょう。
快速「ことぶき」の車内は真っ昼間という時間帯を考慮すれば十分と言えるほどの混雑を見せており、ボックス席はほぼいっぱいで車端部のロングシート部に追いやられつつもなんとか座れたという感じ・・・地方線区にしては御の字の乗車率でしょう。
「ことぶき」の最初の停車駅の亀甲駅です。
読み方は「かめのこう」であり、駅近くに亀の甲羅のような岩があることから付いた地名のようです。
「亀の甲より年の功」とは言いますが、お年寄りが数名乗ってきて「ことぶき」は出発しました。
続いては通過駅ですが誕生寺駅です。(写真は復路での各駅停車乗車時に撮影)
こちらはそのまま誕生寺というお寺に因んだ駅名です。
あとは車窓もご紹介しつつ行きましょう。
津山からしばらくはこんな長閑な景色が続きます。
川の景色もあります。
旭川という北海道を連想せざるを得ない名前の川のようです。
天高くそびえる高架橋で横切るのは山陽自動車道です。
津山では中国自動車道が通っていましたが、津山と岡山を結ぶ高速道路や高規格道路は今の所存在しないので津山線も比較的競争力を維持できていますね。
これで車内ががら空きならばボックス席を占領してのんびりと車窓を眺めるところですが、あいにくロングシート部に座るはめになったので横を向けば首が痛いし、途中駅から乗ってくる人で両隣にも乗客が乗ってくると横向きは自重せざるを得なくなってあまり景色は楽しめなくなりました。
というわけで、あとは岡山までのんびり過ごしました。
最後の途中停車駅となる法界院駅では結構な乗車があり驚きましたが、この駅は近くにいくつもの大学や専門学校などの教育機関が集まっており、学生の利用が多い駅なんだそうです。
それなら岡山~法界院間の1区間だけの区間列車があるのも納得ですね。
なお、津山線では当駅までの1区間だけがICOCAエリアとなっていたり、津山線の途中駅では唯一みどりの窓口があったりと、破格の待遇を受ける駅とも言えます。
というわけで、岡山に到着!
岡山駅には何度も訪れているので駅の方はあまり細かくはご紹介しません。
乗ってきたキハ40系です。
このまま折り返し津山行きの「ことぶき」として折り返しますが、往路は各駅停車に乗りたかったのと、お昼ごはんがまだだったのでその時間を確保する意味であえて1本見送ります。
岡山駅は地下通路があるのが特徴的ですね。
あとは駅に直結するイオンモール岡山のフードコートで食事ですが、別に名物を食べたわけでもないので写真はありませんw
食事を終えて戻ってきましたが、津山線乗り場にちょっとだけネタがあったのでご紹介。
そういえば、岡山市は日本一降水日数が少ないとかで「晴れの国」として売り出していましたね。
それでは津山線で津山へ引き返します。
今度は各駅停車ですが、車種は同じくキハ40系でした。
今度も意外と混み合っていたのですが、途中駅で降りる人は少数派で、ほとんどが終点の津山まで乗り通していました。
前述の通り岡山~津山間はバスの本数が少なく都市間輸送は鉄道が寡占している状態にありますから、各駅停車でも都市間移動の目的で使う人が多いのでしょうね。
なお、「ことぶき」は原則的に途中で各駅停車を追い越したりはしないので各駅停車であっても先発の列車に乗ったほうが早く付きます。
なお、所要時間としては各駅停車だと1時間半程度、「ことぶき」だと1時間10分程度なので20分と決して無視はできない所要時間差があります。
そりゃあ結構駅を飛ばしていますからねぇ・・・
津山へ戻ったら今度は・・・
姫新線で新見へ1往復
津山からは姫新線に乗り換えて新見へ1往復します。本日の行程の中では終盤に差し掛かったと言ってもいいわけですが、姫新線も結構長い路線なので時間としては案外長いです。
それではここで姫新線についての解説ですが、姫新線は姫路と新見を結ぶ全長158.1kmのローカル線であり、姫路と新見から1字ずつ取って路線名が決められています。
かつては京阪神地区と山陰側を結ぶ陰陽連絡路線としてや、新見や津山と京阪神を結ぶ役割もありましたが、智頭急行線開業に伴う「スーパーはくと」への利用者の流出や、中国自動車道経由の高速バス「中国ハイウェイバス」や自家用車への移転もあって現在それらの役割は失われており、姫路市の近郊にあたる姫路~播磨新宮間を除いてはローカル線の色が濃い路線となっています。
運行系統は上月・津山を境に分断されており、現在全線を走破する列車は設定されていませんが、かつては芸備線と姫新線を直通して広島~新見~姫路という経路で運転される列車が存在した時代もあるようです。
流石に新幹線がない当時でも山陽本線経由の方が早かったでしょうから全区間乗り通す人は稀だったものと思われますが、現在でも存在していれば間違いなく乗り鉄の間で伝説的な扱いを受けていたでしょうねw
そして、これから乗車する津山~新見間についてですが、この区間を走破するのは6往復だけであり、それ以外に中国勝山~津山間の区間列車もありますが、それでも最大で3時間近く列車がない時間帯があるなど閑散区間と言えます。
そんな中でも特に本数がない新見~中国勝山間は2015年度の平均通過人員で328人しかなく姫新線で最も閑散とした区間と言えます。
新見から京阪神ならば「やくも」で岡山へ出てから新幹線に乗るルートが一般的でしょうし、わざわざ姫新線で行こうとするのは乗り鉄か18キッパーくらいのものでしょうしね。
あと、面白いのがこんな閑散区間でも快速が走っていることですが、数駅しか通過しない上に運行が早朝だけというイマイチ存在意義がよくわからない列車ですw
芸備線にも同様の列車が設定されているので、恐らくは利用者が極度に少ない早朝は停車駅を減らして少しでも所要時間を短縮して乗務員の拘束時間を減らしたいとかそういう事情なのかも知れません。
というか、ローカル線だと普通列車でも通過駅があるのはそんなに珍しい話ではないので、例えばJR北海道あたりならばそのまま普通列車で通してしまうような列車をJR西日本は律儀に快速と称しているというのが実態でしょうか。
それでは乗車レポートへ戻ります。
車内はそこそこ乗ってはいますが、それでも満員とは程遠く全員が座れる程度の混雑で津山を発車しました。
時間帯的には16時前でありちょうど高校生の帰宅が始まる時間帯とも言えますが、それでこの混雑率とはやっぱり閑散区間ですね。
高校生たちも多くは中国勝山までで降りてしまったので中国勝山遺構はほぼ貸切と言ってしまってもいいほど空いていました。
それでは車窓もご紹介しましょう。
(まだレポートしていませんが)先程見学してきた「津山まなびの鉄道館」のある車庫を見つつ津山駅をあとにします。
山あいの日没は早くすでに日が傾き始めていますね。
これは新見につく頃には真っ暗闇でしょうねw
でも、ローカル線らしい田園風景はのんびり眺めるには最適です。
途中にあった古見駅ですが、終点が新見なのでまるで対になるような駅名が出てきて印象的でした。
最も新見駅は新見市にあるのに対して、古見駅は真庭市古見という地名から来ているので恐らく両駅の名前に関連はないと思います。
続いては中国勝山駅です。ここまでの区間列車も設定されるほどで真庭市勝山地区の中心駅となっている他、観光地として名高い蒜山高原への玄関口でもあります。
未成線に終わりましたが、当駅から蒜山高原を経て倉吉まで至る鉄道が計画されたことがあり、実現していれば分岐駅になっていました。
ところで、駅名に「中国」と付いているのに疑問を感じる方もいると思います。
もちろんこれは中華人民共和国のことではなくて中国地方という意味での「中国」です。
当駅設置当時は勝山町という自治体に所在しており、順当に考えれば勝山駅とつけるのが自然ですが、すでに福井県に勝山駅が存在しており、それと区別する必要が生じました。このようなケースでは通常は所在地の旧国名を冠するのがセオリーなので美作勝山駅とするのが自然な流れですが、当時の勝山町の議員が「将来発展するのは美作ではなく中国地方の勝山である」と発言したことから中国地方の勝山という意味で「中国勝山駅」となりました。
いよいよ日没も近くなってきましたが、列車は順調に新見へ向けて進んでいきます。
またしても駅名ネタですが、この駅って地味に難読駅名ですよね。
「けいぶ?」と読みたくなりますが、「おさかべ」と読みます。
現在の所在地は新見市大佐小阪部であり、駅名に当たる刑部は出てきませんが、駅開業当時は刑部町という自治体に所在していたので駅名が間違っているわけではありません。
現在でも駅周辺の郵便局が刑部郵便局だったり、刑部小学校があったりなど駅名以外にも名残は残っています。
新見に到着です。
ここでは時間がありますが駅の方は以前に訪問済みなので撮影はあまりせずに夕飯だけ食べて折返しとなります。
↑そこへ芸備線のキハ120系が入線してきました。
一応駅舎も・・・
明るい時の写真を見たい方は以前に訪問したときの記事をご覧下さい。
地方都市にしては珍しく遅い時間までやっている中華屋さんに入ったのですが、結構美味しかったです。
あ、名物じゃないので写真はありませんw
夕飯を食べ終えて戻ってくると伯備線の115系といい感じで並んだので撮影しました。
あとは再び姫新線の普通列車で津山へ引き返します。
今度は真っ暗で景色も見られないのと、内容的にも先程のリプレイになってしまうので記事は津山へ飛びます。
津山に到着です。「津山まなびの鉄道館」を訪れる鉄道ファン(=鉄ちゃん)とホルモンの一種「テッチャン」を掛けているわけですが、こんなの見せられたら食べたくなる!w
でも、この時間だともうやっているお店はなさそうですし、おとなしくホテルへ直行します。
というわけで、ここで一旦記事を分割する形として、翌日分は別記事でレポートしたいと思いますのでしばらくお待ち下さい。
また、当レポートでは省略した「津山まなびの鉄道館」のレポートについても順次執筆していきますのでしばらくお待ち下さい。
~追記~
3日目も公開しました。