【乗車記】三重交通「松阪熊野線」に乗車!

今回は三重県を走る三重交通の松阪熊野線に乗車してきました。
なお、活動の時系列としては「関西乗りつぶし旅2024」の続きであり、実質4日目となりますが、活動の趣旨が大きく異なるので別のタイトルを付けています。

三重交通松阪熊野線とは

まずはこの記事の主題となる三重交通松阪熊野線について解説してから本題に入っていきましょう。
三重交通松阪熊野線は松阪市と熊野市を多気町・大台町・紀北町・尾鷲市を経由して結ぶ路線バスであり、その運行距離は134.8km(経路の関係で復路は132.0km)となっており、本州では奈良交通の八木新宮線に次ぐ第2位の運行距離を誇ります。(全国では6位であり、2位は阿寒バス「釧路羅臼線」、3位は沿岸バスの「豊富留萌線」、4位は函館バスの「快速せたな号」、5位はくしろバス・根室交通共同運行の「特急ねむろ号」)
おおむね三重県の中部と南部を結ぶ路線で、「熊野古道ライン」という愛称もあります。
後述の特急バス時代からは大幅に停留所を追加しており、地域の医療機関に乗り入れるなど、利用しやすい工夫もした結果、バス停数は119箇所にも及びます。

運行開始は2018年と意外にも歴史の浅い路線なんですが、その前身として松阪駅と紀伊勝浦駅を結ぶ路線があり、2000年代には一部を高速道路経由とした特急バスに鞍替えされ、県庁所在地である津市に乗り入れるなどの変遷を遂げますが、2018年をもってこれら特急バス(一部区間は快速バス)の運行を終了し、これに代わるものとして松阪熊野線の運行が始まったわけです。
初代の路線から考えると50年の歴史がある路線とも言えるのですが、残念ながら2025年3月をもって廃止されることが決まり、今回乗りに行くことにしたのでした。
元々、松阪と熊野市の間はJR紀勢本線でも結ばれていますし、名古屋から熊野市方面への特急バスは引き続き運行される見通しなので、代替路線がない区間はコミュニティバスなどに転換するか、特急バスのクローズドドアシステムの制限を緩和して代替するなどの可能性が考えられますが、今のところ廃止後の代替交通手段については明言されていません。

運行形態としては全部で3往復設定されており、そのうちの1往復は松阪駅前~三交南紀間を、2往復は松阪駅前から更に足を伸ばし松阪中央病院を発着します。
また、全区間乗り通した場合の所要時間は4時間ほどかかるため、途中2箇所で開放休憩が行われており、「道の駅奥伊勢おおだい」と「海山バスセンター」にて15分程度休憩を取ることになっています。
高速バスならばともかく、路線バスで休憩があるなんて、それだけでこの路線の長大さが分かりますね。
ちなみに、八木新宮線においては3箇所、天北宗谷岬線においては3箇所ほどの休憩があったりしましたから、長大路線バスの証とも言えますね。

といったところで解説は以上にして、本編に入っていくとしましょう。

乗車レポート

それではいよいよ本編スタートです。
この日は遠征としては最終日であり、大きい荷物を抱えての活動となるかと思ったんですが、どうせ松阪熊野線で松阪へ戻ってくるので、ホテルで荷物を預かってもらって身軽に行動できました。


というわけで松阪駅前からレポート開始です。
前述のように松阪熊野線のうち2往復は松阪中央病院へ乗り入れていますが、今回乗車するのは下りの始発便であり、松阪駅前が始発となっています。


運賃表を兼ねた路線図がありました。
面積を目一杯使っていますが、その中でも左右に折れ曲がりながら右下に伸びるのが松阪熊野線です。


松阪熊野線はこの4番乗り場から出発します。
多くの路線がここから出ており、色んな路線が書かれていますが、松阪熊野線こと熊野古道ラインは一番上に案内されていました。
ちなみに、実際の終点である三交南紀は括弧書きで、熊野市行きとして案内されていますね。


時刻表です。
地方都市ということで、各路線も毎時1本あるかないかという感じですね。


この7時42分発の便に乗っていきます。
松阪熊野線としては始発便であり、松阪を起点としてその日のうちに往復するにはこの便に乗るしかありません。


そして、こちらが松阪熊野線のバスです。
既に幕を出してくれているのでそれと分かりますし、専用車両である車体にも「熊野古道ライン」と出ていて一目瞭然です。


側面の行先表示です。

ところで、写真でも分かる通り、土砂降りの雨が降っていたんですが、さっきまでの写真では降っていませんでしたよね?
たった数分の間に急にこのような土砂降りになったというわけではなくて、さっきまでの写真はこの活動の前日、松阪駅に到着した際に撮っておいたものだったんです。
なぜその場で撮らなかったかというと、例の4番乗り場には学生を中心とした長蛇の列が出来ており、大雨もあってとても撮影どころではなかったのです。

今回の遠征の中でも、最大級に激しい雨に遭遇してしまいましたが、ここまで来て松阪熊野線に乗らずに帰るという選択肢はありませんし、今のところは運休等の情報もないので、このまま活動続行とします。
紀伊半島は急峻な地形が多く、土砂崩れのリスクなどから大雨になると通行止めになる道路もあると思いますが、今できることは無事に三交南紀まで行けることを祈るだけなので、運を天に任せ活動開始です。


バスがやってきました。
長蛇の列だったものの、乗り込んで見れば意外と余裕があって驚きました。
座席数が多い特別仕様のバスであることもありますが、バスの収容力も意外に大きいんだなと思わされました。

なんとか座れ、並んでいた全員が乗り込み終わるとすぐに発車となりました。
せっかくならば前面展望を撮りたかったですが、実は松阪熊野線に使われる車両はいわゆるマニア席がないタイプのバスとなっており、そもそも撮影不可能なんですよね。
金剛バスでやったときのようにズームをかけて無理やり撮る方法もありますが、車内が混み合っていてそれも難しそうです。

バスはしばらく松阪市内を走りますが、車内は学生で混んでいますし、道路も道路で通勤ラッシュの渋滞に巻き込まれ、楽しく乗りバスという雰囲気ではなかったですね。
こんなことなら平日ではなくて休日に乗るように行程を組めばよかったと後悔もし始めますが、「とちの木号」でエアロキングに乗ることと絡めた結果、この日程しか選択肢がなかったのです。

バスは国道42号を進み、多気町に入ると一旦国道を外れます。
今回乗車した三交南紀行きの始発便は、平日に限って「阿波曽経由」と称して、相可高校南を経由する設定になっており、相可高校への通学需要に応えているようです。
車内に大勢乗っている学生さんも皆ここの生徒であるようで、相可高校南で一気に車内が空いていきました。
JR紀勢本線にも相可駅があり、松阪駅からの移動に利用できますが、相可駅から相可高校までは少し距離があるため、生徒にとっては路線バスの方が便利なんでしょうね。


その先に「シャープ南」というバス停がありました。
由来は言わずもがなであの有名家電メーカーのSHARPであり、シャープの三重工場の最寄りなのです。
となると通勤利用がありそうですが、実際のところ利用者はいなかったようです。
やっぱり地方だと通勤は車一択になってしまうんですかね。

その後も国道42号を進み、バスは「VISON」というところに差し掛かります。
この「VISON」というのは日本最大級の商業リゾートとされる施設で、ホテル・産直市場・サウナ・スパ・レストランと言った施設が集まっているそうです。

付近をJR紀勢本線の線路が通っているものの駅は設置されておらず、公共交通機関でのアクセスは路線バスメインとなっています。
松阪熊野線を始め、松阪方面への路線バスがある他、名古屋からの特急バス、多気駅への乗合タクシーなどがあるようです。
一方、自動車でのアクセスは伊勢自動車道多気ヴィソンスマートIC、紀勢自動車道勢和多気ICと直結しており、非常に便利になっています。
この手の施設は自動車でのアクセスを前提としているのはよくあることですが、VISONの場合は路線バスが乗り入れているだけまだいい方ですかね。


車窓から見えたVISONの施設の一部です。
かなり大きな施設のようなんですが、時間が早すぎるのか利用者はいませんでした。
せっかく紀勢本線が近くを通っているならば駅を作ればいいのにと思ったんですが、駅を作って採算が合うほどの需要ではないんでしょうか。
時刻表ではここで2分停車することになっていましたが、松阪市内での遅延を引きずっていて遅れていたため、バス停に停車することもなく通過でした。

VISONを出ると大紀町・大台町と進んでいきますが、相変わらず雨が激しく降っており、車窓を撮るのも厳しい状態が続きました。

そして、松阪を出てから1時間半ほどしてバスは「道の駅奥伊勢おおだい」に到着です。
ここでは開放休憩がありますが、15分くらいは遅れていたので休憩は無しかなと思ったら、所定の15分よりは短いですが、10分程度止まるそうです。
運転士さんの休憩も兼ねているでしょうし、急ぐ旅ではありませんしね。
この時点で私の他の乗客は1名だけで、時折短距離利用者が乗ってきては降りという感じで、松阪市内での混雑が夢か幻だったのではないかと思うほどの閑散っぷりでした。


道の駅の看板が見えてきました。
実はこの道の駅は、JR紀勢本線の三瀬谷駅に隣接しており、鉄道との乗り換えも可能なんですが、バス停名は駅名ではなくて道の駅の方を採用しており、乗り換え地点としては案内されていないようです。
どうやら道の駅がある方には駅の出入口がなく、駅へ向かうには迂回を強いられるという立地条件のためのようですね。

ちなみに、駅前を発着するバスも別にあり、そちらは町内のローカル路線であるようです。


ここでバスを撮影です。
駐車場の一角をバス停として使用しており、傍から見ると路線バスが道の駅の駐車場に乗り付けているようにも見えますね。


後ろから
ところで、何か枠のようなものが付いていますが、これは広告装着用のもので、車体にこのような形で広告をつけるのは三重交通の伝統とも言えます。


非公式側からもう1枚


こちらがバス停の看板です。


道の駅の前にバスの案内がありました。
メインは松阪熊野線ですが、町営バスも乗り入れており、交通結節点でもあるようです。
他に54系統なども乗り入れており、松阪駅方面の往来は松阪熊野線が無くなってもこちらで可能であるようです。


隣にあったこの建物は大台町役場だそうです。
町役場が公共交通機関でもアクセスしやすい場所にあるのはいいですね。


休憩中で誰もいないタイミングで車内を撮らせてもらいました。
特徴的なのは2人がけの座席が並んでいることで、更に背もたれの高いハイバックシートとなっており、一般的な路線バスの車両より快適性が高くなっています。


ドリンクホルダーがあるのは、一般路線バスでは珍しいですよね。


更にはUSB電源まで付いています。
高速バスでは今や当たり前の設備ですが、路線バスで付いているのは珍しいですね。
ただし、進行方向右側(非公式側)の座席にしか付いていないので注意が必要です。

あと、これは私個人の話ですが、カバンに入っていたUSBケーブルは両端がタイプCのやつしかなく、このUSBポートはタイプAなので結局利用することは出来ませんでした。
C端子が付いたACアダプターなら持っていたのでコンセントがついていれば充電できたんですが、USB端子が直接ついているパターンは想定していませんでしたね。
まあ、モバイルバッテリーは過剰と言えるほどの容量のものを持ち歩いているので、充電切れの心配はありませんがw


更にはフリーWi-Fiまであります。
このあたりは元々は特急バスだった路線の代替であることから、特急・高速バス並のサービスを維持しようということなんでしょうね。
なお、モバイル回線を使用したWi-Fiなので、山間部などでは極端に通信速度が落ちたり、全く通信できなくなったりします。
スピードもモバイル回線の4G並くらいだと思うので、どうしても自分のスマホのギガを消費せずに使いたいという目的でなければ、接続してもしなくても通信品質は変わらない気がしますw

これは技術的に仕方がないことですが、米スペースX社のスターリンクサービスを使用した車載Wi-Fiとか出てくれば、固定回線レベルの高速通信を車内で体験できるようになるかもしれませんね。


あと、松阪熊野線では交通系ICカードの利用が可能となっていますが、1つ注意点がありまして、それは大又大久保を跨いで利用する場合は、降車時に運転士さんに乗車バス停を申し出てからタッチする必要があります。
どうやらシステム上、それをしないでタッチするとエラーになってしまうようで、恐らくはあまりにバス停数が多すぎるので、内部的には大又大久保を境に2つの別々の路線という形でデータを登録しているんでしょうね。

となると、松阪熊野線はICカードの仕様を考えたメーカーの想定を超える路線ということが出来ますねw

そして、バスは休憩を終えて発車していきます。
引き続き国道42号を進み、梅ヶ谷駅付近を過ぎるとバスは時刻表では12分もの間停車しません。
この間には荷坂峠という峠越えがあり、「カーブが続きますのでご注意下さい」というアナウンスも流れるのですが、「この先、荷坂峠を走行いたします」と具体的な名前まで上げていたのは印象的でした。


ようやく雨足は弱まりつつありますが、相変わらずガラスは濡れていてこの有り様ですw

荷坂峠は誇張ではなくて本当にカーブが多く、国道42号という幹線にしてはこのような峠道が残っているのは意外にも思えますが、並行して紀勢自動車道が整備されており、こちらはトンネルで一気に荷坂峠を越えるので、国道の改良はこれ以上されない可能性が高そうですね。
でも、名前の由来としては、江戸時代以前に紀州の玄関口として利用されていたツヅラト峠が急カーブ・急勾配のある難所だったので、紀州藩が現在の荷坂峠を整備し、「重い物を担いでも越えることができる」ということでこの名が付いているので、むしろ古くは快走路だったと言えるんですよね。
国道42号は「荷坂トンネル」という全長175mのトンネルで峠を越えており、昭和あたりの基準なら十分によく整備された峠といえるでしょう。


峠を越えて紀北町に入ると「マンボウ」という変わった名前のバス停が出てきました。
マンボウというと魚の名前を連想しますが、実際にマンボウは紀北町の名産品であり、バス停の前には「道の駅紀伊長島マンボウ」があるので、魚のマンボウが由来と考えてよさそうです。
紀北町の「町の魚」もマンボウだそうなので、町をあげて推しているのは間違いないですが、「マンボウ」という地名があるわけではなさそうです。
「道の駅紀伊長島マンボウ」というバス停名ならば納得ですが、「マンボウ」というのはそれを略したのか?
だとすると「道の駅奥伊勢おおだい」は普通に道の駅の名前なので、それに倣わなかったのはやっぱり謎です。


「道の駅奥伊勢おおだい」を過ぎてから、1時間ちょっとでバスは海山バスセンターに到着します。
ここでも休憩があり、時刻表ではやはり15分停車します。
回復運転の成果なのか、この時点で遅れはほとんどなくなっていました。


バスセンターとは言いつつ、こんな小さな待合室があるだけで、あとは砂利敷の空間があるだけの場所でした。
ちなみに、海山という地名は現在自治体名としては存在しませんが、かつて海山町というのがあり、隣接する紀伊長島町と合併して、現在の紀北町となっています。


バス停の看板ですが、実は東京・埼玉まで直通の夜行バスが出ているんですね。
南紀と東京を結ぶ夜行というと、かつての寝台特急「紀伊」を彷彿としますが、今でも需要自体はあるということですね。


もちろんバスも撮ります。


バスセンターの全景を入れつつもう1枚
相変わらず雲が垂れていますが、雨は一時的に止んでいました。

そして、再び発車していきます。
バスはなおも国道42号を進み、馬越峠を越えていきますが、ここは長いトンネルで一気に越える感じで、それほど険しい道のりではありませんでした。
峠を越えると尾鷲市に入っていきますが、ここまで通ってきた自治体の中では松阪市以来の”市”なんですよね。
ここらで松阪から共に乗ってきた1人が降りていき、ついにバスは私の貸切となりました。


中川という小さな川を渡りました。
といっても、渡った先も引き続き尾鷲市ですけどねw

そんな尾鷲市街を過ぎるとこれまでずっと寄り添ってきたJR紀勢本線と紀勢自動車道とは少しの間お別れとなります。
というのは、紀勢本線は海沿い、紀勢自動車道も紀勢本線よりは内陸側ですが、それでも国道よりは海側を走るためで、ここから熊野市街まではずっと山の中を走ることになります。
この区間に特定の名前があるのかは分かりませんが、数本のトンネルを経て熊野市に入っていきます。


ここもなかなかカーブが多い区間でしたが、松阪熊野線廃止後は路線バス自体が消滅する可能性が高そうな区間であり、路線バスで通行するのはもうこれが最後かもしれませんので味わっていきます。

熊野市に入ってすぐにICカードのくだりで出てきた「大又大久保」バス停に到着します。
ここは熊野市の最果てといえるバス停で、新宮方面への路線がここで折り返しています。
つまりはバスだけで新宮まで乗り通せることになり、更には日本最長路線である八木新宮線にも乗り継げることになりますが、ダイヤの関係で松阪熊野線と八木新宮線を同日中に乗車することは出来ず、新宮か熊野市での宿泊が必須となっています。


道中にあった「フリー相谷」というバス停名が気になりました。
当然そんな地名ではないわけで、恐らくはフリー乗降制が導入されていることを示しているんでしょうが、バス停名に「フリー」を冠しているのは初めて見ましたw


熊野市街に入り、青看(案内標識)が見えてきました。
松阪から118kmも走ってきたんですね。
新宮までは25kmですが、どうせなら松阪熊野線も新宮まで行けば面白いのにw
前述のように熊野市と新宮市の間には三重交通の路線バスが出ており、バスでも移動可能ですが、本数は松阪熊野線よりむしろ多いくらいで、この間で三重県と和歌山県を跨ぐことを考えるとちょっと意外な気もします。

しかし、現在でこそ三重県と和歌山県に分かれる熊野市と新宮市ですが、かつては共に紀伊国に属しており、歴史的には同じ国だったんですよね。
そのため、熊野市と尾鷲市周辺の地域を指して今でも東紀州と呼ぶこともあるようです。
現在の都道府県はおおむねかつての律令国を踏襲したもので、複数の律令国が1つの都道府県にまとめられていたり、逆に1つの律令国が複数の都道府県に分割されていたりという例はあるものの、東紀州地域のように、分割や併合ではなくて、境界そのものが大きく変わっている例は少ないようです。
そうなった理由についても調べてみたんですが、どうやら明治時代の廃藩置県の時には、東紀州地域は「度会県」という独立した県だったらしく、この時に和歌山県とは分離されたようです。
その後、度会県は三重県との合併により消滅しますが、度会郡や度会町といった地名として、今でも名前だけは残っています。
ところで、どうして紀伊国の大部分がそうなったように和歌山県に入らなかったのかという点ですが、それぞれの県庁所在地までの距離が問題だったという説もあるようで、東紀州から和歌山市へ向かうより、津市へ向かう方が距離が近く、今ほど交通が発達していない明治期は特に県庁からの距離が重要だったのかもしれませんね。

ちなみに、高速道路が発達した今でも熊野市から和歌山市へは3時間ほどかかるようですが、津市までは1時間40分ほどで行けるようで、確かにそれなら三重県に編入した方がよかったのは納得ですね。

そして、バスは熊野市駅に差し掛かります。
熊野市内で乗ってきた数名が降りていきますが、乗ってくる人はおらず、再び私の貸切となります。
なお、鉄道に乗り継げるのはここが最後であるため、このままJRに乗り換えて帰ろうという人で、全区間乗車にこだわりがないならばここで降りるのがおすすめです。
終点の三交南紀は町外れにあり、有井駅から歩けないこともないものの、鉄道との乗り換えは不便です。


終点の三交南紀に到着です。
これにて4時間ちょっとの旅は終わりですが、1時間ほどの滞在のあと、またバスで松阪へ折り返しますので、私にとっては8時間のバス旅ということになりますねw


こちらが三交南紀のバス停です。
周辺にバスがたくさん停まっていることでお気づきでしょうが、三重交通南紀営業所の敷地内にあります。


ここにも東京・埼玉への夜行バスが乗り入れています。
その他、名古屋への高速バスも乗り入れていますが、三重交通直営の路線としては松阪熊野線が唯一の一般路線となっています。
この地区の主力と言える熊野新宮線がここへ乗り入れないのもありますが、一般の利用者は少なさそうな場所ですね。


こちらは名古屋行きの時刻表です。
1日あたり5本運行されており、そのうち2本が新宮始発となっています。
ところで、名古屋までは4時間半弱で着くようですが、松阪熊野線で松阪へ行くのと対して変わらない時間で名古屋まで行っちゃうなんて、やっぱり高速バスは早いんですね。
ちなみに、JRの特急「南紀」だと3時間ほどなので、最速手段はJRです。
今は熊野市まで高速道路が繋がっているとはいえ、伊勢市までは対面通行なので、そこまで劇的な高速化というわけにはいかないんでしょうね。


こちらが一般路線の時刻表です。
まるで2路線あるかのような書き方ですが、松阪駅前行きも松阪中央病院行きもどちらも松阪熊野線であり、前述のように直営の一般路線は松阪熊野線のみです。
下段に出ている熊野市バスというのもありますが、こちらもかつては三重交通の路線だったんですかね。


バス停のポールが立っていましたが、駐車場の案内でしたw


こちらが営業所の建物です。
定期券や高速バスチケットの発売もしているようですが、ほとんど関係者しか出入りしていない感じなので、なんとなく入りづらかったです。
まあ、用がないのに入る場所ではないですねw


小型バスが来ました。
ここを発着する一般路線は松阪熊野線だけのはずなので、熊野市のコミュニティバスとかですかね。


入口にはこんな看板が出ていました。
どうやら高速バス利用者向けの無料駐車場があるらしく、パーク&ライドで利用できるバス停になっているようです。
地方の高速バスではよくある形ですが、郊外にある営業所ならではの活用ですね。


敷地外からは足を休める高速バスの姿が見えましたが車体ラッピングで沿線自治体をPRしているのは最近増えていますよね。

といったところで、あとは折り返しを待つのですが、ちょうど昼どきでもありますし、周辺で昼食を済ませることにしました。
どうせ周囲に飲食店がないパターンだろうと思って、コンビニか何かで買い込んでおこうかと思っていたのですが、調べてみると意外にも徒歩圏内に複数の飲食店があることが分かり、1軒だけだとネットではやっていることになっているのにいざ行ってみたらやっていないなんてパターンが怖いのでアテには出来ないのですが、複数あるならば流石にどれかはやっているだろうということでここでお昼ご飯としました。
地方を公共交通機関だけで旅する場合、食事の下調べはかかせませんw


ふらりと入店した「味工房泰門」さんで頂いたのは海鮮丼でした。
海沿いの街ですし、今回の遠征では肉系の食事が多かったので、ここで魚を食べられてよかったです。
Googleマップでの口コミがあまりよくなかったので期待していなかったのですが、結構美味しかったです。

食後はまた三交南紀に戻ってバスを待ちますが、ここまで止んでいた雨がまた降り出してきたので駆け足で戻りました。
食事をするタイミングで雨が止んでくれたのはよかったですが、結局復路も雨の中での乗車になりそうです。


営業所へ戻ると同時に入ってくるバスに遭遇しました。
回送のようですが、熊野新宮線の入庫とかでしょうか?

あとはバス停でバスを待ちますが、段々雨が激しくなってきたので、営業所の軒先で雨宿りしつつ待ちました。
今度は私の他にもう1人待っていて、熱心にバスを撮影したりしておられたので、同業者のようです。
あの人も全区間乗車するかは分かりませんが、とりあえず三交南紀を出る時点では私の貸切とはならなさそうです。


バスがやってきましたが、発車ギリギリの着停だったので撮影はこれだけで乗り込みます。


熊野市街を抜けると海が見えてきました。
このあたりは鬼ヶ城という観光地に近いようですが、この天気では降り立っても眺望は期待できませんね・・・


復路も往路と同じく海山バスセンターで休憩がありました。
ちょうど三交南紀行きの松阪熊野線と同時に休憩するダイヤだったようで、2台が並ぶ様子が見られました。


松阪行き単独で


発車直前に高速バスもやってきました。
これは名古屋行きでして、松阪熊野線と接続するダイヤになっていたんですかね。
この高速バス自体も三交南紀や熊野市・尾鷲市にも停車するのですが、高速バスが停まらないバス停の利用者のために松阪熊野線とも接続しているんでしょう。


紀北町内でも海が見える箇所がありました。
今度は海側の席に座ったので車窓にも変化が出て楽しいですね。
まあ、天気が良ければもっとよかったですがw


荷坂峠を越えて大紀町に入ると巨大な牛乳パックが視界に飛び込んできました!
実はこのあたりはかつて大内山村という自治体で、酪農が盛んなことから大内山牛乳というブランドになっており、そのPRだったようです。
どこかで聞いたことがあるなと思ったんですが、紀勢本線に大内山駅がありましたね。


大内山川に沿って進みます。


2回目の休憩はやはり往路と同じく「道の駅奥伊勢おおだい」でした。


非公式側からも撮ってみましたが、方向幕以外は往路で撮ったのと代わり映えしませんねw


休憩を終えてバスに戻った私の手元には・・・大内山牛乳が!w
道の駅で売っていたので思わず買ってしまいました。
若干眠気も感じてきていたのでコーヒー牛乳にしました。
それにしても、沿道の看板も宣伝効果がしっかりあることがこうして証明されてしまいましたねw


大台町では大台厚生病院という病院に立ち寄る場面もありました。
通院路線としての役割もあるんだなと思いきや、私が乗った時は利用者はいませんでした。
まあ、午後の便だったので診療を終えて帰るには遅すぎたのかもしれませんね。


長大なトラス橋で谷を渡る高速道路が見えました。
これは高速道路を走っていては見られない景色ですね。

そして、バスは多気町を経て松阪市内に戻ってきました。
多少流れが悪い場所はあったものの、朝ほどではなくてほとんど定刻通りというくらいの走りで松阪駅前に到着です。


終点の松阪駅前に到着!
往復あわせて8時間のバス旅もこれにて終了です。
朝から夕方までずっと路線バスの車内なんてそうそうできる体験ではないですよね。
八木新宮線に比べれば路線自体は短いですが、八木新宮線は当日中の往復が出来ないのに対して、松阪熊野線は朝一番の便に乗れば当日中に往復できちゃいますから、このような長時間乗車が実現するわけですねw
でも、やっぱり特別仕様になっているだけあって、快適性は一般の路線バスよりは上であり、想像よりは疲れを感じませんでした。

ちなみに、三交南紀からご一緒したバスファン(多分)の方もここまで乗り通しており、この日は全区間乗車した人が2人いたことになりましたね。


乗客を下ろすとバスは走り去っていきました。
松阪熊野線は南紀営業所の単独運行ですが、このあとは松阪営業所あたりで夜間滞泊して翌朝の始発便で折り返すんでしょうか?
となると運転士さんも泊まり勤務なんですかね?


最後に駅舎を撮って活動終了!
ですが、忘れてはいけないことがありますね。
そう、ホテルに預けてきた荷物の回収です。
うっかり忘れて帰ってしまったら、郵送してもらうしかないですが、結構大きなカバンなので送料だけで結構な額になりそうw

というわけで無事に荷物も回収したらあとは帰るだけですが、なにせ東京まで帰るわけですから長旅です。
時間的には今から名古屋へ出れば東海道新幹線で当日中に帰り着くことも出来ましたが、コスト節減ということで名古屋から夜行バスで帰ることにしました。
松阪から出ている東京方面の夜行バスもあるのですが、値段的には名古屋までの電車賃を入れても名古屋からのバスに乗ったほうが安いようだったのでそのようにしました。

それでは名古屋へ向かいますが、問題はJRで行くか近鉄で行くかですね。
近鉄は昨日まで乗りまくったので、最後はJRで〆るかとも思ったのですが、快速「みえ」にしても、近鉄の急行にしても、早く名古屋に着きすぎて夜行バスの時間まで暇を持て余すことが問題でした。
ふと思ったのは、近鉄を利用するにしても、あえて急行ではなくて普通列車に乗ってのんびり名古屋に行けば、いい感じで時間もつぶれると気付いて普通列車で行くことにしました。
こういう機会でもないと普通列車で乗り通すなんてしませんからねw


↑松阪駅に入場するとちょうど特急が発車するところだったので動画で撮りました。

あとは移動ですが、松阪から名古屋行きの普通は本数が少ないので、まずは急行で津新町まで行き、そこから普通列車とします。
名古屋線の津新町~伊勢中川間は急行でも各駅停車になるので、この区間に乗り入れる普通列車は少ないんですよね。


↑白子駅では「アーバンライナーPlus」に抜かれました。


普通列車と特急の並び


そして、名古屋に到着です!


名古屋についたら晩ごはん!
味噌カツ・手羽先・どて煮を一度に味わえる定食です。
前にも食べたんですが、名古屋経由での帰宅を選んだのはこれが食べたかったというのもありますw

あとは夜行バスですが、これは別記事にしようと思います。
というわけで、3泊4日の遠征としてはこれにて完結ですが、次回の夜行バス乗車レポートもお楽しみに!

つづく

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つばめ501号(管理人) について

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