2泊3日で実施した四国遠征の3日目(最終日)です。
なお、1日目・2日目をご覧になっていない方はそちらからご覧になることをおすすめします。
本日の行程
最終日となる今日は宿泊地の高松からスタートとなり、ことでんの高松築港駅から行動開始です。
高松築港駅からはまず瓦町駅に行って志度線を1往復、その後長尾線も1往復したら一旦高松築港へ戻ってから琴平線で琴電琴平駅まで行ったらことでん完乗を果たして前半戦は終了です。
後半戦はJR四国で唯一残った未乗区間である予讃線の多度津~松山間の乗りつぶしがメインであり、琴電琴平駅からJR琴平駅まで徒歩で移動して、土讃線で多度津へ出たらあとは普通列車でひたすら松山を目指します。松山に到着したらとんぼ返りする形で「しおかぜ」で岡山へ抜けて、山陽新幹線で帰路に就きます。復路は特急なのは時間的な都合もありましたが、8000系電車に乗っていなかったので、それに乗りたいという事情もありましたw
朝の高松築港からことでん乗りつぶしスタート!
行程の説明が済んだら早速本題へ入っていきましょう。
まずはホテルから高松築港駅へ向かいます。駅名こそ違いますがJR高松駅とは徒歩圏内にあるのでJRとの乗り換えも普通に可能なんですが、初見で近いのに駅名が違うパターンは罠ですよね。
まあ、駅名が同じなのに遠いよりはマシですがw
引っ掛けみたいになってしまいましたが、こちらは高松築港駅ではなくてJR高松駅です。
今風のオシャレな外観ですよね。
そんな高松駅に背を向けて歩くとこんな場所に出ます。
なんかお城の石垣みたいなの出てきたけど本当に合ってるの?と不安になりましたが、スマホのナビはちゃんと正しい方向へ歩いていることを示していました。
見えてきました!こちらが高松築港駅です。
う~ん、高松駅を見てきたばかりだからというのもありますが、ショボい質素な佇まいの駅舎ですね。
まあ天下のJRの駅と地方私鉄の駅を比べるのも酷というものでしょうからこれ以上は言わないことにしましょう。
意外と奥行きがあったのに驚きました。
なんだかんだ言っても”ことでん”のターミナル駅ですからね。
待合室も思ったより広いです。
ちょっと古さは感じますが、自動券売機やコインロッカー、自販機など、快適に列車を待てる設備は揃っているようです。
ここで”ことでん”の1日乗車券を買い求めたら取材を続けます。
改札口です。地方私鉄で自動改札と言うだけでもすごいと思いますが、更に凄いのが”ことでん”では「IruCa」という独自のICカードを導入しており、Suicaなど全国的に共通利用できるICカードとの相互利用はないのですが、地元利用者で定期的に利用する人はICカードで乗り降りしているんでしょうね。
なお、自動改札はICカード専用らしく、私のように1日乗車券だったり、紙の切符を買って乗る場合は従来のラッチで入鋏を受けるスタイルとなります。
ICカードとラッチという新旧の改札スタイルが同居しているのが面白いですね。
LED式の発車標までありました。雰囲気からしてパタパタがお似合いですが、細かい設備面では新しいものを積極的に取り入れているようですね。
乗る電車ではないですがいたので撮影。
どこかで見た顔だと思った人はコアな京急ファンか、一昔前の京急をご存知の年代の方じゃないかと思いますが、実は京急700形がここで第二の人生を送っていたりします。
地方私鉄では大都市圏の大手私鉄の中古車両を導入するのはよくあることですが、中古電車といえば東急というくらい東急車の割合が高く、京急車の譲渡ってあんまり例がなく、まとまった数が譲渡され現役で走っているのはこの”ことでん”ぐらいではないでしょうか。
つまりは、ことでんは京急ファンにとっては聖地かもしれませんね。
↑ここで発車シーンです。
隣に入ってきたこの色違いの電車が私が乗る列車のようです。
顔がよく似ていますがこちらは同じ京急でも700形ではなく1000形であり、ことでんでの型式名は1300形といいます。
古い電車定番のアイテムといえるであろう扇風機もありました。
京急を示すアルファベット「KHK」がそのまま残っているのもいいですね。
残った時間は駅を見ていきます。
やっぱり始発・終着駅は終端部ですよね。
高松も結構高いビルがあって都会だなぁ・・・なんて思っていたらもう発車時間でした。
やべえ、発車標も撮っていないのにw
まあ、あとでもう1回来ますからそのときに宿題は回収しましょう。
高松築港駅を出るとお城のすぐ脇を掠めるように走るため、車窓からはこんな景色が見られます。
たった2駅だけの乗車ですが、瓦町駅で乗り換えのため下車します。
瓦町駅からは志度線
というわけで、ことでん初乗車の感慨もへったくれもなく瓦町駅に到着です。
ここからは志度線に乗り換えますが、その間に軽く駅取材もしていきます。
薄暗く地下駅のような雰囲気ですが、駅ビルと一体化しているためであり、構造としてはあくまで地上駅です。
こちらは琴平線の駅名標です。
路線ごとに色を変えているんですね。
一見、ただの非常口か関係者用の通路かなと思いましたが、実は朝ラッシュ時間帯のみ開放される出場専用の改札口のようです。
その証拠に脇には簡易改札機が設置されています。
ちなみに、出てすぐのところにセブンイレブンがあるらしく、ちゃっかり宣伝していました。
しかし、せっかく存在が分かっても肝心の改札口が開放されていなければ訪れるのはかなり遠回りを強いられます。
そういえば、隣の乗り場に電車がいたので撮りました。
高松築港駅で見送ったやつと同じ電車のようですね。
それでは階段を上がって乗り換えます。
長尾線と琴平線はまとまって乗り場が配置されていますが、これから乗る志度線だけは少し離れていて、改札内乗り換えが可能ではありますがちょっと歩きます。
コンコースです。高松築港駅よりもよほど都会的な光景で、構内にコンビニまでありますね。
志度線乗り場が少し離れていることは既に述べましたが、なんと動く歩道まで設置されていました。
志度線だけは高松築港駅へ乗り入れず、当駅を起点・終点としているので車止めがあります。
こちらの乗り場にも改札口が独立して設けられており、直接志度線乗り場へ入ることもできます。
先程までいた琴平線・長尾線の乗り場が入っている駅ビルが見えました。
外から見ても大きな駅ビルですね。
志度線の駅名標です。
高松築港駅へは乗り入れないため、終着駅のような書き方ですね。
縦型には琴平線・長尾線の方の駅名ナンバリングも一緒に載っていました。
離れているとはいえ駅としては同一ですからね。
ホーム端から1枚
こちらも覆いかぶさるように建物があるため薄暗いです。
何かと思って撮りましたが、金曜日には深夜0時発の列車があることを宣伝するもののようです。
有名な寓話にちなんでいて面白いセンスだと思います。
志度線の電車はこちら
元々は名古屋市営地下鉄で活躍していた車両がここで第二の人生を送っています。
地方私鉄では最近増えているサイクルトレインが志度線でも導入されているのですが、利用可能時間帯が限られるのはよくあることとして、利用できる列車も決まっていて、おおむね2本に1本の割合で走っている電車のみが対象になっています。
理由は単純で、サイクルトレインの対象は3両編成で運行される列車のみが対象であり、日中は2両編成の電車と交互に運行されるダイヤのためこのようになっているようです。
それでは、そろそろ発車時刻のようです。
志度線
例によってまずは志度線の解説から入っていきます。
志度線は瓦町~琴電志度間を結ぶ全長12.5kmの路線であり、ほぼ全線でJR高徳線と並走しています。
ことでんの他2路線(琴平線・長尾線)は高松築港駅へ乗り入れていますが、この志度線のみは運行形態上も瓦町駅を起点としており、高松築港駅へは乗り入れていません。
以前は乗り入れがあったようですが、線形の都合上志度線だけはスイッチバックをしないと高松築港方面へは乗り入れられない構造であり、瓦町駅が建て替えられた際に志度線と琴平線・長尾線の線路は分断され、以後志度線の高松築港駅への乗り入れは行われなくなりました。
元々スイッチバックが面倒だった上に、全線に渡って高徳線と並走しているのでJR高松駅に隣接する高松築港駅への利用者はJRを使う傾向が強く直通の需要が他の路線に比べて少なかったということなのかもしれませんね。
元々は東讃電気軌道という私鉄が今橋~志度間を開業させたのが起源で、名前の通り当初は路面電車としての開業でした。その名残で現在でも最初から鉄道線として開業した琴平線に比べて駅間が短く平均すると0.83kmの間隔で駅が存在します。
また、現在は瓦町駅が起点ですが、以前は公園前駅というところまで路線が伸びておりそこから市内線と呼ばれる路面電車に直通して高松駅を経て築港駅まで乗り入れていました。
この市内線は戦時中の空襲で壊滅的な被害を受けそのまま復旧を断念されて廃止され、同時に志度線の瓦町~公園前間も廃止となり現在の形となりました。
運行形態としては瓦町~琴電志度間を走破する列車が20分ヘッドに、ラッシュ時には瓦町~大町間の列車が追加されて10分ヘッドとなるなど地方私鉄にしては比較的高頻度な運行となっており、並行する高徳線よりも運行本数が多く、加えて駅数もJRより多いので並行しているとはいえ、住み分けられている部分もあるのでしょうね。
あと、これは志度線と言うよりことでん全体に言える特徴ですが、全線に渡って讃岐平野を走っていることもあり、なんと志度線以外の路線も含めてことでんには1つもトンネルが存在しません。
逆に言えば車窓的には平凡な景色が続くということでもあり、乗っていても車窓を楽しむと言うよりは古い車両を味わう路線というのが正直な感想でしたね。
と思っていたら終点間際でこんな車窓が出てきました!
志度湾というらしいですが、ことでんでこんなに海の近くを走るのはここぐらいのようです。
それでは、琴電志度駅に到着し、まずは志度線を完乗です。
琴電志度駅
志度線の終点、琴電志度駅に到着です。
まずは駅名標です。
駅名標自体は新しいですが、支柱が錆びているのがちょっと残念。
まあ、使えるものはそのまま使うもったいない精神なんでしょうねw
縦書きなのは珍しい気がする名所案内ですが、志度寺が入っているのは流石は四国です。
ホームです。1面2線ですが、基本的に片方しか使わないようで、写真で右側に当たる乗り場は夜間滞泊でのみ利用されるようです。
改札口も昔ながらのスタイルが残っていました。
その中でICカード用の簡易改札機が浮いている感もありますねw
道路標識としての駅の案内ですが、ここでも「ことでん」なんですね。
正式名の「高松琴平電気鉄道」では長いですい、略称の「ことでん」はひらがな表記が正式なので、正しい表記ではあるんですが、お堅いイメージのあるお役所が設置するであろう道路標識でひらがな表記ってなんかイメージに合わない気がしますw
志度寺の案内がありました。
今やお遍路もすっかりメジャーになりましたし、案内もしっかりしていますよね。
まだ時間があるのでちょっと歩いてやってきたのはJR志度駅です。
ことでんの駅は「琴電志度」であり、一応JRとは別の駅ということになっていますが、歩いて数分の至近距離に位置しており、相互の乗り換えは十分に可能です。
尤も、JRと”ことでん”を乗り継ぐとしたら、志度以東の高徳線の駅からことでんの駅しかない場所へ行きたいとかそういう限られた状況になりそうですけどね。
今回はJRには乗らないのであまり細かくは撮りませんが、白ポストを発見。
駅舎はこんなに立派でも、これがあるだけで田舎っぽく感じるのは私だけでしょうか?
↑それでは駅に戻りまして、電車の入線シーンです、
↑片開きドアが珍しいので閉まるところを動画撮影しました。
2度目の瓦町駅
瓦町駅に戻ってきて今度は長尾線に乗り換えですが、今度は外にも出て、先程は見なかったところも見て取りこぼした部分をレポートしていきたいと思います。
ホームは既に撮ったのでさっさと出場して、外から志度線乗り場を撮ります。
駅の周辺はお店などが点在し、昔ながらの中心地という趣きです。
一方、本体と言ってもいい琴平線・長尾線が入っている駅ビルです。
東口となっていますが、向かい側には西口もあるようです。
普通に都会のターミナル駅の様相ですよね。
入口かと思ったのですが、これ最初に瓦町駅に来たときに見た臨時改札口のようです。
出場専用なので、ここから入ることはできませんが、駅員が立っているでもなく、ゲートのようなものもないので、何も知らないでここから入ってしまうことはありそうですね。
1日乗車券とか定期券ならいいですが、切符を買わずにここから入ったりしたら降りる駅で多分怒られちゃいますねw
ペデストリアンデッキのような通路へ上がると別の入り口がありました。
志度線口を見下ろします。
本体とは連絡通路で繋がってはいますが、見た目上は完全に孤立していますね。
ところで、志度線は他の路線とは線路が分断されていると書きましたが、瓦町駅では繋がっていなくても側線か連絡線みたいなものでどこかで繋がっているんじゃないかと思っていたのですが、本当に一切線路がつながっておらず、志度線の車両を大規模な整備をする場合、仏生山の車庫までトレーラーで陸送しているそうです。
同じ鉄道同士でこんなに隣接しているのに繋がっていないのはもどかしい気もしますが、車両数がそんなに多くなく、大規模な整備はそんなに頻繁に実施することでもないということで、トレーラーによる陸送という手間を掛けても線路をつなげる手間よりは安いという判断なんでしょうかね。
コンコースはちょうどラッシュのピークにあたっているためか混み合っていました。
西口にも来てみました。
バスターミナルとなっていて、東口よりも賑やかです。
あまり時間もないのでそろそろ構内へ戻りますが、ゴミ箱にことでんの公式キャラクターの「ことちゃん」がいました。
長尾線
こちらも解説から入りますと、長尾線は瓦町駅~長尾駅間を結ぶ全長14.6kmの路線です。志度線とは異なり、ほとんどの列車が琴平線に乗り入れて高松築港駅へ直通しており、運行形態としての長尾線は高松築港駅~長尾駅間の路線と言えますね。
長尾線は長尾街道と呼ばれる道筋に沿って走っており、終点の長尾駅は四国八十八ヶ所の札所でもある長尾寺があり、開業時は参詣路線としての役割が強かったようです。
元々、長尾街道自体が長尾寺への参詣を目的にした道だったようですし、その役割を引き継いだとも言えますね。
しかし、現在は利用のほとんどは沿線住民の生活の足となっており、いくらお遍路さんが多くても、参詣目的での利用は主流とは言えないようです。
今どきのお遍路は観光バスで回るツアーだったり、自動車、バイクを使うものが多いようで、鉄道やバスで回るお遍路というのは少数派でしょうしね。
運行系統としては高松築港~長尾間の列車が基本で、日中は20分ヘッド、ラッシュ時は区間運転なども加わり12分ヘッドになるようです。
歴史についても触れると1909年に高松電気軌道という私鉄によって開業したものであり、志度線と同じく路面電車として開業しました。その後ことでんの一員となっていますが、興味深いのは長らく高松築港駅への直通はしておらず、瓦町駅の建て替えで志度線が分断されて直通しなくなった際に入れ替わるように直通するようになった経緯があったりします。
志度線はJRと並行していて高松築港駅の近くにはJR高松駅があることを考えれば直通の意義は小さく、一方で長尾線はJRと並走していないため、JRへ乗り換える利用者も少なくないでしょうから妥当な判断でしょうね。
今度はかぶりつきポジションを確保できたので展望風景を撮りながら行きます。
まだ普通の市街地の景色ですね。
志度線みたいに海が見えるような場面もなかったのであとは終点の長尾まで写真はありませんw
長尾駅
長尾線の終点、長尾駅です。
駅名標です。ここも支柱にちょっとサビが浮いていますねw
縦型
名所案内は琴電志度駅と同様のスタイルでした。
右端にはもちろん長尾寺が載っています。
列車が走り去ったあとでホームを撮影です。
ホームは1面1線だけですが、ホームに面しない側線があり線路自体は2線あります。
改札口です。古いスタイルですがやっぱりICカード用改札機があるのは浮いていますよねw
まあ、古さの中でも時代に合わせて変化する部分もあるってことで。
よく見ると社紋が残っていましたね。
昔は駅にその鉄道会社の社紋を掲げることが多かったようですが、今では普通に社名を表記するかロゴマークを掲げることが多いですよね。
駅名の部分はローマ字表記すらしないシンプルなもので、古くからのものであろうと思われます。
駅から少し歩いた道路上にバス停があります。
さぬき市コミュニティバスと大川バスが乗り入れているようです。
実は大川自動車の本社なんですね。
大川自動車とは先程も名前が出た大川バスの正式名称です。
↑駅に戻って入線シーンです。
志度線でも乗った名古屋市営地下鉄からやってきたやつですが、こちらは600形という型式名です。
よく見るとドアの部分にステップが付いていました。
志度線と比べて車両限界が大きくなっているために、同じサイズの車両を導入してもこちらではホームとの間に隙間ができてしまうのでしょうね。
それでは、今度は一旦高松築港駅に引き返します。
2度目の高松築港駅
冒頭で少し触れたようにもう一度高松築港駅に戻ってきました。
ホームを改めて撮影です。
やや変則的な2面2線となっていて、琴平線と長尾線で1線ずつ使い分けているようです。
駅名標ですが、どうも縦型しか存在しないみたいです。
普通のタイプを探しましたが見当たりませんでした。
Wikipediaにも掲載がなく、検索エンジンで画像検索をかけても古い時代のものと思われるもの以外ヒットしないことを踏まえて、撮り忘れではなくそもそも設置されていなかったという結論に至りました。
そうそう、ホームからはお城のお堀が見えます。
こんなにお城に隣接した駅も珍しいですよね。
こうなった経緯ですが、志度線のくだりでかつて市内線と呼ばれる路線が存在していて築港駅まで乗り入れていたことに触れたと思いますが、その市内線は志度線の一部とともに戦災により廃止されてしまいます。その代替として瓦町~高松築港間が新たに開業し、その際に高松城のお堀だった敷地に線路を通したために、駅もお城に隣接する形で設置されることになったのです。
今の感覚からすれば文化財としての価値も高いであろうお城の敷地に鉄道を通すなんてありえない!と思ってしまいますが、1948年の開業ということで当時は今ほど文化財保護が重要視されてはいなかったでしょうし、戦禍からの復興が最優先という時代背景もあったでしょうから、お城のお堀という細長く連続した用地は鉄道を通すのにうってつけだと判断されたのかもしれませんね。
なお、類似の例として山陽本線の福山駅があり、なんとお城のお堀どころか敷地を分断するように駅が設置されており、こちらは戦禍からの復興というわけではないものの、更に古い1891年の開業で、やはり当時は文化財の保護よりも鉄道を通すことによる利便性が優先された時代だったのでしょうね。
↑乗ってきた長尾線の発車シーンです。
と、ここでまさかの事態が・・・
なんと琴平線は車両故障の影響でダイヤが乱れており、私が乗車予定の列車も15分程度の遅れを持って運行中とのことで、既に発車時刻を過ぎていますが、いまだ入線すらしていない状況です。
幸いにして琴平駅では時間に余裕を持って乗り換える行程になっていたため15分程度の遅延ならばそこでカバーできますが、こういう小規模私鉄は滅多に遅延しないイメージだったので驚きました。
まあ、古い車両が多く活躍している”ことでん”ですから、車両故障と言われるとなんか納得してしまいますが・・・
↑結局10分ちょっと遅延して入線してきました。
何気に4両編成でしたが、例の遅延の影響で運用が狂った結果なのか、琴平行きということで利用者が多いことを想定しての運用なのかは分かりません。
それでは早速乗り込んで琴平へ向かい、ことでんを完乗してしまいましょう。
琴平線
ことでん最後の乗りつぶしは琴平線でシメとなります。
正式名称を高松琴平電気鉄道という”ことでん”ですが、その本線と呼ぶに相応しいのがこの琴平線であり、高松築港駅~琴電琴平駅の間の32.9kmの路線であり、琴平電鉄という私鉄が開業させました。
琴平は古くから四国を代表する著名観光地であり、今も走るJR、ことでんの他に多度津・丸亀・坂出へ至る琴平参宮電鉄、まっすぐ坂出へ至る琴平急行電鉄と今は存在しない2つの私鉄も乗り入れており、琴平へは国鉄線に私鉄3社が乗り入れていた時代もあるわけですが、それだけの著名観光地の琴平と県庁所在地にして本州との連絡船の発着地でもあった高松を結ぶ琴平線も賑わった時代が存在し、1958年から1967年にかけて「こんぴら」という急行列車が走った時代もあるようですが、琴平を訪れる観光客の減少もあり、今では琴平への観光路線というよりは地域輸送がメインのようです。
運行形態としては、高松築港~琴電琴平間を走破する列車が日中は30分ヘッド、一宮止まりの区間列車が30分ヘッドで加わり、高松築港~一宮間では15分ヘッドとなっており、ラッシュ時には最小で7分半ヘッドとなるなど、地方私鉄にしてはなかなかの高頻度運転です。
また、高松築港~瓦町間(通称:築港線)は長尾線の列車も入ってくるためもっと本数が増えます。この本数をさばくため”ことでん”では唯一複線区間を持つ路線となっており、高松築港~栗林公園間が複線です。
なお、高松築港~琴電琴平間はおよそ1時間を要していますが、JRで高松~琴平間を移動する場合、快速「サンポート」を利用すれば50分程度で行けますが、普通列車だとやはり1時間程度かかるので、所要時間では互角ですね。
JRの方は日中ダイヤでは高松~琴平を直通する列車は1時間に1~2本程度ということを考えるとこの区間は”ことでん”も劣勢とまでは言えないように思えます。
実際、今回乗車したときには全区間乗り通す利用者もそれなりにいたように思います。
また、志度線と高徳線の関係とは違って、途中のルートが大きく異なっていることもあって、そこまで激しい競合関係でもないのでしょうね。
それでは、そろそろ本編へ!
今回もかぶりつきポジションを確保できたので展望風景を撮りながら行きます。
築港線と呼ばれる区間で、高松の市街地を走っていますね。
大きな駅ビルが見えたら瓦町駅です。
ちょっと新静岡駅に似ているなと思いました。
栗林公園駅を過ぎると複線区間も終わって単線になりますが、実は用地だけは一宮駅まで複線分確保されており、こんな景色が続きます。
部分的に高架になっているところもあるのですがなんとこれも複線分の幅で作られています。
複線化まで進行中とは”ことでん”も地方私鉄と侮れないなと思いましたが、実は今の所具体的に複線化が決まっているわけではないようです。
高架線は一度単線で作ってしまうと将来複線化しようとなったときに簡単に変更できないので、とりあえず複線規格で作っておこうということなんでしょうね。
切り通しで丘を越えます。
あまり標高のある丘ではないためか切り通しで越えていますが、これがトンネルだったらことでん唯一のトンネルになっていたでしょうね。
と、ここで衝撃の事実が判明!
ずっと、やけにモーター音が小さいなと思いながら乗っていたのですが、調べてみると今乗っている電車(1200形)は運転台側の台車は付随台車で、連結面側の台車だけが動力台車という構造をしており、今風に言えば0.5Mだったのです。
少なくとも日本においては0.5Mが採用されるようになったのはここ最近の話であり、1200形のような古い電車で採用されているとは思いもよらず何の疑いも持たずに乗っていたのですが、何気なく携帯で1200形のことを調べていて気づいてしまいました。ただ、それが終点に着く寸前というタイミングだったため、小さいモーター音しか収録できなかったことになり、やってしまいました・・・
ちなみに、このようになった理由ですが、京急は先頭車は必ず動力車とする方針を持っており、ことでんでは2両編成で運用することとなったため、2両で走れるように改造されたわけですが、そのままでは2両とも動力車となり、ことでんでは過剰性能となるわけで、当初は片方からモーターを撤去して1M1Tとしようとしたらしいのですが、どういうわけか、両方の車両から運転台側の台車から撤去して0.5Mとなったようです。
ようするに”ことでん”への転属に際してこのような構造になったようですが、0.5Mにするのは珍しいですよね。
琴電琴平駅
琴平線の終点、琴電琴平駅に到着し、これにて”ことでん”完乗です。
終端部ですが、バラストが積まれた区間が長く取られていますね。
ホームから降車客が捌けないと乗車客を入場させない仕組みみたいで、駅員さんの「さっさと出ろ」オーラを感じてしまったのであっさり出場しました。
どのみち、遅延の影響で滞在時間が削られているのであまりじっくり見て回る時間はないですしね。
こちらが駅舎です。金刀比羅宮を意識したような和風なデザインですね。
デカデカと高松と書かれていて、金刀比羅宮参拝を終えた人を呼び込む気満々の看板ですね。
ちなみに、金刀比羅宮から見ると琴電琴平駅の方がJR琴平駅よりも手前にあるので、この看板を見て高松へ行きたいと思っていた人はそのまま駅へ吸い込まれていきそうではありますね。
金刀比羅宮の方へ続く参道には鳥居があります。
以前に参拝しており、階段の過酷さを知ってしまっていることもあり、今回は行きませんが、気分は出ますね。
ちょうどお昼時だったこともあって吸い込まれるようにうどん屋さんに入りました。
四国といえばうどんですが、旅も最終日であり、この後はまともな食事を取れるタイミングがなさそうなので、シメというわけですね。
ちなみに、おでんも置いていました。
四国ならではの慣習なのか、このお店独自なのかは分かりませんが、うどんとおでんという組み合わせも面白いですね。
お腹いっぱいになったらJR琴平駅へ行って、ようやく18きっぷに日付を入れてもらいます。
実は今日は18きっぷで乗車するのは琴平→松山だけなので元が取れるか心配だったのですが、この区間の普通運賃は3180円であり、元は取れているようです。
このまま多度津まで行ったら、あとは予讃線の完乗を果たして四国乗りつぶしは達成となります。
予讃線を西へ
多度津へ出たらあとはひたすら予讃線を西へ進みます。
JR四国最後の未乗区間となったわけですが、ここからが地味に長いです。
隣接する多度津工場には113系がいました。
乗り換え待ちの間に色々撮ります。
↑続いてやってきたのは「アンパンマントロッコ」
初日に岡山駅でも見ましたね。
ここだけ見るとキハ185系のアンパンマン列車にも見えてきます。
↑発車シーンです。
なんと、そのまま松山まで行ってくれる18キッパーにはありがたい列車ですが、特急街道の上に単線区間ばかりの予讃線なので長時間停車のオンパレードですw
とりあえず乗車しますが、車内は意外と混んでいます。高松から観音寺あたりまでなら普通列車で頑張ろうという利用者も多いのでしょうか。
おかげで景色もまともに楽しめませんが、未乗区間ですし、どこか新鮮な気持ちで乗車時間を過ごします。
そして、最初の長時間停車駅は・・・
観音寺駅
香川県最西端の市となる観音寺駅です。
普通列車の多くがここで折り返しとなる他、私が乗った列車のように長時間停車する列車も珍しくありません。
その地下道です。
特有の薄暗さをごまかすかのようにポスターがずらりと並んでいます。
外へ出まして駅舎です。
駅舎についているアーチ状のモニュメントが気になりますが、これは市内にある三架橋がモチーフだそうです。
再び構内です。
今度は外側にある単式ホームの方に入ってみました。
7200系を撮影
島のPRをしているあたり、流石は瀬戸内海に位置する街ですね。
↑8600系「しおかぜ」の入線シーンです。
松山行きであり、私の列車が長時間停車していたのはこれの待避という意味もあったようです。
それでは、列車に戻って旅を続けましょう!
・・・と思ったのですが
え?・・・
実はこれ、JR四国の名物とも言える取り扱いでして、JR四国はワンマン運転の列車は1両編成に限るという方針を持っており、2両以上の車両がワンマン列車に充当される場合、先頭車以外の車両を締め切り扱いにしてしまうというのです。
私が乗った列車は比較的利用者の多い高松~観音寺間では車掌が乗務してツーマン運行だったので今までは2両目も利用可能でしたが、ここからはワンマンになるみたいでご覧のように締切扱いです。
しかし、観音寺以西の区間は元々利用者の少ない区間でもあり、1両しか利用できなくても余裕で座れる程度の混雑でした。
じゃあ、いいじゃないかと思えば私的には・・・いえ、音鉄的には困るのです。
理由は単純で、7000系は2両編成を組む場合松山方に7100形と呼ばれる付随車を連結するケースが多いですが、私が乗車した列車もそうであり、松山行きでは先頭車がT車で、最後尾がM車・・・つまり、M車の方を締め切られてしまうのです。
一瞬、締め切られる前にICレコーダーだけ録音状態で車内に放置しようかななんて考えもよぎりましたが、忘れ物として回収されたり、下手をすれば不審物として騒ぎになってしまったら怖いのでやめましたw
というわけで、泣く泣くT車の車内から、モーター音が響いているであろうM車を恨めしそうに眺めつつ乗車・・・とはなりません!
T車側でも車端部に座れば十分モーター音が聞こえていたのでしたw
散々字数を割いて書き散らしたオチがそれかよ!とツッコまれそうですが、何事も諦めない気持ちが大切だということでw
というわけで、T車に乗りながらモーター音を楽しむというある意味レアな体験をしつつ更に列車は西へ進みます。
ですが、長時間停車はまだまだありますw
新居浜駅にて
続いて停車したのは新居浜駅です。
観音寺市からは四国中央市を経ての新居浜市となりますが、もうここは愛媛県です。
↑岡山行きの「しおかぜ」(8000系)が入線してきました。
今度は列車行き違いだったようですね。
ここはそんなに停車時間が長かったわけでもないのでこれくらいで・・・
続いての長時間停車はどこかな?
伊予西条駅
はい、西条市にある伊予西条駅です。
分岐路線こそないものの、普通列車は当駅で系統分断となるものが多く、一部当駅を始発・終着とする特急列車があるなど、運行上の拠点駅です。
ホームは2面3線とそれほど大規模ではないですが、電留線もあるため構内自体は広いです。
石鎚山へ登るならば当駅が玄関口です。
予讃線特急のうち、高松発着の方の列車「いしづち」の愛称の由来でもありますね。
あと、もう1つ施設があるのですが、この名前に聞き覚えのある人もいるでしょう。
鉄道を語る上での重要人物と言ってもいい人で、東海道新幹線の計画に深く関わったことで知られ「新幹線の父」と呼ばれたりもする人です。
詳しく書くとそれだけで1つの記事になってしまいそうなので割愛しますが、彼はここ西条市出身ということで記念館があります。
と、そこへもう1両の7000系が私の乗ってきた列車と同じホームへ入ってきました。
もしや・・・連結!?
と思って待っていたのですが・・・
連結しそうでしないというもどかしいポジションで止まってしまいましたw
このあとの運行に備えて入線させただけで、結局私の乗る列車とは無関係だったようです。
駅舎へは跨線橋で接続ですが、エレベーターまで完備しているようです。
階段には併設する「四国鉄道文化館」の宣伝がありました。
四国の鉄道博物館といってもいい施設で、四国で活躍した車両が保存されていたりもするので、興味をそそられましたが、いくら長時間停車でもせいぜい40分程度ですから流石に博物館まで見て回る余裕はないですね・・・w
子どもたちの記念撮影用なのか、アンパンマンの駅名標もありました。
あえて塗装しない自然の風合いを活かしたデザインのベンチですね。
何気なく撮った発車標ですが、フルカラーで驚きました。
あと、アンパンマンの顔は多分アンパンマン列車が来るという意味であり、2段目のは8600系が来るって意味でしょうか。
それでは改札を出ます。
それにしても、跨線橋にエレベーターがあったり、発車標がフルカラーだったりと、設備が充実していると思えば、改札には自動改札機が導入されていないんですねw
駅舎内にも大きく四国鉄道文化館と十河信二記念館の案内が出ていました。
両者を合わせて「鉄道歴史パーク in SAIJO」と呼ばれているようですね。
駅前にはやたらビジネスホテルがあるのが気になりましたが、瀬戸内工業地域の一角を成す西条市はビジネス目的での訪問も多いんでしょうし、そういう需要を当て込んでホテルが林立しているのでしょうね。
こちらは四国鉄道文化館のものでしたが、デザインが0系新幹線なのは分かっていますね。
文字を読みやすくするためか、あえてこちらは色がついていませんがそれでも形だけで0系だと分かりますね。
鉄道関係の施設では定番とも言えるSLの動輪も鎮座していました。
唯一外からも見られる展示車両としてフリーゲージトレインの試験車両がいます。
予讃線でも走行試験が行われていた縁からの展示でしょうが、結局松山に新在直通列車が乗り入れることは今の所実現していませんね・・・
ああ、ここまで見てしまうと中にも入りたい気分ですが、今日は松山まで行かないと予讃線完乗が果たせませんからね。
さて、外もあらかた見たし中へ戻ろうかなというところで、急に8000系の編成の構成が気になりました。
乗ってきた普通列車の7000系でM車が締め切られるというハプニングがあったのがきっかけですが、松山から折り返しで乗る「しおかぜ」の8000系は自由席利用のつもりでしたからどこがM車かという情報を調べていませんでした。
急に嫌な予感がして調べると・・・なんと自由席は全てT車に当たることが判明!
というわけで、急いで駅の窓口へ行って指定席(もちろんM車にあたる号車を指定)に変更してもらいました。
電車特急で指定席主体だとたまに起きる現象ですが、下調べって大事ですね・・・w
指定席も確保できたところで、再び7000系に揺られて松山を目指します。
なお、ここから再びツーマンに戻るようで、M車となる高松方の車両も開放されたのですかさず移動です。
あとは松山へ向けてひたすら乗車
ここまで何度かの長時間停車があったわけですが、伊予西条から先はそういう停車はなくひたすら松山を目指して進んでいきます。
急いでいるときには長時間停車ほどうざったいものはないですが、乗り鉄として楽しむ場合は適度に長時間停車があったほうが気分転換もできていいですよね。
途中にある堀江駅です。
個人的には「ホリエモン」の愛称で知られる堀江貴文氏が連想される駅名ですが、古い鉄道ファンには別の意味で有名な駅でしょうね。
というのは、「仁堀連絡船」の発着地としてです。「仁堀連絡船」はここ堀江駅と呉線にある仁方駅を結んでいた鉄道連絡船でしたが、国鉄時代に廃止されました。現在鉄道連絡船というものは壊滅状態に近くほとんど現存していませんが、それらの廃止理由は代替となる橋やトンネルの整備が理由である一方、この仁堀連絡船に関して言えば赤字を理由に廃止された戦後唯一の鉄道連絡船だったりします。
現在、その代替となる航路も存在せず、民営カーフェリーで近いルートを結んでいた呉・松山フェリーも西瀬戸自動車道(しまなみ海道)の開通を受け廃止されています。
そんなこんなでいよいよ松山に到着です。
これにて予讃線完乗!・・・すなわちJR四国、いや四国内の鉄道全ての完乗を達成したわけですが、5分で折り返さないといけないので感慨に浸る間もなく乗り換えですw
ここから先は気動車王国となるため気動車が待っていました。
一応電化区間は伊予市までですが、伊予市止まりの数少ない列車を除けばほとんど気動車なので電化設備の持ち腐れな区間ですよねw
と、ここで時間がないながら一旦外へ出ます。
松山駅は以前に訪れていて大体の撮影も済んでいるのですが、これから使う普通乗車券と特急券に入場記録をつけておかないとこれから先乗り換える岡山駅などで自動改札を通過できない可能性が出てくるので、その面倒を回避する意味で一旦外へ出ました。
なお、「しおかぜ」が入線してきてから18きっぷで出ようとしたので、駅員さんに「特急に乗ってきましたか?」と確認されてしまいましたw
たまに誤魔化して、あるいは素で特急がダメなのを知らないので18きっぷで特急に乗っちゃう人がいるのかもしれませんが、素直に「普通列車に乗ってきました」と答えるとそれ以上の追求はなく普通に出してもらえました。
今日は駅巡りの要素はほとんどなく、乗ってばっかりだったわけですが、その割には疲れもたまりつつあります。
しかし、あとは特急と新幹線だけで終わり!楽しみつつ快適に過ごせそうです。
「しおかぜ」で帰路へ就く
四国内の鉄道完全制覇を達成し、この旅の目的も達成したところで、ウィニングランとばかりに特急で来た道を引き返すように帰っていきます。
ドアが開くと早速乗車です。
指定席をとったので早く並ぼうが座る席は固定なんですが、いつも自由席なのでくせで先頭に並んでしまいましたw
最近リニューアルされた8000系は内装も新しくなっており、(登場時の内装を知らないとはいえ)驚きました。
あとは発車を待つだけですが、意外と他の利用者はあまり乗ってこず静かな車内でした。
指定席で騒がしい人と乗り合わせてしまった経験から指定席嫌いの傾向がある私ですが、いつもこうなら喜んで指定席を取るんですがね・・・w
軽快なVVVFサウンドを響かせて松山駅をあとにすると、ぐんぐん加速して先程まで1駅1駅停車ししつつのんびり走った線路を、容赦なく駅を通過していきながらびゅんびゅんと飛ばしていきます。
停車駅につく度に「もう着いたの?」と思ったものですが、初乗車を普通列車で済ませてから特急で通るとこうなりますよね。
特に今回は同じ日に特急と普通を乗り比べる格好になっていますし・・・
伊予西条や観音寺と言った利用の多そうな駅では騒がしくなるのを警戒してドアが開く度にちょっと身構えてしまいましたが、結局最後まで騒がしくなることはなく静かな車内で瀬戸大橋を渡り、既に暗闇の瀬戸内海を渡って本州に上陸です。
児島を出ればお次は終点の岡山ですが、ここが本当に早い!
単線区間も特急優先ダイヤのおかげかそんなにスピードダウンしている感じはしませんでしたしね。
まだまだ健在の末期色真っ黄色の115系
↑通過するという放送で「どうせ貨物だろう」と思って構えたらやっぱり貨物だったという動画w
岡山からは新幹線にバトンタッチ!
今度も700系です。
しかも、博多行きです!
どういうことかというと・・・まあ、当ブログ常連さんならお察しでしょうが、福岡の実家への帰省を兼ねた活動だったというオチですw
夜遅い時間なので新幹線もこれ以上望めないというくらい綺麗な録音環境であり、博多まで快適に過ごしました。
博多ではここまで昼食のうどん以来まともな食事にありつけていなかったこともあり、豚骨ラーメンを頂きました。
博多駅のホーム上にあるやつですが、故郷に帰ってきたことを実感させるには十分でした。
帰省中は特にこれといった活動もなかったので次の活動は東京に戻った後ということになりますが、つまりはこれが私にとっての平成最後の旅だったことになります。
レポートは遅れに遅れ、完結は旅から帰ってきた2ヶ月後という有様であり、余裕で令和への持ち越しレポートとなってしまいましたが、ようやく次回から令和時代の旅のレポートができます。
新年号もこの執筆ペースでは先が思いやられますが、少しずつでもペースを上げられるように頑張りますので、どうぞ気長にお待ち頂けたらと思います。
それでは!