5泊6日で実施した北海道遠征の6日目(最終日)です。
なお、1日目・2日目・3日目・4日目・5日目をご覧になっていない方は、そちらから先にご覧になることをおすすめします。
本日の行程
それではまずは本日の行程の説明です。
最終日となる今日は昨晩宿泊した留萌からスタートして、沿岸バスの特急バス「ましけ号」で札幌へ向かい、JRで岩見沢へ向かったら北海道中央バスの21系統月形線で月形駅前まで1往復、更にJRで滝川へ移動したら北海道中央バス滝川美唄線で美唄まで行き、あとはJRで新千歳空港へ向かい空路にて帰路に就きます。
目当ては2025年春での廃止との報道が出ている21系統月形線と、2024年9月末で廃止される滝川美唄線のさよなら乗車であり、「ましけ号」については今のところ廃止という話はないものの、個人的に気になる路線だったので併せて乗ることにしました。
特急「ましけ号」 留萌駅前→札幌駅前
それでは早速本編スタートです。
最初に乗車する特急バス「ましけ号」ですが、まずは解説からいきましょう。
「ましけ号」は留萌市と札幌市を増毛町・石狩市経由で結ぶ都市間バスで、沿岸バスによって運行されています。
留萌市と札幌市を結ぶ交通機関としては北海道中央バスの高速バス「るもい号」や「ましけ号」と同じく沿岸バスが運行する「はぼろ号」がありますが、それらに比べると「ましけ号」は1日に1往復しか設定されず、それも毎日運行ではなくて日・月・水・金曜日のみの運行です。
言い換えると火・木・土曜日が運休ということになり、さらに1月1日も運休になります。
また、ゴールデンウイークやお盆期間は曜日にかかわらず毎日運行されるようです。
特徴的なのはその経路であり、「るもい号」や「はぼろ号」は道央自動車道・深川留萌自動車道など高速道路を経由して札幌市と留萌市を往来しているのに対して、「ましけ号」は国道231号を進む海沿いのルートとなり、それなりに長距離を走る都市間バスとしては珍しく高速道路を一切経由しません。
歴史的には深川留萌自動車道が開通するまでは「はぼろ号」は全区間で国道231号を経由していたのですが、深川留萌自動車道の開通によりこちらの方が所要時間が短くなったことから、「はぼろ号」は高速道路経由の便と国道231号経由の便の2系統が運行されるようになりました。
そして、新型コロナウイルスによるコロナ禍を経て国道経由の「はぼろ号」を分離する形で「ましけ号」が登場し、「ましけ号」と「はぼろ号」の2路線に分かれました。
所要時間で見ると留萌市内~札幌駅前での比較では「ましけ号」が3時間を要するのに対し、「はぼろ号」では2時間15分ほどですから、45分もの差があることになります。
ちなみに、「るもい号」は深川市内や滝川市内を経由する設定になっているためか「はぼろ号」より長い2時間40分ほどを要しています。
これは「るもい号」は留萌市だけでなく空知地方の各都市の需要も取り込む設定であるのに対して、「はぼろ号」は留萌市以北の各地域と札幌を結ぶ役割ということで棲み分けているのだと思います。
そんな「ましけ号」ですが、所要時間では「はぼろ号」より長いこともあって、留萌市と札幌市の往来よりは途中にある増毛町や石狩市の需要をターゲットにしているといえ、特に増毛町と石狩市を直接結ぶ唯一の交通機関となっている点が特筆されます。
なお、利用にあたっては予約は不要ですが、クローズドドアシステムが採用されており、札幌行きでは留萌市内・増毛町内は乗車のみ、札幌市内は降車のみとなっており、石狩市内のみ乗降ともに可能となっています。
なので留萌市と増毛町を結ぶ用途では利用できないわけですが、この区間には沿岸バスの一般ローカル路線があるので、そちらを利用してほしいということなんでしょう。
それではレポートに戻ります。
「ましけ号」が出るのは昨日降り立ったあのバス停からですが、私はかつてJR留萌駅があった場所に立っていました。
早めに宿を出て留萌駅の跡がどうなっているか見に来たわけですね。
その答えがこの写真ですが、駅舎がそのまま残っていました。
まだ廃止から1年半ほどしか経っていないというのもありますが、市街地の中にあるのですから、そのうち何らかの転用がされそうですね。
普通は廃止と同時に撤去されるであろう駅名を表示した看板もそのままでした。
これは「留萌駅長」と書いてありますし、現役時代から設置されている看板っぽいですね。
こちらは駅長の名前ではないことを考えると廃止後に設置されたっぽいですね。
当然構内には入れませんが、せめて外部から見える部分だけでも見ていきましょう。
構内は外部と繋がる部分には柵を設置して入れなくしていますが、それ以外は現役時代のまま残っているようです。
ホーム上です。
ここも現役時代とほとんど変わらなそうです。
市街地にあってそこそこ広い敷地なので、やっぱりゆくゆくは解体されて違う建物が建ったりするんでしょうかね。
有り得そうなのはバスターミナルを併設した公共施設とかですが、その辺は留萌市のやる気と懐事情次第といったところでしょう。
それではバス乗り場へ向かいますが、既に先客がいらっしゃるようです。
「ましけ号」は留萌市と札幌市の往来ではあまり使われていないと考えていましたが、それでも利用者はいないわけではないみたいですね。
ちなみに、「ましけ号」は7時15分発ですが、その15分前である7時ちょうどに「るもい号」の始発の札幌行きがあり、これに乗れば30分以上早く札幌に到着できますが、これを逃すと8時半の「はぼろ号」までないので、沿岸バスとしてみれば留萌から札幌へ利用できるバスの始発便にあたることになります。
「はぼろ号」ははるばる豊富から走ってくるわけですから、留萌の始発が遅くなってしまうのは仕方がないですね。
「ましけ号」の時刻表です。
石狩市内まで下車できないためか、留萌市内・増毛町内のバス停は省略されていました。
ポンチョが来ましたが、これもコミュニティバスではなくて沿岸バスの車両です。
市内循環路線とかに使っているんでしょうね。
それでは乗り込みます。
が・・・先客に最前列をとられてしまい、更に運転席後方もとられてしまったため、前面展望はなしですw
↑ですが、海の景色が美しい路線なので、側面の車窓を撮ってみました。
海が見える右側で撮りましたので、ぜひご覧下さい。
そして、留萌駅前を出発した「ましけ号」ですが、しばらくは留萌市内を走行していきます。
しかし、その市街地はそれほど長くは続かず、すぐに長閑な景色に変わっていきます。
北海道全体に言えることですが、市街地と郊外の区別がはっきりしていますよね。
車窓には早くも海が見えてきました。
留萌本線がまだ増毛まで通じていた頃にも乗車していたんですが、その時も車窓から海が見えた記憶があります。
地図で確認すると、このあたりの留萌本線は国道と並行するように走っていたようです。
「礼受」というバス停がありましたが、留萌本線にも礼受駅がありましたね。
海に面した小さな待合室を持つバス停も絵になりますね。
ここだったら待っているバスがなかなか来なくてもイライラせずに待てそうです。
「舎熊郵便局前」というバス停が出てきましたが、これも留萌本線に舎熊駅があったことを思い出します。
鉄道の廃線跡をなぞるルートのバスに乗ると、かつて駅名になっていた地名がバス停名として残っていることがあって、それがまた鉄道時代を追体験しているようで楽しいんですよね。
ちなみに、既に留萌市を出て増毛町に入っています。
もっと海沿いを走る箇所もありました。
留萌本線も似たような場所を走っていたので、1度は見ているはずの景色ですが、あの時は雪景色の中でしたから、季節の違いもあって全然違って感じられます。
バスは増毛町の中心部に入り、「旧増毛駅」というバス停に差し掛かります。
名前の通りかつてJR増毛駅があった場所ですが、今でもバス停名に痕跡を残しているんですね。
ところで、留萌駅については”旧”をつけることなくそのままバス停名にしていますが、この違いは何なんでしょうかw
と、ここで意外な光景が・・・
それは私の前方に乗っていた数名が運転士さんに何か話しかけたと思ったら、なんとバスを降りていったのです。
「ましけ号」はクローズドドアシステムのため、札幌行きについては石狩市内までは降りられないはずなんですが、なんで降りたんだと気になっていると、降りた人はバスの写真を撮ったかと思えば、増毛駅の駅舎なんかも撮り始めたのです。
ここで私は状況を理解しました。
なるほど、増毛駅を撮りたくて運転士さんに交渉して下車しての撮影を許してもらったということのようです。
となれば・・・便乗しますよね?w
こちらが増毛駅の跡ですが、現役時代そのままといっていいほどよく残っていました。
留萌駅よりも先行して廃止されており、廃止は2016年でしたから既に8年も経っていることになりますが、どうやら増毛町では駅跡を観光施設として活用するため、開業当時の姿に復元しているんだとか。
私も留萌本線さよなら乗車で訪れているのですが、こうしてまた駅を見ることが出来るとは・・・
それではバスに戻ります。
今回は停車時間があったわけではなくて、運転士さんの計らいで降りられただけなので撮ったらさっさと戻るべきですからね。
留萌別苅線の終点であり、別苅雄冬線の起点でもある大別苅に差し掛かりました。
昨日予定通りに行けていればローカルバスでも通過していた地点となりますね。
この大別苅は増毛の市街地の外れに位置しており、留萌別苅線が終点にしているのも納得の立地です。
ここから出ていた別苅雄冬線は留萌別苅線の延長とも言える路線でしたが、2024年9月末で廃止となっています。
本当はこれも昨日乗るはずだったんですが、残念ながら乗れず・・・
なのでここで軽く解説しておこうと思います。
別苅雄冬線は2024年9月末まで沿岸バスが運行していた路線バスで、早朝の雄冬行き1本を除いて留萌別苅線と連続運行となっていました。
雄冬は増毛町と石狩市の境付近に位置するまさに辺境の集落なんですが、この付近は山裾が海岸線ギリギリまで迫る険しい地形であり、それゆえ陸上交通の整備は遅れ、現在の国道231号が雄冬地区に達したのは昭和も後期の1981年(昭和56年)のことでした。
それまで雄冬地区は陸の孤島と言われていて、自動車の乗り入れが出来ない土地であり、増毛町から石狩市方面へは陸側へ大きく迂回を強いられていました。
道路の開通と同時に路線バスの乗り入れも始まったようですが、それ以前は増毛への定期船が唯一の外部と往来できる交通手段だったそうです。
また、雄冬地区の国道が開通したことで国道231号は全通し、ついに留萌と札幌を海沿いに移動することが出来るようになりました。
大別苅を過ぎると国道は海から少し距離を取り、山側に入っていきます。
海岸沿いに道路を通せるような場所がなかったんでしょうが、トンネルが連続する道のりとなります。
最初に通る大別苅トンネルは国道開通後に改良で切り替えられた区間のようで、旧道にあたる道は町道に格下げされているものの現役道路の扱いになっているみたいです。
ただ、どんなマイナーな道にも立ち入っていることに定評があるストリートビューすら入っていないようなので、いつも通れるわけではないようです。
ちなみに、雄冬付近の国道は険しい地形ゆえに建設費が膨大にかかり、「ダイヤモンド道路」という通称があるらしいです。
これは国道336号の襟裳岬東海岸付近が「黄金道路」と呼ばれており、「黄金を敷き詰めて作ったように建設費がかかった」ことにちなむんですが、その「黄金道路」を上回る費用がかかったから「ダイヤモンド道路」なんだそうです。
岩老地区を過ぎると赤岩岬という岬が見えてきました。
この付近には「ましけ号」は停車しないものの「ケマフレ」というバス停があるんですが、日本語離れした地名のバス停も別苅雄冬線廃止で消滅することになります。
車内アナウンスで「ケマフレ」という名前を聞いてみたかったですが、それはもう叶わぬ話です。
別苅雄冬線の終点だった雄冬です。
ここが増毛町の最果てといえる場所で、ここから先はすぐに石狩市に入りますが、ローカル路線はこの区間になく、増毛町と石狩市を直接結ぶ公共交通機関は「ましけ号」のみとなっています。
雄冬のバス停です。
「ましけ号」が停車するのでバス停としては廃止されないと思いますが、一応撮っておきました。
ちなみに、増毛町では「あっぷるハイヤー」というタクシーのようなものを運営していて、増毛町内のみの利用に限られるものの、一般のタクシーよりは安価で利用できるサービスがあるみたいです。
雄冬地区でマイカーがない人は今後これに頼ることになりますが、雄冬・岩老地区の利用者はバス運賃と同等の料金で利用できる特例が作られるとのことです。
デマンド交通ともまた違うものですが、路線バスが廃止された地域に対しては、タクシーをバスと同額で利用できる制度を作るというのも、交通弱者の足を守る方策の1つかもしれませんね。
そんな雄冬を過ぎて増毛町から石狩市に入っていきますが、その先もずっと海沿いです。
こんな景色を楽しめるなら、それだけでも乗る価値がありそうですね。
それにしても、とても”市”だとは思えない風景が続きますが、実はこのあたりは2005年まで浜益村だった場所なんですね。
なお、旧浜益村の地区の交通は民営路線としては「ましけ号」が唯一となっており、その他に自治体バスとして滝川へ向かう路線があるそうですが、これも元々は北海道中央バスが運行していたそうです。
バスは厚田支所に到着です。
ここは現在は石狩市厚田支所となっていますが、元々は厚田村という1つの自治体であり、ここは村役場だったものと思われます。
厚田地区から札幌へは北海道中央バスの厚田線が運行されており、「ましけ号」単独区間も厚田支所までとなります。
そんな厚田支所を過ぎると札幌市内の北大病院前までノンストップとなり、北海道中央バス厚田線に対する急行のような位置づけになります。
この区間だけの利用もあったので、厚田線とは相互補完関係にあるようですね。
ここまでくると地形も開けてきて、だんだんと普通の街の景色になってきたので車窓の紹介もここまでとしましょう。
ところで、「ましけ号」ではキャッシュレス決済に対応しており、一般的なICカード乗車券のみならず、WAONやnanacoなどの流通系電子マネーやPayPayなどのコード決済、更にクレジットカード決済もできるなど、支払手段の選択肢がとても多いのですが、その支払の流れが変わっていて、下車時に運転士さんに乗車したバス停と支払い方法を告げると、小規模な小売店などでよく見る様々なキャッシュレス決済を処理できる小型の端末(Air PAYみたいなやつ)を取り出し、そこに運賃を入力して決済という流れになるため、一般のICカードみたいに自動で運賃を計算してくれるわけではなく、1人1人運転士さんが手動で操作しての対応となるため、時間がかかっていました。
ようするにお店で店員さんがやっていることを運転士さんがやっているわけですが、比較的利用者の少ないであろう「ましけ号」でこれなんだから、もっと混雑する路線だったらこれが原因で遅延とかもありそうだと思いました。
ちなみに、降車場所はこんな感じのごく普通の路上です。
札幌駅前のバスターミナルが廃止されたためですが、慣れていないと札幌駅ってどっち?ってなりそうです。
といったところで「ましけ号」編は以上となり、ここからJR札幌駅へ行き、次の活動に向けて電車移動です。
北海道中央バス21系統月形線
ここからは北海道中央バス21系統月形線に乗っていきます。
まず最初にざっくり解説ですが、21系統月形線は岩見沢ターミナルと月形駅前を結ぶバス路線で、平日は5往復、土休日は2.5往復が運行されています。
かつて存在したJR札沼線と函館本線を短絡するルートを構成している本路線ですが、札沼線部分廃止後はJR函館本線のフィーダー路線という性格になっています。
そんな月形線ですが、2025年4月での廃止が決まっており、別事業者に引き継がれて路線は維持されるようですが、北海道中央バスとしては月形町から撤退する形になるため、今回乗車することにしたのでした。
今回は岩見沢ターミナルから月形駅前まで1往復乗車します。
まずはJRに乗って岩見沢駅へ向かいます。
まだ「北海道・東日本パス」の有効期間が残っていますし、電車にしました。
「いわみざわ号」でもよかったんですが、接続がギリギリすぎて遅延したときが怖いので、安全を取って電車にしたというのもありました。
↑乗り換え待ちの間に撮った「北斗」の発車シーン
岩見沢に到着したら初日にも乗車した737系が待っていました。
電車だと今度は早く着きすぎて暇だったのでしばらく構内で撮影しました。
↑「カムイ」の入線シーン
↑737系の発車を見送ったらぼちぼち駅を出ます。
ここでお昼ごはんを・・・と思うのですが、岩見沢駅って構内に飲食店はなく、駅から少し行けばあるんですが、そこまでの時間はなさそうなので、構内にあったコンビニで適当にパンでも買って昼食としました。
そして、岩見沢ターミナルの乗り場にやってきました。
2日目の朝もここから出発しましたから、なんだか戻ってきたなぁという印象でした。
時刻表です。
冒頭にも書いた通り、平日は5往復、土休日は2.5往復と曜日で大きく運行本数が変わるんですが、土休日のダイヤだと朝の便で岩見沢へ出てきても昼の便に乗らないと帰れないわけですから、土日のお出かけは午前中で切り上げないといけないわけで、ちょっと使い勝手の悪いダイヤですよね。
まあ、メインは高校生の通学需要や高齢者の通院需要なんでしょうから、土休日の利用は非常に少ないんでしょうね。
あと、経路変更に関するお知らせがありました。
最初は廃止のお知らせかと思ったんですが、廃止まではまだ時間があるためか、現地では特にアナウンスされていないようでした。
↑バス待ちの間に撮りバスなどしつつ待ちました。
このバスは一見するとJR北海道バスにそっくりですが、それもそのはずで、このバスは「新篠津交通」といい、かつてJR北海道バスが運行していた路線を引き継いで運行する事業者で、車両もJR北海道バスから購入したものを使っていたりするようで、塗り替える手間を省く意味でも塗装もほとんど同じものになっているんでしょうね。
↑続けて北海道中央バスの発車です。
バックで出発していくのはやっぱり見ていて面白いですね。
↑高速バス「いわみざわ号」ももちろんバックで出発します。
そして、いよいよ月形線の入線ですが、撮影した写真はブレてしまったので、月形駅前での撮影までバスの外観はお待ち下さい。
↑無事にマニア席を確保できましたので前面展望をどうぞ!
結局は私の他に乗客は数名という感じで岩見沢ターミナルを出発です。
要所要所でキャプチャでもご紹介していきます。
まずは道道201号を進みますが、すぐに道道6号に折れていき、進路を月形に向けていきます。
道道6号は路線名を「岩見沢月形線」といい、21系統月形線と同じく岩見沢と月形を結ぶ路線となっており、バスの経路のほとんどがこの路線となります。
JR函館本線、幾春別川を立て続けに渡ると早くも岩見沢の市街地は途切れてこんな長閑な田園風景になりました。
右手にある林は道路に沿ってずっと続いているのですが、防風林なんですかね?
再びちょっとした市街地が出てくると、このあたりは旧北村です。
現在は岩見沢市の一部ですが、かつては北村という独立した自治体でした。
北村温泉の看板が出てきました。
このようにマイナーではありますが温泉もあるんですが、温泉目当ての利用者はいないようでした。
もっとも、観光客が多いであろう土休日だと1日2.5往復しかなく、使いづらいんですよね・・・
北村地区を抜けると旧美唄川を渡りますが、引き続き岩見沢市が続きます。
旧美唄川を渡ると道は二手に分かれました。
線形は右に進む道と連続的になっていて、いかにも右側が本線という感じですが、バスは左ウインカーを出して左の道へ進んでいきました。
言うまでもなく新旧道の関係なんですが、ここがバスの経路変更をするという場所なんでしょうね。
旧道に入ると唐突に路面が汚くなりましたw
新道部分は舗装されて間もないから余計に格差を感じるんでしょうが、これほど一目で旧道であることが分かる風景もなかなかないのでは?w
1kmか2kmほど進むと再び新道と合流して旧道区間は終わりです。
バスの方も2024年10月1日以降は新道経由での運行になるそうなので、旧道を走るこの風景も貴重な記録となりましたね。
ところで気になったのが、なんでわざわざ新道を建設しているのかということ。
このようなバイパスを整備する理由としては、狭隘だったり急カーブ・急勾配があるなどの難所を解消する目的か、交通量が多く渋滞する区間をバイパスすることで混雑緩和を図るかのどちらかだと思いますが、ご覧頂いたように旧道区間はごく普通の2車線道路で、特別狭いこともなく、勾配どころかひたすら平坦な区間でした。
しかも、このあたりは田園風景の中ですから、この1kmちょっとの区間が特別交通量が多いとも考えられません。
更に不自然なのは、バイパスの方へバスも経路変更するという点です。
バイパスが出来ても旧道が引き続き通行可能であるならば、バス路線はそのまま旧道経由のままとされることが多く、実際にバイパスがある区間では多くのバス路線は旧道にあたる道路を経路としています。
バイパス側に何か大きな需要が見込める施設でもあるとか、旧道が狭隘だとかならば別ですが、地図で確認する限り、そういったものもなさそうです。
バスの本筋とは離れますが、気になって調べてみた結果、ある事実が判明しました。
それはこの新道はバイパスではなく、現在の道道の付け替えであるということです。
そのため、旧道にあたる道は遠からず廃道となるようで、通行が出来なくなるため、バスも経路変更ということになったようです。
で、その原因ですが、どうやらこのあたりに「北村遊水地」という治水施設が作られるそうで、その予定地に道道が被っているため、付け替えということになったようなのです。
となると、バス路線の記録としてだけでなく、道道の旧経路の記録という意味でも、この前面展望は貴重な記録となりましたね。
「分岐点」というSimuTransで適当に着けたみたいな名前のバス停がありますが、ここで道道6号と道道33号の分岐点なので嘘はついていませんw
ちなみに、右へ行けば美唄に向かいますが、この分岐点のあたりも美唄市なので一瞬だけ美唄市をかすめていることになります。
ここを過ぎるとすぐに月形大橋で石狩川を渡ります。
バスを降りたらすかさず撮影です。
まだ月形行きの幕が出たままだったので助かりました。
時刻表です。
冒頭に「土休日は1日2.5往復」と書いたと思いますが、月形から岩見沢への便は反対方向より1本多い3本あるんですよね。
月形に乗り入れる中央バスの路線はこの月形線だけなので、土休日については月形への回送が設定されているんでしょうか。
隣にあった真新しいバス停は廃止されたJR札沼線の代替交通機関として整備されたバスです。
札沼線のうち、北海道医療大学~新十津川間が廃止されていますが代替交通機関となるバスは当別駅~月形駅、月形駅~浦臼駅、浦臼駅~砂川駅・滝川駅というふうに系統が分かれているようです。
元々直通利用は少なかったでしょうし、特に末端部は数キロ隔てて函館本線が並走していたので、かつての札沼線に沿って移動するより、最寄りの函館本線の駅に出て函館本線で札幌へ出るほうが便利が良いでしょうしね。
時刻表です。
便数は1日あたり7~8本と、月形線に比べると多いですが、月形から札幌だと岩見沢へ出てJRに乗り換えるより北海道医療大学駅や当別駅へ出て札沼線に乗るルートの方が早いんでしょうかね。
ちなみに、運行しているのは「下段モータース」という事業者なんですが、バス事業者というよりは自動車整備業か販売業をやっていそうな社名ですよね。
実は事業の中心は実際に自動車の整備や販売であり、貸切バス事業やタクシー事業も手掛けているということのようです。
そんな下段モータースが手掛ける唯一の路線バスがこの月形当別線ですが、かつては当別駅と江別駅を結ぶ路線を運行していたこともあるようで、これが初めての乗合バス事業への参入ではないようです。
もう1本バス停がありますが、こちらは浦臼方面へ向かう月形浦臼線のものです。
面白いのが運行する事業者でして、「美自校観光バス」と書いてあります。
この母体は美唄自動車学校であり、つまり自動車学校を経営する会社がバス事業も手掛けていることになります。
規模の大きいバス事業者だと、自社の運転士養成のために自動車学校を系列に持っているケースはありますが、自動車学校が母体で、傘下にバス会社があるというのはレアケースだと思います。
あとは発車時間まで周辺をぶらつきますが、バス停がある場所の真横はそのままかつての石狩月形駅の跡です。
ホームや線路も残っていたのに驚きましたね。
廃止から4年が経っているわけですが、将来的には公営住宅、公園、散策路などに転用することが決まっているそうなので、いつまでもこの光景が残るわけではなさそうですし、これもまた貴重な風景ですね。
アングルを変えて構内を俯瞰します。
流石に駅名標とかは撤去済みですが、ホームはほぼ現役当時と変わらず残っていますね。
また、当駅にはかつて駅舎もありましたが、これについては解体されているようです。
ちなみに、以前の旅で札沼線に乗ったことがあり、その時に当駅にも訪問済みなので、当時のレポートもよろしければ併せてご覧下さい。
かつて踏切があったであろう道路との交差地点だけは完全に線路が撤去されていました。
でもその先のレールもまだ続いていました。
旧踏切跡の部分だけ繋ぎ直せば、また列車が走れそうです。
そこへやってきた「とべ~る号」というバスが、月形と当別を結ぶ廃止代替バスです。
バスというよりジャンボタクシーですが、地方ではこういう車両を使うバスも珍しくないですね。
今度はマニア席ではなくて後方の席でゆったりと風景を楽しむことにしました。
この独特の形状のモニュメントは北村のシンボルタワーで、開村80周年記念で設置されたんだとか。
幕が綺麗に映りませんでしたが、最後にバスを撮って月形線編は終了です。
ちなみに、路上に降ろされましたが、ここも岩見沢ターミナルです。
それでは、ここからは滝川美唄線に乗るべく、滝川へ移動です。
北海道中央バス滝川美唄線
ここから北海道中央バスの滝川美唄線に乗っていきます。
まずは滝川へ移動なんですが、今回は滝川→美唄の片道しか乗車しません。
美唄から滝川へのバスはギリギリ間に合わなかったんですよね。
↑列車を待つ間に733系の入線を撮りました。
↑入線してきた「ライラック」ですが、これに乗っていきます。
「北海道・東日本パス」では特急には乗れないので、これは別途乗車券+特急券を課金して乗っているわけですが、普通列車を待っていると滝川美唄線に間に合わないため、やむなく課金です。
岩見沢以北の函館本線は普通列車が極端に少なくなりますからねぇ~
側線にはキハ40系がいました。
根室本線ではまだ運用があるようですが、どんどん活躍の場が狭まって、JR北海道から全廃されるのも時間の問題といったところですね。
駅前に出てきました。
駅前ロータリーがそのままバスターミナルになっているんですが、以前は滝川ターミナルという独立したバスターミナルが駅とは別にありました。
駅前には「スマイルビル」という商業ビルがあるんですが、以前訪れた時はほとんどが空き店舗という寂しい状態でした。
今はどうなっているのかと調べてみると、コロナ禍でトドメを刺される形で2021年に閉鎖されており、跡地は滝川市が取得し、活用する予定のようですが、現状は「スマイルビル」時代の面影を残しています。
4~5年前に訪れて、その頃ですら閑散としていたので、閉鎖と聞いても「やっぱり」という印象しか持たなかったのですが、市の中心駅の駅前ですらこんな状況とは、地方の現実を思い知らされます。
ちなみに、国道沿いには小規模ながらショッピングモールがあるみたいなので、流石に市内に大型商業施設が皆無というわけではないようです。
あと、滝川はスカイスポーツの町であり、グライダーが飛んでいるのが見えました。
この頑丈な鉄製のゲートで塞がれた場所がかつての「滝川ターミナル」です。
現在は閉鎖されて、バスターミナルの機能は駅前ロータリーに移管されているんですが、現役時代にも訪れており、昔ながらのバスターミナルという雰囲気が好きな場所でした。
柵越しに内部を覗いてみましたが、アスファルト路面から生える雑草が、ここが使われなくなってからの年月を物語っているようでした。
バス乗り場に戻りましてバス停です。
この2番乗り場から滝川美唄線は出発します。
時刻表です。
滝川美唄線としては平日・土休日ともに1日4往復が出ていましたが、その区間便にあたる滝川奈井江線も1日4往復あり、両者が重複して走る滝川駅前~奈井江高校間では1日に8往復のバスが利用できたことになります。
今回は滝川美唄線は廃止ですが、滝川奈井江線は存続するため、より正確な言い方をすれば、奈井江高校~美唄駅間で路線バスが消滅するということになります。
また、北海道の地理にある程度明るい方なら分かると思いますが、全線でJR函館本線に並走しており、影響を受けるのは奈井江町内と美唄市内のローカル輸送のみということになります。
しかし、ある界隈ではこの路線の廃止は大きな影響があるそうで、それは「ローカルバス乗り継ぎ旅」をする人たちです。
実はこの路線を含めて旭川から札幌までローカル路線バスだけで乗り継ぎが可能だったんですが、滝川美唄線の廃止で奈井江~美唄間が途切れることになり、今後は旧札沼線沿いである浦臼・月形と迂回するルートしかなくなるようです。
元々はテレビ番組の企画から始まり、広まったこの旅のスタイルだと思いますが、地方の公共交通の厳しさを知らしめる効果も大きいでしょうね。
(ちなみに、元ネタのテレビ番組でも滝川美唄線を利用したことがあるようです)
その他、マニア的な視点でのネタとしては、「日本最長の直線区間」を走るバスということが挙げられます。
実はこの路線が走行する国道12号のうち、美唄市光珠内から滝川市国道38号交点までの29.2kmは、道路では日本一長い直線区間となっており、これは大阪から神戸への距離に等しい長さだそうです。
地図で確認しても、定規で引いたのかと思うくらい一直線の線形なんですが、これは単に平野部を通っているからというだけでなく、北海道が原野に道路を建設して、あとから都市が発展したという、その他の地域とは逆の順序で発展した歴史があるからですね。
本州なんかだと、たとえ地形的には一直線に道路を通せそうでも、既に集落や田畑などが存在するため、それらを避けるように建設されるため、大なり小なりカーブが出来るのが普通です。
また、並行する高速道路である道央自動車道は、市街地を避けて山側を通しているというのもあるでしょうが、国道よりもむしろウネウネした線形になっています。
これについては一直線の道路を長時間運転すると、ドライバーが眠気を催してしまうという「高速道路催眠現象」を避けるために、地形的には真っ直ぐな道路を作れそうでも、あえて緩やかなカーブを作るという意図でルート選定をしているからというのもあるようです。
といったところで、あとはバスを待つのみなんですが、意外と他の利用者がいないことに驚きました。
この日はラストランまであと数日というタイミングであり、それも日曜日ですから、さよなら乗車のバスファンが他にもいると踏んでいたんですが、滝川で待っているのは私だけのようです。
というわけで、一人寂しくバス停で待っていたんですが、その間に何人かに「高速バス乗り場はどこですか?」と質問されました。
さきほど滝川ターミナルを見に行った際に高速バス乗り場を見かけていたので教えてあげたんですが、確かにロータリーの外の路上にあるので分かりづらいんですよね。
そこへやってきたバスは乗るバスではないですが、歌志内とか上砂川がかつて鉄道が通じていた街の名前だったので、気になって撮りました。
歌志内線とか函館本線上砂川支線がこのバスに並行していたことになりますが、歌志内線は単独の路線名だったため早期に廃止され、上砂川支線は函館本線の一部という扱いであったため廃止が遅れたという逸話もありますね。
そろそろバスの時間だなと思っていると、回送のバスがやってきました!
↑無事にマニア席を確保できましたので前面展望をどうぞ
結局、一般利用者が数名乗り込んできたのみで発車時刻を迎えました。
意外とさよなら乗車組はいないんですね。
こちらも要所要所でキャプチャでもご紹介していきます。
まずは滝川の市街地を進みます。
すぐに国道12号に入ります。
国道12号は札幌市と旭川市を結ぶ国道であり、札幌市と旭川市という北海道の二大都市を結ぶだけあり、北海道では有数の交通量を誇る主要国道です。
が、この区間にはバイパスが整備されているためか、この区間では交通量はそれほどでもありません。
でも、滝川市内に用事がある車両だけでもそこそこの交通量でした。
ここを曲がれば新十津川へ向かうようです。
新十津川といえば、札沼線の終点だった場所ですが、滝川市とは石狩川を隔てて隣接しており、札沼線も滝川までつながっていたらもう少し便利になって、利用が増えていたかも知れませんね。
そして、空知川を越えたところでバイパスが合流してきて国道もいよいよ交通量が増えてきます。
日本最長の直線区間はバイパス側の交差点が滝川側の起点となるのですが、バスは現道との交差点よりその直線区間に入るため、全区間を走行するわけではありません。
バイパスと合流するのと同時に日本最長の直線区間の始まりです。
小さな陸橋で用水路と函館本線を一気に跨ぎます。
車窓から見ても気持ちがいいくらい一直線の道ですね。
これにはカルストンライトオもニッコリw
(ウマ娘ネタが分からない方はごめんなさい・・・
市街地に入っても相変わらず真っ直ぐです。
こんなことが出来るのも、開拓によって開発が進められた北海道の歴史がなせる技ですね。
バスは砂川市内で一旦国道を外れて砂川市立病院に立ち寄ります。
せっかくの最長直線区間なのに国道を外れるなんて・・・と思ってしまいますが、市民生活の利便性を考えれば病院の前まで乗り付けるのは便利でしょうし仕方ないですね。
道の駅の看板が出てきました。
この道の駅は「ハウスヤルビ奈井江」という名前みたいで、日本最長の直線区間に位置する道の駅ということになりますね。
バスは一旦国道を外れて奈井江駅前に乗り入れます。
ここで若干の乗り降りがありましたが、さよなら乗車っぽい人も見かけました。
国道に復帰するもすぐに奈井江高校のバス停です。
ここが滝川美唄線廃止後は全てのバスの終点になる地点ですが、滝川美唄線としては途中バス停の1つでしかありません。
最後は国道を外れて美唄駅前のロータリーで終点です。
国道の最長直線区間はこの先の光珠内まで続きますが、続きを楽しみたければ、岩見沢美唄線に乗り換える必要があります。
終点美唄駅前に到着!
ここでは他にも撮影している人がおり、廃止間際という雰囲気が感じられました。
ちょっとブレましたがバス停です。
小さいですが待合室も完備されています。
時刻表です。
滝川行きは1日に4本ですが、岩見沢行きはもう少し本数があり、1日5本出ています。
もちろん廃止のお知らせもありました。
ちなみに、廃止後の代替手段ですが、美唄市がデマンドバスを運行するそうで、それが滝川美唄線の代替手段となりそうです。
こちらは岩見沢行きのバスです。
まだ乗り継げるので、岩見沢までバスで行ってみようかとも思ったんですが、どのみちそろそろ日没ですし、それだと飛行機まで時間がなさすぎて不安だったので、ここからは電車で新千歳空港へ向かうことにします。
ここからは帰路となりますが、ダイジェストでレポートしていきます。
美唄からJRで新千歳空港へ
ここからは帰路編です。
バスでは時間がかかりすぎるのでJRを選びましたが、かといって特急を使っても早く空港に着きすぎて暇になるので、普通列車でのんびりと行きます。
それなら「北海道・東日本パス」のおかげで実質タダで移動できますしねw
ちなみに、かつては「びばい号」という札幌行きの高速バスがあったようですが、廃止されて久しいようです。
この円形の建物は自由通路であり、これに一体化した橋上駅舎となっています。
あの円形の建物の内部は階段です。
こんな広い階段が必要なほどの利用者があるのかという疑問もありますが、特急の大半が停車する駅ですし、札幌への通勤・通学圏内でもありますからラッシュ時だと結構混むのかも?
と思ったらこんな貼り紙がありました。
ようするに道路扱いでこの自由通路を整備したってことで、JR北海道は自由通路に関与していないということなんでしょう。
このようなやり方は他の駅でも見たことがありますね。
途中に改札がありましたが、まだ時間があるので反対口へ行ってみることにします。
こっちも円形の建物に収まる階段という構造は同じでした。
ちなみに、こちら側にはバス路線の乗り入れはなく、タクシー乗り場と送迎マイカーのためのスペースとなっているようです。
啄木が列車に乗って釧路へ向かう途中で経由した美唄を詠んだものだそうですが、内容は「石狩の 美國といへる 停車場の 柵に乾してありし 赤き布片かな」となっており、美国と言っているんですね。
美国という地名は積丹町に存在しますが、鉄道が通ったことはないようですし、美唄を誤認したという説が有力なんだとか。
まあ、今だったらネットで地図でも時刻表でも簡単に検索できる世の中ですが、当時は遠方の土地の地図や時刻表を手に入れるのも簡単なことではなかったんでしょうし、旅の途中で通りがかっただけの場所であればなおのこと間違えても仕方ないのかなといったところですかね。
ちなみに、2024年現在、鉄道で釧路へ行くならば、札幌から特急「おおぞら」を利用するのが一般的で、「おおぞら」は美唄を通りませんが、啄木の時代は現在の石勝線は開通しておらず、釧路方面への列車は函館本線を滝川まで走って根室本線を通るルートで運行されていました。
それでは改札口に戻りました。
札幌にも近く特急停車駅ということもあって自動改札機がありますし、みどりの窓口も現役です。
改札の先は二手に分かれ、上り線と下り線の跨線橋を兼ねているようです。
ホームへ出てきました。
ホームの脇にはもう1線通せそうなスペースがありましたが、かつてはもう1線あったんですかね?
今でこそシンプルな相対式2面2線ですが、かつては周辺にたくさんあった炭鉱へと伸びる貨物支線のような路線がいくつかあったそうで、最盛期はかなり大きな構内を持っていたんでしょうね。
ここで駅名標です。
読み方は「びばい」ですが、これも難読地名の1つですよね。
由来としては「カラス貝・川」という意味の「ピパイ」、「カラス貝のある川」という意味の「ピパオマナイ」、あるいは「カラス貝の多いところ」という意味の「ピポオイ」が転訛したという説があるそうで、駅設置時点では、これを意訳した「沼貝村」という地名だったそうです。
その後、駅名と同じく美唄が自治体名にもなり、「沼貝」という地名は消滅することになりますが、市内に沼貝寺というお寺があり、それがかつての地名の名残といえますかね。
特急の乗車位置案内です。
当駅にはほとんどの特急列車が停車しており、「カムイ」「ライラック」は全便が停車し、「オホーツク」「宗谷」についてもそれぞれ1本ずつを除いて停車しているので、通過する列車の方が珍しいという状況です。
高速バスは廃止されましたが、鉄道の利便性は高いので、美唄市はなかなかに便利いい土地かも知れませんね。
ワンマン列車の乗車位置案内
これは737系導入に併せて設置されたのか、かなり綺麗ですね。
あと、上に貼ってある落雪注意の貼り紙のイラストは、どうみても「いらすとや」ですよねw
最後に構内の全景です。
相対式2面2線ですが、中線を1つ持っています。
ここで「ライラック」がやってきました。
当駅は編成写真もよく撮れますし、撮影にも向いた駅と言えそうです。
↑発車は動画で
↑続けて「カムイ」の入線です。
あとは普通列車で岩見沢へ、乗り継いで札幌へ、最後は快速「エアポート」で新千歳空港へ向かったのですが、道中は特に撮影もしていないのでばっさりカット!w
新千歳空港に到着した私が向かったのはこちら!
最後の北海道グルメはラーメンというわけですね。
入店したのは「弟子屈ラーメン」さん。
ここは気に入っていて、新千歳空港で夕飯だと大体食べています。
それでは搭乗手続きを済ませていよいよ搭乗ですが、到着機材遅れのため、出発も遅れるとのこと・・・
今回選んだのはLCCのジェットスターであり、こういうことは仕方がないと割り切るしかないですね。
ただ、問題は成田空港到着後の足でして、東京都心まで行ける足は高速バスの最終便のみであり、このままの遅延だと乗れるかどうか非常に微妙な感じなんですよね・・・
ようやく搭乗できましたが、既に30分近い遅れになっていました。
これは成田空港で始発まで野宿するフラグ?w
そういえば、座席にUSB電源がついていました。
最近は飛行機でも付くようになってきたんですね。
↑夜の空港も綺麗だということで、離陸時の機窓を撮ってみました。
そして、再び地上の人となった私ですが、飛行機の扉が開いた時点で東京行き最終バスまでの残り時間は10分ほど・・・
ここからタラップを降りてターミナルへ向かい、更にバス乗り場への移動と考えるとかなりギリギリです。
私と同じように最終バスに駆け込もうとしている人なのか、ダッシュで通路を駆け抜ける人もいる中、私は大荷物もあって走るに走れず、のんびりペースで移動しました。
そして、その結果は・・・
実を言うと途中まで行ったところで、もう間に合わないと判断してバス乗り場へ行かずに第2ターミナルにやってきたのでした。
さらにいうと、高速バスに乗って東京駅まで行けたところで、その先の乗り継ぎもタイトで、終電に間に合わなくて東京駅などでネカフェに駆け込むことになるんだったら、タダで泊まれる成田空港にいた方がいいだろうという判断もありました。
というわけで、最後はいい感じでオチがついたところで、北海道遠征シリーズは完結!・・・と見せかけて、もうちょっとだけ続きますw
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