4泊5日に及ぶ西日本遠征の最終日となる5日目です。なお、1日目、2日目、3・4日目をご覧になっていない方はそちらを先にご覧頂くことをおすすめします。
本日の行程
最終日となる今日は宿を取った三次より三江線の始発列車で浜田まで抜けるところからスタートします。3・4日目で三江線の駅めぐりをしてたっぷりと三江線を満喫したわけですが、車で駅巡りをしただけで肝心の列車に乗らずに帰る手はなかろうということで、最終日には三江線の列車に乗る行程を組み込みました。
また、三次から乗車するというのも私のこだわりでして、以前の旅では2回乗ったうちの2度とも江津から三次にかけての乗車でしたが、最後に三次から江津の方向でも乗車して、上下両方向の録音を揃えておきたかったというのもあります。
最後の三江線を味わいつつ浜田へ抜けたら高速バスで広島へ抜けて、可部線を乗りつぶしたらそのまま広島まで折り返して新幹線で帰路に就きます。
大半の時間が乗車時間となるので、車での移動とはいえ駅取材で歩き回った3・4日目と比べたら楽な行程といえますね。
雪化粧の三次を発つ
昨日、一昨日から雪がチラつく場面は幾度となくあったのですが、いずれもチラつく程度であり、路面に積雪するほどの雪ではなく、おかげで車での移動もそれほど困難ではなかったのですが、チェックアウトの手続きを済ませてホテルを出た私はいきなり現れた光景にびっくり仰天!
ホテルの駐車場が既に白いんですが・・・w
雪国に暮らしている方はよくご存知でしょうが、一般的にアスファルト舗装された路面は雪が積もりにくく、歩道や土がむき出しになっている場所から積もっていくものなのですが、駐車場がこの驚きの白さということは、駅までの道も・・・
というわけで三次駅にやって来たのですが、駅前広場もこの白さ。
普段なら雪を見ればテンションが上がる私ですが、心配なのは三江線の運行状況です。
過去にも逆方向といえども乗ってはいますから、仮に運休で乗れなくなったとしても、1度も三江線に乗らずに終わるということは避けられるとはいえ、やっぱりせっかくなら最後の三江線を味わいたいですしね。
早速発車標を覗き込みますが、普通に表示が出ていますし、平常運行のようです。
ひとまず行程破綻という最悪の事態は避けられました。
ちなみに、広島方面の列車も平常のようです。
ていうか、こんな早朝から4両編成なんですね。時間的に広島に着く頃にはラッシュに突入しているからそれに備えてということなんでしょうか。
こちらが広島行きの列車です。三江線や芸備線の備後落合方面はより新しいキハ120系が主力ですが、最も需要があるはずの区間に最も古い車両が使われているというのも皮肉ですねw
まあ、キハ120系は閑散線区向けの車両であり、需要が多い区間には使いづらいというのもあるでしょうし、かといってキハ126系のような新型気動車を投入するほどでもないといった所でしょうか。
↑キハ40系の発車シーン
軌道も真っ白になるなか、ぽつんと佇むキハ120系ですが、これは芸備線の列車に使われるようです。
芸備線は広島支社の管轄であり、当駅自体も広島支社が管轄していますが、三江線は米子支社の管轄になるようで同じキハ120系でも塗装が変わるようです。
と言った所でそろそろ発車時刻ですから車内で待ちます。
最後の三江線を味わう
私としては上下両方向での乗車、及びほとんどの駅の訪問を達成した以上、まだ廃止まで2ヶ月ほど残っているとはいえ恐らくは最後の乗車となるであろう三江線。しっかりと思い出を刻みつつ乗車時間を過ごしたいと思います。
車内ですが、思ったよりは混み合っている印象でした。というのは、この始発列車だと三次周辺は早朝すぎて暗く景色が楽しめない区間が発生する上、時間的にも三次に宿泊する以外に乗車する手段がないということもあって、いくら廃止が迫るタイミングと言えどもこの列車を選ぶ人は少数派ではないかと思っていました。
しかし、日中に三江線を乗り通せる列車は3両編成が組まれるほどの混雑であり、乗れないリスクや、乗れたとしても混雑して景色どころではない状況を考えれば、始発列車で確実性を取るという選択肢もありなんでしょうね。
私も場合、今日中に東京へ戻らなければならないという事情もあり、始発列車以外の選択肢がなかったわけですが、昼間の列車が選べる状況だったとしても結局始発を選んでいたかもしれません。
また、客層ですが、予想通り乗り鉄率が圧倒的ですw
しかしながら、筋金入りのマニアとも見受けられないご婦人方もいらっしゃったりして、地元の方が最後の名残に乗っておこうという感じで乗っているのもあるかもしれませんね。
暗くて車窓が見えないというのは先程も触れましたが、それ以上に気になったのが雪の深さです。
三次駅の時点で路面が白くなるくらいには積もっていたのですが、三江線はこれから山の方へいって日本海側へ抜けるわけで、最悪なのが途中駅で運転打ち切りというパターンであり、そうなると今日中に東京へ戻れなくなるかもしれません。とはいえ、乗りかかった船・・・ならぬ列車ですし運を天に任せて進むよりありません。
運転士さんも雪は気がかりなようで駅に停車する度にホームに降りて雪の深さを確かめていました。
また、乗っていて気になったのが「ドスッ・・・ドスッ・・・」という音でして、何事かと進行方向の窓を見ると雪の重みで線路側へ垂れ下がってきた竹や木が車体にぶつかる音だったんですね。
あまり勢い良くぶつかれば、いくら竹や木でもガラスが割れたりしそうなものでしたが、時刻表と実際の運行状況を見比べると10分程度遅延していたようですから、そういう箇所では通常より速度を落としていたんでしょうね。(三江線は元々線形が悪くきつい速度制限がかかったり、保守コスト削減を目的とした徐行運転なんかもあるので、乗っていると意外とノロノロ走っている感じはしませんでしたw)
一番怖いのが、今は垂れ下がっているだけの竹や木がポッキリと折れて線路を塞ぐようなことがあれば運転見合わせは不可避ですから、そうならないことを祈る限りです。
三次を出て1時間ほどで口羽駅に到着しました。
この駅では対向列車との交換待ちで30分ほど停車するダイヤだったのですが、竹のために遅延していて実質20分ほどの停車となりました。
対向列車の運転士さんと何やら打ち合わせをしているようでしたが、線路状況などの情報を交換していたのでしょうか。
ここで運転士さんに一旦ホームに出る許可を頂いて撮影を敢行することに。
↑よく見ると対向列車は「三江線神楽号」というラッピング列車だったので発車シーンを動画撮影しました。
口羽駅ですが、以前に乗った時の列車もここで停車時間があり撮影もしていたのですが、完全に真っ暗だった前回と違い多少は明るいですし、何より雪ということで大きく景色が違うため改めて撮影をすることに。
それにしても真っ白ですね。おかげでまだ日の出前でもこんな感じで撮影ができました。
神楽の副駅名は「神降ろし」です。
あ、ちなみに普通の駅名標はなぜか撮り忘れていました。
まあ、前回来た時に撮っているはずですしいいでしょうw
駅舎へは構内踏切で接続しています。
あと、出発信号機が雪国仕様なのも注目ですね。
駅舎を駅前広場の方から撮ります。何やらイルミネーションがされていましたが、前回来た時もされていたんですよね。
これっていつでもやっているものなんでしょうか。
乗り場案内を撮ったらすっかり体も冷えてしまいましたし暖かい車内に戻るとしましょう。
そういえば、ここまで三江線そのものについての解説をしていませんでしたのでここでさせて頂くと、名前の通り三次と江津を結ぶ路線です。
1930年に江津~川戸間が開通したのが最初であり、順次南へ延伸されていきますが、1937年に浜原駅まで開業した所で一旦工事は中断されます。
1955年には三次側からも部分開業があり、三次~式敷間が開業したのに併せ、三次側を三江南線、江津側を三江北線と改名されました。1963年に三江南線も口羽まで開業した所で、残すは口羽~浜原間のみとなりましたが、この区間の開業は1975年まで待たねばならず1930年に最初の区間が開業しながら全線開通を果たすのに35年もかかったことになり、戦争などの影響もあったとはいえ、これが三江線の運命を決めてしまった部分もあるように思います。
というのは、三江線も広島と山陰側の都市を結ぶ陰陽連絡線の1つとして計画されたわけですが、道路網が貧弱でマイカーもほとんど普及していない戦前・戦中に全通していればそれなりに利用されたでしょうが、1975年といえば、鉄道業界で言えば山陽新幹線が博多まで到達し全通を果たしていましたし、道路で言っても中国自動車道が一部区間のみとはいえ供用開始されていました。
そんな時代にようやく全通しても、既に広島と山陰側を結ぶ交通は道路が主要な役割を担っていましたし、沿線のローカル輸送も自動車中心となるなど、三江線を取り巻く状況は大変厳しいものでした。
また、全体的に江の川沿いの谷間に沿って線路を敷いたため江津~三次間を直線距離で結べば60km程度のところを三江線は108kmもの距離を要しており、最後に開通した口羽~浜原間は比較的高規格なものの、三江北線、三江南線として開業した区間は線形が悪く65km/hしか出せない有様です。
逆にいえば、1970年代になって一気に全通させる形で工事が進んでいれば、全体的にもっと高規格な線形が採用されたでしょうし、その頃なら長大トンネルの掘削技術も進展していて、史実よりも直線的なルートで建設された可能性もあり、そうなれば芸備線と直通運転する優等列車が走って広島と浜田などを結ぶ役割を果たせていたかもしれませんね。
史実では全通の遅さが災いして、優等列車が定期運行されたことはなく、開業当時から沿線のローカル輸送が唯一の需要という状況だったようです。
そんな経緯により国鉄時代から度々存廃問題が浮上し、国鉄分割民営化で「JR西日本へ継承されるに際してもやはり廃止対象として槍玉に上がっていましたが、代替道路の未整備を理由として存続してきました。
しかし、JR転換後も利用者減の傾向は変わらず、主要な利用者であった高校生もスクールバスを利用するようになり、ローカル線最後のお得意様であろう高校生からもほとんど利用されなくなりいよいよJR西日本も廃止を検討するに至ったというわけです。
2015年には三江線の廃止に向けた動きが明らかになり、2016年には第三セクター方式による存続も検討されたものの自治体の財政負担の問題から廃止受け入れという結論となり、ついに三江線の廃止が決定しました。
2012年に実施されたバスによる増便実験は、当初こそ三江線を維持するための前向きな施策と受け止めていましたが、廃止が決まった今となっては廃止代替バスの試運転だったのではないかと穿った見方をしてしまいますね・・・
昨日、一昨日と車で沿線を巡ったわけですが、立派なバイパスが整備されている箇所もありましたし、そうでない箇所も渋滞とはほとんど無縁でしたし、普通に生活するだけなら車を持っていれば三江線は必要ないなと感じてしまいました。一鉄道ファンとしてはやはり鉄道路線が廃止されるのは残念に思うのは確かですが、このような現実を見てしまうと廃止を決めたJR西日本や受け入れた沿線自治体を責める気持ちにもなれず、複雑なものです。
そんな感傷に浸っているうちに車窓は明るくなりましたが、なおも雪景色の中です。
しかし、レンタカーでの移動の日にこんな状況にならなくて本当に良かったです。私も運転経験は人並みにあるつもりですが、雪道の経験はほとんどなくこんな状況だったら相当ビビりながら走ることになったでしょうし、通常より速度を落とさざるを得ず、訪問できる駅も少なくなったでしょうし、狭い道の先にあるような駅では雪で通行できず訪問断念なんてこともあったでしょう。
実は今回の遠征、当初は2月中に実施する計画だったのですが、諸事情もあり1月の頭に実施という運びになった経緯がありますが、予定通りだったら雪による影響をモロに受けていたかも知れず、運が味方したように思えます。
天空の駅の異名もある宇都井駅からの景色
この区間は最後に完成した区間でありトンネルや高架橋を多用した高規格な線形なのですが、せっかくの高規格もJR西日本お得意の保守コスト削減の徐行運転のため持て余している印象です。
ただ、聞いた話では国鉄時代の旧型気動車が使われていた時代と比べて所要時間は変わっていないそうで、キハ120系に置き換えたことによるスピードアップ効果と、徐行運転によるスピードダウンがほぼトントンということなんでしょうかね。
この上下二層構造という変わった構造の橋が見えたら江津はもうすぐです。
三次から4時間ほど乗っていた計算ですが、意外とあっという間でした。
ちなみに、この橋ですが、名前を「新江川橋」といい、下段は市道、上段は国道9号江津バイパスが通っていて、このバイパスは事実上山陰自動車道の一部として機能しているので、高速道路と一般道が共用する橋ということになりますね。
そんな道路ネタも挟んだところで列車は三江線としては終点となる江津に到着しました。
江津駅にて小休止
三江線としては終点ですが、列車はこのまま山陰本線に直通して浜田へ向かいます。ただし、ここで30分以上停車するというw
流石にずっと車内で大人しくしているのも退屈ですし、小腹も空いたということで気晴らしも兼ねて途中下車をしたいと思います。
三江線の時刻表ですが、見事にスカスカですね。
区間便を入れても1日に5本しかありません。
まあ、北海道には1日1本しか列車が来ない駅なんてのもありますがw
この路線図も廃止で消されてしまうでしょうから記念に撮っておきましょう。
それにしても、乗っていると漫然と通り過ぎるだけという感もありあまり意識していませんでしたが、三江線ってこんなにたくさん駅があるんですね。
昨日、一昨日の駅めぐりでも撮影に夢中でこんなにたくさん巡ったとは意識していませんでした。
ここも三江線の駅ですから神楽の副駅名がついており「八十神」だそうです。
そういえば、三江線が無くなったら廃駅となる途中駅はともかく、起終点である三次と江津の副駅名はどうなるんですかね。
これも三江線が無くなれば修正される可能性が高いですから撮っておきましょう。
三江線廃止記念で入場券も出ているようですが、三江線全駅分である35駅の入場券セットなので4900円とちょっと手軽に手を出せる金額ではないんですよね・・・
私自身、切符コレクターではありませんし、せめて江津駅の単独の記念入場券が500円程度であれば買ったんですけどね。
まあ、この強気な価格設定でも熱心なファンは買うんでしょうし、JRとしても大半が無人駅の三江線各駅の入場券なんて実質的な効力なんてほぼないわけで、切符の製作原価以外は丸儲けになるわけでいい商売なんでしょうね。
発車標ですが、ここでも三江線は独立した表示が用意されているんですね。
駅舎です。
ご覧のように江津まで出てしまえば雪は消えてなくなりましたが、今度は雨に変わってしまい傘をささざるを得なくなるというw
増便実験バスはここから発車していましたが三江線廃止後の代替バスもここから発車するんでしょうか。
ちなみに、一般の路線バスとしては、三江線に並行する川平、川戸方面へのバスや、山陰本線と並行する浜田、大田市方面のバスなんかもありまして、地方にしてはバス路線が充実している印象でした。
あと、「浜田道エクスプレス」という高速バスが1往復だけ乗り入れており、江津と大阪を結んでいますが、朝6時35分に江津を発車し大阪着が13時08分、折り返しが大阪発が15時10分、江津着が21時33分となっており、完全に江津や浜田の人が大阪へ行くための設定であり、逆に大阪から浜田・江津への利用は考慮されていないダイヤ設定に思えますね。
またダイヤ的には一応大阪への日帰りが可能ではありますが、日帰りとすると滞在時間が2時間ほどしかなく、このあたりの地域から大阪へ行くというのはやはり泊りがけになるんでしょうね。
また、これだけの所要時間ならばかえって夜行バスとしたほうが利便性が高そうですが、夜行便は設定されていないようです。
駅前にはコンビニがないので10分弱歩きますが、途中で線路をまたぐ跨線橋があるのでこのように駅を見渡せます。
ちょうど特急が来ていて三江線との並びが撮れました。
本当は動画も撮ろうとしたのですが、外気の寒さでバッテリーも弱っていたのかバッテリー切れという落ちでしたw
ちなみに、あの特急に乗り換えれば浜田へは25分早く到達できますが、キハ187系には乗ったこともありましたし、このまま普通列車で行きます。
ホーム上にあったこんなオブジェを撮ったらそろそろ列車に戻ります。
もう三江線は終わりですが、まだ三江線の続きのような気がする山陰本線の普通列車で浜田を目指します。
山陰本線は初乗車というわけでもないし単なる移動ですからサクッと省略して浜田駅のレポートとなります。
浜田駅
列車の終点の浜田駅ですが、高速バスとの接続待ちの関係で少し滞在時間があるので軽くレポートしていきます。
まずは駅名標です。
浜田市は島根県西部を代表する都市ですが、鉄道駅としては分岐する支線などもなく単なる途中駅です。
この塗装は三江線専用というわけではなく浜田周辺の山陰本線でも見られる塗装ではありますが、最後にもう1枚だけ撮っていくとしましょう。
ホームは2面3線の国鉄型のような構造です。
最盛期は寝台特急「出雲」の終着駅だった時期もありましたが、今では地域間のローカル特急しかやってこなくなりましたね・・・
山口線内倒竹のため遅れが生じていたようです。
三江線でこんなことにならなくて本当によかった・・・
コンコースは綺麗に整備されていますね。
2009年に出来た駅舎だそうで、9年目ということで、綺麗なのも納得ですね。
浜田市は石見地域の代表都市になるようですが、石見神楽の宣伝もありました。
萩・石見空港のアフィも貼られていましたw
この空港、石見といってもその中心地である浜田ではなく益田市に所在しており、鉄道駅では益田駅が最寄りになるのですが、駅からはバスやタクシーで移動しなければならないなど不便であり、私自身も実は東京へは石見空港からの空路を利用する案もあったのですが、1本目は12時50分発であり、帰路に就くにしては早すぎて勿体なく、かといってその次の17時45分発ではそれまで何をするかという問題が生じて、結果として高速バスで広島に抜けて可部線を乗りつぶしてから新幹線で帰路に就くルートに落ち着いた経緯があります。
ちなみに、現在通年運航されているのは東京便のみで、季節限定で大阪便もあるようですが、地方空港の例に漏れず利用者が伸び悩んでいるようです。その対策として石見空港利用者のうち「サポーター企業」の関係者向けに航空運賃の一部をキャッシュバックする制度を導入したり、浜田市からの利用者向けにJRの回数券や益田駅と空港の間のタクシーチケットを支給するなど様々な手を打って利用促進に取り組んでいるようです。(その努力を三江線に向けてくれれば・・・w
北側に出ました。こちらは自由通路の入口があるのみで駅舎はありません。
が・・・代わりにやたらと立派な建物がそびえますが、これは「浜田医療センター」という病院だそうです。
地方だと大病院は車でないとアクセスが困難な立地に開設されることも珍しくないですが、ここは駅前という交通弱者にも利用しやすい立地に設けていて関心ですね。
こちら側にもロータリーがありまして、タクシーや送迎の自家用車用のスペースになっているようです。
「ふれあい庭園」と刻まれた石碑がありましたが、「ライオンズクラブ」が関与しているようです。
それにしても、この「ライオンズクラブ」は本当に全国津々浦々で見かけますね。
続いて南口へやって来ました。
こちらの方が栄えている印象です。
駅前で一際目を引くこのオブジェですが、「どんちっち神楽時計」というからくり時計台だそうで、毎時00分には石見神楽の演目が見られるそうですよ。
そして、こちらが駅舎です。2009年に造られたということでやっぱり今風のデザインですね。
駅前はバスターミナルのようになっていてバス停が多く並んでいますが、バスのラインナップはと言うと、石見交通が近隣地区へのローカル路線を運行している他、私がこれから乗る高速バス「いさりび号」、大阪行きの「浜田道エクスプレス大阪号」「津和野エクスプレス」と高速バスが3本立てとなっており、「浜田道エクスプレス大阪号」については江津を発着する系統とは別に益田を発着する系統もあり、津和野駅から益田駅や当駅を経由して大阪へ向かう夜行便「津和野エクスプレス」もあるため、大阪行きは昼行2往復、夜行1往復体制となっており、やはり浜田は石見地域の中心なんだと思えます。
なお、「いさりび号」についてはどうせこの後乗るのでそこで詳しく説明しますね。
駅前の案内所で乗車券を買い求め、いよいよ広島行き「いさりび号」のお出ましです。
「いさりび号」は高速バスですが、種別は「特急」なんですね。
私の故郷の福岡を走る西鉄バスでは、「特急」は高速道路を経由しない都市間バスという意味合いですから、高速道路を普通に走行する「いさりび号」が「特急」と言われると違和感がありますけど、鉄道でもそうですがバスの種別なんて各事業者が勝手に決めていますから統一的な定義なんてありませんしね。
ちゃんと経由地まで書いた鉄道で言う「サボ」が付いていました。
最近増えつつある回送中のお詫びメッセージですが、「すみません」どころか「お急ぎの所、申し訳ございません」と更に低姿勢ですね。
それでは、そろそろ「いさりび号」に乗り込みましょう。
「いさりび号」 浜田駅→広島駅新幹線口
浜田駅から乗り込んだ「いさりび号」ですが、広島駅と浜田駅を結ぶ高速バスであり、中国JRバス、広島電鉄バス、石見交通の3社により共同運行されています。愛称は浜田市が漁業の町であることに因むそうです。
正式名称を「高速広浜線」と呼びますが、前身として「広浜線」という自動車路線があり、国鉄バスが運行していました。
高速道路など開業していない1934年から広島と浜田を結ぶ由緒ある路線であり、当時は未舗装の箇所も残る峠道も多い条件ながら急行便や夜行便まで運行するほどの盛況だったようです。
一方、もう1つの前身と言えるのが「新広浜線」でして、1959年に広島電鉄と石見交通の2社共同運行で広島と浜田・江津・有福温泉を結ぶ路線としてスタートしました。国鉄バスの広浜線が千代田や大朝を経由していたのに対し、「新広浜線」は戸河内、加計、北広島などを経由しており、ルートが違っていました。
1986年には「新広浜線」が広島自動車道・中国自動車道経由とされ高速バスに格上げされ、続いて1991年には浜田自動車道全通に伴い「いさりび号」の運行が始まると広浜線は都市間輸送の役割を譲る形で縮小され、広島駅と大朝駅を結ぶローカル路線となりました。
また、新広浜線については「いさりび号」運行開始後も戸河内IC~浜田市内は浜田自動車道を経由せず国道186号を経由する形で差別化して細々と運行が続けられていましたが、2011年に最後まで運行を続けていた石見交通が撤退したことでついに廃止となり、広島~浜田間のバスは「いさりび号」のみとなりました。
そして、現在の運行形態ですが、全便が広島と浜田を通しで運行しており区間運行などはありません。本数は16往復を誇っており、そのうち3本は浜田市内と広島市内をノンストップで結ぶノンストップ便となっています。
また、浜田駅と瑞穂ICの間は石見交通による一般路線バスが、広島市内と大朝駅間には前述の広浜線が運行されていますが、県境となる瑞穂ICと大朝ICの間には代替となる路線バスが存在しないという事情から、高速バスとしては珍しく「いさりび号」の瑞穂IC~大朝IC間には定期券の制度が導入されているんだそうです。
浜田駅を出発したバスはしばらくは市街地を走り、黒川町というところでも停車しますが客扱いはなく通過でした。
事実上の山陰自動車道である国道9号のバイパスへと入りますが、ほとんどインターチェンジみたいですね。
浜田自動車道に入って最初の停留所となる金城ですが、ここは金城パーキングエリアに併設の停留所となっています。
それにしても、山に入ったせいか、また雪深くなってきました・・・
続いての停留所は旭インターですが、ここは一旦ICを出た先に停留所があるため、料金所を通過します。
そういえば鉄道の運賃と一緒で高速道路の通行料も途中で降りてしまうと連続利用に比べて割高になってしまいますが、停留所の位置の都合で一旦高速道路を降りなければならない高速バスについては何らかの救済措置はあるんですかね。そうじゃないとバス事業者の負担が大きそうですが・・・
更に雪深くなった車窓を見ていると「タイヤチェック」という標識が!?
ああ、なるほど、ちゃんと冬タイヤを履いているかどうかの検問なんですね。
本線を封鎖して強制的にチェーン装着スペースに流出させられるためバスも一旦本線を外れます。
NEXCOの職員か、はたまた警察の関係者なのか分かりませんがスタッフがいてタイヤのチェックをしていました。
が、バスに関しては細かいチェックをするまでもなくほぼ素通り状態でしたから対象外なんでしょうね。
それにしても、こんな大雪の中での屋外の立ち仕事、本当にお疲れ様です。
その後、重富、瑞穂インターと進むと県境区間となりますが、この区間は並行する一般路線バスが存在しないのは前述のとおりです。そのためか分かりませんが、途中停留所での乗車が意外に多かったのに驚きました。浜田駅からは数えるほどだったのですが、下手をすれば途中停留所からの乗車のほうが多かったのではないかと思うほど。これはノンストップ便が3往復しか無いのも納得ですね。
あと、気になったのが車内の揺れとスピードです。高速道路といえども積雪の影響は免れず路面には雪がたくさん積もっているわけですが、そのためか車内は砂利道を走行しているのかと思うほどの激しい揺れに見舞われました。
また、スマホのGPSでスピードが分かるアプリで計測した結果、30km/h程度しか出していないことがわかりました。
仮にも高速道路ですから雪とはいえ30km/hはどうなのとも思いましたが、この揺れを前にしては「もっと飛ばしてくれ」なんてとても言えませんw
ちょうど県境区間にある寒曳山PAでは開放休憩があるようです。
パーキングエリアもこの有様ですが、せっかくなので降りてみることに。
パーキングエリアの施設です。あまりに寒いので普段は猫舌ゆえに買わないホットのドリンクを購入して車内に戻りました。
県境を超えて大朝インターに到着しました。ここでも待っている乗客がいました。
大朝インターの停留所から先は広島県となりますが、広浜線のうち、広島駅と大朝を直通するのは3往復しかなく、千代田インター止まりや、鈴張始発、可部駅の先にある文教女子大前止まりなどの区間便も多いため、大朝~広島間通しの利用は高速バスが担っているんでしょうね。
浜田道では最後の停留所となる千代田西ではたいぶ雪も少なくなっていました。
少し先にある千代田JCTからは中国自動車道となります。
といっても、10km弱走行したら広島北JCTより広島自動車道となります。
この区間には夜行バスも多く休憩を行う安佐SAもありますが、「いさりび号」は素通りします。
広島北インター・久地と停車していき広島市内を走行していきますが、流石に雪は消えているもののまだまだ山深いですね。
さて、久地から先ですが、実は「いさりび号」はここから2種類の経路に分かれていきます。1つは私が乗る便も含めて多くの便が経由するルートであり、広島自動車道を広島JCTまで走破して山陽自動車道に入ってから広島ICまで行き、そこから祇園新道を経由して広島市街へ向かうものです。こちらは広島市街では中筋駅、不動院を経由してから広島バスセンター、広島駅へと向かいます。一方、もう1つは広島自動車道を広島西風新都ICで降りて大塚駅に立ち寄ってから広島高速4号を経由して広島市街へ至るものです。こちらは中筋駅・不動院には停車しない代わり大塚駅に立ち寄ります。後者の経路を取るのは1日3往復あるノンストップ便と浜田発広島行きの普通便のうち朝の2本のみとなっています。
地図で見るとわかりますが、広島自動車道から広島市街を目指す場合、山陽道に入って広島IC経由だと距離的にも遠回りですから、特急便については速達性重視で広島高速4号経由としているんでしょうね。朝の2本だけ普通便もこちらを通る理由は不明ですが、時間帯的にはラッシュで渋滞しそうな時間帯ではありますから、祇園新道の渋滞回避のためとかでしょうか。
そんなこんなでバスは広島バスセンターに到着しました。やはりというかここで降りる人が多かったのですが、私は終点の広島駅新幹線口まで行きます。どうせこの次に乗るのは可部線であり、広島駅に出たほうが便利ですしね。
浜田から遅れも加味して約3時間で広島駅に到着です。
仮にですが、浜田から広島まで列車だけで行こうとした場合、「スーパーおき」と新幹線を新山口で乗り継ぐルートの場合、3時間弱と所要時間はバスと互角になりますが、運賃は倍以上かかりますw
最短ルートである三江線ルートを取った場合、接続の悪さゆえの待ち時間や途中駅での長時間停車も含まれるものの6時間半とバスの倍以上の所要時間がかかり、運賃もわずかですがバスより高くつきます。
これでは鉄道が使われないわけですねw
そういえば、新幹線口へはあまり来たことがなかったので駅前くらいは撮っていきましょう。
隣りにいたのは広島空港行きのリムジンバスでした。
広島バスセンター、広島駅からの系統の他、福山、呉、三原からの便もあるようです。
ところで、広島空港って駅で言うと白市駅周辺にあるんですが、どうしても広島市街からのアクセスが悪いのが課題なんですよね。
広島駅から直行の便でも45分、広島バスセンターからだと55分を要しますし、経由する山陽自動車道で渋滞が発生すれば遅延することもあります。白市駅から路線バスに乗り換えるルートならば遅延のリスクは小さくなりますが、今度は乗り換えの手間がかかりますしね。
この点は広島市も問題視しているようで、JR山陽本線から分岐する支線のようなものを作って広島空港に鉄道を乗り入れさせようという構想はあるようですが、事業主体となることが期待されるJR西日本は広島空港のアクセスを改善することは新幹線と競合する航空業界に塩を送るようなものであることもあり消極的な姿勢のようですし、かといって仙台空港鉄道のような第三セクター方式にするとしても、肝心のJRが非協力的では開業しても広島駅へ直通できなければ効果は薄れてしまうということで、なかなか進展していないようです。
よく、新幹線と飛行機のシェアが逆転する目安として「4時間の壁」なんてことが言われますが、ちょうど東京~広島の所要時間がほぼ4時間であり、広島始発・終着の「のぞみ」が設定されているところを見るに新幹線も一定のシェアを確保できているようですが、広島空港のアクセスが改善すると飛行機にシェアを奪われる可能性は高いといえますから、JRの対応も尤もなのかもしれません。
今回の旅では広島空港からの空路での帰京も検討したんですが、やはりアクセスに要する時間の長さ、空港ターミナルでの手続き等のタイムロス、更に羽田空港から地元への移動なんかも加味して、新幹線でも所要時間が対して変わらないという結論になり新幹線を選びました。
この紅葉色のバスですが、「めいぷる~ぷ」という観光用の周遊観光バスだそうで広島駅を起点として市内の観光地を周遊するルートになっているようです。
てっきり広電バスあたりがやっているのかと思ったら意外にも中国JRバスがやっているんですね。
JRバスというと、市内で完結するような路線というよりは、都市間輸送を担うような路線が中心というイメージでしたが、広島駅から観光地へのアクセスを改善して新幹線を優位にしようという意味合いもあるんですかね。
といったところで”撮りバス”もこれくらいにして、広島駅へ向かいます。
可部線を完乗す
バスを降りた私は広島駅へと向かいます。
18きっぷで山陽本線に乗ると乗り換えで降りる機会も多かった駅なんですが、ここ最近は18きっぷでの西日本方面の遠征もご無沙汰であり、久々の訪問でした。
それゆえ久しく見ないうちに駅が様変わりしていてびっくりしましたw
前に来た時は工事中で継ぎ接ぎ感がありましたが、リニューアル工事も終わってすっかり綺麗になりました。
たくさんの発車標が並ぶ様子は、まさしくターミナル駅ですが、残念なことに広島駅には新幹線以外の優等列車が存在しないんですよね・・・
陰陽連絡はバスの独壇場ですし、辛うじてバスに対抗できている三次方面も快速で十分という状態ですからねぇ。
かつては、九州ブルトレ、関西ブルトレが夜中にはひしめくように走っていましたがそれすらも無くなり、ほんとに新幹線以外に優等列車がなくなってしまいました。
山陰、四国方面への特急が集まる岡山駅とは対照的です。
ここでちょっとQK!
ということで、立ち食いのうどんを頂きます。東日本ではそば文化が強くうどんは少数派ですが、西日本はうどん文化ですからねぇ。
私もそばよりはうどんのほうが好きなんですが、東日本ではうどん店は珍しいですし、立ち食いでもうどんを置いていないわけではないものの、ほとんどの客がそばを注文する中、アウェーな空気に抗ってうどんを注文できずいつもそばですw
久々のうどんに舌鼓を打ったらホームへと向かいましょう。
さて、115系や105系といった懐かしの国鉄型電車が出迎えて・・・
くれませんでしたw
いたのは、数年前にデビューした227系でした。
私が前に広島を訪れた時は227系はレア車種で、ほとんどが国鉄型だったんですが、久しく来ない間にほとんど227系に置き換えられてしまっていたようですね。
何だろう、久しぶりに再会した旧友が別人のように変わっていたような感覚はw
乗り場ごとに色が違ってカラフルです。
う~ん、「國鐵廣島」が「JRひろしま」になってしまっていましたw
↑とはいえ227系を生で見るのは初ですし、動画くらい撮っておきましょう。
↑そして、私の乗る可部線の列車が入線です。
こちらも227系でした。
可部線といえば105系のイメージが強かった私としては、227系が来たのにはショック・・・
まあ、105系時代にも可部線に乗っていますから当時の資料もあるのは救いですね。
え?乗ったことあるのになんでわざわざまた乗りに来てるんだって?
それは後ほど解説します。
この「あき亀山」という駅名は何だか227系に似合っていますねw
それでは、その「あき亀山」を目指して、可部線完乗としましょう。
可部線
本日最後の乗りつぶしとなる可部線ですが、2度目の乗車なのにわざわざ乗りに来た理由ということについて説明しておきたいと思います。
元々可部線は、広島の2駅隣にある横川駅を起点に三段峡という所まで伸びる路線でしたが、2003年に可部駅より先の区間が廃止されてしまいました。私が初めて可部線に乗ったのはこれ以降の話ですから、可部~三段峡間については乗れずじまいだったわけですが、2017年3月の改正で一旦廃止された可部~あき亀山間が復活して延伸開業したため、この区間は乗れていなかったわけです。
どうしてこのようなことになったかという話の前に可部線の歴史から紐解くと、もともと可部線は大日本軌道という私鉄が1909年に横川~祇園間で開業させた路線が起源であり、可部まで延伸された後に可部軌道に譲渡され、可部軌道が広島電気に合併されるなどの紆余曲折を経ますが、この頃は軌間762mmのいわゆるナローゲージであり、かつ非電化の軌道線だったようです。
1928年から1930年にかけて1067mmへの改軌と電化が実施された直後、1931年に広浜鉄道に譲渡されます。そして、1936年に国有化されて可部線となりますが、以後は国有鉄道として延伸開業していき、1954年に加計まで延伸したものの、1968年には「赤字83線」の1つとして廃止議論が浮上します。しかし、地元の反対や最終的に浜田市まで伸ばす計画もあったことからこの時点では廃止はされず、翌1969年に三段峡まで延伸を果たしますが、三段峡~浜田間は一部工事が始まっていたものの国鉄再建法の煽りを受けて工事中止に追い込まれ、ついに浜田への延伸は果たされることはありませんでした。
そのような状態でJR西日本へと継承されたわけですが、運行系統は私鉄線として開業した可部までの電化区間と、国鉄の手により延伸された可部~三段峡間の非電化区間で分かれる形となり、広島から加計や三段峡へはバスの方が本数も多く所要時間面でも優位だったこともあり、非電化区間の利用者は少なく、1998年にはJR西日本が廃止の意向を表明し、2003年に実際に廃止されてしまったわけです。
一方で国鉄時代に赤字の非電化区間を廃止する代わり、可部駅の1駅隣だった河戸駅を電化の上で存続させるという提案が出たことがあり、当時は非電化区間の並行道路の整備状況も芳しくなかったこともあって住民の猛反発に遭い結局棚上げとなったものの、1998年にJR西日本が廃止の意向を示すと再び河戸駅までの電化を求める動きが活発化しましたが、三段峡までの全線の存続を求める声や、かかる費用を自治体が負担することを原則とするJR西日本の方針もあり、実現しないまま可部以北の区間が廃止されることとなりました。
ただし、この時広島市はJR西日本との間で「市から電化延伸の協議要請があれば応じる」との約束を取り付けており、また、廃線跡を極力そのままの状態で維持されることとなりました。廃止後も電化による延伸(復活)を求める住民の声も上がり続け、2011年には広島市が国と費用を折半する形での可部線延伸(復活)を実施する方向で動き始め、いよいよ復活へ向けて動き出したわけですが、ある問題から復活構想は足踏みとなってしまいます。
それは踏切の扱いです。廃止された区間には当然踏切があったわけですが、復活とはいえ法規上は一度廃止されているわけですから、廃線跡を活用した新線の建設とみなされ、その区間に踏切を設置するということは踏切を「新設」するという扱いになります。ところが、法律上鉄道と道路とは原則立体交差でなければならないとされており、全国に数多ある踏切は全て特例扱いということになっているのですが、現在国土交通省は踏切の新設を原則認めない方針を取っており、復活区間に設置する予定の踏切は認められないこととなりました。しかし、踏切を設置しないとなると従来からあった道を寸断してしまうこととなり住民生活への影響は甚大ですし、かといって全線高架や地下にするとなると建設費は地上に建設する場合とは比べ物にならないほど膨れ上がってしまい、費用を負担する広島市としてはとても受け入れられないということとなり、足踏み状態となってしまったのです。
この結果、合意は越年となり、2013年にずれ込みました。この結果、当初は2013年の開業を目指していたものが2015年に先延ばしされることとなりました。ただし、これも前述の踏切関連の調整(結局4ヶ所あった踏切のうち3箇所を再設置する形で合意)に手間取り許認可申請が遅れたこともあり2016年に延期され、今度は広島市による駅建設用地の取得に遅れが生じ再度延期されて2017年3月4日にようやく開業に漕ぎ着けたのでした。
このような紆余曲折ありましたが、JRグループの路線としては一度廃止されたものが後になって復活した初めての例となったのです。
こうして復活した可部線延伸区間ですが、河戸駅そのものは復活されず、400mほど三段峡寄りの地点にあき亀山駅という新駅を設けることとなり、これとは別に可部駅との間に河戸帆待川駅という中間駅が新設されました。
運行系統としては、従来可部行きとして運行していた電車をそのままあき亀山行きとして延伸しているため、運行本数は従来の電化区間の本数そのままとなっており、非電化時代と比べれば飛躍的に利便性は向上しているようです。
ただ、乗ってみて感じたのは可部駅から先の利用者の少なさですね。乗ったのが日中だったこともあり、もともと乗客の少ない時間帯であることは考慮しなければいけませんが、これから新駅周辺の開発がどれだけ進んでいくかですね。
ということで、ほとんど延伸区間復活の経緯についての解説に割いてしまいましたが、あき亀山に到着ですw
あき亀山駅
可部線の去年からの新しい終点のあき亀山駅です。
まずは乗ってきた列車
227系も初めてですから何だかんだで撮ってしまいますねw
構内には留置線が設けられており、夜間滞泊にも対応しています。
忘れてはいけない駅名標です。
ちなみに、なぜ”あき”がひらがな表記なのかという話ですが、実は廃止された非電化区間の中にかつて「安芸亀山」という駅が存在しており、それとは全く別の地点に開業したため、旧安芸亀山駅との区別の意味で、旧国名を平仮名表記としたようです。
改札へはバリアフリーを考慮してかスロープで繋がっていました。
頭端式ならば乗客の動線が線路をまたがずに済むのでバリアフリーに対応しやすいのはメリットですよね。
駅前ロータリーも整備されていますが、現状路線バスの乗り入れはなく、近隣のバス停まで徒歩連絡するしか無いようなので、現状は送迎のマイカー用ですかね。
それにしても、殺風景な中にロータリーだけがぽつんとある光景は開発初期のSimuTransみたいで面白いですw
ちなみに、市民病院の当地への移設が計画されているらしく、実現すればここも開けてくるでしょうね。
こちらが駅舎ですが、合理的というか機能的というか、必要最小限のものしか付けない潔さを感じますw
まあ、シンプル・イズ・ベストってことでw
今時珍しいボタンタイプの券売機が設置されていました。
簡易型だと思われますが、ICOCAのチャージ機能はあるようです。
ちなみに、改札機も簡易型であり、フラップドアは備えられていません。
あとは帰るのみ
もう解説もし尽くした感もあるのであとは東京へ戻るだけです。
前回来た時は終着駅だった可部駅ですが、駅名標が変わっているはずなので撮っておきました。
こちらも前回乗った時は開業していなかった新白島駅です。
アストラムラインとの交点に設けられており、JRとアストラムラインの乗り換え拠点となっています。
アストラムラインとは、ここと可部線の大町で接続していますが、山陽本線とも直接乗り換えができるようになり利便性が増しました。
おみやげのもみじ饅頭を買ったら新幹線に飛び乗って東京へ帰ります。
あとは、4時間座席に座っているだけで東京へ連れて行ってくれるのでもう旅が終わったようなものですね。
N700系はコンセントが使えるので充電の心配もなく携帯をいじり倒しつつ東京へ移動しました。
あとは特に書くこともなく記事はここでシメたいと思います。
最後までお付き合いありがとうございました。
これを持って長編の西日本遠征は完結ですが、関東近郊で単発活動がちょいちょいあると思いますのでそのレポートでまたお会いしましょう。
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