今回は京都鉄道博物館を訪れましたのでそのレポートとなります。
時系列としては「奈良線103系を訪ねて・・・」の間の出来事であり、京都鉄道博物館は単独でボリュームのある記事になりそうだったので別記事としました。
必ずしも前回の記事をご覧頂いていなくてもこの記事の内容の理解には支障はありませんが、よろしければそちらも合わせてご覧ください。
京都鉄道博物館の概略など
今回は旅レポートではなく、京都鉄道博物館の訪問記ということで内容は京都鉄道博物館のレポートだけということになるんですが、冒頭で京都鉄道博物館の概要を説明してから本題に入っていきます。
京都鉄道博物館は一昨年(2016年)にオープンした鉄道博物館であり、JR西日本と公益財団法人交通文化振興財団が運営しています。
場所はかつての梅小路機関区であり、当地にあった梅小路蒸気機関車館と大阪にあった交通科学博物館を前身とする施設となっています。
近年は各地に鉄道をテーマにした博物館がオープンしていますが、大宮の「鉄道博物館」、名古屋の「リニア・鉄道館」を凌ぐ31000平方メートルの展示面積は日本最大級だそうです。
オープン時は大いに話題になり私も興味をそそられてはいたのですが、私の趣味の対象はどうしても「生きている鉄道」に偏りがちで、博物館の展示品としての鉄道は趣味の対象外とは言いませんが、どうしても優先順位が下になってしまいなかなか訪れる機会がなかったところに家族旅行の一部に組み込むという幸運に恵まれ今回訪問の運びとなりました。
本題の前にちょっとだけ寄り道
京都鉄道博物館は京都駅からだと1.7kmほど離れており、徒歩でのアクセスには不便と言わざるを得ない立地となっています。
京都駅の隣の駅となる西大路駅や丹波口駅もやはり京都鉄道博物館からは離れており、徒歩以外でのアクセスは路線バスやタクシーに頼る状態になっています。来年に京都鉄道博物館付近に嵯峨野山陰線(山陰本線)の新駅(梅小路京都西駅)が設置される見込みとなっており、それによりアクセスが劇的に改善することが見込まれますが、それ以前に訪問される場合はやはり徒歩かバスかタクシーを利用することになります。
このことがどうおまけに関係するのかというと、私はホテルをチェックアウトしてから鉄博のオープン時刻まで時間が余ったこともあり、運動がてら歩くこととしました。
これが思わぬおまけ要素を見つけるきっかけとなったのです。
もったいぶらずに書くとこれです。
京都鉄道博物館への道中で通った梅小路公園の敷地内になんと京都市電の電車が保存されていたのです。
ちなみに、電車の内部はカフェやショップとして活用されているようです。
「市電ひろば」という名前がついているようです。
地域の公園に1両だけぽつんと放置保存されていることは結構ありますが、こうして何両も集めて広場としているのは珍しいのではないでしょうか。
更に驚いたのは「のりば」まであったこと。
最初はてっきり雰囲気だけのハリボテだと思っていたのですが・・・
その先にもレールがちゃんと続いていたことでこれが本当に「のりば」として使われているのではないかという疑念が生じ、帰ってから調べてみると、「チンチン電車」として実際に乗車可能な形で走行することが判明しました。
運行があるのは土日祝日と夏休み期間の一部のみだそうで、訪問は平日だったため実際に走行しているシーンには遭遇できませんでしたが、ただ車両を保存するだけでなく走らせてもいるなんてすごいですねぇ。
流石にタダというわけはなく、片道乗車が150円、1日乗車券が300円となっているそうで、これは運行がある日を狙っていつか再訪しなければなりませんね。
京都といえば日本で初めて営業用の電車を走らせた町ですし、その自負がこうした施設の整備に繋がったのかも知れませんね。
ただ、気になるのが、架線は張られていないようですし、電車はバッテリーかなにかの動力源で動くんですかね・・・
ということで寄り道は以上!
早く鉄博を見せろという声が聞こえる前に本題へと進みますね。
いよいよ鉄博へ入場!
京都駅から休憩もはさみつつ30分ほど歩いて鉄博へやってきました。
道中ネタもあったのであまり退屈することもなく気持ちのいい散策でしたから、時間に余裕のある方は梅小路公園を抜けて歩いてくるルートもぜひご検討下さい。
目の前を横切る高架は嵯峨野山陰線のものでして、このように嵯峨野山陰線は鉄博の目の前を横切るので車窓からもバッチリ見えます。
そして、奥に見えるのは建設中の「梅小路京都西駅」ですね。
元々梅小路蒸気機関車館や京都水族館などの観光スポットが集まり観光客が増えていたところに、京都鉄道博物館もオープンして駅を設置しても採算が合うだけの需要があるという判断に至ったんでしょうが、京都鉄道博物館の運営にJR西日本自身が関わっていることも当然無関係ではないでしょうね。
なお、この駅の設置に伴い、丹波口駅と梅小路駅の間にあった東海道本線の支線が廃止されているんですが、元々東海道本線大阪方面と山陰本線を京都駅を通らずに直通する場合に使うだけの線路であり、近年はこのルートを使う列車の運行がなかったことや、この「梅小路京都西駅」の設置に際してその支線が邪魔になるという理由もあったようです。
線路を模した道しるべに従って進むといよいよ鉄博が見えてきます。
ここだけ見ると「あれ?意外に小さくね?」と思ってしまいますが、中は相当の広さですから体力的な意味で覚悟した方がいいですw
入場の前に当然入場券を買うわけですが、大人1200円、高校・大学生は1000円、中・小学生が500円、幼児は200円となっています。「京王れーるランド」や「新津鉄道資料館」なんかと比べると割高感もありますが、施設の規模から言えば相応かなとも思いますね。
また、提携する施設や交通機関のチケットや1日券などの提示で割引もあるので訪れる方は要チェックです。
入口を入るとプロムナードとなっていて様々な車両が出迎えてくれます。
一番最初に出迎えてくれるのはあの銀河超特急の牽引機としても有名なC62形です。
当然世代的に現役当時のSLを知らない私からすると小さい頃に親しんだ「銀河鉄道999」の影響かSLというとC62が一番馴染みがありますね。
見ただけで年代が察せられる茶色い客車はスシ28形、つまり食堂車ですね。
寝台客車の20系
私は14系と24系には乗ったことがありますが、20系は一度も乗ったことがありません。
どうやら売店として使われているようです。
幕は「はやぶさ」でした。
「はやぶさ」自体は馴染み深い列車だったりしますが、20系時代は流石に知らないですねw
つい数年前まで大阪環状線の主力車種だった103系でした!
引退する時はさよなら乗車に来たのを覚えていますが、こうしてまた会えるとは・・・!
と感傷に耽りたいところですが、関西地区ではまだ現役で走っているんですよねぇ・・・w
まあ古い車両が長く残るのは鉄としては嬉しいことではありますけどね。
車内にも入れました。
大阪環状線で通勤・通学されてた方なんて、毎日のように乗っていたものが博物館の展示品になるなんて・・・という思いでいるかもしれませんね。
0系新幹線もいました。
長蛇の列となっているのは運転台見学の列ですが、まるで駅に到着して乗客ら乗り込もうとしているシーンのようですね。
脇には「トワイライトプラザ」と銘打たれたスペースがあります。
もちろん主役は「トワイライトエクスプレス」
大人気の中惜しまれつつ引退した「トワイライトエクスプレス」ですが、名前を「トワイライトエクスプレス瑞風」に譲り、今はこうして博物館で余生を過ごしています。
私も引退が迫る中何度もみどりの窓口へ通ってチケットを求めたものですが、結局1度もチケットを手にできないままラストランの日を迎えたちょっと苦い思い出もあります・・・
でも、車両を残してもらえるのはありがたい話ですね。
幕は「日本海 青森」
これも乗れないうちに廃止になってしまった列車の1つですねぇ・・・
洗面台までありましたw
古い駅のホームという雰囲気がします。
本館に入ると230形という機関車がお出迎え
ここまで時代が遡ると流石にピンときませんねw
本館にも多くの車両が展示されていますが、京都鉄道博物館の写真といえばここで撮っていることが多いと思います。
いかにも「京都鉄道博物館へ行ってきました」という写真を撮りたいならここですねw
何より注目なのは500系新幹線の展示です。
既に花形の「のぞみ」運用からは撤退し、山陽新幹線での「こだま」で第二の人生を歩んでいるとはいえ未だ現役の車両が博物館の展示品となるのは珍しいように思います。
その隣には583系がいました。
私は「きたぐに」で1度だけ乗ったことがあるのですが、かつては夜行列車の代名詞というほど各地を走り回った時代もあり、その頃をご存知の方には思い出深い車両ではないでしょうか。
この車両は「月光形電車」と呼ばれることもあるだけに幕が「月光」なのは分かっていますね!
ボンネットが特徴的な489系
個人的には急行「能登」の車両というイメージですが、これは乗れずに終わりました。
車両展示もいいですが、パネル展示も忘れてはいけません。
なお、パネル展示は内容が膨大で全てご紹介するのは困難なのでもっと詳しく見たい方はぜひ現地にてあなたの目で確かめてみてください。
そもそも鉄道というものが世の中に登場した頃から解説してくれます。
このあたりはさすがは「博物館」ですよね。
サスケハナ号という蒸気船なんですが、なんでこれが展示されているかというと、日本の文明開化のきっかけともなった黒船来航のとき、あのペリーが乗っていた船なんだそうです。
「鉄道の父」とも言われるジョージ・スティーブンソンに関連する展示
新橋~横浜間で日本の鉄道史が幕を開けました。
社会科の教科書にも載っているくらいの歴史的出来事ですね。
京阪神地区での鉄道開業のブースになりますが、大阪駅の昔の駅舎の模型です。
すごいのがスイッチ1つで切り替わること・・・
↑これは動画でご覧頂いたほうがいいでしょう。
どういう仕組なのか気になりますが、初代と2代目が切り替わる仕組みになっており、どう変化したのかがひと目で分かりますね。
パネル展示の脇にも車両が展示されていて、いかにも戦前というフォルムのこちらはEF52形
すっかり掠れて判読困難ですが、これは逢坂山隧道の銘板だそうです。
逢坂山隧道は東海道本線の大谷~大津間にあったトンネルで、日本初の山岳トンネルであり、外国人の手を借りず日本人の技術だけで完成させたという点でも歴史に残るトンネルです。
しかし、当初の東海道本線は山を避けて迂回する上急勾配を抱えるなど国の大動脈を担うには適さない線形だったこともあって、後に東山トンネル、(新)逢坂山トンネルを掘削して現在の山科駅を通るルートに切り替えられると、この逢坂山隧道も役目を終えて廃止となりました。
現物は名神高速道路建設により埋もれたりして東側坑口以外は現存しないようですが、こうして銘板が残されているのは嬉しいですね。
「つばめ」「富士」という名高い列車のトレインマークが目を引く一角
戦時中の鉄道
「へいわ」は東京~大阪間で戦後初の特急として知られた列車名であり、右側の「THE OCTAGONIAN」というのは、戦後の連合軍占領期に存在した連合軍専用列車のうち、軍司令官専用列車に与えられた名称だそうで、占領軍版のお召し列車とも言えるものだったそうです。
終戦後、鉄道省が国鉄となり、ようやく(生まれてはいませんが)馴染みのある時代になってきました。
「つばめ」のトレインマークに小さく「電化完成」とありますが、東海道本線の電化が完成したのもこの頃だったんですね。
この可愛らしい機関車は1800形といい、D51やC62のようにアルファベットがつかないのはそのような命名規則が定まる前の車両だからです。
この機関車は京都~大津間の開業に合わせ急勾配に対応できる機関車として導入されたそうで、京都とは縁深しな機関車ですね。
内部が見えるようになっていました。
この時代の客車って座席ごとに扉がついていて車内を移動することを想定しないために通路がないのが特徴ですよね。
しかし、この設備では今の通勤型電車にすら劣っていますよねw
まあ、当時は鉄道以外にまともな交通機関がないという時代でしょうし、これでもありがたく利用されていたんでしょう。
車掌車のヨ5000形
車掌車というのは、かつて貨物列車の最後尾に連結されていた車両でして、名前の通り車掌が乗務するための車両でした。
今では貨物列車に車掌はいませんが、昔は連結器の信頼性が低く、走行中の列車分離事故が多く発生していたようで、そういう事態に際してブレーキを掛ける要員として車掌が必要だったみたいですね。
それから、「たから」というのは、国鉄が汐留~梅田間で運行していたコンテナ専用貨物列車であり、当時は貨車単位で貨物を扱う車扱いが主流だった時代にコンテナ専用というこの列車は大変先進的で、貨物列車としては珍しく愛称がついていました。
その後コンテナ輸送が広まるに連れて「たから」という愛称は消えてしまいますが、鉄道貨物輸送の近代化を後押しした列車と言えますね。
その奥は500系・583系・489系を間近で見られるスペースとなっていました。
写真は489系の方向幕ですが、「雷鳥 金沢」となっていました。
通常は絶対見られない500系の妻面
これは博物館ならではですよね。
在来線では車両間の隙間から撮れたりしますが、新幹線だと車両間にも幌が付いていて撮れないんですよね。
「昭和のマンモス」の異名もあるEF66形
個人的にはブルートレインの牽引機というイメージですね。
反対側は「さくら」のヘッドマークを付けていました。
私が小さい頃はまだ九州ブルトレが普通に走っていましたが、まさか純粋なブルートレインが全廃されようとは思いもよりませんでした・・・
床下も見られるようになっていたのですが、モーターの大きいこと・・・
車輪と変わらないくらいの大きさじゃないですかね。
こちらは運転台に入れるようになっていたのですが、高運転台だけに運転台へはこんな階段を登らないといけません。
↑これも動くので動画もご用意しました。
車軸側もカットモデルになっていました。
自動車と違ってカーブ時の左右の車輪の回転差は踏面勾配によって吸収するため、ディファレンシャルギアがないのが鉄道ならではの機構ですね。
車両展示に寄り道してしまいましたが、パネル展示もまだまだあります。
国鉄がJRになりました。
海上橋や海底トンネルが出来るまでは鉄道網を代替していた鉄道連絡船
それにしてもリアルですね。
模型としても十分楽しめそうです。
その脇には100系新幹線
小さい頃は「のぞみ」ももうありましたが、「ひかり」との料金差が大きく、博多~東京をこの100系の「ひかり」で乗り通したのもいい思い出です。
国鉄バスの模型もありました。
元々交通科学博物館の展示品を引き継いでいるためか、鉄道博物館を名乗っていても鉄道以外の交通の展示も多いんですね。
私なんて映像や写真でしか見たことがないオート三輪車もある昭和チックな一角
駄菓子屋を再現しているようで、お菓子がたくさん(無論、作り物でしょうけどw
昭和の駅を再現しているようです。
その名も「昭和之駅」w
ここはひねってほしかったなぁw
内部にも入れました。
展示用に再現したもののためかレトロな作りの割には古さを感じませんが、各地に残る古い木造駅舎も建築当初はこんな感じだったのでしょうね。
運賃表もありましたが、よく見ると他の駅は全部年号なんですねw
なんで自転車?と思ったら紙芝居屋さんの自転車だそうです。
これまた記録の中でしか知らない昭和ですね・・・
先程のホームにも停まっていたのはキハ80系です。
上野~青森を結んでいた「はつかり」としてデビューした車両でしたが、デビュー当時は故障が頻発して「がっかり はつかり 事故ばっかり」などと揶揄されたことでも知られていますね。
歯車におけるギア比を体験できるブース
このように鉄道にも使われる機械要素を体験できるいくつものブースがありました。
ここにも大阪環状線の103系・・・と思ったら101系がいましたがカットモデルのようです。
トワイライトとオハ46形が常設展示になるようですが、このブースは営業線と直結しており時折車両を入れ替えることがあるそうで、気になる車両が展示される時は要チェックですね。
モーター展示ですが、本当にデカイw
よく見ると吊り掛け駆動方式ですね。
線路や架線の展示
どうしても、鉄道というと車両が花形になってしまいますが、軌道や電気設備なくして列車は走れませんからね。いわば縁の下の力持ちです。
先程トワイライトが展示されているあたりは営業線と直結していると書きましたが、この扉を介して繋がっているようです。
鉄道車両がそのまま通れる扉ってなかなかないですよね。
よく見るとここだけちゃんとしたレールが敷かれています。
法的にもここは正規の鉄道施設として扱われているんだそうですよ。
そのため、写真は撮りそこねましたが、営業線としての標識類もちゃんと設置されているんだとか。
221系のモックアップですが、車掌体験コーナーとして使われているようです。
このあたりはあまり子どもたちの興味も惹かないのか空いていましたw
これは回転変流機という装置でして、商用電源から受け取った交流電流を直流電流に変換して架線に流すための装置です。
今ではより高効率な整流器が実用化され、使われていませんが、かつては直流電化の変電所には必要不可欠な存在だったようです。
第一大堰川橋梁という橋のトラスの交点部分だそうです。
まさか一部分とはいえ橋の実物が展示されているとは・・・
名橋として知られながら惜しまれつつ解体された旧餘部鉄橋の模型
こちらも一部分ですが実物が残されていました。
餘部鉄橋は廃止当時既に鉄道趣味にハマっておりましたのでなんとか無くなる前に見に行きたいと願っていましたが、学生という時分から予算がそれを許さずテレビでその最後を見届けた思い出がありますw
北陸本線の長大トンネルとして知られる北陸トンネルの模型
2度の列車火災事故があったことでも知られますね。
かつての名列車たちのヘッドマークの数々
このうち乗ったことがあるのはほんの僅かですね・・・
と、これでようやく1階部分が終わりです。
流石は日本一の面積を誇るだけあって、既に執筆している私が息切れしそうですが、読者の皆さんもどうかもう少しだけ頑張って付いてきて下さい。
2階へ
既に8000字を突破してまだ1階が終わっただけという衝撃の事実に書きながら絶望していますが、2階以降はそこまでボリュームが無いのでどうかもう少しだけお付き合い下さい。
2階へ上がると鉄道模型のレイアウトがありますが、これは模型を運転できるというコーナーになっており運転シミュレーター的要素もあります。
自分が運転している車両が分かりやすいようにか大きめの模型でした。
やたらと混み合う一角は運転シミュレーターの整理券申込みの場所でした。
訪問は平日でしたがシミュレーターは人気のようで抽選になっていました。
本物の駅さながらに自動改札機やら発車標やらが備わっていました。
この2階にはもっと大きな鉄道模型のジオラマがありますが、照明を落としてショー形式で運転されるため撮影が困難であり、写真や動画はありません。
ですが、いろんな列車を紹介しつつ朝から夜まで1日の流れを模型で再現するこだわりようで、訪れた際には絶対見たほうがいいですよ。
この後レストランで昼食を食べて見学再開です。レストランですが、結構バリエーションが多いですが、やはり子供向けを意識している感はありましたね。
お値段もいわゆる観光地プライスではありましたが、趣向を凝らしたメニューも多いのでせっかくなのでレストランで食事もいいでしょう。(肝心の料理は写真を撮りそこねましたw)
これは・・・1度は座ってみたい憧れのグランクラスじゃないですか。
そういえば、北陸新幹線のうち上越妙高以西はJR西日本なので、JR西日本管内にもグランクラスがあるんでしたね。
700系7000番台、つまり「ひかりレールスター」の「サルーンシート」です。
デビュー時は豪華な内装だとちやほやされましたが、今見るとやはり陳腐化は否めませんね。
最新の車両と比べるなら、コンセントと可動式ヘッドレストが一番大きな変更点でしょうか。
特急「こだま」の「パーラーカー」の座席です。
「パーラーカー」も当時は最先端の設備として人気を博したそうですが、今なら普通車ですらこれ以上の設備が当たり前ですよねw
列車トイレまで展示されていましたw
家族からは「トイレなんて撮ってどうする」と呆れられてしまいましたが、逆に営業中の車内ではトイレを撮るのは流石に憚られますし、こういう展示だからこそ撮れるんですよね。
かつて寝台特急の車内にあった給水器
これはリアルで体験したことがありまして、折り紙みたいな紙コップが印象的でした。
あれって、かさばらないので効率的なんでしょうが、倒れやすいし、水が染みてこないかヒヤヒヤして急いで飲み干した記憶がありますw
3段式寝台のカットモデル
2段式寝台は経験があるものの、3段式はないわけですが、3段目に登るのは何だか怖そうw
「新快速」の登場など、より鉄道が身近なものへとなっていく時代について
その「新快速」は今は中京地区でも走っていますが、元祖は京阪神ですからね。
そのお膝元の京都鉄道博物館としては推したいところなのでしょうw
反転フラップ式案内表示機(通称:パタパタ)
いずれも今はなき列車ばかりですが、彗星の甲子園口行きなんてあったんですかね。
教科書でしか見たことがない、端子同士をコードで繋いで操作するタイプでしょうか。
先ほどまでの大掛かりな機械が今やこんな小さくなったんですから、技術の進歩には目を見張るものがありますね。
ちなみに、こことは別ですが、自分で切符を発券する体験ができるようにもなっていまして、もちろん実際には使えない切符ですが、デザインは実際の切符そっくりなので大人でもやって楽しかったです。
駅員が仮眠する部屋の再現
ベッドに取り付けられているのは定刻起床装置ですね。
テレビなどでも取り上げられそこそこ知られる存在になったかと思いますが、これは布団やベッドの上に空気袋を敷いて寝て、起床時間になると空気袋に空気が送り込まれて膨らむことで体が海老反りとなることで強制的に起床させる装置です。
装置を止めてしまってからの二度寝とかでなければまず百発百中で起きられるそうですが、個人向けに販売されているものでも10万円近く、よほどの寝坊助さん、かつどうしても寝坊できない状況の人でないと手を出さないのではないでしょうかw
3階へ
いよいよ残すは3階のみです。
と言いましても、3階には展示はほとんどなく、屋上展望デッキ「スカイテラス」が目玉となります。
その「スカイテラス」からの眺めです。
鉄博は東海道本線・東海道新幹線に隣接しているため、トレインビュースポットというわけですね。
望遠で頑張れば京都タワーも見えます。
歩くと結構ありましたが、こうしてみると京都駅も案外近い気がしてきます。
このような列車の位置情報を教えてくれるパネルがあるので、どの列車がいつ通るかが簡単に分かります。
通勤電車はもちろん、「サンダーバード」「スーパーはくと」「はるか」といった特急も通りますから、小さい子供さんとかずっと居ても飽きないかもしれませんねw
これで館内の展示は見終わりましたが、まだ見るところはあります。
屋外にも見どころが
冒頭で述べたとおり、元々ここは梅小路蒸気機関車館という施設だったものを発展させて開業した経緯があり、梅小路機関区が元になっています。
ということは・・・蒸気機関車もたくさんいるわけですね。それらは屋外にいるのでそっちも忘れずに見ていきましょう。
これは展示物ではありませんが、隣接する側線にトワイライトカラーのEF65形がいました。
蒸気機関車に混じって1両だけディーゼル機関車のDE10形がいましたが、これは嵯峨野観光鉄道で使用するDE10形の予備車としてJR西日本で保有されているものだそうで、予備車なので使われない時はここでスタンバイしているんでしょう。
扇形機関庫の中に立ち入れるというのはなかなかできない体験です。
そして、ここでの最大の目玉はこの「SLスチーム号」です。
「SLスチーム号」は本物のSLが牽引する列車に片道500mほどではありますが乗車する体験ができるというものであり、入館料とは別に300円の別料金が必要ですが、平日も含めて毎日運転しているのが特徴です。
もちろんこれにも乗っていきたいと思います。
平日だったおかげかすんなり次の便の席が取れましたのでそれまで周辺を撮ったりしながら時間を潰します。
ちなみに、この「SLスチーム号」は梅小路蒸気機関車館の時代から行われているものだそうです。
時間になり乗り込みました。窓のないトロッコ風車両となっていますが、おかげで蒸気機関車特有の煤の匂いが感じられて、よりSLに乗っている実感が湧きます。
構内のみの走行のため法律上は「列車」ではないのだと思いますが、ちゃんとSOSボタンが設置されていたのには驚きましたw
ただ、どうみても家庭用のインターホンですがw
乗車時間は10分もあるかどうかという短さですが、300円で楽しめるSLとしては十分ではないでしょうか。
ただ、最高速度は人が歩く程度なので、本格的な走行を楽しみたければ、関西圏では「SL北びわこ」などでお楽しみ下さいw
ですが、その中でひときわ目を引くのが、菊花紋を堂々と掲げるC58の1号機
言わずもがなでお召し列車牽引機ですね。
あと、気になったのが煙突の上部分に排煙用のダクトがあったんですね。
流石は蒸気機関車を扱う場所だけあって考えられています。
車庫の上の文字ですが、かつては「梅小路蒸気機関車館」と書かれていたのを京都鉄道博物館開館に合わせて「梅小路蒸気機関車庫」に改めたんだそうです。
車庫の内部も立ち入れるようになっています。
ちなみに、「SLスチーム」を乗り終えて出口へ向かう場合、車庫を通り抜けて行くのが最短ルートですが、一旦本館へ向かう遠回りをしてしまいましたw
その遠回りの最中で見つけたのですが、関西鉄道の社紋が保存されていました。
昔の私鉄は社紋を誇らしく駅舎とかに掲げていたんですね。
今は社紋は車体に小さくペイントされている程度でしょうか。
今アニメが話題になっている「シンカリオン」とのコラボを知らせる掲示
私が訪問した時点ではコラボグッズの販売のみでしたが、夏休み中は「シンカリオン」関連の展示もあるそうで、ファンの方は是非訪れてみて下さい。
ゴールとなる出口にはこんな重厚な作りの建物がありますが、これはかつての二条駅の駅舎なんだそうです。
明治37年に山陰本線の一部を建設した私鉄である京都鉄道の本社を兼ねて作られ、平成8年に高架化事業のため役目を終えるまで現役であり続け、その後は梅小路蒸気機関車館に移設の上保存され、現在に至っています。
現在は博物館のミュージアムショップとして使われています。
なお、ここは出口のみであり、入口は右隣のエントランスとなるので入場時はこっちに来てはいけません。
SLの動輪もモニュメントとして置かれていました。
これは鉄道にゆかりのある土地ではよく見ますが、ここほどSLと縁深しな土地もないですし、ここになかったらどこにあるんだというくらい納得の設置ですw
初の京都鉄道博物館ということで見たいものは一通り見れたかなと思いますが、隣接する市電ひろばのチンチン電車も含めていつか再訪したいですね。
というわけで、関西遠征絡みはこれで完結ですが、また性懲りもなく遠征してしまったので次回はその遠征レポートでお会いしましょう。
はじめまして、
私は『新幹線変形ロボ シンカリオン』のメイン舞台地である武州・大宮に住んでる者です。
さて、昨年わたしは古都・京都の京都鉄道博物館と、尾張・名古屋のリニア・鉄道館へそれぞれ行ってきましたけど、いずれも見応え充分のトコだったので、しっかりデジカメで記録したうえ、行ってみて本当に良かったです。
ところで、最近になり私の住んでるトコの鉄道博物館もリニューアルオープンするなり行ってきたものの、尾張や京のと比べるとやや見劣りしてきたのが、規模拡張によって随分と良くなってたので、コレなら暫くは飽きがこないのでホッとした次第であります。
それはさておき、梅小路公園の東側を走る大宮通り(関西=むかし私は上方・大阪に十数年住んでたので、関西の大概のトコなら土地カンあり=の場合だと、「おおみや」の発音が異なる)がありますけど、武州・大宮に生まれ育った私にとり由来は異なるものの、同じ大宮の地名であるが故に、久々にJR京都駅より七条通りづたいに徒歩で京都鉄道博物館へ行き、七条大宮の交差点にて「大宮」の地名の標示板を感慨深く見てた次第です。
以上をもちまして、失礼します。