前回の執筆からかなり時間があいてしまい申し訳ありませんが、2泊3日に及ぶ紀伊半島旅行の2日目となります。なお、1日目をご覧になっていない方はそちらから先にご覧頂くことをお勧めします。
本日の行程
新大阪に取った宿より御堂筋線で天王寺に出て、天王寺駅前から上町線に乗車、廃止が予定される住吉公園駅まで乗車し、天王寺駅前に戻ったら浜寺駅前まで一気に乗りつぶし、我孫子道で乗り継いで今度は恵美須町まで行き阪堺電気軌道を乗りつぶします。
それが済んだら再び御堂筋線で新大阪に戻って381系の特急「くろしお」で新宮まで移動します。その後宿泊地の関係で熊野市駅まで紀勢本線を更に進んで終了です。
朝の御堂筋線
昨夜も乗りつぶしのため乗車した御堂筋線ですが、今度は朝の通勤ラッシュのまっただ中です。
御堂筋線は新幹線が乗り入れる大阪の玄関口たる新大阪駅にJR各線、阪神、阪急、地下鉄各線が集まる梅田、京阪線接続の淀屋橋、近鉄・阪神・南海・JRが集まるミナミのターミナル”なんば”、そして天王寺と主要ターミナル駅を網羅するように走っている大阪の山手線といったところでしょうかね(環状線という意味では大阪環状線こそ大阪の山手線と言えるかもしれませんが・・・
そんなわけで日常的に混雑が激しい路線なんですが、朝ラッシュとなると更に激しい混雑になるわけで、せめて少しでも空いている事を期待して新大阪~天王寺間の区間列車に乗車しました。
あと、新大阪駅まで移動すると構内の移動に時間を食いそうだったので、昨夜同様に西中島南方駅から2日目をスタートさせることとしました。
西中島南方駅
というわけで、2日目の始まりは昨夜も降り立った西中島南方駅からとなります。
暗いとよく分かりませんでしたが、明るいと道路に挟まれている立地がより分かりやすいですね。
それでは、今日のメインの1つである阪堺電気軌道へ乗るべく天王寺駅に移動しましょう。
天王寺駅
昨夜は通過するだけだった天王寺駅ですが、今度は降り立ちます。
御堂筋線はかなり初期に建設された地下鉄ということもあってか、ホームの構造が他の地下鉄とはちょっと違う気がします。
土木とかにそれほど造詣が深いわけではないものの、最近の地下鉄はシールド工法がほとんどなんでしょうが、初期の地下鉄は開削工法が多かったのでこういう屋根の高い箱のような構造になるんでしょうかね。
縦型と来て最低限のお約束をクリアしたら早速阪堺電気軌道に乗り換えます。
ところで、余談ですが、阪堺線というのを阪堺電気軌道全体の愛称のようなものだと思っていた私は、どこにも「阪堺線」という案内がないのに焦りましたが、よくよく考えてみると「阪堺線」とは恵美須町~浜寺駅前の路線名であり、これから乗る天王寺駅前~住吉公園間は「上町線」なんですねw
地上に出ると何かと話題の「あべのハルカス」が見えました。
ちょっと観光気分ですが、乗り換え時間も迫っているのでチラ見だけですw
で、これが阪堺電気軌道上町線への乗換通路です。
乗り場自体は駅前の路上にあり、完全に路面電車の電停という感じなんですが、横断歩道などでは一切接続されておらず、地下通路でしかアクセス出来ない構造なんですね。
私は地上で一生懸命乗り場に繋がる横断歩道や歩道橋などを探しましたが、結局見つからず乗る列車を1本乗り損ねるというオチになりましたw
これで住吉公園行きの最終便に乗る行程だったら悔やんでも悔やみきれませんが、幸いまだ住吉公園行きの列車は残っているのでそちらに乗ることにします。
住吉公園駅の滞在時間が少なくなってしまうわけですが、それほど大きな駅というわけではないでしょうし、なんとかなるでしょう。
1日券を買って早速”ホーム”に入ります。
普通鉄道っぽく言えば1面2線の終端駅です。直前まで複線で構内が単線になるという路面電車では一般的な終端駅の構造ですね。
2本のホームで乗車・降車を分けて運用しているようです。
駅の発車標(?)は珍しい幕式でした。「住吉公園」の行先自体が貴重なものになりますね。
長崎電気軌道3000形に似ているなと思いましたが、1001形、通称「堺トラム」という低床電車だそうです。
これは住吉公園行きではないので乗りませんがw
普段はLEDの点滅はそんなに気にしない私ですが、このレア行先だけはこだわってみました。
早速乗り込みます。まだまだ通勤通学ラッシュのさなかであり、車内は学生やサラリーマンがほとんどです。
まだ廃止まで時間があるためかそれほどファンが殺到している様子はなさそうです。
今回はさよなら乗車ではありましたが、阪堺電気軌道自体が初乗車なので路線の雰囲気なんかも楽しみながら旅を進めます。
天王寺駅前を出てしばらくは大通りのど真ん中に線路があって、まさしく路面電車という感じですが、時々専用軌道になったかと思えば、路地裏のような場所を走ったりして、変化に富んだ面白い路線でした。
そして、住吉を過ぎていよいよ廃止予定区間に入ります。
↑展望動画です。
やっぱり沿線にはファンが多かったですねw
住吉公園駅
それでは前半の最大の目的である住吉公園駅のご紹介へと移って行きましょう。
1日5往復(休日は4往復)しか走らない閑散っぷりですが、複線です。
隣には南海電鉄が走っており、駅も設置されていますが、駅名は「住吉大社」です。
元々は南海の駅も「住吉公園」だったようですが、1979年に改名されて南海と阪堺で駅名が食い違う結果になったようです。
ところで、この急カーブ上にあるダイヤモンドクロッシング、ちょっと萌えましたw
こういうのを「ムラクモ案件」とかいうんでしたっけ。
朝に来ないと見ることが出来ない電車がいる光景ももちろん撮ります。
住吉公園行きの表示も抑えます。これで天王寺駅前でのリベンジが果たせました。
反対側にも線路があり、1面2線ですが、2線を同時に使うことってあるんでしょうか・・・w
そして、当駅最大のネタともいえる時刻表。
終電が8時24分(土休日8時32分)、もちろん午後ではなく午前という日本一早い終電です。
名鉄築港線やJR和田岬線、鶴見線大川支線なども通勤輸送に特化して朝夕のみ運転され、日中は一切運転されない例もありますが、当駅の場合は本当に朝のみの運転ですから、本当の意味での「日本一早い終電」ですね。
ちなみに、時刻表に書いてあるとおり、住吉鳥居前駅が隣接しており、そちらからも天王寺駅前方面への電車を利用できるため、地元に人にとってはわざわざ当駅を利用するメリットは始発なので確実に座れることぐらいなのかもしれませんね。
↑ここで乗ってきた電車の発車シーンを撮影です。
発車標が備えられていましが、現在のダイヤでは存在意義はないでしょうね・・・
というか、これは現在でも稼働しているんでしょうか?w
もちろん駅にも当駅、及び住吉駅までの区間が廃止されることを告知する張り紙がありました。
それでは次の電車までの間の待ち時間で駅前に出てしまいましょう。
それにしても、まるで時間が止まったかのようなノスタルジックな雰囲気です。
駅舎もかなり年季の入ったものでした。
住吉駅~住吉公園駅間の廃止理由として「設備の老朽化」が上げられていましたが、この駅舎の老朽化が原因なんじゃないかという気がしてきました。
南海の駅名である住吉大社に因んでか、駅前の道路には灯籠が並んでいました。
↑続いて乗る電車の入線シーンを撮ったら天王寺駅前に戻ります。
阪堺電気軌道を更に乗りつぶす
住吉公園から一旦天王寺駅前に戻ります。ラッシュも終わりかけの時間帯となり、のんびりとした雰囲気での移動となりました。
再度戻ってきた天王寺駅前です。乗り場と降り場が別なので一旦外に出ますが、即Uターンw
今度は「我孫子道」行きの行先も撮ります。
ちなみに、正式駅名は「我孫子道」ですが、行先表示では「あびこ道」とひらがな表記されるんですね。
御堂筋線の「中百舌鳥」が「なかもず」と表記されるようなものですかね。
それにしても、大阪は難読駅名を平仮名表記するのが好きなんですかねw
ちなみに、次は阪堺線の終点である浜寺駅前まで行きたいので、我孫子道行きは見送ります。
一気に堺市内へ
住吉までは朝一で乗ったところなので、さっきのリピートですが、住吉から先が未乗区間となりますね。
多くの電車が折り返す我孫子道までが大阪市内で、その先が堺市内となります。
ちなみに、途中でおばちゃん軍団が乗ってきて普段はめったに録った録音をボツにしない私も流石に削除しちゃいましたw
まあレア車種ではなかったしね。これが住吉~住吉公園間でやられてたら悔やんでも悔やみきれませんがw
更には終点の浜寺駅前近くでは幼稚園児の団体が乗ってくるというダブルパンチw
浜寺駅前
そんなこんなで色々ありながらも終点の浜寺駅前に到着です。
意味はよく分かりませんが、今では懐かしさすら覚えるギミックだったのでw
そうそう、乗ってきた電車です。
モ701形とかいうらしいですが、ここまでこれにしか当たっていませんw
ホームは1面1線の簡素なもの
路面電車の終着点にありがちといえばありがちですが、あれだけ本数のない住吉公園駅と比べての簡素なものですね。
浜寺”駅前”という駅名なので、ここもやっぱり駅前にありますが、南海線の駅でして、駅名も「浜寺駅」ではなく、「浜寺公園駅」となっています。
住吉公園駅もそうですが、阪堺と南海は同じ駅名が嫌とかそういうアレなんでしょうかw
なお、こちらも開業時は「浜寺駅」だったようで、南海側が駅名を変えて食い違うようなった経緯も住吉公園駅と同じのようです。
それから、この駅舎についてですが、1907年に建てられたもので、登録有形文化財に指定されている他、近畿の駅百選にも選ばれているようです。
時間があればそっちもじっくり見たかったですが、それはまた今度の楽しみにとっておきましょう。
再び大阪市内へ
浜寺駅前から一旦我孫子道に引き返して、恵美須町行きに乗り換えます。
阪堺線は浜寺駅前~恵美須町間の路線ですが、現在は全区間通しの電車は運行されておらず、上町線に直通する浜寺駅前~天王寺駅前間の電車と恵美須町~我孫子道間の電車を乗り換えないと行けません。
このようになったのは2009年からで、阪堺線の大阪側起点である恵美須町やJR接続駅である新今宮駅前よりも、多くの路線が乗り入れる天王寺駅前への需要のほうが大きいという判断だったんでしょうね。
更に言えば、2013年までは朝夕に限って阪堺線を走破する電車が残っていましたが、それも無くなり、全区間乗り通すためには乗り換えが必須となりました。
我孫子道で降りて次にやって来たのはこんな電車
いわゆる軽快電車もいいですが、これこそ路面電車らしい車両ですよね。
ついでなので触れますが、恵美須町もやっぱり「えびす町」とひらがな表記です。
恵美須町
恵美須町に到着し、これにて阪堺線、並びに阪堺電気軌道の路線を完乗です。
まずは駅名標
それにしても、大阪側起点の駅だというのに、広告がないのは寂しいw
ただし、その分ホームは立派なものです。門司港駅を少し小さくしたという感じでしょうか。
駅前です。新世界や通天閣など大阪の著名観光地も近く、地下鉄堺筋線との乗り換えも可能なんですが、阪堺線の方はちょっとさびしい印象w
まあ、それもそのはずで殆どの乗客は1つ隣の新今宮駅前を使っているようです。
新今宮駅前も名前が出たので少し紹介しますと、新今宮駅前という駅名は実は去年改称されたもので、それまでは「南霞町」という名称でした。
この駅を紹介するに際して、あの「あいりん地区」に話がつながっていたりします。
1990年、第22次西成暴動と呼ばれる騒乱の中、南霞町駅は放火され、駅舎を焼失してしまいます。この時電車にも投石される被害があり、これを受けて付近の軌道からバラストを撤去しアスファルトで固める対策も取られました。
そして時は流れて2014年、元々は日雇い労働者などが利用していた簡易宿泊所が外国人観光客に格安な宿泊施設として人気を集めるようになり、外国人の同駅利用も増えたこともあり、JR線の新今宮駅との接続駅であることを分かりやすくするために駅名変更となったようです。
鉄道で暴動といえば、上尾事件がまず想起されますが、平成になってからもそんなことがあったなんて、調べながら驚きました。
2度目の我孫子道
先ほどは乗り換えだけでしたが、今度は折り返し時間もあるので少しですが取材をこなしていきます。
↑乗ってきた電車の回送シーン
2面2線の相対式ですが、運行拠点だけあってホームの有効長は長く取られています。
ぱっと見では駅舎にしか見えませんが、実はこれ、阪堺電気軌道の本社なんです。新京成電鉄の本社がくぬぎ山にあるような感じで、運行拠点の駅に本社も持ってきたという感じですかね。
ちなみに、阪堺電気軌道自体は1980年に南海電鉄の軌道事業の一部を引き継ぐ形で発足した会社なので、会社そのものはそこまで古いわけではありません。
このくらいで天王寺駅前に引き返し、御堂筋線で新大阪に出たら大阪編は終わりで、「くろしお」に乗ります。
天王寺駅前へ
住吉公園からの引き返しでも乗っているので2往復ということになりますが、これでしばらく阪堺電気軌道に乗る機会もなさそうなのでしっかり満喫します。
路面電車というと大通りのどまんなかを走るイメージが強いですが、こういう路地のような場所を通るのも地域に密着している感じがして好きです。
御堂筋線で新大阪へ
天王寺駅前についたら御堂筋線で新大阪に出ます。
乗るのは新大阪行きです。天王寺始発なので全区間乗車ができますね。
こんなことにこだわる人は珍しいでしょうけどw
昨夜はラッシュが激しくあまり撮れなかったのでここで少し撮影。
この後は構内で昼食を食べたらいよいよJR線乗り場へ行きます。
381系「くろしお」
無事腹ごしらえも済んだら、「くろしお」に乗るべくホームへ移動します。
とか思っていたらやって来ましたw
この後「くろしお」が入線するようです。
↑発車シーン
そして、いよいよ!
↑「くろしお」入線シーン
と、ネタはさておき、パノラマグリーンもなかなかいいですよね。
白浜アドベンチャーワールドにてパンダが飼育されていることに因んでパンダのイラストがあしらわれます。
京都方は485系などと同じ国鉄型特急の顔です。
振り子式車両なので重心を下げるために屋根上機器を床下に設けるようにしたり、裾絞りが違うなどの差もありますが、知識がない人が見たら485系や183系と区別がつかないかもしれませんw
幕回転が始まりましたので色々撮りますw
「やまとじライナー」は電車でGO!に登場していたので名前は知っていますが、2011年に廃止されました。
「はんわライナー」
こちらも2011年に特急格上げの形で廃止されました。ちなみに、関西のホームライナーの元祖だったりします。
「しらはま」は私も知らない列車名だったんですが、国鉄時代に存在し一旦消滅したものの、JR化後の1988年から1年間のみ存在した列車のようです。
「くろしお」で紀伊路を往く
いよいよ381系の特急「くろしお」で新宮までの旅が始まります。
と言っても、実は381系乗車は初めてではなかったりします。以前に新大阪~京都間のみですが、乗車したことがありました。その時はフリーきっぷを買って関西地区の特急を乗り鉄しに来ており、時間があまったので乗ったという感じでした。
さて、「くろしお」は新大阪を出ると梅田貨物線を通ってそのまま大阪環状線に入ります。そのため、大阪駅は通りません。このルートを通る列車は初めてなのでそういう意味では乗りつぶしでもありますね。
西九条からは大阪環状線となります。首都圏でも山手貨物線を「成田エクスプレス」や「スワローあかぎ」などの特急が走りますが、あちらは山手線とは別に複々線となっているのに対して、こちらは普通の通勤電車に混じって同じ複線を走るというのがすごいですよね。
そして、最初の停車駅天王寺となります。元々紀勢本線の特急は天王寺が始発だった時代が長くあったようですが、梅田貨物線を活用したルートで新大阪・京都へ直通するようになり、現在は定期列車では天王寺始発・終着はないようです。
天王寺を過ぎると全くの未乗区間の阪和線に入ります。天王寺の次は和歌山までノンストップだというのだからすごいですよね。
この区間では関空・紀州路快速が運転されていて、その上位に特急がいるという構成になっているので特急は都市間輸送に特化しているということなんでしょうね。
ちなみに、朝夕は通勤利用を考慮してか、停車駅が増える列車もあります。
車内も空いていたのでちょっとだけ車内散策をしました。
車体にパンダのイラストがあしらわれていましたが、車内にもパンダシートがあります。
こちらは記念撮影用のスペースになっているようで、一般の座席としては発売されないようです。
その他にも車内を撮りましたが、聞ける車両辞典にアップするときのお楽しみということでw
紀勢本線を進む
阪和線はまだ大阪の近郊区間という雰囲気でしたが、紀勢本線に入ると本格的に紀伊半島の旅という感じがしてきます。
ここからは海沿いを走ることが多くなるので太平洋が車窓から望めます。
動画も撮りました。今回は大量ですw
↑岩代駅付近
↑岩代駅付近その2
↑見老津駅付近
↑串本駅付近
名所の「橋杭岩」も見えます。
↑古座駅付近
↑紀伊浦神駅付近
↑いよいよラストスパート、新宮駅付近
車窓も満喫し、久々に乗り鉄らしい乗り鉄だったわけですが、1つの懸案事項も取り越し苦労に終わりました。それは381系が振り子式車両であるということです。
古くからこのブログをご覧頂いている方はご存知かもしれませんが、バスにも酔わない私もなぜか振り子式車両だと酔ってしまうんですよね。883系・885系・E351系・キハ281系など様々な振り子式車両に乗ってきましたが、長時間だと大体は程度の差はあれど乗り物酔いの症状を起こしてきました。
そして、381系は他の振り子式車両とは違い「自然振り子式」というものを採用しています。他の振り子式は「制御付き振り子式」と言うタイプで381系のものをベースに改良されたものなんですが、それでも酔うので心配だったんですね。実際、381系の運行開始当初は乗り物酔いを起こす乗客が多発し、各座席にエチケット袋が備えられていたという逸話があったり、「くろしお」なら「げろしお」、「やくも」なら「はくも」といった具合に列車名をもじって揶揄されることもあったようです。
しかし、今回なぜか私は酔うことなく新宮まで楽しく乗車できました。車窓に夢中になっていてそれどころではなかったのか、案外自然振り子式の揺れ方は私にあっているのか、唯一の自然振り子式の車両である381系も引退が迫り、次に試す機会はなさそうですが、ちょっと余談でした。
そうそう、ついでですので、「自然振り子」と「制御付き振り子」の違いについても簡単に説明しておきますが、そもそも振り子式車両というのは台車と車体の間に”コロ”を設けておいて、車体下部に重心が来るように設計されており、カーブに差し掛かると遠心力で重心である車体下部がカーブ外側に引っ張られ、車体上部はカーブの内側に傾くことになります。すると通常の車両より速いスピードでカーブを通過できるというわけですね。ちょうどオートバイが内側に傾きながらカーブを曲がるのと同じ原理です。しかし、自然の遠心力のみで車体を傾ける「自然振り子式」ではカーブに差し掛かってワンテンポ遅れて車体が傾くため、このタイムラグが乗り物酔いの原因とされました。そこで油圧ダンパーなどの機構でカーブに差し掛かる手前である程度車体を傾け、カーブに入った後は遠心力に任せるという方式が誕生し、これを「制御付き振り子式」といいます。これによりタイムラグなく車体が傾くので乗り物酔いも解消しました。381系より後に登場した車両はこちらを採用しており、「げろしお」などと揶揄された時代も終わりました。まあ私はそれでも酔ってしまうんですがw
新宮駅
福岡にいた頃、新宮(鹿児島本線の筑前新宮駅(現:福工大前駅))へ行きたいと相談されて、素でこちらの新宮駅への行き方を案内したという逸話のある私ですw
そんなネタのような出来事があった当時は、まさか本当に本家本元の「新宮」に訪れる日が来るとは思いませんでしたね~
更に乗り継ぐべく、反対のホームへ渡ります。
こういう地下道は古い大きな駅にありがちですよね。
名所案内も最近の駅にはないことが多いですからね。
熊野本宮は有名ですが、温泉もたくさんあるんですね。
↑381系の折り返しの前に名古屋への「ワイドビュー南紀」がやってきました。
そして、次に乗るキハ40系も入線
ただし、発車時間まではまだかなりあるので安心して381系を撮れます。
↑そして、いよいよ381系の発車シーン
↑続いて105系の普通列車が入線です。これに接続をとってからキハ40-系が出るようです。
広島地区でよく乗った105系ですが、久々に見ますね。今回は乗れませんがw
この後はキハ40系に揺られて熊野市へ移動です。すっかり日も落ちて景色は楽しめませんし、車内は高校生が多く普通の移動時間といい感じでした。
熊野市駅
そして、いよいよ今日の宿泊地、熊野市駅に到着です。
駅名標もオレンジ色になりました。
ちなみに、わざわざ「熊野”市”」と市の字をつけている理由ですが、単に「熊野」としてしまうと、広域的な地域の名称である熊野の中心かのようなイメージを持たれてしまうことや、熊野という地域は三重側より和歌山側に広がっていることから、広域的な地域名の「熊野」と区別する意味で「熊野市」になったようです。山陰本線の長門市もそんな感じですかね。
↑発車シーン
宿へ向かう前に腹ごしらえをすべく街を歩きます。
と言っても、それほどお店が充実しているわけではなく、今回目星をつけたのはすき家でした。
それも駅前ではなく国道沿いなんですよねw
まあ、地方だと駅前より国道沿いのロードサイド店の方が充実しているのは珍しいことではありませんけどw
既に真っ暗ですが、国道42号の風景です。暗くて見えませんが、向こうには太平洋が広がっているはずですw
近くには獅子岩なる獅子の形をした岩があるようですが、暗くて見えませんでしたw
かといって、翌朝早起きしてまで見に行こうと言う気も起きずw
この後は、スーパーで翌朝の食事や飲み物などを仕入れ、比較的早くチェックイン出来たことから趣味の旅にしては珍しく晩酌としました。
夕食は名物を食べられませんでしたが、お酒くらいは地元のものをw
というわけで、2日目は以上となります、
3日は別記事として追ってお届けしますので今しばらくお待ち下さい。
~追記~
3日目も公開しました。