紀伊半島18きっぷ旅(4日目・最終日)

3泊4日で実施した紀伊半島方面の遠征の4日目(最終日)です。
なお、1日目2日目3日目をご覧になっていない方はそちらからご覧頂くことをおすすめします。

本日の行程

最終日となる今日ですが、昨晩の宿泊地の和歌山から和歌山線・桜井線に乗車して105系の録音を集めつつ高田からは大和路線直通の快速JR難波行きでJR難波まで行き、あとは関西本線を東へ進み名古屋まで抜けて、東海道新幹線で帰路に就きます。
昨日分のレポートが24000字にも及ぶボリューミーなものになってしまいましたが、今回はやることが和歌山線・桜井線の乗りつぶし&105系乗車と東京への帰路だけなので、書くこともそんなになく短編と言ってもいいくらいのボリュームになるかもしれません。

まずは和歌山線・桜井線で奈良へ

昨晩は夜遅いチェックインだったこともあって、今朝は8時すぎの起床で間に合うゆっくりした出発だったのですが、列車は9時頃のものとなります。
実は和歌山線でも117系の運用があり、朝一番の和歌山発王寺行きに乗れば117系だったようなのですが、昨晩の早朝出発深夜チェックインというハードスケジュールに流石に体が悲鳴を上げたようで、117系をパスしてでもゆっくり出発するという選択になりましたw
なんだかんだ、このパターンはリベンジに行くパターンなんですけどねw


和歌山駅も既に紹介済みとあって、いきなり列車から始まります。
こちらが和歌山線の105系です。現在和歌山線と桜井線における主力車種となっており、適当に選んだ列車に乗ってもこれが来る可能性が圧倒的に高いわけですが、それも来春から置き換えが始まるようですし、この光景もレアになりますね。


方向幕は奈良です。和歌山線としては和歌山を起点とすると王寺が終点となるのですが、早朝や夜間を除いては和歌山線と桜井線は高田駅を介して一体的な運行となっており、和歌山~奈良間の運行形態となっています。
つまりは、和歌山~王寺間で素直に和歌山線を走破する列車のほうがレアということになりますね。
ちなみに、日中の高田~王寺間は逆に関西本線(大和路線)と一体的な運行となっており、JR難波からやってきた快速が乗り入れる形となっており221系なんかが主力車種となります。


↑そこへもう1本105系がやってきました。
こちらは昨日乗った和歌山市からの紀勢本線の列車です。


というわけで並べてみるw


乗り込んでとりあえず運賃表示器を撮りました。
駅名が並んでいるので和歌山線に乗ったことを象徴するアイテムかなと思いましてw

それでは発車ですが、ラッシュも終わった時間帯だけにそんなに混んではいませんでしたが、逆に席は8~9割埋まっていたという感じで、一応座れるけど、座席の選択肢は少ないという状態でした。
時間帯的には郊外から市中心部へ向かう流動が多い時間帯で、逆方向に当たる今回乗車した列車はもっと空いているものと思っていましたが、意外に乗っているものですね。

和歌山線という路線について触れると、前述の通り和歌山と王寺を結ぶ路線となっており、王寺~高田間が1891年に大阪鉄道の手により開通したのを皮切りに、1896年に高田駅から五条駅までが南和鉄道、1898年から1900年にかけて五条駅から和歌山市駅までが紀和鉄道の手により開通し、和歌山側のターミナルが和歌山駅ではなく和歌山市駅だったもののほぼ現在の形態が出来上がりました。
また、紀和鉄道が和歌山県内に乗り入れた最初の鉄道でした。つまりは、県名を路線名にしているこの和歌山線こそが和歌山県内では元祖の鉄道ということになります。
南海鉄道の開通までは大阪と和歌山を結ぶルートの一部として利用されていたこともありましたが、南海鉄道、阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)が開通するとその役割はなくなりました。
大阪鉄道・南和鉄道・紀和鉄道とそれぞれ会社が分かれていたものの、関西鉄道への合併を経て国有化され、国鉄線→JR線となりました。
また、昨日分のレポートでも触れましたが、当初の和歌山側のターミナルだった和歌山市駅ではなく、現在の和歌山駅へ乗り入れる支線が国有化後に作られ、当初は貨物支線扱いでしたが徐々に旅客列車もそちらを利用するようになり、最終的に全ての列車が和歌山発着となり逆に和歌山市方面は紀勢本線に編入の上、和歌山線からは直通する線路が撤去されて直通運転は不可能になりました。

続いて運行形態についてですが、国鉄時代は東京駅から直通の寝台列車や紀勢本線に直通する急行列車など優等列車の運転もありましたが、JR転換前後までには全て廃止され、現在の和歌山線は定期列車としては優等列車の運転はありません。
朝夕にわずかに設定される快速列車以外は各駅停車がほとんどとなっており、朝夕は和歌山~王寺間で和歌山線を走破するような運行形態となり、それ以外の時間帯は桜井線と一体化して和歌山~奈良間の運行形態と、関西本線に直通して天王寺・JR難波発着の快速列車が高田駅まで乗り入れる形で運行されるため、高田駅を境に運行形態が分断されます。

なお、早朝には大阪市内へ通勤・通学する人向けでしょうが、五条や桜井線の奈良駅から王寺を経てJR難波へ至る快速列車もあるのですが、桜井線・和歌山線内では各駅停車となるので名ばかり快速となっていますw
あと、面白いのが桜井線の奈良から来る快速JR難波行きであり、奈良~王寺間を高田経由でわざわざ遠回りする列車となっていますw
まあ、奈良から大阪市内を目指す人は素直に関西本線経由の列車に乗るでしょうから、天理とか桜井あたりから大阪市内へ行きたい人向けなんでしょうね。

ちなみに、和歌山側の粉河~和歌山間では正真正銘の快速運転が行われていて、朝に和歌山駅方面のみ、夕方に粉河・橋本・高田方面のみが運行されていて、完全にラッシュ時対応のための列車ですね。
今回は行程の都合で乗りませんが、機会があればいずれ乗ってみたいものです。

あと、ICOCAについてですが、現在は五条~王寺間のみが対象となっていて、和歌山~五条間は対象外となっていますが、現在走っている105系や117系を227系で置き換えが完了する2020年春をめどに全線に拡大する計画となっているようです。
この際は駅に簡易改札機を設置するのではなく、路線バスのように車両側に搭載した端末を利用した利用になるようで、鉄道においては珍しい方式なのでこれも注目ですね。

とまあ、解説にかなりの字数を割きましたが、乗車レポートとしては大雨で車窓がろくに見られなかったことと加えて、ゆっくりした出発だったにもかかわらず未だ寝不足なのか頭がスッキリせずどうも印象が薄いまま乗車時間を過ごしてしまいあまり書くことがないというw

乗客の動向については、和歌山~奈良を乗り通す人は皆無であり、ほとんどがローカルな利用者のようでしたが、橋本で南海高野線、吉野口で近鉄吉野線、御所で近鉄御所線、高田で近鉄大阪線といった具合に大阪から放射状に伸びる路線相互を接続する役割もあり、そういう意味では大阪から見た環状線的性質もあって、それらの接続駅ではまとまった乗客の入れ替わりがありました。
また、橋本駅では外国人観光客が多く乗ってきて驚いたのですが、どうやら高野山を巡った後南海高野線で橋本に出て、そこから和歌山線で奈良へ抜けるルートを選んでいる人が多いみたいで、周遊観光のルートとしても重宝されているようでした。

高田駅にて

所要時間からすると2時間ほど乗っていたことになりますが、気づけば列車は高田駅へと到着していました。
和歌山線~桜井線で見ると当駅でスイッチバックすることになるため、少々停車時間があり、ホームに出て軽く撮影しました。


高田という駅名って実は結構多くて、JRに限定しても長崎県の長崎本線にもあります。(ただし、読み方は「こうだ」)
また、現在はえちごトキめき鉄道に移管されましたが、かつて信越本線だった区間にも高田駅がありましたから、その頃はJRだけで3つも「高田駅」があったことになります。
JR、及び前身の国鉄では駅名の重複は極力避ける傾向が見られ、他地域に同名駅がある場合は旧国名を冠するなどして重複を避けるケースが多いのですが、ここは気にせずそのまま採用されているようです。
この辺の運用は、読み方が違っても表記が同じなら旧国名を冠する場合や、逆に表記が違っても読み方が同じでも、やはり旧国名を冠する場合があったと思えば、高田駅のように気にしていなかったりと、そこまで徹底されてはいないようです。
ちなみに、隣接する近鉄の駅は「大和高田」とちゃんと旧国名を冠しているんですよねぇ・・・

また、当駅発着の乗車券を発売する場合、長崎の高田駅と区別する意味で「(和)高田」と表記されます。逆に、長崎の方は「(長)高田」と表記しています。つまりは「(和)高田→(長)高田」なんて乗車券も作ろうと思えば作れますw


隣には221系がいました。これはJR難波行きの快速になるやつです。


駅名標と絡めてみたり・・・


105系と並べたりしたらそろそろ発車時間です。

桜井線

高田駅を出た列車は桜井線に入り、一路奈良を目指します。
ここで、桜井線についてですが、桜井線は高田~奈良間を結ぶ全長29.4kmの路線で、「万葉まほろば線」の愛称があります。
運行形態としては前述の通り和歌山線と一体化して和歌山~奈良間の運行系統に組み込まれている他、朝夕は王子方面に直通する列車も設定されています。他に奈良~桜井間の区間列車もあって、奈良~桜井間では概ね30分ヘッド、桜井~高田間は概ね1時間ヘッドというローカル線です。
大和高田市・橿原市・桜井市・天理市といった都市と県庁所在地の奈良市を結ぶ役割のほか、関西本線・奈良線・近鉄天理線・近鉄大阪線・近鉄橿原線・近鉄大阪線・和歌山線といった路線相互を接続する役割もあります。

今回も乗車中はあまり特筆すべきこともありませんでしたが、沿線のネタとして難読駅名が点在していることが挙げられます。
近鉄橿原線の八木西口駅に近い畝傍駅ですが、こちらは読み方が「うねび」であり、奈良の1駅隣の京終駅は「きょうばて」と読みます。かつて都が置かれていた土地らしい名前ですよね。

そして、この桜井線といえばやはり天理臨の存在は欠かすことができません。沿線にある天理市は天理教の本部がある土地であり、その祭礼行事がある時は訪れる信者の便宜を図って臨時列車が設定され、これを通称「天理臨」と呼びます。
かつては全国各地から天理行きの団体臨時列車が設定され、普段は桜井線や周辺地域では見かけることのない車両が乗り入れたりもするため、鉄道ファンにも広く知られた存在でしたが、近年この天理臨は縮小傾向にあるようです。
また、この他に関西本線の定期列車(大和路快速など)を奈良駅から延長する扱いで桜井線に乗り入れて天理行きとして運行する場合もあるようです。その他、奈良という土地ならでは(洒落じゃないですよ?w)の臨時列車として、沿線の古墳や遺跡で貴重な遺物が発見されたとか、新発見となる遺跡が出たなんてことがあると、それを見学に来る人向けの臨時列車が出たりもするようです。


路線の解説だけで乗車レポートらしいことがあまり書けませんでしたが、終点の奈良に到着です。これにて桜井線完乗!
よく見ると、この105系、これだけ顔が違いますね・・・

このまま折り返してもいいのですが、折返し列車が桜井行きであり、高田へ戻るには結局後続列車を待たねばならないので一旦見送ることにしました。


↑というわけで発車シーンです。

あとは駅レポート・・・かと思いきや奈良駅ってつい数ヶ月前に訪れたばかりでそのときにレポートもしているのでここはそのまま折り返しです。
それなら先程の列車で桜井に行って桜井駅の撮影をしてからでも良かったのでは?とも思いましたが、奈良駅ではある目的がありました。
それはお昼ごはんですw
時刻はもうすぐ13時、いい感じにお腹も空いていたし、逆にここでしっかり食べておかないと東京へ戻るまでじっくり時間を取って食事をする機会はなさそうなので、県庁所在地の駅で飲食店に不自由しなさそうな奈良駅で食事としました。
西鉄8000系さんが一緒だったら食事を抜いてでも桜井駅に行くと言って聞かなかったでしょうが、一人旅ということで「駅より飯!」とさせて頂きましたw


料理の写真だと思った?残念!105系でした!
まあ、奈良で食べたのは普通のうどんであり、特に名物ということでもないですしねw
この105系に乗って高田駅へ引き返します。

高田から大阪へ

桜井線で高田へ戻ったら、乗り換えて王寺まで行けば和歌山線も完乗ですが高田駅ではしばらく乗り換え待ちがあったのでその間に少し撮影です。


同じ105系ですがやっぱり撮影w


反対側からも
今は和歌山線・桜井線ではこればっかりなので逆にありがたみがない感じもしますが、もうすぐ希少な光景となりますからねぇ。


↑ここで乗車する221系がやってきました。


かつては新快速として活躍したものの、今は第一線からは外れつつもこういった郊外線区で頑張っていますね。


と思ったら方向幕が随分綺麗になっていました。


↑和歌山線・桜井線の105系が連続発車です。

それでは、221系に乗り込み、JR難波を目指します。
快速とは名ばかりで王寺までの和歌山線内は各駅に停まっていきます。時間帯のせいか乗客は少なくゆったり過ごせました。


王子駅の側線に117系がいるのを発見!
ああ、こうして目撃してしまうとやっぱり乗りたい・・・!

その王寺を過ぎて関西本線に入ってからは本領発揮で6駅も連続で通過して次は久宝寺です。その次も3駅連続通過で天王寺となります。
天王寺を出ると大阪環状線に入り新今宮に停まり、最後に今宮を通過したら終点のJR難波です。

実はここでは数分後の列車で折り返すというエクストリーム折返しを実行したためJR難波駅では1枚たりとも写真を撮る余裕はなくそのまま天王寺まで戻ってきました。
それなら、天王寺で降りればよかったじゃないかという話ですが、まあようするに高田→JR難波で全区間乗車したかったわけですw
JR難波には数年前に訪れていますし、どうしても駅が見たいという気持ちもなかったですしね。


折返しは大和路線カラーの201系です。
流石に103系は姿を消したものの、首都圏で引退して久しい201系が未だ現役なのは流石大阪といったところですw


221系との並び


↑発車シーンです。


大阪環状線の323系も撮影です。

東京への帰路

これにて活動という意味では終了となり、あとは東京への帰路となります。
ただし、出来るだけ出費を抑えつつ今日中に東京へ帰るという目標を達成するべく、名古屋までは18きっぷで頑張ってそこから東海道新幹線というチートを使うことにしました。


そして、この大和路線から東京への帰路が始まります。


種別はもちろん大和路快速。

大和路快速とはいっても、大阪環状線に乗り入れて大阪駅・京橋駅を経て大阪環状線一周する以外は停車駅は快速と同じであり、天王寺を出ると久宝寺、王寺と停車して、そこから先は各駅停車となります。
そうはいっても、王寺から先は法隆寺、大和小泉、郡山、奈良とこれしか駅がなく、加茂までも平城山、木津、加茂と駅自体が少ないため各駅停車でも乗っていてのストレスはそんなにありません。


それにしても、東北本線・東北新幹線・磐越西線・磐越東線が集まる東北のターミナル駅と名前がかぶっている郡山駅ですが、高田駅といい、このあたりの駅名は重複が多いですね。
当駅については、関西鉄道が国有化されて国鉄線となった際、東北本線の郡山駅と区別するために「大和郡山」と改名しようとしたものの、「うちの郡山のほうが福島より歴史がある」とかいう理由で住民が反発し、結局改名できずに重複状態のままとなった経緯があるようです。
こちらも高田駅の例と同じく乗車券では「(関)郡山」と表示することで福島の郡山と区別しています。

なお、所在地の市名は大和郡山市となっており、ちゃんと福島県郡山市と重複回避が図られています。

そして、県庁所在地の奈良に到着ですが、ここでは降りずそのまま乗り通します。奈良から木津までの区間は奈良線の列車も直通してくるため利用可能な本数が多くなっていますが、最後の1区間となる木津~加茂間は大和路線の列車しか利用できず、日中は大和路快速のみの運転となっていて1時間あたり2本程度の運転です。


加茂に到着です。
ちなみに、信越本線にも加茂駅があるため、これまた重複駅名ですw


221系とはここでお別れです。
当駅は関西本線として見れば単なる途中駅ですが、当駅を境に天王寺方面は電化、亀山方面は非電化となっており、また「大和路線」の愛称も当駅までとなっており、当駅以東の関西本線は営業上も「関西線」として案内されます。


裏側は駅名標のデザインも違いました。
大和路線じゃなくて関西線だよって強調したいんですかねw


↑次に乗る列車が入線してきました。


JR西日本の非電化路線なら西は山口、北は富山あたりまで幅を利かせるキハ120系でした。
って、まさかの1両www
以前に乗った時は2両だったので、そこは”本線”の意地として2両は絶対なのかなと思っていたのですが・・・
困ったのが混雑であり、大和路快速からの乗り継ぎ客が多く座れないという事態となってしまいました・・・
亀山まで乗り通しそうな18キッパーっぽい人達が結構な割合を占めていたのでこれは亀山まで立ちっぱなしフラグが立ちましたw

座れない上、車内が微妙に騒がしく録音的にも残念という状況ですが、大和路線から関西線へとバトンタッチして、近畿地方から中部地方への境界を越えていきます。
加茂~亀山間は関西本線の中でも最も閑散としている区間であり、1両か2両のワンマン気動車が行き来するだけのローカル線と化しており、名古屋と大阪を結ぶルートの一部だとはにわかに信じられないほどの閑散っぷりです。
関西鉄道として開業した当初は国有鉄道に対抗して名古屋~大阪間直通の快速列車をいち早く設定したり運賃でも値下げ競争をしたりという歴史もあり、国有化後は現在の近鉄となる大阪電気軌道や参宮急行電鉄への対抗、及び輸送量が逼迫していた東海道本線の補完としての役割で優等列車が走り、更には東京直通の夜行列車のルートだった時期さえあったのですが、東海道新幹線の開業で名古屋~大阪間の連絡ルートとしての使命は喪失し、電化・高速化など輸送改善が図られた加茂以西、亀山以東に挟まれるように非電化のローカル線のまま取り残されたのがこの区間ということになります。
そのため、距離的には名古屋~大阪を結ぶ最短ルートであり、東海道本線経由だと190.4kmなのに対し、182.1km(いずれも営業キロから算出)と8kmほど短いのですが、所要時間では東海道本線の方が早く、18きっぷ旅行だとしても関西本線で名古屋~大阪を移動するメリットはありませんw

なお、奈良市については、近鉄の名古屋~大阪間のルートを構成する大阪線が奈良市を南に迂回するようなルートとなっていることもあって、名古屋~奈良間の輸送では関西本線にも優位性があるともいえ、実際JR転換後も急行「かすが」が名古屋~奈良間で運行されていたのですが、それも2006年に廃止されてしまいついに優等列車の走らない完全なローカル線に成り果てたのでした。

このあたりは川沿いに走る山岳区間もあって車窓的には関西本線で一番楽しめる区間ではないかと思いますが、座れない&混んでいるでろくに撮影をしていませんでしたw
途中の柘植では草津線と接続し、こちらは非電化なのにあっちは電化と、本線と支線の立場が逆転してしまっている状態になっていますが、歴史的経緯から言うと、当初は亀山から柘植を経て草津へ至るルートとして建設されたため、駅の配線も草津線へ入るほうが直線で、関西本線がカーブしているというあたりにその名残を見出だせます。

また、養老鉄道と並んで近鉄線を転換した私鉄となっている伊賀鉄道も沿線の伊賀上野駅から接続しています。
それにしても、思ったのが草津線といい伊賀鉄道といい、接続する支線の方が電化で本線が非電化というのはいかがなものかw


そんなこんなで終点亀山に到着!
駅名標もオレンジに変わり、JR東海区間に入ったことを知らせてくれています。
1日目の宿泊地がここ亀山でしたから戻ってきたぞ!って感じがします。


隣には313系がいました。やっぱり車両が変わると地域が変わった子を実感するというのは鉄道旅行の醍醐味ですよね。

このあとは名古屋まで鈍行で頑張ってそこから東海道新幹線というチートを使うわけですが、どうせ313系が来るだろうと思って待っていたら・・・


まさかの211系でした。
JR東海の211系は東海道本線の静岡地区か中央西線でしか走っていないと思っていたんでこれは嬉しい誤算でした。
これに揺られて名古屋を目指し、名古屋からは「のぞみ」に飛び乗って帰路に就きます。

実はまだ最終の新幹線までは時間があったので名古屋めしで夕飯を食べようかと思ったりもしたものの、味噌カツは初日で既に食べてしまったしもういいかなという気分になり、そのまま「のぞみ」で1時間半ほどで東京へワープしました。
新幹線はもはや単なる移動という感じで写真すら撮らないほどだったので記事はここまでとします

それほどのボリュームにならないという冒頭での見立て通り1万字の大台を突破することなく終われそうですw
これにて3泊4日の紀伊半島シリーズは終了ですが、実はこの記事執筆の時点で5件も書くべき記事が溜まっているため、すぐに次の記事に取り掛かります。
また別方面で遠征となりますので、しばらくお待ち下さい。

それでは!

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つばめ501号(管理人) について

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