3泊4日で実施した紀伊半島方面の遠征の2日目です。なお、1日目をご覧になっていない方はそちらから先にご覧になることをおすすめします。
本日の行程
2日目となる今日は昨晩宿泊した亀山からスタートして、紀勢本線をひたすら普通列車で進んでいき、紀伊田辺を目指すというのがメインとなりますが、道中の松阪駅で途中下車して名松線にも立ち寄ります。
昨日ほどではないですが、シンプルな行程なので記事のボリュームは中くらいといった感じでしょうか。
まずは紀勢本線で松阪へ
ホテルを後にした私は亀山駅に向かいここから2日目の行動が始まります。
昨晩は暗い写真しか撮れなかったので駅舎くらいは撮っておきましょう。
なお、写真の明るさからお察しかもしれませんが、今回は名松線の列車との接続の関係上、始発列車で行っても松阪で待ちぼうけになるだけということもあり、7時49分発と普段の旅からすれば余裕のある出発となりました。
それにしても、駅前広場のど真ん中に鳥居というのはインパクトありますね。
そして、入場するとキハ120系がいました。
今回は南下するのでこれには乗りませんけどねw
乗るのはこの313系・・・じゃなくてキハ25系です。
当駅から名古屋方面は電化区間であり313系も来るので余計に紛らわしいですねw
列車は伊勢市行きです。亀山からの紀勢本線は運行系統としては大半が参宮線に直通して伊勢市、ないし鳥羽まで直通するようになっており、逆に新宮方面に直通するのはごく僅かとなっています。
それでは発車です。キハ40系のような国鉄型気動車とはまた違う軽快なサウンドで伊勢路を駆け抜けていきます。
キハ25系って意外と乗る機会がなくて久々だったのもあって楽しめました。
途中の阿漕駅では列車行き違いのため停車時間があったのでホームで少し撮影です。
ちなみに「阿漕」は「あこぎ」と読みます。
地味に難読駅名の1つですかね。
↑発車シーンを撮ったら車内に戻ります。
あとは松阪まで一気に移動です。
松阪駅
列車は伊勢市行きですが、名松線に乗るためにここで途中下車です。
まずは駅名標です。
たまに「まつざか」と読む方がいるようですが、正しくは「まつさか」であり、濁りません。
ホームは3面4線で島式2面+単式1面という変則的な構成です。
3面5線の間違いではないのか?とお思いの方はよく見て下さい。
1番線と3番線の間(写真ではキハ25系が停まっている線路)の2番線は1番線と線路を共有しているため、3面4線であっています。
一方、反対側は近鉄松阪駅となっており、JRと近鉄が構内を共有しています。
近鉄は2面3線であり、運行本数、利用者数共に圧倒的に近鉄のほうが多いにもかかわらずホームの数はJRの方が多くなっています。
面白いと思ったのが牛乳専用の自販機があったことです。
銭湯ならばともかく、駅のホームにあるのは珍しいですよね。
水道の蛇口までありました。
SLが現役だった時代の名残とかでしょうか。
乗り場案内ですが、6・7・8番線が「近鉄線方面」とざっくりしたものなのが印象的でした。
近鉄でも名古屋へ行ける(しかもそっちの方が早い)ことをなるべく伏せておきたいんでしょうかw
JR線の案内は色までつけて目立つようにされていました。
マイナー路線と言えるであろう名松線の案内までちゃんとされているのは関心です。
跨線橋に上がるとこんな案内が・・・
先程も書いたとおり、JRと近鉄で構内を共有しているのですが、JR側の駅舎、近鉄側の駅舎それぞれが北口・南口として、JR・近鉄どちらの利用者も利用可能になっているのが特徴です。
外へ出る前に構内を共有しているということで、近鉄のホームにお邪魔しました。
そうそう、近鉄では反転フラップ式発車標(通称:パタパタ)が現役です。
↑動作シーンをどうぞ
↑もう1つ別のパタパタ
↑回送電車が通過していったので撮影しました。
自動改札が3台ならぶそこそこ都会感のある改札ですが、見事に近鉄カラーが圧倒的で、本当に18きっぷで通してもらえるのか心配でしたが、普通に通してもらえました。
と思ったら、端っこの方に肩身が狭そうにひっそりとありましたw
駅舎にも「近鉄」の文字はあれど「JR」の文字はありませんね。
さて、このあとは18きっぷで構内を通り抜けて反対側へ出ようかなと思ったんですが、自由通路的な地下通路があるようなのでそこを通って行ってみます。
案内に従うとこんな路地に出ました。間違いなんじゃないかと心配になりますが・・・
照明完備で薄暗くはないですが、あまり人通りはありませんでした。
駅名部分ですが、ここは鉄道会社の名前は書いていませんでした。
松阪といえば松阪牛!・・・ということで牛のパネルがありました。
ちなみに、松阪牛は「まつさかぎゅう」じゃなくて「まつさかうし」と読みます。
高級和牛の代名詞と言ってもいい松阪牛ですが、1度くらいは本場で味わってみたいですね。
説明があったので貼ります
「驛鈴」というらしいですが、鉄道とは無関係のようです。
東口の改札にやってきました。こっちの方が賑わっている印象でしたが、ほとんどがJRを通り抜けて近鉄に乗るんでしょうね・・・
一応JR側の駅舎になるんですが、近鉄はこのように幅広いスペースを取って堂々たるものでしたw
入場しました。ここが1番線ですが、前述の通り2番線と同じ線路になっていて、普段は1番線のみ使っているようです。
まだ名松線まで時間があるということでぶらついていると「南紀」がやってきました。
↑入線シーンです。
あとは、名松線に乗ります。
名松線
ここから乗車する名松線ですが、例によって解説から入りたいと思います。
名松線は松阪駅と伊勢奥津駅を結ぶ全長43.5kmのローカル線で、利用の少ないいわゆる赤字ローカル線であり、国鉄時代には赤字83線に含まれ、特定地方交通線として第2次廃止対象路線にも挙げられましたが、いずれも「代替道路の未整備」を理由に廃止を免れ続け、JR東海へと引き継がれました。JR線となってからも赤字は相変わらずであり、2009年に台風被害で家城駅~伊勢奥津駅間が不通となった際にはJR東海は廃止の上バス転換の方針を示すなど廃線の危機に瀕しましたが、沿線自治体の支援もあって無事2016年から復旧されて存続となりました。他にも同じく「代替道路の未整備」を理由に廃止を免れた赤字ローカル線がいくつかありましたが、岩泉線、三江線など既に廃止されたものも多く、そうした中で台風被害を乗り越えて復旧された名松線はローカル線界の不死鳥とも言えるかもしれませんね。
そして、名松線という路線名についてですが、”松”が「松阪」の”松”なのは言わずもがなとして、”名”は・・・というと、実は「名張」の”名”なんです。
東海地方で”名”といえば、「名古屋」かな?と思いますが、松阪と名古屋は既にJR線・伊勢鉄道線、並びに近鉄線で結ばれていますし、この両都市を結んでいれば、流石に赤字ローカル線に転落するほど閑散とするわけはないですよねw
ですが、冒頭の説明を思い出して下さい。そう、名松線の終点は名張駅ではなくて伊勢奥津駅というところであり、名張駅までは通じていません。これは、元々の計画が名張まで伸ばす予定だったのが未成に終わって現在に至った経緯によります。
その歴史は古く、1929年には最初の区間が開業しており、1935年までに現在の営業区間である伊勢奥津駅までが開業してこのまま順調に名張まで到達するかと思われたらそうは問屋が卸しませんでした。原因は1930年に参宮急行電鉄(現在の近鉄の前身の1つ)の手によって、名張と松阪が鉄道で結ばれてしまったのです。これによって名松線を全通させる意義はなくなり、伊勢奥津駅までで工事もストップして、以後の延伸は実現しませんでした。なお、未成に終わった伊勢奥津駅~名張駅間は路線バスで連絡されており、列車とバスを乗り継ぐことで幻の名松線ルートを公共交通機関で辿ることができるようです。なお、本数は1日1往復しかなく、それも土日運休という有様なので、実用的な移動ルートとしての優位性は皆無ですけどねw
運行形態としては、家城止まりが1本だけある以外は基本的に全区間通しの列車となっており、1日8往復が運転されています。また、紀勢本線や参宮線などとの直通運転はなく線内完結の運行形態です。
種別は各駅停車オンリーで、区間運転もほとんどないというバリエーションに乏しい運行形態ですが、鉄的な見どころとしては、JR線では風前の灯火となっている「票券閉塞」並びに「スタフ閉塞」が今でも見られる数少ない路線ということが挙げられますね。
交換可能駅が途中の家城駅のみであり、本数も8往復と非常に少ないことがこの昭和の化石とも言っていい閉塞方式を現存させたということでしょうかね。
あ、「票券閉塞」とか「スタフ閉塞」って何だ?って方のために簡単に説明しておくと、まず「閉塞」というのはざっくり言えば1つの区間に1つの列車しか入れないようにして列車同士の衝突を防ぎますよという仕組みのことであり、「票券閉塞」や「スタフ閉塞」はその「閉塞」を実現する方式の名前です。現在では電子回路などを使って列車の位置を検知して、信号機をそれに連動して作動させる「自動閉塞」が主流ですが、かつては「通票」あるいは「票券」という物理的な媒体を使って、それを持っている列車のみが特定の区間に入れるとすることで閉塞を実現していました。
かなりざっくりした説明だったので、既に閉塞のことをよくご存知の方からしたら突っ込みどころの多い解説だったかもしれませんが、ちゃんと解説しようと思うとそれだけで専用のページが出来上がってしまいそうなのでこれくらいで勘弁してくださいw
解説だけで結構長くなりましたがいよいよ本題の旅行記へと入っていきます。
そして、ホームには既にキハ11系が入線していました。
JR東海発足直後にデビューしたので、ギリギリ”国鉄型”ではありませんが、既にJR東海では古参の部類に入る気動車であり、キハ25系などに置き換えられて廃車が進みつつある何気にレア車です。
調べてみるとJR東海では定期運用があるのはこの名松線のみとなっており、譲渡先を入れても国内では東海交通事業城北線とひたちなか海浜鉄道湊線と、わずか3路線でしか見られないレア車になっていたようです。
私が以前に高山本線や太多線に乗ったときにはキハ11系ばっかりだった記憶があったのですが、いつのまにかそんなにも活躍の幅が狭まってしまっていたのですね・・・
ちなみに、ミャンマーに譲渡された車両もあり、海外で第二の人生を送るものもいるようです。
↑そして、発車シーン
え?乗車するのにどうして発車シーンが撮れるんだって?
実は先程の写真をよく見て頂ければ分かりますが2両くっついていてうちの1両だけが先に回送として走り去ったのでした。
朝は高校生対策とかで2両で運行されるが、日中は1両になるのでその分割作業を当駅でやっているということでしょうか?
それではいよいよ乗車します。乗り込んで気になったのがこれですが、これが何かすぐにわかった方は鉄分が濃い方ですね。
勿体ぶらずに答えを言うと、「キャリア」というもので、前述の通り名松線には「票券閉塞式」と「スタフ閉塞式」による閉塞方式が導入されており、これで使用する「通票」を収めるケースというわけです。
発車してしばらく走ると紀勢本線と別れて内陸寄りに進路を取ります。
伊勢大井駅辺りまでは1~2kmの間隔を取りながら近鉄大阪線と並走しており、名張を目指している感のあるルート設定であり、特に一志駅は近鉄の川合高岡駅と徒歩乗り継ぎが可能なほど隣接しているくらいですが、そこから先は「おいおい、名張はそっちじゃないぞ?」とツッコみたくなるくらい南寄りに逸れていきますw
その先は川と並行するようになります。川や海など水辺の車窓があるとローカル線感が強くなる気がしますね。
家城駅で小休止
途中にある家城駅は名松線で唯一交換可能な途中駅となっていて、ここで列車交換のための停車時間があるようなので短時間ですが途中下車してみることにしました。
ホームは2面2線相対式という交換駅として最低限の設備で構成されていますw
そうこうしているうちに対向列車がやってきて並びが撮れました。
普通ならば対向列車がやってきたらすぐに自分の列車も発車となるためこんな呑気に撮影している場合ではないのですが、名松線は対向列車が来てもまだ停車時間があるのでじっくり撮影できました。
対向列車が遅延してもいいようにというマージンなのか、非自動閉塞ゆえに余裕を持って設定されているのか、いずれにせよ名松線がいかにのんびりした路線かということが分かりますw
↑というわけで発車シーンまで撮る余裕っぷりw
名所案内もありましたが、スペースが余っているのが気になります。
まあ、ローカル線らしくローカルな名所を取り上げていました。
無人駅という感じがする家城駅ですが、意外にも駅員配置駅となっているためここは列記とした改札口です。
窓口もあって切符も買える駅ですが、非自動閉塞ゆえに運転業務を駅員が行う必要があり、その間はこのように窓口が閉鎖されてしまいます。
つまりは列車が来る前後には切符が買えないことになりますが、列車の発車時間ギリギリに駅にやってきて窓口が開いていない場合は無人駅のように整理券を取って乗車して到着駅、ないし乗り換えた列車の車内で精算する扱いになるようです。
当駅周辺はちょっとした集落を形成しており、高校や郵便局などもある、名松線単独の駅としては中心とみなしてもいいような駅ですが、私が訪問したときには利用者は数えるくらいでしたね・・・w
なお、コミュニティバスではない純粋な路線バスとして三重交通によって近鉄の久居駅まで運行があるので、地元住民は久居駅に出る人も多いのかもしれません。
家城駅自体は松阪市ではなく津市に属していますしね。
地元の高校にとっては名松線は貴重な交通手段ということなのか、高校の札がついた木が植えられていました。
そして、駅舎です。
木造駅舎ではないものの古さを感じさせますね。
小さい駅ながらちゃんと乗り場番号が振られているというネタを貼ったら旅を再開して終点の伊勢奥津を目指します。
山へ分け入り名松線制覇
家城駅から終点の伊勢奥津駅までの区間は名松線の後半戦と言ってもいいような区間ですが、ここから車窓風景も変わってきます。
いよいよ本格的に川沿いを走るようになります。
車窓としては美しいですが、同時に土砂災害や水害の被害を受けやすい立地ということでもあり、実際、過去に何度かあった長期不通はほとんどが家城駅より伊勢奥津駅寄りの区間で発生しています。
伊勢奥津駅
名松線の終点の伊勢奥津駅です。
これで名松線完乗となるのと同時にJR東海全線制覇となりました!
駅名標です。ちなみに、伊勢奥津は「いせおきつ」と読みます。
普通は奥津は「おくつ」だと思っちゃいますよね。
かつての名張延伸計画の名残か、少し先までレールが延びていました。
ホームは1面1線のみで終着駅にしては寂しいくらいですが、運行実態に見合った合理的なものなんでしょう。
入り口がスロープなのはバリアフリーに対応していますね。
ところで、駅舎とホームの間に微妙なスペースがあるんですが、元々は1面2線だったんですかね。
延伸を考慮していたなら交換駅として使えるように設計されていても不思議はないですし、蒸気機関車の時代は終着駅であれば機回し線を備えていても不思議はないですしね。
なんと無料で電動アシスト自転車を貸し出しているようです。
駅周辺探索にはありがたいですが、今日は駅周辺だけで・・・
待合室です。比較的温暖な土地ということもあってか扉もなく簡素な作り。
赤字ローカル線あるあるの路線の維持を求める掲示
せっかく復旧されたばかりですから、当分存廃問題は出ないものと思いますが、また災害で不通になったときとか心配ですね・・・
駅前は古民家が立ち並びタイムスリップしたかのような感覚になります。
凝ったオブジェや像などはありませんが、素朴な案内看板が出迎えてくれました。
駅前にはバス停があります。
先程も述べたように、かつて名松線が結ぼうとしていた幻のルートをなぞるように名張駅までの路線を三重交通が運行していますが、本数は1日1往復のみであり、当駅始発の名張行きは名松線の始発列車が当駅に到着する前に発車してしまうため乗り継ぎはできず、逆方向の名張から伊勢奥津へのバスは、当駅で名松線の最終列車に接続するため、名張~松阪間をバスと名松線を乗り継いで幻のルートを体験できるようになっています。
この他、名張市との境近くにある飯垣内というところまでの区間便もあり、こちらは列車とも接続しているので、鉄道のフィーダー輸送としても活躍しているようです。
こちらが駅舎です。
そんなに古くはなさそうですが、木を全面に打ち出したログハウス風の駅舎になっていました。
駅舎には駅名が書かれたのれんが掲げられていますが、これは地元の婦人会の発案で、家の軒先にのれんを掲げる活動があっていて、駅舎もそれに乗っかった形のようです。
隣には名松線の運転再開を祝うヘッドマーク(?)も飾られていました。
こうしてみると、名松線は地元に愛されていて、そのことが奇跡とも言っていい復活劇に繋がったのかもしれませんね。
と、そこへ三重交通の可愛らしいバスがやってきました。
これはコミュニティバスのようですが、運行を三重交通に委託しているんでしょうね。
↑そのバスの折返し方法が駐車場に突っ込んでスイッチターンというものだったので動画を撮りました。
そうそう、駅構内のハズレにすっかり草生していましたが給水塔が残っていました。
終端部の先から駅構内を見てみました。
現在の施設は簡素なものですが、昔はもっと広い構内を有していたのかなと思わせますね。
案内標識に注目するとちゃんと名張まで通じていることが示されていますね。
あと、「通行不能」という道路マニアホイホイな文字がw
「興津」の文字にふりがなを振っているのが気になりました。
やっぱりちゃんと呼んでもらえないことを地元も気にしているんでしょうか?w
といったところでそろそろちょうどいい時間になったので列車に戻り引き返すこととします。
↑そして、対向列車を動画でも撮影
このあとは松阪からひたすら紀勢本線を進んでいき、ゴールの紀伊田辺を目指していきます。
あとはひたすら移動
名松線への寄り道が終われば、あとは和歌山県の半ばに位置する紀伊田辺までひたすら乗り継いでいきます。
以前の旅で「南紀」と「くろしお」を乗り継いで紀伊半島をぐるりと回ったことがありましたが、特急を使った前回ですらかなり長く感じました。今回はそれをすべて普通列車でやろうというのですからもっと長いですw
やっぱり、紀伊半島は半島とはつくもののスケールが桁違いですね。
紀勢本線ではキハ25系が待っていました。
1両ではなく2両というあたりは”本線”の威厳といったところでしょうかw
そして、列車は多気駅に到着です。列車はこのまま紀勢本線を進まずに参宮線に入ってしまうため、新宮方面を目指す私はここで乗り換えです。
さてさて、時刻はそろそろお昼過ぎということで、ホテルの部屋で食べた朝食以来食事をとっていなかった私は昼食とすることにしました。しかしこのあとは新宮までひたすら乗っているだけであり、新宮でも2分乗り換えで紀伊田辺行きとなるため、落ち着いて昼食を食べられるタイミングがありません。
では、どうしたかというと・・・?
旅のお供といえばやっぱり駅弁!
実は、紀伊田辺までの道中で食事をするタイミングがないことは分かっていたので、松阪駅で駅弁を買っていたのでした。
写真は松阪名物の「牛肉弁当」です。
蓋を開けるとこんな感じ
牛肉が2切れだけなのはちょっと物足りなさも感じましたが、味は抜群で、値段も1350円と駅弁としては一般的と言える価格帯に収まっているのでコスパ重視なら十分でしょう。
ちなみに、もっと値段を出せば牛肉がたくさん入ったお弁当もありますので、お金に糸目はつけないからガッツリ食べたいという方はそちらを選ぶもいいでしょう。
普段は駅弁をあまり掘り下げて紹介することはない当ブログですが、珍しく紹介しますと、昭和34年の紀勢本線全通を記念して発売開始された駅弁で、地元の名物「松阪牛」を使ったお弁当として150円(当時)で発売されたんだとか。今では1350円は駅弁としては特別高いという価格帯ではなくなっていますが、逆にコンビニ弁当やおにぎりなどが出回るようになって、駅弁が腹を満たすためのものから、旅気分を演出するツールに変化した結果、駅弁というカテゴリ自体がインフレを起こしているために、相対的に割安感が出たとも言えそうですね。
ところで、発売開始時は「松阪牛」のお弁当として売り出していたのですが、現在は「黒毛和牛」の弁当としか書いておらず「松阪牛」の文言は消えていますが、コストを抑えるために安い肉に変えたとかいうわけではなく、「松阪牛」の名称を使える条件が厳しくなって、従来から使っていたお肉が「松阪牛」と呼ぶことができなくなった結果、「黒毛和牛」の弁当と称さざるを得なくなっただけで、使っている肉は発売開始時から一貫して変わっていないそうです。
駅弁で結構な字数を割きましたが、乗車レポートはというと、1度は乗っている区間だということと、車窓を楽しみにくいロングシートということもあってあまり書くことがなかったのが正直なところ・・・
強いて書くことがあるとすれば、車内の18キッパー率の高さですかね。
今乗っている列車は多気駅を13時22分に出る新宮行き(331C)ですが、この直前の普通列車は9時43分発であり、実に3時間半も開いていることもあって18きっぷで新宮方面を目指す旅行者が集中しているのでしょうね。
一方で日中の時間帯で地元利用者は少なく、18キッパーが目立っていたようでした。
とはいえ全員が余裕で座れるくらいだったので、全然問題ないですけどね。
尾鷲駅で小休止
尾鷲駅では20分停車があるようなのでその間を活用して駅の取材がてら撮影に出ることにしました。
まずは駅名標
「おわし」ではなく「おわせ」と読むのは地味に難読ですが、い段で終わる語尾がえ段に変化するのは熊本県の松橋(まつばせ)など、他にも例がありますね。
ちなみに、開業当初は「おわし」と呼んでいたようです。
ホームは相対式2面2線であり、特急もすべて停車する駅にしては寂しい感じもしますが、通常ダイヤでは当駅折返しもないようなので十分なんでしょうね。
尾鷲も海に近いようで、津波避難経路を示す標識がついていました。
↑もちろん動画も撮影
まだ時間があるのでそのまま駅取材続行です。
改札口ですが、有人改札のみでした。
その脇にあったは名所案内ですが・・・
ん?こ、これは・・・!?
ジャパリパークへ迷い込みそうになったものの無事改札を出ました。
昔ながらのラッチが並んでいますね。
駅前にいたのはやっぱり三重交通
駅を起点にフィーダー路線がいくつかあります。
↑動画もどうぞ
それでは乗り場に戻ろうとすると懐かしさを感じさせる国鉄チックな看板がありました。
あとはひたすら紀伊田辺目指して乗車です。
紀勢本線を往く
20分の停車時間を終えてキハ25系は再び新宮を目指して加速し始めました。
相変わらず18キッパーだらけの車内ですが、徐々に日も傾き始め単調な乗車時間が続きました。途中ウトウトしながらもいつの間にやら新宮駅に到着していて和歌山県へと入っていました。
ここからはJR西日本管内となるのと同時に電化区間となりますから、気動車ではなく電車となり105系電車にバトンタッチです。乗り換え時間が少ないので撮影はできませんでしたがw
この時点で17時を過ぎており、既に暗くなっていたためなおさらすることがなく単調な乗車時間が続きます。
新宮を出てすぐは高校生が多くて混み合っていましたが、それもせいぜい紀伊勝浦あたりまでで、あとはローカル線らしいのんびりとした雰囲気で進みます。
途中の周参見では15分ほど停車時間があったのですが、暗くてろくに撮れないだろうということで車内で大人しくしてそのまま紀伊田辺まで向かいました。
と、隣には一瞬105系と見間違えそうな見た目の113系がいました。
2000番台と言うそうですが、これを113系と認めてはいけない気がするw
日中は御坊~紀伊田辺間は運行系統が分離されてワンマン列車主体になるのでそのための車両のようです。
そして、117系までいました!
この列車は和歌山行きであり、このままこれに乗り継ぐことも出来ましたが、実は翌朝に乗りたい列車があったので、この117系和歌山行きは翌日にとっておくことにしたのでした。
暗いのでこれくらいにして外へ出ます。
改札口は自動改札機ではありませんが、ICOCA用の簡易改札機はある辺り、関西地方に入った気分になります。
駅前を見守るのはかの有名な「弁慶」の像です。
実は弁慶の出生地がここ田辺市だとする説があるそうです。
駅前にいたのは明光バスでした。白浜町に本社を構え、和歌山県中部を中心にバス事業を展開していて、高速道路網の延伸に伴い大阪・京都や首都圏への高速バスも手がけているようです。
最後に道路ネタを1つ
駅前には和歌山県道208号秋津川田辺線という県道が通っていますが、こんな普通の路地みたいな道路が県道というのは色々な意味で美味しいですねw
ちなみに、この県道は田辺市内で完結する全長18.3kmのミニ県道のようです。
まあ、今日は鉄道旅行ですしこれくらいで、あとは夕飯を食べてホテルへ向かって2日目はゴールです。
3日目は追ってレポートしますのでしばらくお待ち下さい。
あ、中くらいのボリュームとか言って結局1万字超えていましたw
~追記~
3日目も公開しました。