3泊4日で実施した紀伊半島方面への遠征の3日目です。
なお、1日目・2日目をご覧になっていない方はそちらからご覧頂くことをおすすめします。
本日の行程
紀伊田辺からスタートする3日目は大阪・天王寺と紀伊田辺の間を行ったり来たりしつつ沿線にある東羽衣支線、関西空港線、紀勢本線(和歌山~和歌山市)、和歌山電鉄、紀州鉄道などに立ち寄ります。
今日は和歌山県北部と大阪府南部の支線部の乗りつぶしということになりますね。
行程としては紀伊田辺発天王寺行きの快速列車で一気に大阪市内まで進み、引き返す形で鳳へ戻り東羽衣支線を1往復、南下して日根野から関西空港線を1往復ですが、当時は台風被害によってりんくうタウン駅での折り返し運転だったのでりんくうタウン駅までとなります。
それも終わったら大阪府とはお分かれして和歌山まで下り、和歌山市まで1往復、和歌山電鉄も1往復して、御坊へ行ったらそこから紀州鉄道を1往復して、紀伊田辺まで戻ってきたらあとは昨晩目撃だけした117系充当の和歌山行きで一気に和歌山まで戻りゴールです。
紀伊田辺~天王寺間を1往復する上、紀伊田辺~和歌山間に至っては1.5往復するため、宿泊地間の距離が短い割にはたっぷりの行程となっており、今回の3泊4日の中で一番ボリュームがある日程だと思います。
快速天王寺行き
まずは朝焼けの紀伊田辺駅から旅が始まります。
昨晩は気づきませんでしたが、こんなにカラフルな駅舎だったんですね。
何やら石碑もありました。
植芝盛平という人の石碑だそうですが、合気道の創始者なんだそうです。
そして、この方はここ田辺で生まれたということで石碑があるようです。
発車標にもしっかり乗車予定の天王寺行き快速の文字を確かめたところで乗り場へ向かいます。
待っていたのは225系でした。都会の電車の代表格のような車種なので旅情という意味ではげんなりするところもありますが、大阪へ向かう感は出ますねw
なお、普段はこの区間の普通列車は113系2000番台(昨晩見たのっぺら坊のやつ)が主力なので225系が来るのはまあまあレアです。
と思ってもあまり有り難みがないのは何故だろうw
225系自体は初めてではないので前にも見たことがありますが、こんなのがあるとちょっとそこまで乗る感じがしてしまいますw
実際は天王寺まで約3時間の旅になるんですけどねw
予想通りというか、車内はガラガラで紀伊田辺駅を発車していきました。紀伊田辺駅から和歌山・大阪方面への始発列車ですが、流石に朝が早すぎてまだ人の動きがあまりないようです。
そんな都会的な電車に揺られていますが、見える景色はローカル線そのもの。
こういうギャップもいいですが、やっぱり115系とか117系とか、そのあたりで体験したい区間でもありますね。
もっと早く来れば実現したかもしれませんが・・・
そういえば、列車そのものの解説をしていませんでしたね。
この列車は土休日のみ天王寺行きとなり、平日は和歌山行きとして運転されているのですが、今回は乗車日でもある休日ダイヤについて解説すると、快速とは言うものの紀伊田辺を出て御坊までは各駅に停車していきます。
本領発揮するのは御坊からで、御坊を出ると紀伊由良、湯浅、藤並、箕島、加茂郷、海南、黒江、紀三井寺、和歌山と停車していきます。一番連続して通過する区間でも箕島~加茂郷間の2駅ですから、そこまでぶっ飛ばす快速というわけではないですが、逆に連続して停車するのも海南~紀三井寺間の3駅が上限なので特急も別にあることを考えれば快速なりに頑張っている走りと言えるでしょうか。
また、平日ダイヤにおいては朝の紀州路快速の一部が紀勢本線に乗り入れて御坊始発になる便があるのですが、それも紀勢本線内は各駅停車となるため、御坊~和歌山間での快速運転は早朝の2便でしか体験できないことになります。これがもし和歌山まで各駅停車という設定だったらわざわざ紀伊田辺に泊まってまで乗ろうとは思わなかったかもしれませんが、紀勢本線内でも快速運転をするというところに惹かれての乗車となりました。
ちなみに、逆方向の御坊・紀伊田辺方面は快速運転がないので片道だけの快速ということになりますね。
乗車レポートに戻ると御坊を出たあたりから停車駅ごとに乗客が増えてきて徐々に混雑を見せてきました。
和歌山を目指す流動も混じってはいるでしょうが、このままだと阪和線区間は激混みの予感・・・
あれれ?いつの間にか117系を撮っていたぞ?w
という茶番はともかく、なんで撮っているかというと、和歌山駅で11分も停車するというからです。
朝の117系の運用は乗車こそ断念しましたが、撮影はしたいと思っていたらちょうどいい塩梅でいてくれました。
↑発車シーンです。
さて、11分も停車するからには理由があるわけですが、それは増結作業です。
ガチャン!
と連結が済んだら8両にパワーアップして阪和線区間に挑みます。
↑連結シーンも動画でどうぞ
11分停車している間に当駅始発の紀州路快速が先発してしまったため、大阪方面へ急ぐ人は大半がそっちへ乗り換えたことと、8両となったことで乗車率も下がり再びガラガラで阪和線に入りました。
他の線区でもたまに見られますが、遠くから直通してきた列車を長時間停車させている間に始発の近郊列車を発車させてしまうダイヤって直通客にとってはせっかくの直通の意義が薄まりますし、連結作業自体はしょうがないとしてもなんとか工夫できないんですかね。それか、紀勢本線内からの乗客と阪和線内の乗客を分離する意味であえてやっているのかもしれませんが・・・
阪和線に入ると六十谷・紀伊・和泉砂川・日根野・熊取・東岸和田・和泉府中・鳳・三国ヶ丘・堺市と停車していき天王寺まで快調に飛ばしていきますが、これは紀州路快速・関空快速や阪和線内完結の快速列車と同じであり、ここから先は紀伊田辺から直通で走ってきたことを除いては普通の快速列車です。まあせっかくなので終点まで乗り通しますけどねw
本当は鳳で降りてしまえば、そのまま東羽衣支線に乗り換えることが出来て効率的ですが、この快速を全区間乗車したいという乗り鉄的欲求と阪和線は特急でしか乗ったことがなかったので、普通列車・快速列車でも全区間体験したいというのがあって天王寺まで行くことにします。
大阪府内に入り堺市あたりからは完全に都市の電車の雰囲気となり、乗っている人の大半はまさか紀伊田辺から来た電車だなんて知らずに乗っていることでしょうが、短距離利用者ばかりの車内で「俺は紀伊田辺からずっと乗ってるんだぜ」とちょっとばかり優越感を感じていましたw
あと、最後の1区間である堺市~天王寺間は間に7駅も通過しますが、所要時間はたった8分と、いかに駅間が短いかが分かりますね。
そして、ついに天王寺に到着です。既に3時間近い乗車時間を過ごしたというのにまだ8時半だという事実に驚愕ですw
天王寺駅は言わずとしれた大阪市南部のターミナル駅ですが、阪和線は大阪環状線に直通する列車以外はこのような専用の乗り場から発着します。
じっくり駅取材したいところですが、ここはすぐに折り返しです。
駅そばでもあれば急いで食べようかなとも思いましたが、見える範囲にはなくて断念(探すのが下手だっただけでしょうか?w
お次は・・・というかまたもや225系に乗って阪和線を引き返します。
次に目指す東羽衣支線の起点である鳳駅へは快速も停まるので快速で行ったほうが早いですが、各駅停車でもこの区間を体験してみたいのであえての各駅停車です。
東羽衣支線
各駅停車でのんびりとやってきた鳳駅からは東羽衣支線に乗車です。
東羽衣支線は鳳駅と東羽衣駅を結ぶ阪和線の支線であり、全長1.7kmのミニ支線となっていて、南海電鉄の羽衣駅が隣接しているため、阪和線と南海本線を接続する役割もありますが、歴史的経緯から言うと、阪和線を建設した私鉄の「阪和電気鉄道」が東羽衣駅(当時は阪和浜寺駅)付近にあった海水浴場への輸送を目的に建設したもので、この時点で南海電鉄(当時は南海鉄道)とは別会社だったので激しい乗客の奪い合いとなり、南海電鉄はわざと羽衣駅付近で電車をノロノロ運転させて、阪和浜寺駅から海水浴場へ通じる道にある踏切を開かずの踏切にしてしまうという嫌がらせをしたという逸話さえ残っているほどです。
後に阪和電気鉄道も南海電鉄と合併されることとなり、その後現在の阪和線となる南海山手線が国有化されると、この支線も同時に国有化されて現在に至ります。
国鉄がJR西日本となった今でも、関空アクセスや大阪~和歌山の輸送では相変わらず南海とはライバル関係ですが、この支線に限ってはそれも過去のお話としてまったりした雰囲気が流れていますね。
というわけでやってきました鳳駅
快速だと天王寺から3つ目で15分ほどで到達できますが、今回はあえての各駅停車だったので13駅目となり時間も倍近い30分ほどかかりましたw
ところで、この「鳳」という駅名ですが、「おおとり」と読みますがこれまた難読駅名ですよね。
普通の難読駅名では、当てずっぽうでも適当な読み方が想像できるんですが、ここの場合「鳳」という漢字そのものを知らない場合なんて読んでいいのか皆目見当もつかないと思いますw
私も子供の頃、時刻表の路線図でこの駅名を見つけた時、「ん?かぜ駅かな?」なんて思っていましたw
意味としては「大きな鳥」あるいは「伝説上の鳥」といった意味合いで、比較的馴染みがあるであろう用法としては「鳳凰(ほうおう)」という単語に含まれていますね。(それでも一般的とまでは言いかねますがw
駅名ネタでずいぶん引っ張りましたが、まずは東羽衣支線目指して移動です。
堺市西区の玄関口となる駅ということで改札もこの規模ですが、まずは東羽衣支線乗りつぶしを果たすことにして、駅取材は復路に回します。
駅名標ですが、東羽衣支線専用の乗り場なので東羽衣しか隣の駅が載っていません。
元々は1面2線だったようですが、線路は片方撤去されて1面1線となっているようです。
そして、東羽衣支線の列車は既に待っていました。
意外と距離があったので乗り換え時間ギリギリの時は気をつけたほうが良さそうです。
それにしても、待っていたのは225系ですが、もう少し早く来ていれば103系がいたようです。
奈良線の方は引退前に乗れましたがこっちは間に合わず・・・関西地区の鉄道ってどうも情報のアンテナを十分に張れていないというか、どうもトレンドに追いつけていない私ですw
車内ですが、予想通りガラガラw
調べてみると定期運賃ではJRルートのほうが安いこともあって通学ルートとして東羽衣支線から阪和線に入るルートを選ぶ人も多いようですが、日中は日常の買い出しや通院といった需要がメインになり、たかだか数十円差で乗り換えの手間を増やそうという好事家も少ないということなんでしょうかね。
あと、乗り鉄風の人たちが見受けられたのも予想通りw
乗ってしまえば数分で終わってしまいましたが、これで胸を張って阪和線完乗を宣言できます。
ホームですが、電車がいて分かりづらいものの向こう側にもホームがあって2面1線の終端型の構造です。
ミニ支線の終点にしてはホームがやたら広い気がしますが、やはりラッシュ時とかは混み合うんですかね。
高架が唐突に終わっている感じの終端部
延伸計画の名残を疑いたくなる構造ですが、高架化されたのは1974年であり、この頃に延伸計画があった話は知りませんし、何か別の理由があるのかもしれません。
列車が去ったところでもう1枚
やっぱり線路がホームに挟まれているのはなんかいいですね。
と思ったら・・・大丈夫か!?これ・・・
調べてみると向こう側のホームは現在使われておらず、以前は乗車専用・降車専用で使い分けていたものの現在では乗車も降車も同じホームで行うようになっているようです。
正直なところ、この壊れた柵を直すのが面倒くさくてそのまま閉鎖しちゃったんじゃないかという疑惑が・・・(JR西ならやりそうw
衝撃の光景もありましたが、駅自体は小さなものだったのでとりあえず下へ降ります。
こんなコンパクトでも高架駅ですから、地上へ出ないと外へ出られませんw
乗り場案内ですが、鳳以外にも天王寺やら関西空港やら和歌山が書いてあるんですね。
ラッシュ時に対応した台数なのか、自動改札機もこの通り!
ところで、18きっぷの私はどこを通れば・・・?
答えはここです。
え?「18きっぷは自動改札機を通れないでしょ?」って?
改札機の脇にあるこの機械が答えです。
「改札口コールシステム」なるこの機械はどこかのコールセンター的なところと繋がっていて、更に切符を確認するためのカメラも付いていて、カメラの前に18きっぷをおいてボタンを押すと係員が応対してくれて、改札機を通過できるように操作してくれるようです。
このタイプは初めてだったのでびっくりしましたが、これなら18きっぷなどごく少数の自動改札に対応していない切符のためだけに係員を配置する無駄は省けるわけですね。
南海の羽衣駅は本当にすぐ目の前にありました。
どうやら高架化工事の真っ只中のようで片方だけ高架で片方だけ地上を走る状態でした。
↑動画もどうぞ
と言ったところで東羽衣駅は以上とします。
南海って実は1度も乗ったことがなくて、こうして目にしてしまうと乗りたい衝動に駆られますが、今日はJRメインですからまたの機会として再び東羽衣支線で鳳へ引き返します。
鳳駅から更に南下
往路では東羽衣支線の乗り場しか取り上げませんでしたが、今度は駅全体を簡単にご紹介しつつ旅を進めます。
今回はあまり時間がなく詳しいご紹介は出来ないかもしれませんが、とりあえず駅前には出ました。
いわゆる橋上駅舎であり、入り口はこんな階段になっています。
駅前広場はありロータリーもあるのですが、ちょっと雑然とした印象を受けました。
あと、気になったのが階段の上に提灯があったことですが、岸和田も近いですしだんじり祭とかでしょうか?
コンコースに戻って気になったのがこれです。
KIXというのは関西国際空港の空港コードですが、こうして一般向けの案内にも使われているんですね。
私の中ではKIXは航空業界や空港の関係者、あるいは航空マニアといった人達の間だけで通じるものだと思っていましたw
こちらは日本語を含めて英語、韓国語、中国語の4ヶ国語で表記されていましたが、英語だけ「KIX」を使っているんですね。
後はホームのご紹介・・・と行きたいところですが、混み合っていたのと時間がなかったのもあって撮っていなかったようです。
↑代わりにと言ってはなんですが、289系「くろしお」の通過シーンをどうぞ
まあ289系と言っても、ようするに北陸新幹線開業で余った683系の交流用機器を撤去して直流専用車に改造しただけなんですけどねw
というわけで、続いては関西空港線に足を伸ばしてりんくうタウン駅へ向かいますが、流石に各停オンリーはだるくなってきてしまい関空快速で一気に移動してしまいましたw
次はりんくうタウン駅のレポートとなりますが、道中1つだけ気になったことがあるので書くと、関空快速の車内でちゃんと「りんくうタウン止まり」であることばかりか、関西空港へ向かう人はバスへ乗り換えになる旨まで自動放送でカバーされていたのです。今回の台風被害による不通を受けて急ごしらえで作られたとは思えませんし、元々強風などで関西空港連絡橋が通行できない場合に備えて用意されていたとかでしょうか。
りんくうタウン駅
関西空港線を1駅だけ寄り道でりんくうタウン駅にやってきました。
漢字を一切含まない駅名というのもレアですよね~
ちなみに、「りんくう」は漢字で書くと「臨空」であり、臨海や臨港と同じニュアンスで空港のそばという意味合いですね。
乗り場案内ですが、わざわざJRと書いてあるのにはわけがあります。
そして、1番乗り場はというと・・・
南海電鉄の乗り場となっているんですね。
実を言うと、南海空港線とJR関西空港線はりんくうタウン駅~関西空港駅間では線路を共有しており、駅施設も共通となっています。
そのため、2面4線のうち、外側の1・4番乗り場が南海、内側の2・3番乗り場がJRという風に使い分けられているのです。
普段は関西空港連絡橋を渡ってこのまま関西空港駅まで運行される関空快速ですが、この日は9月4日に発生した台風被害で当駅折返しとなっていますから回送扱いとなりますが、行先表示を撮る猶予がありました。
ちゃんと「りんくうタウン」と表示されているのは関心ですね。
なお、この旅を終えて1週間ほど経った9月18日より関西空港駅まで運転再開となったのでこの幕はレアということになりますね。
↑関空快速引き上げシーン
どうやって折り返すのかなと思ったら一旦関西空港方の本線まで進み、本線上で渡り線を使って反対の線路へ移るようです。
この時、関空快速はりんくうタウン駅まで運行していましたが、「はるか」は日根野で折返しとされていたので、せめてりんくうタウンまで運転してあげれば代行バスに乗る時間も短くて済むのになと思っていたのですが、この方式だと1度に折り返せる本数に限りがあるでしょうし、関空快速を受け入れるので手一杯だったのでしょうかね。
遠目に関空への道路が見えましたが、少ないながら車が通っているようです。
この時、一般車は全面通行止めで、関係者やバスに限って通行が認められていましたが、その関係車両だったんですかね。
あと、南海の電車も入ってきたので撮ったのですが、こっちは「関西空港行き」なんですね。
単純にりんくうタウン行きのデータが入っていないか、関空へ行きたい人も結局りんくうタウン行きに乗るしか無いわけだから、バス代行とはいえ関西空港行きとして、正確さより分かりやすさを重視した結果なのかもしれません。
そういえば、部分開業時代の九州新幹線は新八代行きでも「博多行き」と表示&案内していましたし、逆に「リレーつばめ」の新八代行きも「鹿児島中央行き」でしたし、それを踏まえればおかしいことではないのかもしれません。
といったところでりんくうタウン駅は以上!
あれ?駅前出ないの?と思われた方もいるかも知れませんが、折返し風景などを撮っていたら時間がなくなってしまいましたw
続いては日根野駅に引き返して阪和線の旅を再開します。
ここでも乗ったのは関空快速ですが、想像以上に空いていて拍子抜け・・・
関西空港が被害を受けたと聞いて旅行を取りやめたり他の空港に振り替えたりという利用者が多かった結果なのかもしれません。
報道によれば、関西一円の観光地から外国人観光客の姿が消えたとさえ言われていましたし、関空の影響力は決して小さいものではなかったようです。
日根野駅から再び阪和線を南下
ここまでちょいちょいと寄り道をしてきましたが、日根野を出たらあとは和歌山まで素直に南下します。
↑223系の発車を撮ったり
関西空港行きの案内を撮ったりしたくらいで日根野駅は終わりです。
ちなみに、この案内ですが、関空快速と紀州路快速が当駅まで併結されて運行されているために、日本語に不自由な外国人観光客が誤って紀州路快速に乗ってしまって和歌山へ連れて行かれるトラブルが多発しているようで、その対策としてホーム上にもこういう案内が出ているんでしょうね。
私が先程乗ったときも紀州路快速は関空に行かない旨をかなり強調して案内していましたしね。
ここからは関空快速の片割れの紀州路快速で和歌山を目指します。
が・・・終点の和歌山までちゃんと快速運転をしてくれるのは朝夕のごく僅かな便のみであり、ほとんどは日根野以南(実質熊取以南)各駅停車となってしまうので、日根野から乗る私からしたら快速とは名ばかりの「紀州路各停」となってしまうのですw
和歌山へはなるべく「くろしお」を使ってほしいという本音もあるのかな?w
結局鳳~日根野間だけ快速であとは各駅停車ということで和歌山まで向かいました。
和歌山駅からは和歌山市駅へ
なんとも紛らわしい見出しだという誹りを受けても仕方ない見出しだと自覚はありますが事実なのだから仕方ありませんw
和歌山からは紀勢本線のうち、事実上支線のようになっている和歌山~和歌山市間に乗車して、紀勢本線を名実ともに完乗してしまいます。
まず最初にこの区間についての解説ですが、和歌山~和歌山市間は間に紀和駅の1駅のみで、この区間に限って言えば全長1.8kmしかないのですが、扱い上は列記とした紀勢本線の一部なのでこの区間を支線と表現するのは正確ではありません。歴史的経緯をご説明しつつ、このような半端な終点になった理由を説明していきます。
この区間のルーツと言えるのが現在の和歌山線であり、和歌山線の前身の私鉄「紀和鉄道」が五条駅と紀和駅(当時は和歌山駅と名乗っていました)とを結ぶルートの一部として開業しました。後に大阪方面から延伸された南海線と接続すべく和歌山市駅まで延伸されます。
しかし、現在の紀勢本線に設けられた東和歌山駅(現在の和歌山駅)が大阪方面からの阪和電気鉄道との接続点となったこともあり、徐々にターミナルの役割は紀和駅から東和歌山駅へ移っていくことになります。こうした背景の中、1968年には和歌山駅が紀和駅に、東和歌山駅が和歌山駅へとそれぞれ改名されて、和歌山線も和歌山駅へ向かう短絡線が完成すると徐々に和歌山駅方面がメインルートとなり、1972年には和歌山線の列車はすべて和歌山駅へ向かうようになり、同時に紀和駅を通って和歌山市駅へ向かうルートは紀勢本線へと編入されました。この2年後の1974年には和歌山線側から紀和駅・和歌山市駅へ向かうルートは廃止されて、紀勢本線からしか行くことができなくなり、現在の形になりました。
つまりは、元々和歌山線の一部だったけれども、ターミナルが紀和から和歌山へ移った関係で和歌山線のルートも和歌山駅へ向かうルートに変更されて余った端っこの部分を紀勢本線に編入したよ(ざっくり説明)というのが大まかな流れとなります。
こういった経緯から、和歌山駅での乗り場は和歌山線と同じですし、和歌山から紀和駅手前の分岐点までは和歌山線と線路を共有しています。
また、もう1つ余談ですが、国鉄時代は和歌山市から1kmほどの区間は南海電鉄の保有とされていて「南海国社連絡線」なる名称がついており、国鉄の列車に乗っているのに南海の線路を走っているという面白いことになっていたようですが、国鉄分割民営化に合わせて体制を見直し、この「国社連絡線」はまるごとJR西日本に貸す扱いとして、現在は書類上もJR線ということになっています。
というわけで、そろそろ本編のレポートに戻ります。
今朝連結作業を撮って以来の和歌山駅ですが、すぐに乗り換えてしまうので細かい撮影は後回し・・・
和歌山線と同じホームから発着しますが、どちらも105系なのであまり違和感はないですねw
見た目は全く同じですが、今回乗るのはこっち
和歌山線は明日の行程にとっておきます。
方向幕なのにサボっぽい運行区間のみを書いているのは面白いですw
しかし、東羽衣支線みたいに途中駅が一切ないならばともかく、紀和駅という途中駅があるのにこんな扱いでいいのでしょうか?w
何はともあれ乗り込みます。JRと南海を接続する路線の1つであり、和歌山駅から和歌山市中心部へのアクセスを担う路線でもあるようで、利用者は結構多い印象。
東羽衣支線同様にあっという間に終点和歌山市でしたが、これにて亀山から来て384.2kmの紀勢本線を完乗することとなりました。今回の旅では昨日の朝から2日かけての完乗となりましたね。
紀勢本線って「南紀」と「くろしお」があるので、特急というチートが使える分、距離の割に乗りつぶしが楽な路線かと思えば、亀山~津間は特急の運行ルートから外れていますし、この和歌山~和歌山市間を考えると特急に乗るにしても一旦和歌山で降りないといけないなど、楽は許さんぞ?と言わんばかりですねw
そんなわけでやってきた和歌山市駅。
南海のターミナルということで駅自体は大きいのですが、紀勢本線に割り当てられたのはわずか1線のみw
豊橋駅における名鉄みたいな立ち位置ですね。
そして、驚くべきは駅名標まで南海仕様だということ。
駅自体は南海の管轄なので仕方ないといえば仕方ないですが、ここまでJRが肩身が狭い駅って他にあるでしょうか?w
少しでもJRカラーを・・・ということなのか、縦型だけはJR西日本っぽいデザインでした。
線路も寸断されており、紀勢本線としては終着駅です。
南海線としても大半の列車が終点としているので終着駅と言ってもよさそうですが、実は和歌山港線としてもう少しだけ線路が伸びているため、南海電鉄としては終着駅ではありません。
改札も独立しており、写真のように係員が立っている時は18きっぷも受け付けてもらえます。
係員がいない場合は東羽衣駅同様に「改札口コールシステム」のようです。
せっかくなので駅前へは出ようと思いますが工事中のようでゴチャゴチャしていました。
駅の入口もこんな感じ
これじゃあ駅舎もへったくれもないし、いつか再訪ですねw
駅前です。思っていたほど栄えてはいないという印象でしたが、やはりJR和歌山駅がメインなのかな?
と思ったら最後にまさかのハプニングが・・・
なんと南海本線で人身事故が発生して運転を見合わせるとのことで、JR線への振替輸送を実施するとのアナウンスが流れ始めたではありませんか!?
JRと南海の乗り場への通路が分岐するあたりですが、慌ててJRの切符を買い求める人たちが写り込んでいますね。
人身事故は南海本線での話であり、JR線へは当然影響はなく、私の旅へ直接的な影響はないのですが、予想通り和歌山市駅で南海電車を待っていた人たちが一斉にJR線に殺到して混雑するしで、録音的には残念な結果に・・・
まあ、こんな地味な区間もこういう時は重要なエスケープルートとして有用ですよと証明されたということでw
そんなハプニングもありつつ、和歌山駅へ戻ったら小休止を挟んで和歌山電鉄です。
和歌山駅にて小休止
ここまでちょこちょこと乗っては降りてを繰り返す行程だったので慌ただしさはありましたが、そろそろお昼どきということで和歌山駅周辺でお昼ごはんを兼ねて時間を取ってあったため、その間に和歌山駅の取材もこなしてしまいます。
いきなり改札かよ、と思われたかもしれませんが、実はこれ、和歌山市~和歌山間の紀勢本線、及び和歌山線の乗り場に設けられた中間改札でして、同じJR同士ながら中間改札があります。
和歌山線は無人駅が多いため、精算業務を集約する意味で中間改札を設けているんですかね。
なお、列車到着直後は係員がいますが、別の業務などでいない場合や、私みたいに撮影で時間がかかるうちに係員がどこかへ行ってしまった場合は「改札口コールシステム」のお世話になります。
最近増えている気がする駅ビル直結の改札口ですが、ここは自動改札のみなので18きっぷでは利用できません。
和歌山駅はとても大きな駅で、5面8線を持つターミナル駅だけに全体を収めるのは困難ですが、1番線からのホームの様子です。
↑移動の合間に撮った紀州路快速の発車シーン
コンコースですが、広い上に活気にあふれています。流石は県庁所在地ですね。
何故かクルマが置かれていましたw
値札まで付いていますが、展示車ということなんでしょうか。
駅前には近鉄百貨店も入居する和歌山ターミナルビルという商業施設があります。
それにしても、近畿地方一円に路線を伸ばす近鉄も和歌山へは乗り入れていませんが、百貨店だけは進出しているんですね。
駅舎とも絡めて・・・
よく見ると、表と裏でオブジェの色が違うんですね。
何の石碑かと思ったら「和歌山県内全線電化」を記念するものでした。
言われてみれば、和歌山県内のJR線は全部電化されていますよね。あまり気にしたことはないですが、意外な事実でした。
※新宮駅から熊野市方面の紀勢本線は非電化であり、僅かな区間ですが非電化区間があることになりますが、県境区間なのでノーカンということでw
自由通路を兼ねた地下道があったので反対口の東口へも行ってみます。
えっと、地下道の出口・・・じゃなくて和歌山駅東口の駅舎ですw
これは青森駅にも匹敵する東西格差w
東口の改札です。
が、ここからは入りません。だって、お昼ごはんがまだですもんw
予定では名物の和歌山ラーメンを・・・と思っていたのですが、ちょうどお昼どきの訪問となったことが災いしてかなりの混雑だったため次の列車の時間までに食べるのは無理だと判断してロッテリアへ行きました。
どこでも食べられるものはなぁ・・・とも思いましたが南高梅バーガーなるご当地バーガーがあるというので、それを注文して、一応はご当地グルメを頂きましたw
腹ごしらえを済ませたら続いては和歌山電鉄に乗ります。
和歌山電鉄貴志川線
まずは和歌山電鉄について説明を始めていきます。和歌山電鉄は貴志川線を運営する鉄道会社で、2006年に南海電鉄より貴志川線の運営を引き継いで発足した鉄道業界の中ではまだ若い会社です。このような設立経緯からするとさも第三セクター鉄道であるかのようにも思われがちですが、実際には国や地方公共団体は資本参加していないため純然たる民間会社です。
また、類似のケースで近鉄から養老線の運営を引き継いで発足した養老鉄道がありますが、それと決定的に違うのは元々の運営会社だった南海が和歌山電鉄の設立にはノータッチということですね。
流れとしては、まず2003年に南海が貴志川線の廃止を検討するようになると沿線の市民団体が存続に向けて活動を始め、自治体も存続の方向で動くこととなり、沿線自治体が線路や駅などの地上設備を買い取り運行は民間から公募した別会社に任せる手法を取ることとなります。その結果、岡山で路面電車を走らせている岡山電気軌道が貴志川線を運営することとなり、そのための子会社として設立されたのが和歌山電鉄ということになります。そのため、和歌山電鉄は岡山電気軌道の100%子会社となっています。
余談ですが、貴志川線外にも名古屋鉄道岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線や日立電鉄・北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線といったローカル鉄道が廃止されることとなった際にも岡山電気軌道が経営の引受に名乗りを上げていますが、沿線自治体などとの条件が折り合わずにいずれも廃線となってしまい、実際に岡山電気軌道が引き受けて存続した例は貴志川線が唯一となっています。
あと、社名にも変わった特徴があり、記事中では便宜上「和歌山電鉄」と呼称していますが、正式には「和歌山電鐵」と”鐵”の字が旧字体となっています。この話をすると「ああ、知っているよ。鉄って字を分解すると”金を失う”って読めるから縁起が悪いんでしょ?」という声が聞こえそうですが、確かにその理由であえて旧字体の鐵を社名につける鉄道会社があるのは事実なものの、和歌山電鉄については違っていて、「鉄(鉄道)の基本に立ち返る」という意味を込めているんだそうです。
そんな和歌山電鉄ですが、沿線にお住まいだとか鉄道ファンというわけではないけれどどこかで聞いたことがあるという人も多いのではないでしょうか?
それもそのはずで、猫駅長の「たま」がいたのがこの和歌山電鉄なんです。その「たま」は2015年に死んでしまいましたが、今でも「たま電車」という電車が走るなど和歌山電鉄のマスコットキャラクター的な存在となっています。そんなわけで、沿線に著名観光地があるというわけではないにもかかわらず一般の観光客をも呼び寄せる人気の鉄道となっており、テレビなどで取り上げられる機会も多くなっています。
続いて貴志川線としての解説ですが、元々は和歌山市と野上町を結ぶことを目指して計画されたものの野上町へは野上軽便鉄道が結ぶこととなりこちらは認可を得られなかったため、沿線にある日前宮、竈山神社、伊太祁曽神社などへの参詣路線へと目的を変更して山東軽便鉄道として開業しました。和歌山鉄道と名を変えて、電化に伴い和歌山電気軌道と再度名前を変えるなどし、南海電鉄に買収されますが、和歌山軌道線が廃止になると南海電鉄としては他路線との接続がない飛び地的な路線となり、更には沿線でのモータリゼーションの進展やローカル線のお得意様の高校生も自転車通学へのシフトが進んだこともあって利用者離れが加速し、南海電鉄が廃止を検討しますが、上述の通り和歌山電鉄として再スタートを切りました。現在の運行形態はというと、和歌山~貴志間の単純な盲腸線で支線などもなく、一部で和歌山~伊太祈曽間の区間列車がある以外は和歌山~貴志間の全区間通しの運転が基本で、快速などの種別もなくすべて各駅停車です。
また、JR紀勢本線を介して南海線へ直通する構想も持っているようですが、実現には至っておらず、現在他路線への直通は行われていません。
それではレポートの続きへ戻ります。和歌山電鉄はJRと構内を共有しており改札も共通なのでレポートは乗り場へ向かうところからスタートとなります。
乗り場案内ですが、ラインカラーやナンバリングの代わりにたま駅長のイラストになっていました。
やっぱり「たま」は和歌山電鉄の顔と言ってもいい存在なんですね。
階段の下に発車標があるのは親切ですね。
液晶モニターを流用しているようですが、電光掲示板を使うより安上がりだったりするんでしょうか。
階段を上がった先に中間改札があり、和歌山電鉄の窓口もあります。
ここで1日乗車券を買います。今回は1往復乗車するだけで途中下車は一切しないのですが、貴志駅までの往復運賃が800円なのに対して1日乗車券は780円と1往復するだけで元が取れる設定になっているためありがたく使わせて頂きますw
ホームの端がそのまま昔ながらのラッチになっているのはローカル駅っぽいですが、これでも和歌山県下最大の都市にして県庁所在地の和歌山駅なんですよね。
こんな表示がある辺り、ラッシュ時は高校生で混むんでしょうね。
まあ、そうじゃないと鉄道会社は困るんですけどねw
ホームで待っていたのは例の「たま電車」でした。
狙って行程に組み込んだわけではないですが、やっぱり和歌山電鉄に乗るからには「たま電車」に乗りたかったのでラッキーです。
まだ発車時間まで少しあるので駅名標とか撮りつつ待ちます。
そういえば、この駅名標は和歌山市駅と同じデザインですが、南海時代のまま使っているんですかね。
横断幕っぽいのもありました。
せっかく和歌山電鉄として再出発できたのですし、末永く走り続けてもらいたいものです。
それでは「たま電車」の車内に入ります。
車両自体は2270系という南海時代から活躍しているものであり、さらに遡れば22000系を改造したものという古参の電車なんですが、それを感じさせない内装ですよね。
この雰囲気に既視感を覚える人もいるかも知れませんが、デザインしたのがあの「水戸岡鋭治氏」だといえば合点がいくことでしょうw
車内には「たま文庫」と称して本棚が設置されていて動物に関する本が読めるようになっているようです。
さて、車内を撮ったりしているうちに発車時刻となりましたが、思ったのが外国人多すぎw
今や日本国内のみならず、海外からも観光客を集めている証拠ですが、中にはずっとスマホのゲームに夢中だったり、同行者とのおしゃべりに夢中だったり・・・はるばる異国まで来て結局やることがそれなら何のために来たのかとも思いますが、それでもこんなローカル線にお金を落としてくれているのも事実だし・・・う~ん
車窓についても特段印象に残るものはなく、車両が変わっている以外は普通のローカル線という感じだったので、実は道中で書くことはあまりないのですが、これは「たま駅長」がいなかったら観光客はおろか、鉄道ファンにもあまり注目されない地味な路線だったかもしれませんね。
唯一ネタと言うか、取り上げるならば、途中に「交通センター前駅」というのがあり、何も知らない私はバスターミナルでもあるのかなと思っていたのですが、調べてみると「交通センター」とは「和歌山県警察本部交通センター」のことであり、ようするに免許センターのことだったようです。
熊本のバスターミナルが「熊本交通センター」という名前であることもあり、「交通センター」といえばバスターミナルという先入観があった私ですが、言われてみれば免許センターだって交通センターを名乗ってもおかしくはないですよね。
路線と会社の紹介がメインで乗車レポートとしてはあまり膨らみませんでしたが、続いては終点貴志駅のレポートとなります。
貴志駅
貴志川線の終点の貴志駅ですが、ここではすぐに折り返す列車には乗らずに1本待つことで取材時間を確保することとしました。
観光客らはぞろぞろと降りていき駅舎へ向かうようなので先にホーム上の撮影を済ませてしまうことにします。
↑発車シーンです。
列車も去ったところでホーム上を撮影です。
保線用の側線がありますが、ホームがあるのは1面1線のみです。
ホーム上に鳥居があるんですが、「いちご神社」「おもちゃ神社」「たま神社」として小さな祠が建立されています。
なお、「たま神社」は元々「ねこ神社」でしたが、たま駅長の死去に伴いたま駅長を祀る「たま神社」となりました。
こちらがその「たま神社」です。
猫が駅長になったと思ったらついには神様にまでなってしまいましたが、八百万の神といいますし、こういう信仰の形もありなんでしょう。
現在は無人駅なので改札はなく、ホームから駅舎を通らずに外へ出られる階段もあります。
観光客らは駅舎を撮るのに夢中みたいでしばらくその喧騒が収まりそうにもなかったのでしばらくホームをぶらついたりして時間を潰します。
我々のような「駅そのものが被写体」という撮影者は撮ったらすぐ撤収という一撃離脱戦法が取れますが、「駅を背景に同行者を撮る」という一般的な観光客的撮影スタイルだと表情やらポーズやらで時間がかかりますし、ある一人が撮っている間は他の人は待たなければならないなど効率が悪くなかなか人がはけないようでした。
ようやく観光客らが駅周辺の商店に入るなどして解散となったところで取材再開です。
こちらが駅舎です。
よくみると猫耳が付いていて駅舎全体が猫のデザインとなっているのが特徴です。
ちなみに、この駅舎も水戸岡マジックですw
駅前にバス停がありますが、「紀の川市地域巡回バス」というコミュニティバスのみとなっています。
あとは、駅前で気になったのはやはり観光客関係であり、撮影に夢中になるあまり道路上に広がって屯してしまい自動車の往来を妨げてしまったり、駐車場がないにもかかわらず車でやってくる人がいたりというマナー違反が気になったことですが、その対応のためなのかガードマンがいてその都度注意をしていました。
ねこの駅長に会いに行くのは結構ですが、マナーは守りましょうね。
なお、車で貴志駅へ行きたい場合、和歌山駅か伊太祈曽駅の近くの駐車場に駐めてから列車で訪れるようにと案内されていますので、直接乗り付けることは避けましょう。
そういえば、先程乗り合わせた観光客らは結局大半が駅に戻ってくることなく消えてしまったのですが、片道は貴志川線で片道は観光バスとかそういうプランなんですかね。
その隣にはお店がありますが、小山商店というお店でして、たま駅長の飼い主だった方が経営しているお店です。
そもそも「たま」が駅長就任となった経緯としては、小山商店で飼われていて駅前の売店付近で過ごしていたことから利用者から可愛がられていたものの、貴志川線が和歌山電鉄に移管されるに際して駅の敷地は上下分離により公有地となり、猫小屋があった場所も駐輪場やホームへの通路を作るため立ち退きを求められることとなって、困った飼い主が貴志駅に住まわせてもらえないかと和歌山電鉄社長の小嶋光信氏に相談した結果、ローカル線の「招き猫」となってほしいとの願いを込めキャットフード1年分の年俸で「駅長」に就任する運びとなりました。
このことが話題となり、貴志川線の利用者が増え、和歌山県への経済効果も出て、和歌山電鉄からは「スーパー駅長」「和歌山電鐵社長代理」、和歌山県からは「和歌山県勲功爵(わかやま で ナイト)」「和歌山県観光招き大明神」といった称号も与えられ、同居していた猫の「ちび」「ミーコ」も助役に就任しました。
「たまII世駅長」の執務室として使用中です。
元々は伊太祈曽駅の駅長に就任していた「ニタマ」でしたが、「たま」の死去後は跡をついで貴志駅の駅長として勤務しています。
こちらがその「たまII世」
残念ながらお昼寝の最中で顔は見せてくれませんが、猫らしい気まぐれですねw
神社を建立したから・・・なのかは分かりませんがおみくじまでありました。
それではそろそろホームへ戻ります。
そういえば、駅名標を撮っていなかったなと思い撮影
縦型は撮っているのですが、何故か普通のは撮り忘れていたようです・・・
↑次に乗る列車が入線してきました。
この「おもちゃ電車」は南海時代の塗装のままとなっていた「たま電車」以外の電車のリニューアル第2段として登場し、貴志川線沿線出身の社長が経営する海南市の「T.Jホールディングカンパニー」がサポーターとなって登場しました。
「たま電車」同様に水戸岡マジックのこの電車は名前の通りおもちゃをモチーフとしており、車内でカプセルトイ(いわゆるガチャガチャ)を販売したり、模型やフィギュアなどの展示ブースがあったりとユニークな電車となっています。
こちらがそのカプセルトイの自販機です。
子供のみならず、大人の観光客も楽しそうにガチャガチャ回していましたw
鉄道むすめシリーズも
ところで、揺れる車内では普通に置いただけでは倒れてしまうと思うのですが、接着剤か何かで固定しているのですかね?
世代の人には懐かしいであろうブリキのおもちゃもあります。
名前からして子供向けっぽいですが、大人も楽しめる仕掛けになっているんですね。
「たま電車」にもあったベビーサークルは「おもちゃ電車」にももちろんありました。
今回は観光客の多くが団体ツアーだったようで、復路は観光バスでの移動なのか乗ってこず、往路よりは静かな車内でしたが、途中から沿線の学生と思しき人たちがちょこちょこと乗ってきて結局騒がしい車内にw
終点の和歌山では例の中間改札で1日券を提示して「精算済み証」を受け取り、それをJRの改札で提示することで出場するという流れになりますが、現金精算ならばともかく1日券でこれは珍しいですよね。
とまあ、こんな感じで和歌山電鉄は終わりで、続いては再び紀勢本線を南下して紀州鉄道です。
紀州鉄道
和歌山駅からは紀勢本線に乗り換えて御坊駅を目指し、そこから紀州鉄道に乗ります。
特急「くろしお」が入ってきました。これに乗っていけば早いですが、18きっぷなので乗れませんw
↑発車シーンです。
御坊で待っていたのはつるぺた切妻の113系ですが、紀州鉄道に乗るためこれは見送ります。
↑というわけで発車シーンをどうぞ
これが紀州鉄道です。
KR301という車両で、元々は信楽高原鐵道で活躍していたSKR300形がここで第二の人生を送っています。
それでは、ここで紀州鉄道についての解説ですが、紀州鉄道は紀勢本線の御坊駅と西御坊駅を結ぶ全長2.7kmのミニ私鉄であり、紀勢本線の御坊駅が御坊市街から外れた位置となったため、市街地との連絡を目的に「御坊臨港鉄道」として建設されました。
戦時中は沿線にあった軍需工場の人員輸送で利用を伸ばし、戦後は1960年代半ばまでは乗客が増えていましたが、以後は減少傾向が続き人件費の高騰などの要因もあり1973年に磐梯電鉄不動産という東京の会社に買収されて現在に至るわけですが、考えてみれば東京の不動産会社が遠く離れた和歌山のローカル私鉄を買収するというのはメリットがあまりないように感じられます。そして、紀州鉄道線の営業係数(100円稼ぐのにいくらの経費がかかるか)は2010年の時点で367.8とかなりの赤字を垂れ流している状況ながら廃止の話は一切出ていません。
その理由は買収の経緯にも関わるのでまとめて説明すると、そもそも磐梯電鉄不動産という会社は社名から察しが付くかもしれませんが、磐梯急行電鉄という鉄道会社の流れを汲んでいます。磐梯急行電鉄は福島を走るミニ私鉄であり、最初は「日本硫黄耶麻軌道部」として鉱石輸送を主力としていましたが、主力輸送品だった硫黄が原油からの精製や安い海外産の流入などから競争力を失い閉山となり、以後は旅客輸送を主軸とした観光路線として再スタートを切るべく「磐梯急行電鉄」という社名になりますが、「急行」とつくくせに急行列車はなく、「電鉄」のくせに非電化という名前負けもいいところの社名でしたw
一応は磐越西線の電化に合わせて電化する構想もあったようではありますが、誇大妄想とでもいうべき計画であり、これは実現することなく廃線の上、会社も倒産してしまいました。
そして、この磐梯急行電鉄の旧経営陣らが設立したのが磐梯電鉄不動産であり、ではどうして和歌山のローカル私鉄を買収するに至ったかというと、「鉄道会社という肩書きが欲しかった」というのが答えになります。鉄道会社というのは規模の大小を問わずそれだけで信用されるところがあり、昨今でも鉄道会社の名前を騙った詐欺が流行るなどしているくらいですが、磐梯電鉄不動産としては、社名にわざわざ既に倒産している「磐梯急行電鉄」を連想させる「磐梯電鉄」というワードを入れているあたり、鉄道会社という肩書に固執していたフシが伺え、実際遠く離れたローカル私鉄とはいえ、御坊臨港鉄道を買収するとすぐに「紀州鉄道」と社名を改めているくらいですから、それだけ鉄道会社という肩書に対する渇望があったのでしょうね。
こうして、実態は不動産業が主力事業でありながら、あくまでも「鉄道会社の不動産部門」として現在まで至る紀州鉄道ですが、その看板を維持するためどんなに赤字を垂れ流そうが鉄道を維持する理由となっているわけです。
ちなみに、紀州鉄道はホテル事業も手がけており、私も過去に紀州鉄道のホテルに泊まったことがあったのですが、列車より先にホテルで利用することになるとは、おそらく初めてのパターンですw
ところで、運転室にはちょっと気になる表示が・・・
え?西御坊まで行ってくれないの?w
どうやら少し前の台風で踏切の警報装置に不具合が生じたとかで紀伊御坊~西御坊間の運転を見合わせており、全列車が紀伊御坊で折り返し運転をしているのだとか・・・
つまりは、紀伊御坊~西御坊間の僅か0.9kmを残して帰るしかないということですが、普段は存在しない紀伊御坊止まりを体験できるという意味ではレア?
車内ですが、見事にガラガラw
乗客の大半は乗りつぶし目的の鉄道ファンのようですが、終点まで行けないので皆さん乗りつぶしはお預けですねw
それでは発車ですが、まさかのアナウンスが流れないというw
想像ですが、紀伊御坊止まりの放送データが用意されていないとかで流したくても流せないのかもしれません。
全長が短いくせに間に3駅もあることもあって、駅間が短く路線バス並みにこまめに停車するためほとんど飛ばす区間もなく、あっけなく終点の紀伊御坊駅に到着です。
↑一旦引き上げるようですので動画を撮影しました。
ちょっと動いただけでそのまま停車ですが、だったらホームで折返しまで待機していればいいのにw
その先に側線があり、実質的に車両基地の役割を担っているようです。
こんなに小規模な車両基地なんて、バスの営業所のほうがよほど広そうですw
ホームは1面1線ですが、元々は相対式2面2線だったようで、廃ホームとして向こう側にもホームが残っていますが使われてはいません。
駅名標ですが、駅名のフォントサイズがでかいw
あと、ローマ字表記が後付された感がw
紀伊御坊駅は有人駅ですが、運賃は車内収受となっているようで、こちらは改札口というか出口ですかね。
駅舎内は案外広々していました。窓口では切符はもちろん、グッズなども売っています。訪れた鉄道ファンもグッズを求めて窓口に並ぶ姿もありました。
天井を見上げると雨漏りの跡が・・・
実質不動産会社なのに、自社の不動産がこの有様ってどうなの・・・?w
駅舎です。案外小さいなと思ってしまいましたが、身の丈に合ったサイズということなんでしょうw
かつて紀州鉄道で活躍した車両みたいですが、なんと2009年まで現役だったようです。
これが走っていたならば遠方からでも乗りに来る価値があると思いましたが、時既に遅しですかね・・・
ドアへ続く階段もありますが、中に入れるときもあるんでしょうか。
と、ここで1つ思いつきが・・・
実は1駅隣りの学門駅まではわずか300mしか離れておらず、次の列車の前までに到達して十分駅取材を済ませることができると踏んで、徒歩で学門駅を目指すこととしたのです。
学門駅
というわけで予定外ですが途中駅の学門駅を取材です。
その道中にあった商店街の案内図ですが、紀州鉄道の写真が入っていました。
こちらが学門駅です。1面1線のいわゆる棒線駅であり、これでもう全景が収まっていますw
入口も無人駅のためラッチすらありません。
また、ICカード乗車券にも対応していないのでその簡易改札機すらありません。
こちらがホームです。点字ブロックすらない潔さで、昭和の鉄道の風景を残しているとでも言えましょうか。
駅名標です。
学門駅というのは、「和歌山県立日高高等学校・附属中学校」という学校の裏門の近くにあるから学校の裏門で「学門」なんですが、よく学問と間違われるんだとか。
ただし、学問に通じるということで合格祈願の縁起物として学門駅の入場券を売っていたりはしますw
学門駅自体は無人駅であり入場券は必要ありませんし、発売する窓口もないため、隣の紀伊御坊駅で求める必要がありますが、受験生が身近にいるという方は買ってみては?
あまり熱心に拝まれてはいなさそうですが、受験シーズンぐらいは拝む人もいるのかな?
ちなみに、隣の紀伊御坊駅まで300mと書きましたが、ホームからはカーブしている関係で紀伊御坊駅を見ることは出来ません。
ですが、駅を出て駅前の道路からならこんな光景が見られます。
本当に近いですね。
さて、あとはここで列車を待ち構えて御坊駅へ戻ります。時間的にはまた紀伊御坊駅に戻ってから乗車することもできましたが、私の駅の下車記録をつけるルールとして、その駅から列車に乗るか、降りるかの最低どちらかをしていないとどんな詳しく駅を見ていても下車駅としてカウントしないことにしているため、ここから列車に乗る必要があったのです。
趣味の世界の話ですから完全に自己ルールですけどねw
↑学門駅にやってくる列車
それでは御坊駅へ戻ります。
御坊駅
先程はすぐに乗り換えてしまってろくに駅を見ていませんが、今回はすぐに紀伊田辺へ行っても向こうで待ち時間ができてしまうので御坊駅をじっくり見てから紀勢本線に乗ります。
ホームは2面4線ありますが、1線は紀州鉄道が使っているので、JRとしては2面3線となります。
↑動画もどうぞ
この和田勇という方、1964年の東京オリンピック招致の際の功労者なんだそうですが、この横断幕で初めて知りました。
御坊市出身の偉人ということでプッシュしたいようですが、大河ドラマというよりは(既に放送終了していますが)プロジェクトXの方が似合いそうですね。
有人駅であり色々置かれていて駅舎内は賑やかです。
特急も停まる駅ということで利用者が普通にいますしね。
発車標です。JRとしては単純な中間駅ですが、特急が停まるだけでターミナル感が出ますね。
驚いたのが紀州鉄道の利用方法です。御坊駅から紀州鉄道に乗りたい人はその旨を改札で申し出てそのまま入場し車内で支払うというものでした。
あと、すごいのがパソコンが置かれていたこと。
一昔前、今ほどスマホやタブレットが普及していなかった頃は旅先でのネット検索の便宜を図って自由に使えるパソコンが置かれていることがありましたが、これは検索用ではなくてJ-WESTカード申し込み用でしたw
家にネット環境がない人でも駅で申込みを完結できるようにってことなんでしょうか・・・
魚拓があったのには驚きました。
個人的なイメージですが、紀伊半島の沿岸地域は釣り人の聖地みたいなイメージがありますし、御坊も釣り人が集まる土地なのでしょうか。
宮子姫という方の彫刻がありました。
御坊市に伝わる「宮子姫物語」という伝承に出てくる人物なんだとか。
そして、駅舎です。
御坊駅はこれくらいにして撤収ですが、その前に駅周辺で夕飯を頂いたら乗り込みます。
向こうへ渡る跨線橋にはICOCAのマスコット「カモノハシのイコちゃん」がいました。
外観からは113系だと信じがたいですが、車内を見ればやっぱり113系ですね。
これに揺られて一旦紀伊田辺へ向かいます。
シメは117系
113系に揺られて紀伊田辺へ戻ったらあとは117系で一気に和歌山を目指して3日目は終了です。
ここでも若干時間があったのですが、昨晩の宿泊地でありもう撮影も済んでしまっているのでご紹介はスルーして117系のことだけレポートします。
はい、117系です。
ただし、和歌山駅到着後の写真ですw
まあ昨日の記事の終わりの方でも出てきていましたし、紀伊田辺での写真を貼っても今更感ありますよねw
というわけで乗車ですが、遅い時間を選んだおかげで車内はガラガラ、最後までキレイな録音環境でした。
あと、途中で大雨が降ってきたのですが、そのせいで車輪が空転して凄まじく唸るモーターを体験できましたw
基本的には夜中で車窓も何もないのでこれくらいしか書くことがないのですが、この117系運用も来春での終了が見込まれており、今のうちにしか体験できませんしね。
実を言うと117系に乗りたいというのが余った18きっぷで和歌山を目指す動機としてありましたが、記事にしてしまうとあっけないw
↑大雨は和歌山についても続いていたためワイパー動作シーンを撮れました。
↑最後に引き上げシーンを撮ったら撤収!
あとは本当にまっすぐホテルへ向かいました。
御坊で夕飯を済ませたおかげですね。また、雨も奇跡的に駅を出る頃には止んでくれていたので折り畳み傘を引っ張り出すまでもなくホテルへ向かいました。
それにしても、気づけば24,000字を超える過去最高記録を更新する勢いのボリュームになっていましたw
私も書くのが疲れましたが、読者さんもお疲れ様でした。
最終日はそこまでのボリュームにはならないと思いますので気軽にお付き合い下さい。
というわけで、これにて3日目は終わりです。
次は4日目となり、これにて紀伊半島18きっぷ旅は完結となります。
公開までしばらくお待ち下さい。
~追記~
4日目も公開しました。