今回は東北地方へ遠征しました。
なお、時系列としては「キラキラ号KR905便」の続きとなり山形から活動開始です。
また、遠征自体は2024年11月末頃に実施したものになります。
今回の活動内容
今回の遠征をする決め手となったのは奥羽本線(山形線)の大沢駅が2024年12月1日より全列車通過扱いとなり、事実上の廃止となるという情報に接したことであり大沢駅訪問が最大の目的でした。
その他、山形線のうち福島~米沢間を普通列車で乗車することや阿武隈急行線、仙山線など過去に乗ったことはあるものの時間が余ったため乗ることとし、シメに仙石東北ラインの特別快速を絡めつつ0泊1日、つまり1日だけの行程にまとめました。
そう、実は遠征でありながら泊りがけではないんですね。
これは往復に利用した夜行バスが予想外に安い運賃で確保でき、いつもだったら「せっかく交通費をかけて遠征するんだから宿泊して現地での活動時間を増やすべき」というケチ根性から遠征は泊りがけとなることが常だったんですが、今回は交通費があまりに安く済んでしまったためこの理論が適用されず、さらには宿泊費をかけてもう1日現地に滞在したところで、活動のネタが特に思いつかなかったというのもあります。
行程としましては山形からスタートして、まずは山形線の普通列車で峠駅へ、1駅引き返して大沢駅へ向かい早くも遠征の主目的を達成したところで、再び福島駅へ向かって前半戦が終わります。
あとは山形線を山形方面へ折り返すのですが、しばらく時間が開くので暇つぶしも兼ねて阿武隈急行線で槻木へ向かい、東北本線で折り返して来ます。
続いて福島から山形線で米沢へ、更に乗り継いで山形へ向かったら仙山線で仙台へ向かいます。
仙台からは仙石東北ラインの特別快速ですが、乗車するのは石巻発仙台行きなので、石巻までは高速バスを利用します。
そして、仙台からは夜行バスで帰路に就くというわけですね。
山形線普通列車で峠駅へ
それでは早速本編スタートです。
まずは山形線の普通列車で峠駅へ向かうところからスタートします。
きっぷ売り場のところには今回のお目当てとなる大沢駅の全列車通過のお知らせが出ていました。
ここできっぷを買ってから活動開始となります。
今や山形県にもSuicaのエリアが広がっていますが、米沢・福島方面は通過利用のみ可能となっており、途中駅で降りる場合はSuicaを利用できません。
なので紙の切符を買ったのですが、逆に大沢駅や峠駅の駅名が入った切符を手元に残せることになりますからよかったと思います。
改札口です。
県庁所在地の駅といえども早朝では閑散としていますね。
発車標です。
今回乗車するのは6時28分発の福島行き普通列車ですが、実は山形から福島まで直通する普通列車はこの1本だけであり、レアなんですよね。
また、米沢~福島間の普通列車は719系で統一されており、この区間に乗り入れるこの列車も必然的に719系となるため、確実に719系に乗れる列車ということにもなります。
コンコースにはなんとも手作り感あふれるE8系のオブジェがありました。
記念撮影スポットもE8系でした。
やっぱり山形の花形列車といえばE8系なんですね。
そういえば以前の活動で乗りましたねぇ~。
ホームへ行くとまだ列車は入線していませんでした。
↑そして、いよいよ719系のお出ましです。
写真でも撮ります。
かつては東北の幅広い線区で活躍した719系も、今や山形線でしか見られなくなりましたね。
この福島行き普通列車は山形駅から米沢方面への始発列車でもあり、今のところはがら空きでした。
晩秋の東北は紅葉も見られる景色でした。
もう少しで雪景色になることでしょう。
米沢あたりでは通学の高校生で混み合う場面もありましたが、米沢から先はがら空きになり峠越えに挑みます。
そして最初の目的地である峠駅に到着です。
峠駅
本日最初の訪問駅となる峠駅です。
峠駅に私を降ろした列車は、再び動き出しトンネルの中へと消えていきました。
まずは駅名標からですね。
あまりにも安直なネーミングにも思える駅名ですが、実際に奥羽本線の板谷峠の頂点に位置する駅であり、まさしく峠の駅となっています。
詳しくは後述しますが、かつてはスイッチバックがありました。
また、所在地は米沢市大字大沢字峠となり、実際に「峠」という地名でもあるようです。
それくらい古くから難所として知られた場所だったんでしょうね。
ホームは島式1面2線ですが、駅の全体がシェルターで覆われており、まるでトンネル内のような雰囲気です。
これはかつて存在したスイッチバックのためにポイントが多数存在し、これを雪から守る目的で設置されたそうですが、今はスイッチバックは廃止されているのでシェルターの必然性はなくなっていると言えます。
でも、山形新幹線も通る場所ですから、シェルターで守られている意義はありますね。
脇にはスペースが余っていますが、これもスイッチバック関連の設備が置かれていたのでしょう。
ハイキングコースの案内がありました。
秘境駅と言われることもある当駅ですが、山歩きを楽しむにはいい駅かもしれませんね。
ホームと外部との連絡は構内踏切になっています。
山形新幹線が通過する駅なのに構内踏切なんて・・・と思いますが、実は山形新幹線というのは通称みたいなもので、正式には奥羽本線の特急列車という扱いなんです。
なので、法律上は在来線になるわけで踏切があっても問題ないのです。
シェルターに出入口が開けられていて、外へ出ることが出来ました。
外から見るシェルターです。
かなり物々しい雰囲気があります。
駅前へはこんな細い道路が通じているのみです。
狭いながらも舗装された車道ですから自動車で乗り付けることも可能ではありますが、かなり険しい道のりのようですから運転に自信がない人は大人しく電車で訪問したほうがいいかもしれません。
また、意外にも駅前に「峠の茶屋 江川」というお店があり、山菜料理などを楽しめるようです。
駅前とはいえ停車する列車の本数も僅少ですから商売が成り立つのかと心配になってしまいますが、ハイキングや駅そのものが目当てで訪れる人なんかが利用しているんですかね。
まだシェルター内部を進めるようです。
かつてはここにホームがあったんでしょうが、今は通路として使われているようですね。
ところで、かつての当駅の構造は現在のホームがある位置に通過線があり、そこから分岐するように行き止まりの停車線があった構造でした。
なので、停車する列車はスイッチバックする必要がありましたが、通過列車はそのまま通過できたわけですね。
なぜそのような構造にしていたのかというと、通過列車はある程度勢いをつけて通過するので多少の勾配には耐えられますが、停車列車は停止状態から動き出す必要があり、通過列車よりも勾配にシビアにならざるを得ないため、ホームを本線から分岐した平坦な場所に設けるということをしていたわけです。
長らく機関車が牽引する客車列車が主流だったこともあり、1990年に山形新幹線開業に伴う改軌工事があるまでスイッチバック構造が維持されていましたが、同年より普通列車を電車に置き換えることになり、電車は客車列車よりも勾配に強いことからホームを本線上に移設し、スイッチバックは廃止となりました。
更にいうと当駅を挟む赤岩・板谷・峠・大沢の4駅連続でスイッチバックがあるという名所でもありました。(赤岩駅は廃止済み)
脇にはレールが残っていますが、これは恐らく保線作業の基地などの用途で残っているんでしょう。
シェルターの終端部です。
車両基地にある車庫のようでもありますね。
そういえば、内部にやたらとキャンプ禁止という注意書きがあったんですが、なるほどこのシェルターの中だったら快適にキャンプが出来るという事で無断で駅構内でキャンプをする人が少なからずいたんでしょうね。
STBといって駅に宿泊すること自体を目的にする方もいますし、ここだったら終電でやってきて駅で一晩を明かして朝イチで登山を始めるなんて人もいるでしょう。
ただ、思うのはここだったらかなりスペースが余っていますから、いっそ有料のキャンプサイトとして営業したら収益になりそうですけどね。
シェルターから出たところです。
この先にも架線柱が続いているのが、かつてこの先にもレールが延びていたことを物語っていますね。
あと、割と新しそうな建物がありますが、民家だとしたら当駅のヘビーユーザーかもしれませんね。
このように駅周辺に民家があることや温泉地の最寄りでもあるという事情から、秘境駅と言われながらも今のところ廃止の話はなく、冬期休止といった扱いもされていません。
こちらが当駅の名物「峠の力餅」を販売する「峠の茶屋」です。
店頭での販売はもちろんのこと、日中の普通列車が発着する際にはホームでの販売も行われており、停車時間の間に買うことも出来るようです。
それではこれくらいで次の列車に乗って1駅引き返して大本命の大沢駅に向かいます。
↑普通列車がやってきました。
何気に4両編成ですが、これは落ち葉による空転対策としてこの時期限定でやっているようです。
ちょうどE8系「つばさ」とすれ違いです。
本当は滞在中に通過する予定で、通過シーンを撮れると期待していたのですが、こちらの普通列車が数分ですが遅延したことで到着前のすれ違いとなりました。
ですが、もう1本滞在中に「つばさ」が通過するのでそちらは撮れそうです。
大沢駅
というわけで本日の大本命、大沢駅にやってきました。
この大沢駅ですが、2024年12月1日以降、全列車が通過するというアナウンスがあり、再開の予定もないことから、事実上の廃止であるとして今回訪れることにしました。
同様に同じく山形線にある赤岩駅も全列車通過扱いからの数年後に正式に廃止という経緯があったので、大沢駅も同じ運命をたどる可能性が高いと言えるでしょう。
↑乗ってきた列車の発車シーンです。
やはり事実上の廃止発表とあって、多くのファンが訪れており、峠駅と違って秘境駅らしからぬ賑やかな雰囲気でした。
ホームは相対式2面2線となっています。
駅全体がシェルターに覆われているのは峠駅と似た雰囲気ですね。
駅名標です。
ところで、上越線にも同名の駅があるんですが、開業は当駅のほうが古いんですよね。
また、上越線の大沢駅については元々信号場として設置され、後に駅に昇格した経緯がありますが、信号場時代は越後大沢信号場であり、駅昇格時にはなぜか旧国名が外れて大沢駅となり、当駅と駅名が重複することになったようです。
時刻表です。
朝夕はまあまあの本数がありますが、日中は4~5時間列車が来ない時間があるなど、生活の足として使うには不便と言わざるを得ないダイヤですね。
上下ホームは構内踏切で接続し、米沢方面のホームのみが外部へ繋がっています。
福島方面のホームへはシェルターの外部を通るように通路がありました。
通路部分も壁や屋根で守られており、冬場でも問題なさそうですね。
通路部分を待合室としても活用していたのかベンチが設置されていました。
ここも元々スイッチバック駅だったため、その名残のスペースが残っています。
やはり保線作業の基地として使っているのか、保線用車両が停まっていますね。
シェルターの隙間から石垣が見えました。
奥羽本線はかなり早い時期に建設された路線ですから、明治や大正のものという可能性もありそうです。
ちなみに、当駅も明治39年(信号場としては明治32年)に開業しています。
停まっているのは保線用車両とはいえ、かつてのスイッチバック線の場所に車両が停まっているというのはいいですね。
駅前からは分岐する砂利道のようなものがありました。
閉鎖されているので一般人は入れないようですが、これも保線関係か、あるいは山仕事関係の道ですかね。
あと、SLの給水塔と思われるものが残っていました。
この区間は峠越えということもあって1949年には電化されており、それ以前の遺構ということになりますね。
更に奥にはかつての旧ホームが残っていました。
それもほとんどそのままと言ってもいいくらいであり、これは驚きました。
奥にもホームは続いています。
さすがにレールは途中で途切れていますが、架線柱が残っていたりと、使用されていない割にはかなりよく残っていますよね。
構内案内図がありました。
だいぶくたびれていますが、旧ホームという表記からして、少なくとも1990年の山形新幹線開業以降に設置されたものでしょうね。
あと、「スノーセェット」という表記はたぶん「スノーシェッド」のことなんでしょうけど、初めて見ましたw
その先で奥羽本線の線路をまたぐのですが、シェルターごと跨ぐため、シェルターを外から見ることが出来ます。
何も知らなかったら工場か何かの建物だと思いそうです。
それでは構内に戻って「つばさ」の通過を撮ってから普通列車で福島へ向かいます。
↑「つばさ」の通過です。
全列車通過扱いとなったあとは、恐らくホームへの立ち入りは出来なくなるでしょうから、これは貴重なショットとなりました。
↑そして乗車する普通列車がやってきました。
この列車で福島へ向かいます。
ここからは峠駅までは上り勾配、そこから下りに転じて福島駅へ向かっていきます。
この峠越えは山形新幹線「つばさ」とて例外ではなく、特に冬場は遅れや運休の原因となるなど、今でも山形新幹線の難所として立ちはだかり続けているわけですが、この区間を抜本的に改良する計画として、奥羽本線庭坂~米沢間に長大トンネルを建設し、峠越えを回避し高速化と輸送の安定性を強化するという計画があるそうで、これが実現すれば山形新幹線は板谷峠越えをせずにトンネルで一気に通過できるようになります。
ただ、そうなると問題になるのが米沢~庭坂間にある各駅の扱いであり、これらの駅は決して利用が多いとは言えない駅ばかりですし、トンネル建設でルートが変更されれば旧ルートはそのまま廃止となり、合わせて途中の駅も廃止される懸念がありますね。
いずれの駅も利用者が少ないとは言え、沿線の道路事情が悪く鉄道に依存している地域もあるでしょうし、廃止となれば代替交通手段が問題となりそうです。
↑折り返しの発車を撮りました。
ここにももちろん大沢駅の全列車通過についてのお知らせがありました。
また、板谷駅については冬期間の全列車通過ということも書いてありました。
駅前に出ると福島生まれの作曲家、古関裕而氏の像がありました。
地域の偉人として親しまれているようですね。
駅前に居たのはJRバス東北でしたが、車種はトヨタ自動車の燃料電池バス「sora」ですね。
首都圏では時折見るようになりましたが、地方でも活躍していたんですね。
ちなみに、以前に京王バスの052系統で乗車したことがあります。
といったところで、一旦山形線からは離れて、ここからは暇潰し編です。
阿武隈急行に乗る!
ここからは阿武隈急行に乗車します。
乗車自体は過去にしているんですが、諸事情あって記事にはしていなかったので、ブログにて紹介するのは初めてとなりますね。
なのでまずはざっくり解説ですが、阿武隈急行は阿武隈急行線を運営する第三セクター鉄道であり、1986年に国鉄丸森線を引き継いで発足しました。
更にその後、独自に福島まで延伸開業し、電化もするなどして現在に至ります。
そして、阿武隈急行線、並びにその前身となる丸森線についてですが、そもそもの経緯としては現在の東北本線などを建設した日本鉄道まで遡り、福島から仙台へのルートはいくつかの候補があり、その中には現在の阿武隈急行線に相当する保原・梁川・丸森・角田を通るルートもありました。
しかし、実際には現在の東北本線である奥州街道沿いの白石経由のルートが選ばれました。
しかし、やはり地元に鉄道を・・・という思いはあったようで、地元の有志が鉄道誘致に乗り出しますが、戦前には目立った成果はないまま戦後を迎えます。
戦後になると高度成長や人口増加で東北本線の輸送量は増加しており、福島県内の東北本線は勾配がきつい箇所があり、これが輸送上のネックになっていました。
上野~仙台間を広域に迂回できるバイパスルートとして常磐線もあり、こちらは勾配が緩かったこともあって常磐線経由の列車も多く設定されていましたが、東北本線についても輸送力が逼迫してきており、バイパスルートの整備が望まれるようになりました。
これに戦前からの誘致活動で予定線として掲載されていた路線のうち槻木から丸森までのルートが東北本線のバイパスとして活用できることから注目され、経済調査線、そして建設線というより建設の実現可能性の高い区分に格上げされていきました。
こうして1964年より本格的な工事が始まり、1968年には槻木~丸森間が部分開業し、丸森線と呼ばれるようになりました。
更に福島方面への工事も進んでいきますが、丸森線の利用者数が想定を下回っていたことや、当初の目的であった東北本線のバイパス線という役割も、東北本線の複線・電化が進展し、更に常磐線も電化されたことで意義が薄れていきました。
こうしたことから福島への延伸工事は滞るようになりました。
また、丸森線は元々東北本線のバイパスとして計画されたことから沿線の街の中心からは離れた場所に駅が設けられることも多くなり、これも乗客が増えない一因でした。
そんな中で1970年代には営業係数が2404を記録し、1980年代には国鉄の財政悪化が深刻化したことで、「特定地方交通線」の制度が始まり、丸森線もこれに指定される事となってしまいました。
既に残り800mほどを残してレールも敷かれていた福島方面への延伸工事も凍結となり、延伸どころか丸森線自体が廃止されることになってしまったのでした。
これにより第三セクター方式で鉄道を維持するか、鉄道を廃止してバスに転換するかの二択を迫られた沿線自治体は第三セクター方式での存続を選択し、丸森線を引き継いだ上で、更に福島方面への延伸も目指すことになったのです。
そして1986年に阿武隈急行が発足し、国鉄から丸森線を引き継いで開業しました。
当時は非電化であり、国鉄からキハ22形気動車を借り受けて使用していたようです。
1988年には福島への延伸も実現し、同時に電化も行い、自社車両である8100系を導入しました。
この延伸に際しては競合する区間に路線バスを運行していた福島交通の反発もありましたが、阿武隈急行の株式を福島交通に過半数を保有させ筆頭株主となることや、福島交通の社員を阿武隈急行で一部を引き受けるという条件で同意を取り付けた経緯もあるようです。
それではレポートに戻りまして、阿武隈急行の乗り場へ向かいます。
福島交通と同じ乗り場から出発ですが、これは福島交通が阿武隈急行の筆頭株主であるためですね。
乗り場が見えてきました。
顔出しパネルなどもありますが、ポケモンともコラボしているんですね。
こちらが改札口です。
昔ながらのラッチですが、タッチ決済の端末もあるようですね。
ホームです。
島式1面2線ですが、阿武隈急行と福島交通で1線ずつを共用しています。
駅名標です。
こちらは福島交通のものですが、国鉄風のデザインですね。
こちらが阿武隈急行の駅名標ですが、なんとここにもポケモンが!
かなり本格的にコラボしているようですね。
まだ列車は入線していないようなので、ホームで入線を待ちます。
↑やってきました!
こちらは8100系という車両で、阿武隈急行の発足時から活躍する古参車両です。
JR九州の713系をベースにしているそうですが、様々な改良が施された結果、もはや原型はとどめていません。
長らく阿武隈急行唯一の車種として活躍していましたが、現在は後継となるAB900系の投入で置き換えが進行中であり、今後数を減らしていく形式といえます。
この列車は富野行きであり、途中の梁川で乗り継いで槻木まで乗車していきます。
車内です。
近郊形電車ということでセミクロスシートとなっています。
↑ここで車窓を撮りました。
なお、実際は梁川で乗り継いで別々に撮影していますが、動画は槻木まで1本にまとめています。
河川名の標識
太平洋まで69kmとありますが、意外と海まで近いんですね。
もっと・・・例えば100kmくらいはあると思っていました。
その他の車窓としては普通の田園風景で、時折町並みが出てくるという感じでした。
ホーム上にはベンチがありますが、東北にしては珍しいオープンエアの待合所でした。
なお、駅舎内にはちゃんとした待合室があるようです。
そして、乗ってきた列車です。
富野行きなので引き続き運行されるのですが、当駅で乗務員交代のために停車時間があったようです。
↑そして発車シーンです。
あとは槻木行きの列車をここで待つのですが、そのまま構内で過ごすことにしました。
駅員さんに言えば駅前に出してもらえたかもしれませんが以前に訪れていたこともあって、ホームのベンチでゆったりと過ごしました。
季節の割には温かい気候だったというのもありますしね。
ただし、前回訪問時はレポートしていなかったと思いますので、ここで前回撮影した写真をご紹介しようと思います。
ホームの全景です。
島式1面2線というシンプルな構造ですが、車両基地の最寄りでもあり、当駅折り返しの列車も多く設定されています。
また、福島方面と槻木方面の乗り継ぎでは対面乗り換えが出来るように考慮されているようです。
改札を出たところです。
昔ながらの構造ですが、この区間は阿武隈急行発足後に開業した区間ですから国鉄の駅だったことはないことになります。
バス停もあります。
福島交通の路線が福島駅方面へ出ていて、鉄道とのダブルトラックになっています。
これでも阿武隈急行開業前はもっと多くの路線があったようで、鉄道開業でだいぶ整理されたようです。
バス停のポールですが、上屋の支柱と一体化しているのが面白いですね。
あと、駅前にあったこれですが、どうやら空間放射線量を表示しているようです。
ここも福島県であり、福島第一原子力発電所事故の関係で設置されたんでしょう。
それでは時系列を戻りまして、ここからはまた今回の遠征で撮影した写真&動画でお届けしていきます。
↑乗り継ぐ槻木行きがやってきました。
今度は新型のAB900系がやってきました。
それもポケモンのラッピングのやつですね。
車内です。
どうもJRっぽいなと思った人もいるでしょうが、それもそのはずで、実はこのAB900系、JR東日本のE721系と同等の車両なのです。
それではここからは槻木へ向けて乗車していきます。
↑先程の車窓動画ですが、今度は梁川駅から始まるように設定してみました。
1駅先にある「やながわ希望の森公園前」という駅なんですが、駅名が長すぎて駅名標はこんな横長にw
丸森から先はまた開けた田園風景となりまして、富野~丸森間が特に車窓がきれいでした。
ホームは島式+単式2面3線であり、いわゆる国鉄型配線ですね。
阿武隈急行とJRでは改札を共有しており、阿武隈急行の列車で到着した人は降車時に車内で運賃を精算orきっぷを回収され、引き換えに精算済証を受取、それをJRの改札口で渡して出場するという流れになります。
ホーム同士は跨線橋で連絡します。
エレベーターも設置されており、バリアフリーにも対応していますね。
ここで乗ってきた阿武隈急行の列車を撮影です。
向かいのホームからだといい感じで撮れますね。
改札を出ました。
仙台近郊の駅であり、自動改札機もありますが、窓口は無人となっており精算済証の私はそのまま素通りすることになりました。
ただ、無人駅ではないようなので時間帯により無人になるということだと思います。
駅構内にはNEWDAYSがありましたが、この時間帯は営業していませんでした。
お昼休み的な感じで営業休止時間があったようですが、恐らくワンオペで店舗を運営しているのでそうしないと店員さんが休憩できないんでしょうね。
駅前広場は小さなロータリーがありました。
バスの乗り入れはないようで、そもそもが所在する柴田町には路線バスが存在しないんだとか。
その代わりデマンド型の乗合タクシーがあるようですが、利用には事前登録が必要で、しかも町民しか利用できないそうで、公共交通は鉄道のみということになりますね。
あとは時間まで適当に駅前をぶらぶらしていたんですが、通過列車があり、どうせ貨物列車だろうと思ったらEast iだったのです!
これは早めにホームに入れば通過を撮れていただけに悔やまれますね。
列車は白石行きだったので白石で乗り換えです。
数年前までは仙台~福島間は直通が基本で、中には郡山方面まで直通する列車もありましたが、現在は日中時間帯については白石での系統分断が基本となっています。
乗り継ぎを考慮したダイヤになっており、基本的に対面乗換なのでそこまで不便ではないですが、JRとしては仙台~福島間は新幹線に乗れってことなんでしょうかw
↑接続列車となる郡山行き普通列車の発車シーンです。
さて、ここでお昼ごはんとしたかったのですが、困ったことに食べられる場所がない・・・
県庁所在地の福島でそんなことあるのか?と思われるでしょうが、それは「改札内には」ということになります。
実は今回、槻木から福島へ乗車し、そのまま奥羽本線で山形へ、最後は仙山線で仙台へ向かうという行程になるわけですが、今は仙台地区にも大都市近郊区間が設定されているため、途中で改札を出なければ槻木→仙台の最短ルートである東北本線経由の運賃でいいということになり、いわゆる「大回り乗車」が成立するのです。
そのため、逆に言えば乗り換えに時間があっても改札を出ることが出来ないため、改札内から利用できるお店しか利用出来ないというわけですね。
県庁所在地だし立ち食いそばか、せめてコンビニの1軒くらいは改札内にあると踏んでいたんですが、在来線側にはなく、新幹線の構内か改札外でないと食事ができる場所はなかったというわけです。
仕方がないので空腹のままこの先の行程に進みます。
山形線・仙山線経由で仙台へ
暇潰し編が終わりまして、ここからは山形線を引き返して行きます。
乗車するのはやっぱり719系です。
719系最後の楽園となっている山形線ですが、それもいつまで続くでしょうか?
↑幕回しを撮れました!
昼間の列車ということで空いており、ゆったり乗車できたのですが、ここで1つネタがありました。
それは・・・
峠の力餅!
峠駅のくだりで紹介したと思いますが、昼間の列車ならばホームまで売りに来ているので停車時間中に買うことが出来るのです。
停車後、ボタンを押してドアを開けて合図すれば売り子さんが来てくれるので代金を渡してさっと受け取ったら一瞬の邂逅は終わりまして、また列車は走り出します。
山形新幹線開業前は当駅で特急待避をする列車も多く、停車時間が長かったようですが、今は途中駅で山形新幹線を待避するような設定はないので短い停車時間の間に慌ただしく買わないといけません。
なので、買いたい人は代金1000円を手に握りしめて待っておくとスムーズでしょう。
中身はこんな感じ
写真では分かりづらいですが、中にあんこが入っています。
餅が8個入っており、これで1000円なので1個あたり125円となり、コンビニとかで大福を買うのと大差ない値段ですよね。
ところで、6個が白いお餅で2個がピンクのお餅となっていて、紅白饅頭ということなんでしょうけど、普通は同じ比率で入れるものでは?と思ったりw
でもまあ、色はともかくどれも美味しかったのでよし!
お餅ということで腹持ちもよく昼食代わりにするにも打ってつけでした。
峠を越えて米沢まで来ました。
ここで山形行きに乗り換えです。
米沢といえば有名駅弁「牛肉どまんなか」を売っている駅ですが、乗り換えが数分しかなかったので買う暇はなく・・・
まあ、力餅で腹も膨れたのでよしとしましょう。
ちなみに、米沢にも峠駅の店舗から暖簾分けしたお店があって、そこでも力餅を販売しているようです。
峠駅に行くのはハードルが高いという方は米沢駅で買うという手もありますね。
乗り継いだ先も719系だったので719系同士の並びが実現しましたw
米沢から先は普通に利用者も多い区間となりますので、先程より賑やかな雰囲気で山形まで乗車しました。
山形に到着!
今朝はここから旅を始めたわけで、スタート地点に戻ってきたわけですね。
ここからは仙山線に乗り換えですが、微妙に接続が悪く30分ほどあります。
こういう時にも大回り乗車中であるため改札から出られないことが足かせとなり、暇を持て余してしまいますが、仙山線の列車がかなり早くから入線し、ドアも開けてくれていたのでさっさと乗車して車内で過ごしていました。
首都圏での大回り乗車だったら乗り換えがあるような駅だったら大抵コンビニくらいはありますし、大きな駅なら改札を出ずに利用できる飲食店も多くあるのに対して、東北という土地ではその常識は通用しないということを改めて思い知らされる大回り乗車になりましたね。
しばしの小休止を経て仙山線に乗り換えです。
仙山線では快速と普通の2つが運行されていますが、今回乗車するのは普通列車です。
なお、仙山線についても以前に乗っていますが、やはり諸事情あって記事にしていなかったのでここで仙山線についてざっくり解説しておきましょう。
仙山線は仙台駅と山形駅を結ぶ路線ですが、山形~羽前千歳間は奥羽本線(山形線)に乗り入れる形になっており、正式には羽前千歳~仙台間の路線となります。
全長は58.0km(山形線区間を入れると62.8km)となり、特別長いわけではないですが、特徴としては「県庁所在地同士を他の市町村を通らずに直接結ぶ」路線となっていることがあげられます。
仙台市と山形市は言わずと知れた県庁所在地ですが、この間に他の自治体はなく、仙台市と山形市の境がそのまま県境でもあるのです。
これは日本では唯一の例だそうです。
そのため仙台市と山形市を結ぶ都市間輸送を担っており、これに応えるべく快速列車も設定され、山形新幹線の工事のため米沢方面の奥羽本線が運休となった際には福島以南から山形方面への往来を確保する迂回ルートとして機能したこともあります。
歴史としては1926年に建設が始まり、1929年に仙台~愛子間が仙山東線として暫定開業し、1933年には山形側からも山寺までが仙山西線として暫定開業し、1937年に全線開業しました。
奥羽山脈を超えるルートであり、作並~山寺間には全長5361mの仙山トンネルを穿っています。
これは当時の国内3位の長さになるのですが、地質に恵まれたことから工事は順調に進み、予定より早く完成するほどでした。
また、長大トンネルを挟むことから作並~山寺間は開業時から電化されています。
当初は直流電化でしたが、戦後の1953年に国鉄が交流電化の実用化に向けた試験を仙山線で行うこととし、北仙台~作並間を使って試験を実施しました。
なお、先行して電化されていた作並~山寺間は直流のまま存置され、交流と直流の切り替えの試験も行われたようです。
1957年には交流電化を使用した旅客営業が始まり、これは日本初のことでした。
1960年には山形側に残っていた非電化区間も直流電化され、同年より交直流電車を使用した営業運転が始まりますが、これも日本初でした。
しかし、短い路線に交流と直流が混在するのは不都合だったこともあり1968年には直流電化だった区間も交流電化に改められ、全線が交流電化となりました。
そんな仙山線ですが、昭和後期には仙台近郊の仙台~愛子間が都市化により利用者が増え、新駅の設置も進んだ結果、仙台側は通勤路線という顔も持つようになり、都市間輸送と通勤輸送を併せ持つ路線ともなりました。
高速道路の整備が進むと高速バスとの競合も生じるようになりましたが、対抗策として2枚組回数券タイプの割引きっぷ「Wきっぷ」を発売していることもあり、バスと五分五分程度の競争力を持っているようです。
その他、沿線には山寺の通称で知られる立石寺や作並温泉などがあり、観光路線としての性格も併せ持ちます。
↑車窓を撮りましたのでどうぞ!
そして列車は山形駅を発車します。
羽前千歳までは奥羽本線(山形線)を走行しますが、山形線については山形新幹線のために標準軌に改軌されており、仙山線、及び同じく乗り入れる左沢線の列車は並行して設置されている狭軌の線路を走行します。
そのため、この2区間は一見すると複線ですが、実際には標準軌と狭軌の単線が並行して設置されている単線並列区間となっています。
羽前千歳を過ぎて奥羽本線と離れると早くも長閑な景色となります。
山形側ではローカル線という雰囲気もありますね。
ちなみに、高瀬駅付近はスタジオジブリ作品の「おもひでぽろぽろ」の舞台だそうです。
あれも立石寺の一部でしょうか?
すごいところに建っていますね。
続いて出てくるのは珍駅名としても知られる面白山高原駅です。
面白山というのは所在地の地名であるらしく、面白山という山もあるようです。
由来は仙台側から見ると面が白く見えることからだそうで、別に面白い山ということではないようですw
周囲にはスキー場や紅葉川渓谷などがあり、観光スポットとして需要があるみたいですね。
しかし、観光需要が見込めない時間帯を中心に普通列車でも通過する列車があるため要注意です。
そんな面白山高原駅を過ぎると仙山トンネルで一気に奥羽山脈を貫き、山形県から宮城県へと入っていきます。
仙山トンネル内には列車行き違いのための信号場があり、その名を「面白山信号場」といいますが、トンネル内にある信号場というと、西武秩父線の正丸トンネル信号場とか、JR長崎本線の肥前三川信号場とかがありますね。
特に長大トンネルが連続するほくほく線では赤倉・薬師峠・儀明の3箇所のトンネル内信号場があったりします。
宮城県に入って最初の停車駅となる奥新川駅があります。
かつては森林鉄道が分岐していて、木材輸送の拠点だった他、国鉄時代にはハイキングコースが整備されたりして、観光地として栄えた時期もありましたが、今ではそれらは閉鎖されており、冬期間を中心に普通列車でも通過する列車が存在します。
温泉地として知られる作並あたりでは車窓から滝が見えたりもしました。
難読駅名として知られる愛子(あやし)を過ぎたあたりから本格的に仙台の近郊区間となりどんどん利用者が増えていきました。
方向的にはラッシュと反対方向のような気もしますが、沿線にも学校や企業があるため、仙台駅へ向かう方向の帰宅ラッシュもあるんでしょうね。
そのため、仙台~愛子間には区間列車が多く設定されており、日中でも毎時2~3本程度の本数が確保されています。
最後は通勤ラッシュにふさわしい混雑を見せつつ終点の仙台に到着しました。
仙台についたらずんだ茶寮さんの「ずんだシェイク」で小休止です。
ここからは・・・
仙石東北ライン特別快速に乗る!
ここから乗車していくのは仙石東北ラインの特別快速です。
仙石東北ラインについては以前の遠征でも乗車しており、その時に解説もしているので、詳しくはその時の記事に譲るとして、今回は特別快速に絞って解説したいと思います。
仙石東北ラインは仙台~石巻間を結ぶ路線で、元々仙石線の快速列車を置き換える形で運行が始まった経緯もあり、全列車が快速列車として運行されていますが、そのうち1日1往復のみ特別快速と称して更に停車駅を絞った列車を設定しています。
特別快速は午前中の石巻行きと夜間の仙台行きという設定であり、どうやら石巻への観光・業務利用などに適した時間帯に設定しているようです。
そんな特別快速の停車駅ですが、仙台を出ると松島・高城町・矢本・石巻となっており、快速に比べると野蒜・陸前小野・陸前赤井・石巻あゆみ野・蛇田・陸前山下には停車しない設定となっており、6駅も停車駅が少なくなっています。
東北本線内となる仙台~松島間は快速と同じですが、快速の中にはこの区間では各駅停車となるタイプもあるので、それと比べると更に停車駅の差は広がります。
所要時間では快速だと50分~58分程度で、特別快速は49分なので最大で9分早いことになります。
また、仙石東北ライン開業前の仙石線の快速列車との比較では同63分を要していましたから11分短縮されたことになります。
今回は朝の便には間に合わないので、夜間の石巻発仙台行きに乗車することとし、石巻まではあえて高速バスを使ってみることにしました。
仙石東北ラインにしても仙石線にしても、過去に乗ったことがあったので、どうせならば乗ったことがない高速バスに乗ってみることにしたのです。
というわけで仙台駅前にやってきました。
仙台駅には駅前にバスターミナルがありますが、高速バスは路上のバス停から出るようです。
こちらが乗り場です。
既に大勢が並んでいて、利用の多さが伺えます。
こちらが石巻行きのバス停です。
運行は宮城県のバスの王者と言える宮城交通が担当しており、本数はほとんどの時間帯で30分おきに運行されており、仙石東北ラインよりも本数は多くなっています。
運行区間は基本パターンでは県庁市役所前~石巻営業所となっており、仙台側では日中を中心に東北大学病院前へ乗り入れる便があったり、石巻側では石巻専修大学に乗り入れる便があるなどのバリエーションがあります。
停車停留所は仙台市内では東北大学病院前(一部)、県庁市役所前、商工会議所前、仙台駅前、宮城球場入口・聖和学園前、六丁の目駅となり、石巻市内では石巻合同庁舎前、イオンモール石巻前、蛇田歩道橋、石巻駅前、千石町、石巻営業所、まきあーとテラス前(一部)、石巻専修大学(一部)となっています。
同一市内のみの利用はできず、石巻行きでは六丁の目駅までは乗車のみ、石巻合同庁舎前からは降車のみとなります。
運賃は900円となっており、運賃の支払いには宮城県のご当地ICカード「icsca」の他、Suica・PASMOなど全国相互利用のICカードも利用できます。
JRの仙石東北ラインではIC運賃で858円なので意外にも電車よりバスの方が高くなっていますが、仙石東北ラインについては全車自由席であり着席保証はないのに対して、高速バスは確実に座れるのと、駅から離れた地区にもこまめに立ち寄る利便性もあるので、割高でも利用者を集めているようです。
所要時間は仙台駅~石巻駅間では1時間13分ほどとなり、鉄道より長いですね。
あとは乗車ですが、あまりに長蛇の列が出来ていたため撮影する余裕がなく、撮影無しで乗車となりました。
仙台駅に来るまでに県庁市役所前と商工会議所前の2箇所で既に乗車扱いをしていることもあって半分以上の座席は埋まっており、そこから更にぞろぞろと乗り込んだため車内はほぼ満席という状態になりました。
まだ仙台市内では2箇所乗車可能なバス停があるのにこれでは満員通過になるのでは?と不安になりますが、最終的には補助席までフル活用して何とか乗せきれていました。
地方の高速バスで補助席まで使うとは驚きましたね。
乗った感想としては仙台市内の一般道区間が結構長く感じました。
これは石巻方面への高速道路である三陸自動車道へ入るためには仙石線の中野栄駅付近にある仙台港北インターチェンジまで行く必要があるためです。
高速道路を降りると石巻市内ですが、石巻駅最寄りの石巻河南インターチェンジではなくて石巻港インターチェンジで降りていました。
これは石巻合同庁舎前やイオンモール石巻前の需要が大きいために遠回りを承知で経由しているんでしょう。
JRでもこの付近の駅は特別快速を除いて原則として全列車停車となっていますしね。
また、実際にこのあたりで大勢降りていき、石巻駅前まで乗っていたのは半分もいなかったと思います。
動き出したところでもう1枚
終点は石巻営業所なんですが、さすがにそこまで乗ってしまうと駅に戻ってくるのが大変なので石巻駅で降りました。
漫画家の石ノ森章太郎氏の出身地ということで仮面ライダーが出迎えてくれます。
それでは改札へ入場です。
Suicaエリア内なので普通にSuicaをタッチして乗車しました。
発車標です。
当駅では1日1回しか見られない特別快速の表示を収めることが出来ました。
↑停車駅案内があったので動画で撮りました。
こちらは石巻線の列車ですね。
石巻線で小牛田駅に出て東北本線に乗り継いでも仙台へ行くことが出来ますが、あまり一般的ではなく石巻線はローカル線という性格が強くなっています。
↑ちょうど発車するところだったので動画を撮りました。
こちらは仙石線の電車です。
南武支線と並んで最後の205系が活躍する路線となっていますが、置き換えの話も出ているようで、205系王国もそう長くは続かないことでしょう。
それにしても、205系を置き換えるとしてどんな車両がやってくるんでしょうね。
路線環境的にはE131系か、寒冷地ということを考慮して新潟地区のE129系という可能性もありそうです。
何気なく車内に入ってみたらデュアルシートになっていて驚きました。
観光利用もある仙石線だからクロスシートにも出来るようになっているんですかね。
そしてこちらが仙石東北ラインのHB-E210系です。
ハイブリッド気動車となっており、ディーゼルエンジンで発電した電気を使ってモーターで走行します。
それでは乗り込みます。
遅い時間帯とあって車内は空いていましたが、どうせならもう少し早い時間帯に特別快速を設定したらいいのにと思ったり。
↑車内の案内表示を動画でどうぞ
石巻を出ると次は矢本です。
この間には5駅あり、更にその次の高城町までは7駅ありますから特別快速にふさわしい飛ばしっぷりですね。
高城町から松島の間は仙石線と東北本線を結ぶ専用の連絡線を走行するのですが、以前はここを通過するには一時停止が必要だったのが、現在はシステムの改良で不要になっており、いつの間にか東北本線に入っていたというほどスムーズな走行になっています。
東北本線に入ると松島だけ停車して仙台です。
あっという間の49分でした。
仙台に着いたら名物の牛タンで晩ごはんです。
これから夜行バスに乗ることもあってお酒は控えましたが、美味しく頂きました。
というわけで、これにて活動終了となり、あとは夜行バスで帰路に就くのみです。
夜行バス部分は別記事として追ってレポートしようと思いますので公開までしばらくお待ち下さい。
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