「はまかいじ」と飯田線の旅

今回は特急「はまかいじ」に乗りがてら飯田線乗りつぶしに出掛けましたのでそのレポートです。
この旅も実施は3月上旬ですが、4月下旬まで執筆がずれ込んでしまいました。お待たせして申し訳ありません。

行程の説明

今回は特急「スーパーあずさ11号」で上諏訪に飛んで中央本線の普通列車で岡谷へ移動、そこから飯田線をひたすら南下し豊橋まで行って1泊、翌日は飯田線の始発列車で折り返して上諏訪に向かったら、中央本線を下って松本へ、アルピコ交通上高地線の新村駅に立ち寄った後、特急「はまかいじ」で横浜へ戻って帰路につきます。ちなみに、特急を利用する新宿→上諏訪と松本→横浜のみ普通乗車券+特急券を買い、それ以外の部分は青春18きっぷを使いました。実質的には飯田線のみ18きっぷを使うということになりますが、これでもちゃんと元は取れているようです。飯田線がどれだけ長大ローカル線なのかが分かりますねw
いつもならば泊りがけの旅の場合、1日を1記事に分割するのですが、旅の半分ほどを占める飯田線が単純な往復であり、2日目の記事がスカスカになってしまう可能性があるので、今回はあえて分割せず通しで1記事にまとめたいと思います。

旅の始まりは新宿駅から

中央線特急の起点となる新宿駅から旅はスタートします。本当は行きも「はまかいじ」に乗ろうかとも思ったのですが、相当朝早く出ないといけないので断念しましたw


というわけで、E351系とご対面です。
この形式に乗るのは2度目でして、前回は早朝に出発した西鉄8000系さんに追いつくために岡谷まで乗りましたね。


そういえば、埼京線ホームでレア行先を見かけたので貼っておきます。
埼京線で池袋行きというだけでも珍しいですが、更に珍しいのが”当駅始発”であるということです。つまりは、新宿発池袋行きということになります。これはラッシュの運行を終えて余剰となる電車を池袋の車庫に戻すついでに運行しているような列車なんですが、1駅間のみの営業列車というのも珍しいですよね。これは新宿も池袋も主要ターミナル駅だからこそ成り立つ系統でしょうか。

中央線特急最速列車で行く

私が乗った「スーパーあずさ11号」ですが、実は新宿~松本間の所要時間が最も短い列車だったりします。停車駅も相当絞られていて、新宿を出ると立川、八王子、甲府、茅野、上諏訪、松本にしか停まらず、新宿~松本間を2時間31分で走り抜けます。
元々「スーパーあずさ」は「あずさ」や「かいじ」に対して速達列車という位置づけですが、小淵沢・下諏訪・岡谷・塩尻まで通過してしまうのだから相当な速達列車ですね。


車内販売で売っていたアイスクリームを食べつつ岡谷からの飯田線6時間コースに備えますw
ちなみに、写真の信玄餅味のアイスは中央線特急の車内限定販売だそうです。


蓋をあけるとこんな感じ

2度目の「スーパーあずさ」ですし、アイスくらいしか書くこともなく、記事は上諏訪に飛びますw

上諏訪駅にて

飯田線(厳密には中央本線の別線)の起点は岡谷ですが、「スーパーあずさ11号」は岡谷を通過してしまうので手前の上諏訪で下車して普通列車に乗り換えます。


とりあえず駅名標


この列車は次は松本までノンストップなんですよねぇ。


乗車位置案内


「はまかいじ」のものもありました。
ちゃんと185系のイラストなのがいいですね。


側線には313系が留置されていました。
そういえば、飯田線の一部列車は当駅まで乗り入れてくるのでその関係でしょうね。


JR東日本の211系に挟まれるJR東海の313系の図


この駅には足湯があるんですね。まあ時間的に入っていくのはかないませんがw

その後、私が乗る普通列車は何故か数分遅れで到着し、岡谷到着も遅れました。そのため、飯田線との接続がギリギリとなり岡谷ではほとんど撮影できず・・・

飯田線の旅が始まる

岡谷駅ではダッシュで乗り換えとなりましたが、何とか313系だけは撮りました。


何とか1枚だけ押さえて乗車です。

さて、ここから豊橋まで6時間を超える旅の始まりです。といっても私が乗ったのは天竜峡行きであり、1回の乗り換えが必要です。
1日数本ながら全区間を走破する普通列車も運転されているようなので、挑戦してみたい方は乗り通してみてもいいかもしれませんねw

例によって飯田線のご紹介をしておきたいと思いますが、飯田線は辰野~豊橋間の195.7kmを結ぶ路線で、全区間JR東海が管轄しています。
元々は4つの私鉄路線として開業しており、南から順に豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気鉄道という会社でした。それが国有化されて現在の飯田線となっていますが、私鉄が起源なだけあってこまめに駅を設置しており、およそ200kmの路線長に対して、94もの駅があります。平均すればおよそ2kmおきに駅があるわけで、これは大都市圏の路線にも匹敵する駅間距離の短さです。また、急峻な地形の中を走る区間も多く、急カーブや急勾配の多い線形となり、列車の運転速度も大きく制限されるため、200km程度の全長ながら6時間以上の所要時間を要しています。
運転される列車のほとんどが普通列車ですが、飯田~松本・長野間に快速「みすず」、豊橋~飯田の特急「伊那路」といった優等列車も少ないながら運転されています。
昔は名古屋や新宿まで直通する優等列車も運転された時期もあるようですが、中央自動車道が開通し飯田線沿線から名古屋・新宿への輸送では高速バスに太刀打ちできなくなり全廃されてしまいました。
近年では風光明媚な車窓や秘境駅の存在から人気を集める路線となり、「飯田線秘境駅号」という臨時急行列車が運転されるようにもなりました。

さて、レポートを旅の方に戻しまして、313系は飯田線起点の辰野を目指して中央本線を進んでいきます。現在は岡谷~塩尻間では塩嶺トンネル経由のルートがメインルートであり、優等列車はもちろん、普通列車も大半が塩嶺トンネル経由で運行されており、辰野を経由する旧線は岡谷~辰野間では飯田線と一体化した運行形態となっており、辰野~塩尻間は同区間のピストン輸送を行う普通列車が走っています。

辰野までは以前の旅で乗ったことがありましたので、純粋な乗りつぶしは辰野からスタートということになりますね。
この時点でも車内は混み合っており、客層からして大半が地元の一般利用者のようでした。
この日は土曜日でしたが、乗り鉄が目立つという状況でもないようでしたね。


↑中央アルプスが見えるという放送につられて車窓を撮ってみました。
飯田線もしばらくは伊那谷を進むので山の景色が楽しめますね。


地元の方にとっては見慣れた景色なんでしょうけど、いかにも旅をしているという気分になれる車窓風景です。

あと、乗っていて気になったことがあるんですが、それは停車駅ごとに車掌さんがホームに出て切符を回収していたことです。
途中駅から乗ってきた人については車内で巡回してきた車掌さんから切符を買う仕組みになっているようですが、これをたった1人でやっているものだから、車内放送をする暇がなくて、放送がないまま駅についたりというシーンも見受けられました。
キセル対策を考えればこれくらいやった方がいいのかもしれませんが、いっそ乗車口を限定する形で運用したほうが効率がよくはないですかね?w
地元の方は慣れているのか戸惑う様子もありませんでしたが、初めて乗る時には途中駅での下車にはホームで切符を回収するということを覚えておいた方がいいでしょう。


福岡生まれとしてはこの駅名に反応せざるを得ませんw


引き続き飯田線を南下していきます。


山に川に道路・・・こういう風景も好きです。


鼎駅という駅ですが、難読以前に”鼎”という字自体に馴染みがありませんw

それから、飯田線のネタとして知られるのが伊那上郷から下山村のいかけては飯田、切石を経由するために大きく迂回するルートとなっており、最短距離を道路でショートカットすれば2.2kmほどのところ、飯田線は営業キロで6.4kmもの迂回をしています。およそ3倍の遠回りですが、このため乗り遅れた電車にダッシュで追いつけるなんていう逸話もあるようです。
まあ、本当にやって追いつけなくても責任は取れませんのであくまでネタとして流していただければと思いますがw


車窓を見ながらボーッとしていたらもう天竜峡でした。
ここで豊橋行きに乗り換えます。当駅は川下りの拠点になっているらしく、ホームにも川下りの模型が展示されていました。


ここから先お世話になる豊橋行きですが、車種はさっきと同じ313系w


方向幕を押さえたら乗り込みます。

いよいよ核心部へ

今までは伊那谷に沿って進む区間でしたが、天竜峡駅から先は天竜川に沿って進む区間で、車窓も川沿いの景色に様変わりしていきます。
このあたりは地形も険しく列車の速度も落ちますが、その分車窓を楽しめる区間でもあります。為栗駅、中井侍駅、小和田駅といった著名な秘境駅もこの区間にあります。


早速こんな景色が現れます。


橋を掛けようとしている様子ですが、気になって調べてみるとこの付近に三遠南信自動車道の天竜峡ICがあり、さらに延伸工事中だとのことで、その橋を作っているところだったようですね。
三遠南信自動車道は中央自動車道の飯田山本ICから新東名高速道路の浜松いなさJCTまでを結ぶ計画で整備が進む高速道路だそうで、全通すれば飯田線と競合する可能性は高いですが、飯田線は既に都市間輸送より地域輸送の割合が高くなっており、秘境駅や車窓など観光路線的色合いが強いのでそれほど影響はないかもしれませんね。


なおも川辺を進んでいきます。


何やら発電所のようなものが見えてきました。
天竜川は古くから水力発電の好適地として有望視されており、現在の飯田線も険しい地形ながら早い時期に全通に漕ぎ着けたのは発電所建設のための資材運搬路線という使命があったためとも言われていますね。


近代的な造りの橋が見えました。


秘境駅として名高い為栗駅に差し掛かりました。
利用者数が1日一桁という状況で、周辺の集落はダムによる水位上昇で水没したためほとんど人家の無い駅となったようです。


続いても秘境駅として名高い中井侍駅です。


この雰囲気は出来れば下車して味わいたいですね。


駅周辺には茶畑が広がっていました。


JR北海道の小幌駅に次ぐ秘境駅として知られる小和田駅です。
当駅は駅名の表記が皇太子妃雅子様の旧姓と同じであることから恋愛成就を願う人々が集まるようになり、人気を集めるようになりました。
私が乗っていた列車でも、夫婦で降り立つ人の姿も見られましたね。
あと、当駅は秘境駅の中でも駅へ通じる車道が皆無という点が特筆できますね。当駅周辺にも数件の人家があるようですが、そこへの郵便配達はバイクで行くことが出来ないため、飯田線の列車に乗って配達されているそうです。


当駅付近には、愛知、長野、静岡3県の県境があるようです。地図で確認したところ、実際の3県の県境は天竜川の水面上にあるようなのでそこに立つことはできませんw
ちなみに、当駅の所在地は静岡県浜松市になりますが、こんな所まで浜松市の範囲だとは意外な事実ですよね。

さて、大嵐駅からはこれまで並行していた天竜川を一旦離れて、水窪川の方へトンネルを穿って移動します。その後、佐久間駅付近で再び天竜川に再会するわけですが、こんな線形になったのは佐久間ダム建設と関わりがあります。開業当時からの飯田線は大嵐~佐久間間も天竜川に沿って走っていましたが、ダムの建設で水没することとなったためルート変更を余儀なくされました。この際、沿線人口が多く一定の利用者が見込めた水窪経由のルートとなったわけです。

そして、飯田線の名物の1つ、「渡らずの橋」として知られる「第六水窪川橋梁」があるのは、向市場~城西の区間でして、この橋は対岸に渡らずに元の岸に戻ってくるという変わった橋で知られています。
どうしてこんな橋が作られたかというと、この橋がある区間には元々「向皆外隧道」というトンネルがありましたが、そのトンネルは完成したものの不安定な地層の中に作られたことが災いし、地すべりによってトンネルに亀裂が生じ変形も激しくなったことからトンネルは放棄され、この区間は川の上に橋をかけて迂回することとなり、その橋が「渡らずの橋」になったというわけですね。


↑その「渡らずの橋」を渡るときの車窓風景です。

かつて佐久間レールパークがあった佐久間駅を過ぎると中部天竜駅に到着します。


当駅は飯田線の中でも主要駅の1つであり、静岡県内にある飯田線の駅では唯一の有人駅だそうです。
駅名の由来ですが、私はてっきり姫新線の中国勝山駅のように他の同名駅と混同を避けるために中部地方にあるから中部天竜駅だと思っていたんですが、元々当駅周辺にある中部(なかっぺ)という地名に由来するようで、最初は「なかっぺてんりゅう」と読んでいたそうですが、駅名の方は「ちゅうぶてんりゅう」と改められ、地名の方も現在は「なかべ」と読むらしいです。

あと、当駅を語る上で欠かせないのが佐久間線の存在です。佐久間線は当駅と二俣線(現:天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線)の遠江二俣駅(現:天竜二俣駅)とを結ぶ予定で建設が進められていた国鉄線でしたが、結局一部分が完成するも開業には至らずいわゆる未成線となりました。
当駅周辺は静岡県浜松市ですが、鉄道だけで市中心部の浜松駅へ向かおうと思うと一旦愛知県の豊橋駅を経由しなければなりませんが、佐久間線が開通していればまっすぐ浜松駅へ向かうことが出来ましたね。


中部天竜駅を過ぎてもしばらく川沿いに進みますが、天竜川とは別れて大千瀬川、相川と川を乗り換えるように違う川に沿って進んでいきます。

列車は愛知県へ

東栄駅からは愛知県に入ります。三河川合駅からは豊橋方面への区間列車が多数設定され、比較的本数の多い区間となります。このあたりから乗客も増え始め、のんびりしたローカル線の雰囲気から街の鉄道の顔に変わっていきますね。このあたりから日没が迫り外も暗くなってきたので写真も撮れず、ただ乗っているだけという感じになりましたので文章のみでレポートを進めていきます。

本長篠、新城と更に乗客が増えていきます。そして、豊川に到着すると私にとっての飯田線完乗が達成されました。といいますのは、以前の旅で豊川~豊橋間のみ飯田線に乗ったことがあったからです。
まあ、だからといって豊川で降りたりはせず、終点の豊橋まで乗り通しますけどねw

さて、愛知県に入ってからは足早にレポートを進めてきましたが、最後に2つネタをご紹介して飯田線の旅は終わりになります。
豊川と豊橋の間には下地駅と船町駅という2つの駅がありますが、この駅、実は飯田線の半分ほどの列車が通過してしまうんですね。
この区間は飯田線で最も本数が多い区間で、早朝や深夜を除けば15分ヘッドでの運行となっていますが、この2駅に停まるのは30分ヘッドになっていて、基本パターンは豊川や本長篠などで折り返す区間便は2駅に停車、中部天竜や天竜峡まで行く長距離列車は通過というパターンのようですが、区間列車でも通過だったり、長距離列車でも停車だったりと例外もあるのでこの2駅を利用する場合は時刻表を要確認ですね。

もう1つのネタは名鉄との線路共用です。小坂井駅の豊橋方にある平井信号場と豊橋駅の間は名鉄名古屋本線と線路を共用する扱いとなっています。これは飯田線の前身となる豊川鉄道と名鉄名古屋本線の前身となる愛知電気鉄道がそれぞれ単線の線路を豊橋駅まで乗り入れさせ、それを複線として使用する協定を結び、豊川鉄道が国鉄、愛知電気鉄道が名古屋鉄道となった後も踏襲され、国鉄がJR東海になった現在でも引き継がれているわけですね。
このため、飯田線の平井信号場~豊橋間は複線のうち上り線を名鉄が所有、下り線をJR東海が所有するという扱いになっているんだそうです。
運行形態としては、この区間内にある下地駅と船町駅には飯田線の一部列車のみ停車し、名鉄の列車は全て通過する扱いとなっています。
また、この区間では飯田線列車の運行が優先されるダイヤになっているようで、名鉄は1時間あたり6本分の枠しか割り当てられておらず、このため普通列車は豊橋駅に乗り入れずに手前の伊奈駅で折り返す運行形態となっており、豊橋駅に乗り入れるのは急行、特急、快特などの優等列車のみとなっています。

というところで、ネタを紹介したら豊橋駅でいよいよ長い長い飯田線の旅もフィナーレを迎えます。

いよいよゴール!

上諏訪を出て6時間以上、ついに終点豊橋駅に到着しました。


何度も来ている豊橋駅で、何度も乗った313系ながら6時間以上の旅のゴールとなれば、感慨深いものがあります。


飯田線としての終点なので終端部を撮っておきましょう。


列車は折り返し新城行きになるようです。


↑三河川合行きの普通列車が発車するので動画撮影です。


隣のホームからは名鉄が発着しますが、なんと1線しか割り当てられておらず、これでは窮屈ですよねぇ。


快特新鵜沼行きでした。そういえば、名鉄も随分乗っていませんね。


駅名標はJR東海仕様でしたが、隣の駅が伊奈になっているので名鉄名古屋本線の駅名標ということになりますね。


裏側は飯田線乗り場なので船町が隣の駅になっていました。
それにしても、この駅名標と名鉄の車両を絡めて撮れるのって当駅ぐらいではないでしょうか。


名鉄とJRを乗り継ぐ人のための乗り換え用ICカードリーダーですね。


これは名鉄の窓口のようですが、やっぱり肩身が狭そうw


飯田からやってきた特急「伊那路」です。
この列車は私が乗ってきた列車より1時間ほど遅れて飯田を発車しますが、豊橋到着はほとんど差がなくなっており、途中で長時間停車があったわけでもないのに特急と普通の所要時間差はすごいですね。これも駅間距離が短い飯田線ならではでしょうか。


ヘッドマークを撮ったら外に出ます。


駅前は既に夜を迎えていました。上諏訪を出たのはお昼だったのにw

このあたりで夕飯を食べたらホテルへ向かいたいと思います。実は上諏訪も岡谷も天竜峡も数分連絡だったためまともにお昼ご飯にありつけておらず、昼飯抜きでここまでやってきていました。昔は飯田線の普通列車で車内販売があったらしいですが、今でも残っていればどれだけよかったか・・・
駅前の王将でしっかり腹ごしらえを済ませたらホテルへ向かうわけですが、ちょっとその前に・・・

最後に豊橋鉄道

実は今回は安いホテルを探した結果、駅から距離のある立地のホテルになってしまい、調べると豊橋鉄道の路面電車で移動した方が楽であることが判明し、乗ったことのある豊橋鉄道ですが、移動がてら乗ることにしました。


↑路面電車を撮ろうにも暗くて写真も厳しいので動画を撮りました。


キャプチャなら行けるかな?


豊橋鉄道は「ビール電車」や「おでんしゃ」といったイベント電車を走らせていますが、それ専用の乗車位置案内(停止位置目標?)があるんですね。


電車がやってきました。


ところで、この電停の名前は「駅前」なんですね。通称とかじゃなくて正式名称が「駅前」というのはここぐらいではないでしょうかw

それでは電車に乗って移動します。


札木というところにやってきました。ホテルはここから徒歩数分です。


ちゃんとした駅名標がありました。


夜の併用軌道という風景を撮ってみました。


電停の全景を撮ったら撤収です。

この後はホテルに入り、機器の充電、体のリフレッシュを図り、明日に備えたいと思います。
さて、いつもならここで記事を分割しますが、冒頭にある通り、今回はあえて通しで1記事にしたいと思いますので記事はそのまま2日目に続きます。もう少しお付き合いください。

朝の豊橋から再び6時間コース

2日目の朝は6時ちょうどの飯田線始発列車で始まります。
そのため5時起き、せっかくのホテルの朝食サービスも食べられずということになりました。まあいつもの乗り鉄の朝ですねw


この日は日曜日ということもあり、早朝の駅前は不気味なほど静まり返っていました。


路面電車も始発前であり、乗り場にも人影はありません。もう少し路面電車の始発が早ければ昨晩同様に路面電車で駅に出ることも考えたんですが、それはかないませんでしたw


コンコースもガラガラ


閑古鳥のなく改札で18きっぷに日付を入れてもらって2日目の朝が始まります。


今度も313系でした。213系あたりが来たら面白かったんですがw


今度も天竜峡行きです。ただ、今回は天竜峡での接続列車が飯田行きで、飯田から更に上諏訪行きに接続なので飯田線走破に2回の乗り継ぎが必要です。

早朝の飯田線をゆく

朝の6時ちょうど、数える程度の乗客を乗せて豊橋駅を後にします。昨日もそうでしたし以前の旅で豊橋→豊川で乗車した際も混んでいる上に車内は騒がしく、あまりいいイメージのない区間でしたが、さすがに早朝では空いている上、話をする人もほとんどおらず録音的にも快適な旅でした。
気になったのはアスリート風の人たちが何人かいて、途中駅からどんどん乗ってきていたんですが、どこか忘れてしまったもののどこかの駅でまとめて降りていきました。こんな早朝から動くということはマラソン大会でもあったんでしょうかね。

その他は特段ネタもなく、列車は進んでいきました。昨日も乗っただけに記事はハイテンポで進んでいきますw


中部天竜駅で対向列車と行き違いのため停車するようなのでホームに出て軽く撮影しました。


対向列車は213系でした。


並べてみる。


↑発車シーン


運行拠点の1つだけに側線も完備しています。


水窪駅で交換した列車は豊橋行きの快速でした。駒ヶ根から豊橋までのロングラン列車で飯田以南では1本だけの快速列車ですが、駒ヶ根発は4時58分であり、地元の方以外は前泊必須な列車ですw


↑昨日も渡った「渡らずの橋」通過時の車窓風景です。昨日とは逆方向から撮ってみました。


天竜峡が近づいてきました。


昨日とは日光の向きが逆なせいか違った印象ですね。


昨日も見た三遠南信道の橋の建設予定地

そして、列車は天竜峡駅に到着です。

天竜峡駅でミニ取材

天竜峡駅では飯田行きに乗り換えですが、8分間の乗り継ぎ時間があるのでさくっと簡易駅取材をして行きたいと思います。


豊橋から3時間揺られてきた313系


待っていたのは213系、これは嬉しい誤算です。


方向幕は押さえておきます。


並べるついでに構内を見渡します。
当駅は2面3線でして、大半の列車が当駅で系統分断されるなど、飯田線のちょうど中間地点とも言える駅ですね。


駅名標です。ここはもう飯田市なんですね。


縦型


豊橋方に構内踏切があり、そこで駅舎と接続します。


駅前にまとまった国鉄清算事業団の土地がある(あった?)んですかね。


景勝地「天竜峡」の最寄り駅なので案内看板もあります。


改札は流石に自動改札ではありませんでしたw


さりげないステンドグラスがいいですね。


駅前にも案内看板がありました。
それにしても、公衆電話っていまや絶滅危惧種ですよね。


そして、駅舎です。
それではそろそろ時間なので飯田まで旅を進めたいと思います。

飯田線をさらに北上

天竜峡からは飯田行きに乗り換えて旅を続けていきます。今度は213系だったわけですが、インバータ車よりは抵抗制御のほうがローカル線には似合いますね。
この区間内にはあまり書くこともなかったので記事は飯田の方に飛びたいと思います。といっても乗り換え時間僅かなので駅取材らしい駅取材も出来ていませんけどねw


そんなわけで飯田に到着です。ここから乗り継ぐのは上諏訪行きですが、岡谷ではなく上諏訪まで直通するということはJR東日本の車両が充当されるのではないかと期待していました。


が、またも213系でしたw
まあ313系が来るよりは当たりですけどね。
あと、中央本線を疾走する213系に乗れると考えればレアでしょうか。


特急「伊那路」に充当されるであろう373系が留置されていました。
噂によると間合い運用で普通列車にも373系が入ることがあるらしいですが、それに乗れたら相当な乗り得列車ですね。

飯田で更に乗り換えて上諏訪までの残りの区間を進んでいきます。
この間にあるネタといえば、JR最急勾配がありますね。
それは、赤木~沢渡間にありまして、40パーミルあります。かつての鉄道の難所として知られた碓氷峠越えの通称「横軽」は66.7パーミルでしたからそれには及びませんが、JR線では現在ここが最急勾配なんですね。峠越えというわけでもない区間に最急勾配があるという意外性もありますね。
ちなみに、私鉄(ケーブルカーやリニア、アプト式などは除外)も含めると箱根登山鉄道の80パーミルが最高になります。


↑最急勾配区間通過時の車窓です。0:24付近に一瞬ですが40パーミルの勾配標識が写っています。一時停止推奨ですが確認してみて下さい。

さて、このあとは一気に上諏訪まで移動し、中央本線に乗り換えて松本を目指しました。
結局、上諏訪も数分連絡になったので足湯に入ることも駅前に出ることも叶いませんでしたw

松本駅で小休止

上諏訪から中央本線の普通列車で移動して松本にやってきました。感覚的には上諏訪と松本は結構遠いイメージがありましたが、普通列車でも意外とすぐでした。


「松本おばさん」の駅名連呼を聞くと、松本に来たなぁって実感しますよねw
まだ聞いていない方は是非松本駅を訪れて聞いてみて下さい。


こちらが乗ってきた列車です。かつては115系の天下だった中央東線もいまや211系に置き換えられてしまいましたね。


留置線には次期中央線特急向けの新型車として試験が続いているE353系を発見!
生で見たのは初めてだっただけにテンションが上がります。


そういえば、ホテルでパンを食べてから飲まず食わずだったので駅そばでサクッと腹ごしらえを済ませます。
立ち食いとは言え、信州そばということで、これもご当地グルメですかね?w


構内をうろつくと313系を見かけました。
中央西線の普通列車は基本的には塩尻で折り返してしまうので松本へはやって来ませんが、一部のみ松本発着で運転される列車もあるのでそれだったようですね。


ちなみに、木曽福島行きでした。


側線には185系がいました。もう「はまかいじ」の車両が留置されていたようでした。
まあ、朝に横浜からやってきて、夕方折り返すまで運用もないでしょうし、松本でお昼寝なんでしょうねw


もう「はまかいじ」ヘッドマークまで出して、運行の時を待ち侘びているようです。


それでは、アルピコ交通に乗りましょう。
上高地線イメージキャラクター「渕東なぎさ」のラッピング電車、「なぎさTRAIN」でした。狙って乗ったわけではないですが、こういうネタに当たるとは運がいいですね。


これから向かう新村駅で開催される鉄道イベントをPRするヘッドマークのようです。
まあ、そのイベントは明日なので参加できないわけですが・・・w

上高地線の方は2度目の乗車ですし寄り道という意味合いが強いので細かい解説は省略しますが、前回乗った時と違って観光客が少ない気がしましたね。考えてみれば新島々から先、上高地方面へのバスは4月から運行開始であり、旅行時点では運行していないので上高地線に観光客がいるほうがおかしい状況だったわけですねw


「渕東なぎさ」は渕東駅とここ渚駅から取られた名前だと思いますが、駅の方も「渕東なぎさ」仕様になっていましたw


「なぎさSTATION」になっていましたw
ところで、「渕東なぎさ」という沿線の駅名からのネーミングからして鉄道むすめシリーズのキャラクターかなと思いましたが、鉄道むすめシリーズとは関係なく、アルピコ交通独自のイメージキャラクターのようです。

さて、それでは新村駅に立ち寄っていよいよ旅は終盤を迎えます。

新村駅

上高地線の運行拠点ともいえる新村駅にやってきました。
当駅にやってきたのは運行拠点だからということではなく、保存されている旧駅舎の取り壊しが決まったからですが、駅全体も取材していきたいと思います。


さて、電車を撮ったらいよいよ取材開始です。


それにしても、この屋根低すぎやしませんかね?w
多分ホームを嵩上げした時に屋根を作り直さなかったので嵩上げした分相対的に低くなってしまったんでしょうね。


駅構内には新村車両所という車両基地が併設されており、広い構内を有しています。


駅名標は新しいですね。


これはED301という機関車で、当駅構内で保存されている車両の1つです。


これは保線作業で使う車両でしょうかね?


どうみても軽トラ・・・w
面白い転用ですねw


駅舎へと続く構内踏切


この駅舎は現在使用されている方で、2012年から使用されているまだまだ新しい駅舎です。


待合室です。座布団完備のベンチにエアコンまで完備とかなり恵まれていますね。


建物こそ真新しいですが、構造は昔ながらの駅のスタイルですよね。


硬券つかみ取りなんてやってるんですね。ローカル線の増収策ということでしょうか。


現在の駅舎です。
瓦屋根(っぽいだけ?)の意匠は旧駅舎へのリスペクトなんですかね。


そして、こちらが旧駅舎です。5年前に駅舎としてのお役目は終えていましたが、長らく処遇が決まらずこうして現駅舎の隣に残されたままになっていました。
しかし、2017年3月に取り壊されることとなり、この姿ももうすぐ見納めです(執筆時点ではとっくに解体されてしまっていますね・・・)


現駅舎と旧駅舎を並べて撮ってみました。


入口部分


この稲妻のようなデザインもいいですね。


むき出しの配線に裸電球というのが既にレトロ感ありますね。


現役時代は電車を待つ人が腰掛けたこともあったであろうベンチ


ここは改札口だったんでしょうかね。


やはり外観だけでも分かるほど傷みが酷いですね。
これでは倒壊する危険なんかも考えれば解体やむなしでしょうか。


現在のアルピコ交通の電車の塗装っぽいデザインの看板ですが、かなり年季が入っていますねw


かつて当駅には「ハニフ1」という車両が保存されていまして、現在はさいたまの鉄道博物館に寄贈されています。
この車両は甲武鉄道(現在の中央線の一部を開通させた会社)が製造した車両で、国電のような近距離電車の元祖とも言える車両で大変貴重なものだそうですよ。


駅前の目抜き通りがこちらです。駅もレトロな駅舎が残っていますが、駅前もレトロな雰囲気がありますね。


構内にはもう1つ、保存車両がありまして、元東急5000系(通称:青ガエル)が保存されています。
現在上高地線では元京王3000系を譲り受けて使用していますが、かつては東急5000系が活躍していたようです。
ちなみに、私としては5000系といえば熊本電鉄のイメージが強いですね。


正面からも撮影


さり気なくイベントの告知がw


大量のプラコップが見えましたがイベントの用意なんですかね。
こうして準備している様子を見ると明日まで旅程を伸ばしてイベントにも顔を出したいなんて思いたくなりますが、あいにく明日は仕事・・・残念です。

という所で、一通り見終えたのでこれにて撤収!


↑最後に新村駅で入線シーンを撮ったら松本へ向けて移動を開始です。
ここへやってくるときにも乗った「なぎさTRAIN」でした。

さて、あとは松本に戻って、「はまかいじ」で帰路に就くだけ!

最後の最後でまさかのトラブル!?

新村駅を出て最初の停車駅、北新・松本大学前駅を発車しようとした時のことです。列車が動き出すかと思われた瞬間、なぜか加速を止めて列車はその場で停車・・・
運転士さんが慌ただしく無線を入れたりしてやり取りしている様子が見えますが、直後放送があり、車両故障が発生したため運転を見合わせるとのこと。


渕東なぎさちゃんに免じて・・・ということではないでしょうが、騒ぎ立てる人はおらずみんな冷静でした。車内は地元の方が乗り鉄という感じの人ばかりで観光客がいなかったのが不幸中の幸いでしたね。

その後どこからか応援の職員がやってきていろいろ試しますが結局現地での修理は不可能と判断したのか、乗客を全員ホームに降ろして別列車に振り替えるとのことでした。


回送幕に変わってしまいました。


↑連結するところまでの動画です。


併せて写真でもレポートしていきます。
運転士さんが旗を振りながら新村方へ走っていきます。


救援列車がやってきました。


連結しました。

ここでデジカメのバッテリーがやばくなったので動画撮影はスマホにバトンタッチです。


↑救援列車の引き上げシーン


上高地線で4両編成はレアですよね。


架線柱が入ってしまいましたが編成写真風に

さて、ホームには故障した方の車両を運転していた運転士さんが残り案内に努めていたのですが、このあと救援に使った車両で松本までの運行を継続するとのことでした。
元々松本では30分以上乗り換え時間があったのであと10分以内に代わりの列車が来ればギリギリ「はまかいじ」には間に合いそうな雰囲気でした。
ホーム上の乗客の一人が特急に乗り換える予定だった旨を伝えると、無線で接続を取ってもらえるように手配するという話になったので、私も「はまかいじ」に乗る旨を伝えるとJR側に依頼して特急の発車を待ってもらえることになったとのことでした。これで一安心ですが、救援列車は新村駅で故障編成を切り離してまた据え付け直す作業があるため入線まで暫く掛かるそうで、暇ですることもなくなった私は「転んでもただでは起きぬ」精神で駅取材を敢行することにw


ホームは1面1線の単式ホームです。


駅名標です。
長ったらしい駅名ですが、松本大学開校に合わせて現在の駅名になり、それ以前は「北新駅」だったようです。


大学の宣伝もばっちりされていましたw


縦型も長い駅名だとぎちぎちですね。


待合室内は振替の列車を待つ乗客らで混み合っていたので省略w


こちらが駅舎です。現代的な簡素な作りですね。


この道の先にある建物が松本大学ですかね。


当駅にはコミュニティバスのみが乗り入れています。

これくらいでホームに戻ると運転士さんから新たな情報が入ったのでホームで待機します。
どうやら救援に使った列車を入れ替えたりする間に後続の定期列車が新村駅に来てしまったので後続列車に乗ってもらうとのことでした。
後続列車の松本定時到着は「はまかいじ」の数分前なのでギリギリ乗り継げそうですが、じっくり撮影できなくなったのは残念ですね。
まあ、誰が悪いでもないトラブルなので仕方ないですけど・・・w

間に合え!「はまかいじ」

後続の普通列車がやってくると例の運転士さんも同乗し案内を続けていました。「はまかいじ」については数分接続で間に合いそうなので頑張って走って下さいとのことw
アルピコ交通の乗り場はJRと同一改札内なので跨線橋ダッシュを強いられるものの何とかなる時間ではありましたが、問題は切符を買っていないことです。前述の通り元々は余裕のある乗り継ぎになるはずだったので乗車前に松本駅で買うつもり満々だったわけですねw

さて、松本駅について列車のドアが開くと松本おばさんの声に耳を傾けるでもなく跨線橋へ全力疾走!


時間がないとは言え発車標くらいは押さえて帰りたいと執念の撮影w


発車2分前になんとか乗り場へ到着できました。


ヘッドマークを撮って・・・


方向幕も押さえたら急いで乗車

無事に「はまかいじ」で帰路へ

何とか乗り継ぎに成功し「はまかいじ」の車内でほっと一息を入れつつ横浜への旅路が始まりました。もし「はまかいじ」に間に合わなければ18きっぷを活用して中央本線を鈍行で新宿まで行こうかとも思っていたのですが、無事に乗れて本当によかったです。
さて、ギリギリに飛び乗った割には座席はガラガラでM車モーター直上のポジションも容易に確保でき、軽く拍子抜けでした。「はまかいじ」は1996年から運行されている列車であり、臨時列車とは言え結構定着しているのかと思えば、この閑散ぶりを見るに浸透しているとはいえない状況なんですかね。
検札が来て車掌さんから特急券・乗車券を買い求めたらあとは横浜までの乗車時間を楽しむだけですね。

ここで「はまかいじ」についてのご紹介をしておくと、松本~横浜間を土休日を中心に運転される臨時特急列車でして、横浜線では唯一の特急列車と言えます。
横浜線沿線から中央本線沿線への旅行者がメインターゲットなのか、朝松本へ向かい、夕方横浜へ戻る1往復が設定されています。気になったのは下りの松本到着が11時22分で、上りの松本発が15時21分なので、横浜線沿線の人が日帰り観光で松本へ行こうとすると滞在時間が足りないということですね。これが松本からの利用者が少ない理由なのかもしれません。
一方、甲府あたりだと到着が9時58分、発車が16時42分なので日帰り観光でも使えそうなダイヤなのが受けているのか、甲府からの利用者は結構多かったです。
あと、面白いのが小淵沢駅ではホリデー快速「ビューやまなし」の直前に発車するダイヤなんですが、車内放送で「この列車はビューやまなしではありません。特急列車ですので乗車には特急券が必要です」と念入りに案内されていました。私は「ビューやまなし」が215系で運行されているのを知っていますから185系の「はまかいじ」と乗り間違えることはないでしょうが、一般の利用者なら間違える可能性もありますよね。


185系で見る中央本線の山並みの景色も乙なものです。


東京が近づくとすっかり日も暮れてきました。

あと、意外だったのが八王子で降りる人が結構いたことですね。中央線のうち特急通過駅が最寄り駅という人は「あずさ」「かいじ」を使うにしても新宿まで出て折り返すより八王子で降りて快速電車に乗り換えたほうが早いという人もいるでしょうから、そういう人にとっては「はまかいじ」も使える列車なんでしょうね。
逆に八王子から乗ってくる人もそれなりにいましたが、特急料金を払っても座って快適に移動したいという需要もあるということでしょうか。

そんなこんなで新横浜を出るともう次は終点の横浜です・・・が、その前に東神奈川駅に運転停車します。横浜線はATS-Pですが、京浜東北線はデジタルATCなので保安装置切り替えの関係上通過できないんだそうです。
どうせ停まるなら客扱いすれば・・・とも思いましたが、東神奈川では京浜東北線しか使えませんし、東神奈川駅発着の特急券を発売するためにシステムを改修しなければならなかったり、放送データやホームの案内などのコストを考えれば運転停車ということなんでしょうかね。

最後に横浜で撮影

松本からの長旅も横浜で完結し、あとは回送を見送って帰るだけです。


高頻度運転の京浜東北線の乗り場に到着し、ここは待避線のようなものはないホームなので、数分後には京浜東北線の電車が入ってきてしまいます。そのため、185系は到着するやいなや旅の余韻もへったくれもなく回送幕に変わってしまいましたw


↑最後に回送を見送って旅は終わりです。

冒頭では分割すると記事がスカスカになるなんて書きましたが、いざこうして完結してみると1日目・2日目で分割してもよかったボリュームだったのではないかと思う次第です。しかしながら、いまさら分割しても微妙に手を加えなければならない箇所も発生しますし、このまま公開させて頂きましたw
長文レポートにお付き合いありがとうございました。

最後に総括としてはまさかの車両故障というトラブルはありましたが、無事予定通り行程をこなすことはできまして、充実した旅となりました。実はこの翌週、またもや中央本線に乗ることになるわけですが、それは別のお話として次のレポートにご期待下さい。

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つばめ501号(管理人) について

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