今回は青春18きっぷを使って関西方面へ国鉄型車両に乗ることが目的の遠征をしました。
2泊3日に渡って実施したものですが、恒例ながら1日を1記事として分割してお届けしていきます。
今回の行程
今回は国鉄型車両に乗るのが目的ということですが、具体的にどの線区へ出かけるかと言うと、草津線・湖西線・和歌山線・加古川線・播但線の103系・113系・117系となります。また、現地への移動は往路は「ムーンライトながら」、復路は新幹線となります。
各日程の詳細はそれぞれの記事でご説明するとして、まず初日となる1日目ですが、東京駅から快速「ムーンライトながら」で大垣まで向かい、東海道本線を西へ進み草津駅からは草津線から直通する京都行き(117系充当)に乗車し、そこからは113系で近江舞子へ1往復、続いて117系で近江今津へ1往復と湖西線をほぼ2往復した後、今度は京都発柘植行き(117系)で草津線を制覇してそのまま草津に戻ると、明日の行程の都合で新快速と阪和線快速を乗り継いで和歌山まで移動して終了です。
「ムーンライトながら」も国鉄末期とはいえ国鉄時代に製造された185系で運行されていますから、旅の始まりも国鉄型ということで、記事は東京駅で「ムーンライトながら」に乗車するところから始まります。
「ムーンライトながら」から旅が始まる
今回の旅の始まりは「ムーンライトながら」からということで、その始発駅となる東京駅にやってきました。
周りには仕事を終えて帰路につくサラリーマンの姿が多く見られますが、その中にあって大荷物を抱えて旅立とうという私を含めた「ムーンライトながら」の利用者はちょっと浮いた感じですねw
「ムーンライトながら」は183系だった時代から何度も利用してきた、いわば私にとっては馴染みの列車だったりもするのですが、ここ最近は乗る機会がなく、久々でちょっと懐かしいくらいだったりします。
最後に乗ったのは・・・もう3年以上前のことですね。
前置きはこれくらいにして、私は東京駅にやってきました。
何度も乗っている列車だけに、おそらくPCのフォルダを漁れば同じような写真が保存されているであろうことも関係なしに、つい撮ってしまいましたw
ただし、以前乗ったときはまだ「上野東京ライン」は開通しておらず、東海道線の全列車が当駅始発だったのに対し、今やこの中では「ムーンライトながら」だけが始発で他は上野方面からの直通列車になりました。
この発車標では種別・両数という情報しか教えてくれず、列車名がないので「ながら」もただの快速にしか見えませんが、大垣という行先だけが周りから見て浮いていますねw
また、中距離電車は全てグリーン車付きなのに、「ながら」だけ一番遠くまで行くのに逆にグリーン車がないのも意外な感じで面白いです。
ホームの発車標です。
最初に貼ったやつに比べて特に違いはなさそうですが、ホームの発車標はいよいよ乗るんだという高揚感から特別な気がしてしまいます。
ホームは長旅に備えた大荷物を抱えた人やカメラを手に列車を待つ人など、マニア率の高い空間となっていますが、原因がこの列車なのは間違いないですねw
185系もいつ置き換えられるとも知れませんし、入線シーンを撮ろうと思い立ち、ホームの端で入線の瞬間を待ちます。
↑いよいよ入線です!
久々の185系「ながら」とあってじっくり撮影したいところですが、発車間際まで入線しない仕様なので慌ただしいですw
しかも、私が取った号車は反対側なので大急ぎで移動しないとw
方向幕だけ撮ったら乗車します。
今回は通路側しか取れなかったのですが、今の所隣には誰もいません。
品川・横浜・小田原のどこかで乗ってくる可能性が高いと思いますが、いつぞやのように大垣まで隣に誰も来ないパターンだったら嬉しいですね。
23時10分、185系「ムーンライトながら」は定刻通りに大都会東京を後にします。
「ムーンライトながら」は今までも何度も乗っていて、かつ知名度も高い列車なので今更解説も必要ないでしょうが、東京を出ると品川・横浜・小田原と停車していき、始発の東京を入れた4駅でほとんどの席が埋まっていきます。
品川か横浜を出たあたりで車掌さんが巡回し車内改札を実施しますが、利用者の大半がいわゆる18キッパーというこの列車の特性上、翌日の分の日付を入れてもらうことが可能であり、ほとんどの人がそうしていました。
私の場合は、日付変更線となる小田原まで別途普通乗車券を購入して小田原から先で18キッパーに変身する腹づもりですが、今までなら差額が1000円程度でもう1日乗り鉄できるならば・・・と「ながら」に乗る前に関東近郊で乗り鉄を楽しんでから乗車するというパターンが多かったものです。
しかし、今となってはスケジュール的にも体力的にもそこまでの余裕はないです。ちょっと衰えてきているんでしょうかw
まあ、実際問題として、関東に生活の拠点を構えるようになった今は、わざわざ余分に休暇を使ってまで関東近郊で乗り鉄をしたいとは思わないのも理由ですがね。
ちょっと脱線しましたが、横浜を出ると小田原までノンストップで走り、あとはモーター音やジョイント音、列車に揺れに合わせて震える窓枠といった走行音を子守唄に睡眠時間となり、気づけば愛知県あたりまで列車が進んでいるというのがいつものパターンでした。
しかし、今回はそうは問屋がおろしません。なにせ今回は通路側しか取れなかったのに、隣の窓際に横浜を出た今でも誰も座っていない・・・つまりは次の小田原で乗ってくる可能性が大!
ここで熟睡してしまって小田原から乗ってきた人に起こされるのは何だか気まずいし、ひょっとすると最後の185系の「ながら」となるかもしれない今回はちょっとでも長い時間起きて体験しておきたかったというのもあります。
とはいっても、仕事終わりの旅立ちでまだ疲れも抜けきらぬままだったこともあって頭は起きていたくとも体は睡眠を欲しており、徐々にウトウトしてきてしまいました。
これは結局小田原で隣の人に起こされるパターンかなと意識を手放しかけた頃、車内に響き渡る明らかに走行音ではない音に再び私の脳みそは覚醒を始めてしまい、結局目が冴えてきてしまったのでした。
その音の正体とは・・・いびきw
夜行列車ならば車内の誰かしらがいびきをかくのはもはや暗黙の了解みたいなもので、何度も夜行列車や夜行バスに乗った経験のある私からすればそんなことくらいで寝られないなんて言われれば、「経験値が足りんな」なんて返すくらい当然のこととして受け止めていましたが、いかんせん今回はボリュームがすごいw
よほど寝付きのいい方だったようで、東京を出て数分としないうちに寝息を立て始め、車内改札時には爆睡モードだったため車掌さんに起こされる一幕さえあったのですが、寝息は次第にいびきへと変化し、ついには夜行列車経験豊富な私でさえ睡眠の妨げとなるレベルになってしまったのです。
このように感じたのは私だけではなかったようで、周りの人も耳を塞ぐ人、顔をしかめつついびきの発生源を見つめる人、イヤホンを付ける人とそれぞれでしたが、私の旅史上最大音量のいびきなのは間違いありませんw
とはいえ、相手は生理現象であり、それを咎めるわけにもいきません。ましてや叩き起こすなんて流石に申し訳なくてできないし・・・という感じで悶々としていたら小田原駅に滑り込んでいました。
ここでゾロゾロと乗ってきて満席になり、私の隣の席も埋まったわけですが、その雑踏で一瞬目を覚ましたのか、いびきはここで一時停止!
この隙を突いて睡眠モードに入りました。
深夜の駅にて
ふと目を覚ますと列車はどこかの駅に停車中のようであり、なおかつしばらく動き出しそうもありません。
何かトラブルかと思えば、そんなことはなく、それほど走行距離が長くない夜行列車にはありがちな長時間停車というやつでした。
若干効き過ぎな暖房で火照った体を冷やしたい&喉も乾いたということで、ホームへ出て撮影がてらうろつくことにしました。
というわけで、浜松駅のホームにて、深夜の撮影タイムが始まりました。
ホームに出られるという時点で明らかですが、これは運転停車ではない正式な停車なので発車標にも表示が出ています。
こんな時間に発車する列車なんて、大晦日の終夜運転以外ではそうそうお目にかかりませんね。
連結部分です。
「ながら」は185系の4両と6両を併結して10両にしているので先頭車同士の連結部が存在します。
この間は車内からの通り抜けは出来ないので、とりあえず飛び乗ってから車内を移動して自分の号車へ行こうという方は4・5号車を跨いでしまうと次の停車駅まで自分の号車にいけなくなるのでご注意を・・・
コンコースは当然に閑散としています。
ただ、「ながら」があるおかげで今でも営業中ではあるんですよね。
思ったのが、「ながら」発車後は一旦施錠して、再び始発列車の頃に開けるのか、このまま始発列車まで開けっ放しにするのか、どっちなんでしょうね。
乗り場の案内ですが、静岡方面は非表示なのに対して、豊橋方面は表示されています。
言わずもがなで「ながら」のことですね。
大垣夜行時代は深夜帯に移動できる手段として近距離利用もそれなりにあったかもしれませんが、今は全車指定席となり、しかも当日では大抵満席ですから、深夜帯の移動の足として使うのは厳しいでしょうね。
あと、流石は日本の大動脈たる東海道本線だけに、深夜は貨物列車のメッカであり、下手をすれば5分おきくらいに思えるほど頻繁に貨物列車が通過していきました。何本か動画を撮ったのでまとめてご紹介しますね。
↑その1
↑その2
↑その3
といったところでそろそろ発車5分前です。
駅員さんも気を利かせてか発車が迫っていることをアナウンスで知らせてくれていました。
ここで乗り遅れることがあれば、始発まで足止め確定ですし、私の場合、次の目的地が草津なので新幹線で追いつくのも難しいですからね。
それでは再び座席に体を預けて夢の中へ・・・と思ったのですが、ホームを歩き回るうちに火照った体を冷やすどころか、完全に冷え切ってしまい更には例のいびきも元に戻ってしまっていたためいよいよ寝付くことが出来なくなりました。
大垣までは2時間半程度しか残っていないので、このまま起きているのも手ではありましたが、そうすると明朝以降の行程に確実に響く・・・
まさに「翌朝は早起きしなければならないので早く寝なくてはいけないのに、妙に目が冴えて眠れない」という状態です。
寝なきゃ・・・でも眠れないという悶々とした状態で気がつけば列車は愛知県内に入りました。
またどこかの駅にしばらく停車した後、アナウンスが入り名古屋駅に到着します。停車中はいびきが余計に目立ってますます眠れない悪循環からついに浜松駅から一睡もせずに名古屋まで来てしまいました。
ここで半分近くの乗客が身支度を始めて荷物をまとめ始めました。名古屋が目的地の人、関西本線や紀勢本線で奈良や三重を目指す人など様々でしょうが、ここでいびきの主の降りはしなかったものの流石に目を覚ましていびきが止まったので名古屋からの僅かな時間ではありますが、仮眠程度には眠ることが出来ました。
岐阜県庁所在地の岐阜を過ぎて10分もせずに列車名の由来でもある長良川を渡り終点の大垣です。
大垣からは養老鉄道・樽見鉄道・美濃赤坂支線などが利用できますが、ここまで乗り通した人のほとんどは米原方面へ乗り継ぎます。そして、ここではある名物がありますね。それは・・・
↑大垣ダッシュ!
大垣ダッシュというのは、下りの「ムーンライトながら」から米原方面の普通列車に乗り換える人たちが一斉にホームを走る様子を指す言葉であり、乗り換え時間が数分しか無いのに違うホームへ移動しないといけないために発生します。
ホームを走って乗り換えるのはあまり褒められた行為ではないでしょうが、実際問題として東京方の最後尾に乗っていた場合など走らないと乗り継ぎが間に合わない可能性が高いですし、JR側も半ば黙認といった感じでしょうか。
ところで、こんな悠長にカメラを回していて乗り継ぎ間に合うのか?という声が聞こえそうですが、その点は大丈夫です。
実は今回はすぐに接続する列車に乗り継いでも草津で時間が余ることが分かっていたので、あえて30分ほど後の後続列車を待つことにしていたのです。
そうすればこうやって寝起きの体で走らされずにすみますし、列車も空いている可能性が高い。今までも「ムーンライトながら」を使う場合で特に急がないときはこうやって1本見送る行程にすることが多かったです。
みんなが駆け込んだ米原行きと並ぶ「ながら」
ダッシュに参戦していてはこの写真だっておそらく撮れていませんからね。
と、ここで異変が・・・
私は端から乗り換えるつもりはなかったのでのんびり撮影しながら歩いていたのですが、なんと私が向かいのホームへ行ってもまだ米原行きはドアを開けて待っていたのです。
既に発車時刻を数分過ぎているはず・・・
過去に「ながら」からの乗り継ぎに失敗した人からクレームでもあったのか、確実に全員が乗り換えたのを確認してから発車するようにしたんですかね。
しかも、大垣~米原間では乗ったことがない311系だったので飛び乗りたい衝動に駆られましたが、それをやってしまうと出来なくなる事がありました。
それは・・・
米原行きが去ったあとに撮る185系「ながら」
311系もレア車ではありますが、185系「ながら」に比べたら優先順位は下になりますよねw
↑そして、引き上げシーンを見送ったら目的達成!
「ながら」関係でやりたいことはこなしたので、あとは東海道本線を西へ進み草津を目指しましょう。
一度改札を出てコンビニでパンなど食料を調達したら旅を続けます。
お次の米原行きは普通に313系でした。
ちなみに、昔は大垣発の米原方面では、朝の2本はJR西日本の車両が使われる大阪行きとして運転されていたのですが、その乗り入れもいつしかなくなりました。
ただし、京都まで各駅停車で、JR京都線内は快速としての運転だったため、結局先を急ぐ人は米原で新快速に乗り換えるルートが定番となっており、乗り換え回数的には今も変わっていないともいえます。
1本見送ったおかげで座ることもできまして、まずは米原を目指します。時間にして30分ちょっとですが、「ながら」での寝不足を少しでも解消すべくほとんど寝て過ごしました。
青い駅名標でJR西日本管内に入ったことを実感しつつ、旅は更に続きます。
ほとんどの人は新快速に乗り換えます。
ていうか、西明石行きなんてあるんだと初めて知りましたw
私ももちろんこの新快速に乗り・・・ませんw
大垣で1本見送ってもなお草津で時間が余ってしまうため快速(京都まで各駅停車)に乗り換えてのんびりと草津を目指します。
その方が空いているのは明らかですし、いつも新快速で乗り通してしまうのでたまには各駅に止まりながら行きたいなと思いました。
ここもほとんど寝ていましたが、この次は草津で降りていよいよ活動のメインが始まっていきます。
草津駅
関西地方に入って最初にレポートする駅となる草津駅です。ここでは30分ばかり時間があるのでその間に駅取材を敢行しました。
まずは駅名標から
余談ですが、著名な温泉地の草津温泉と同名であり、大阪や京都から近いこともあって、ここが草津温泉の最寄り駅だと勘違いされることがあり、実際に誤って訪れてしまう人もいるそうですが、草津温泉は群馬県であり、名前が同じなだけで全く関係ありません。
ここで221系がやってきました。
新快速からは撤退してもまだまだ関西圏では主力の1つですね。
草津線の113系がやってきました。
現在の草津線の主力車両ですが、朝夕にわずかながら京都へ乗り入れる運用が存在し、これもその京都行きです。
↑今日乗るのは117系なのでこれは見送ります。
ホームは後回しにして一旦コンコースに上がりました。
ここは東海道線の米原方面の乗り場となる5・6番線への階段です。
隣に貼ってあったこの掲示ですが、草津線から京都へ直通する列車があるということは、その逆の京都から来てここから草津線に入る列車もあるということで、そういう列車は東海道線の乗り場である5・6番線から出るという案内ですね。
駅前には時代劇のセットのような、関所みたいな門がありました。
草津は東海道の草津宿があった場所ですが、かつての本陣がなんと駅前にあるというお手軽な観光地になっています。
周辺は商業施設などが集まる、都市の駅前として一般的な光景が広がっています。
駅前にいたバスですが、帝産湖南交通のようです。
どこかで聞いたな名前だと思ったら東京都に本社を持ち、愛知や近畿にも支店を持つ「帝産観光バス」のグループ会社のようです。
こちらも塗装こそ違いますが、帝産湖南交通です。
新旧の塗装が混在しているとかですかね。
反対側の西口です。ここで意外と時間が無くなってきたので駅舎だけ撮ったら撤収しました。
改札に戻る途中で見かけたこのお店なんですが、草津名物「姥が餅」を売るお店のようです。
なぜ気になったかと言うと、鉄道唱歌東海道編の38番の歌詞に「彦根に立たてる井伊の城 草津にひさぐ姥が餅 かはる名所も名物も 旅の徒然のうさはらし」と歌われていたのが記憶に残っていたからです。
それが実際に売られているところを見て、つい反応してしまいましたw
それでは構内に戻ります。
↑ここで「はるか」の入線です。
「はるか」は基本的には京都までの運転であり、当駅にはやって来ませんが、朝夕の一部列車が米原まで乗り入れており、当駅にも停車するのです。
↑続いて乗車する117系がやってきました。
草津線からやってきてそのまま京都へ乗り入れる列車ですが、京都行きは基本的に朝にしかないので、草津線区間は後回しにしてこれに乗って一旦京都へ向かいます。
なお、草津線においては113系は主力車種である一方、117系は運用が限られているため今回は草津線では117系にのみ乗車することとしました。
かつては東海道・山陽線での新快速として活躍していた117系も今や東海道本線を走るのはレアですし、これはぜひ乗っておきたかったわけです。(湖西線から乗り入れる山科~京都間はノーカンw)
京都までは117系の本線走行を堪能しつつ乗車しまして、行程は次のステップへと進みます。
少し暇つぶし
京都駅にやってきてお次は湖西線の113系、及び117系の乗車ですが、それまではちょっと時間があるので暇つぶしに撮影したり乗り鉄したりして潰します。
↑乗ってきた列車は折返し湖西線の列車になるのでその発車を見送ります。
だったらそのまま乗っていけばよかったじゃないかと思われるかも知れませんが、湖西線の2往復を急いでも草津線での117系運用の関係上夕方に暇ができてしまうため、午前中はゆっくりした行程にしています。
私は奈良線乗り場へとやってきました。
昨夏に103系目当てに乗って以来ですが、今回の目的はと言うと・・・
みやこ路快速です。
奈良まで1往復乗車してくるといい感じで時間が潰れることがわかったので、乗り放題の18きっぷの特権を生かしてこういう暇つぶしもあり得るんですね。
あ、単なる暇つぶしなので奈良線部分はレポートしませんよ?w
みやこ路快速に揺られた後は腹ごしらえです。
京都名物・・・というわけではないかも知れませんが、全国的には珍しい「牛カツ」を頂きました。
そんな感じでぶらぶらしていたらそろそろ次の活動の時間です。
湖西線を2往復
ここからはまず113系で近江舞子まで1往復、続いて117系で近江今津まで1往復します。
湖西線は普通列車については近江舞子までの運転が基本で、1時間あたり1本ほどが近江今津まで乗り入れるのですが、出来るだけ長く国鉄型に乗りたく特に希少度の高い117系は近江今津までとし、どうしても近江今津行きの列車を行程に組み込むことが出来なかった113系は近江舞子行きで妥協しました。
また、夜遅くに永原行きもあるようですが、それは流石に断念しましたw
まずは113系です。
塗装がいわゆる地域統一色というやつなのが残念ですが、113系というだけでレアですからね。
それでは乗車です。
湖西線は特急では何度か乗ったことがあるのですが、普通列車では乗ったことがなく、やはり普通列車で乗ってこその乗り鉄というのもありますから、113系ということを差し置いても意義がありますね。
基本的に乗っているだけなのであまり書くこともないのですが、湖西線は1974年に京阪神地区と北陸地方を短絡するルートとして建設されたため全体的に高架橋やトンネルを多用する高規格線となっており、113系でも高速運転をするため高速域のモーター音が楽しめますね。
沿線にはいろんな駅がありますが、駅名が変わっているなと思ったので取り上げました。
「蓬莱」というキーワードで、肉まんを連想する人、某弾幕シューティングゲームのキャラクターを連想する人など、様々でしょうが、駅名の由来は近くにある蓬莱山であり、その玄関口となることから湖西線の前身と言える鉄道の江若鉄道にあった頃から「蓬莱駅」を名乗っていました。
湖西線というくらいですから日本最大の湖「琵琶湖」の西側を走るわけですが、車窓からも見える区間があります。
車窓に虹がかかりました。
虹自体はそれなりに見る機会もあるでしょうが、列車の車窓から見られるのは結構レアではないでしょうか。
といったところで終点の近江舞子に到着です。
湖西線では当駅止まりの列車が多く、当駅以北と以南で列車の本数に大きな差が出るのですが、新快速や快速も当駅までは通過運転をするものの、当駅以北は各駅停車となるなど、運行上の境界とも言える駅です。
ここでは10分ちょっとしか滞在しないので駅はざっくりとしたご紹介に留め、113系の撮影に集中したいと思います。
コンコースです。
ちょっと薄暗く無機質な感じなのが国鉄っぽいですかね。
案内も国鉄っぽいものが残っていました。
高度経済成長期という雰囲気がします。
ここで「サンダーバード」がすごい勢いで通過していきました。
さすがは高速運転に定評のある湖西線です。
ただ、不意打ちだったので動画は撮れず・・・
↑折返しの発車シーンを撮ったらここでまた少し暇になります。
ということは・・・
山科駅
次は117系の近江今津行きを待つわけですが、それも微妙に時間があくためその間の暇つぶしとして隣の山科駅を訪れることにしました。
西鉄8000系さんほどではないにせよ、やはりせっかく時間があるならば降りたことのない駅には行っておきたいですしね。
まずは駅名標
東海道本線と湖西線の分岐駅であり、隣の駅が2つ書かれていますが、大津駅と大津京駅なので紛らわしいですねw
縦型です。
駅名ナンバリングは東海道線のものと湖西線のものが2つ併記されています。
ホームは2面4線となっており、その他両側にホームのない通過線を備えます。
↑ここで117系の入線です。
この117系に乗ってもよかったのですが、あくまで”近江今津行き”で乗りたいのでこれは見送ります。
次々やってくるのでつい撮ってしまいますが、いい加減にしないと駅を見れずにタイムアップになってしまいますねw
このポイントですが、湖西線への渡り線となっており、普通・快速・新快速は内側線に発着するため、湖西線直通の列車はこの渡り線を渡って湖西線へ入ります。
乗り場案内です。
JR西日本全般に言えますが、正式名称の東海道本線は使わず「琵琶湖線」で案内は統一しているんですね。
外へ出ました。
京都駅の1つ隣にしては思ったより素朴な駅でした。
駅の近くには飲食店などが集まった施設があり、休息場所としても利便性が高そうです。
駅前には京阪山科駅があり、京阪京津線と乗り換えができます。
わざわざ別の駅名にしているのですが、実態としては同じ駅と言っても差し支えなさそうです。
また、地下鉄の山科駅も目の前です。
面白いのが地下鉄と京津線は直通運転をしていますが、両線の合流地点は1つ隣の御陵駅であり、地下鉄山科駅と京阪山科駅は完全に別の駅という扱いとなっています。
このことから発生する問題として当駅から京都市中心部方面へ向かう場合、地下鉄山科駅から乗車した場合と、京阪山科駅から地下鉄直通列車に乗車した場合では、前者は全線が地下鉄運賃となるのに対して、後者は京阪の運賃と地下鉄の運賃が合算されてしまうため、京阪山科駅で降りると運賃が高くなってしまいます。
山科から京都市中心部方面へはまだ一応別の駅なので区別が付きやすいですが、逆の場合で紙の乗車券を買った場合、京阪山科駅で地下鉄山科駅までの切符を改札機に入れても京阪の分の運賃が含まれていないことから通過できず、京阪分の差額運賃を支払う必要があります。
開業当初からこのことを知らずに地下鉄の切符で京阪山科駅まで乗ってしまい差額を請求されてトラブルになるというケースが発生しているようですが、今の所このことに対して特例を設けるなどの救済措置は取られていないようです。
例えば、御陵~京阪山科間は地下鉄線とまたがって利用する場合は地下鉄線とみなすみたいな特例(常磐線の北千住~綾瀬間みたいな)を設けるとか、そもそもこの区間は地下鉄扱いにしておけばこの手の問題は発生しなかったでしょうが、京阪としては今更特例を導入したら1区間分とはいえ運賃をもらい損ねるわけですし、なかなか難しいですよね。
↑なんてことを考えていたら京津線の電車がやってきました。
て・・・あれ?
京津線ってこんな塗装だったかな・・・?
調べてみると、新塗装だそうで、順次これに切り替えられていくようです。
元々の塗装も好きだったのもあってちょっと残念ですが、これは京阪本線の車両と同じなので、京阪全体でイメージの統一を図りたいということなんですかね。
↑従来の塗装の京津線を撮ったらそろそろ戻りましょう。
ちょうど湖西線直通の新快速が渡り線を渡っていくシーンに遭遇したので撮りました。
列車がポイントを渡りながらウネウネと進んでいく様子は何だか好きなんですよね。
それでは、お次は京都に戻って117系で近江今津まで1往復です。
117系で近江今津へ1往復
東海道本線を1駅戻ってきて京都駅です。
まあ、山科駅で待っていても乗れたんですが、せっかくならば始発から乗りたいですしねw
↑湖西線117系近江今津行きが入線してきました。
113系のときとまるまる被るので道中は基本的に端折りますが、117系は元々新快速用として開発されただけあって、快適性は113系より上であり、18キッパーにはありがたい車両ですよね。
もうかなりの古参の部類に入る車両なのは承知ですが、出来るだけ長く活躍してほしいものです。
あと、近江舞子から先は先程は乗らなかったわけですが、基本的には似たような景色が続くので乗っていてそれほど変化を感じることはありませんでした。
そして、近江今津へ到着!
ここも10分ちょっとしか滞在時間がないので駅の方は簡単に済ませて車両の撮影メインで動きます。
実は両側にも側線があって運転上は1~6番線まであります。
ただし、本線はホームに面した(旅客案内上の)1・4番線であり、特急列車などは1・4番線を通過or停車します。
ホームのベンチですが、JR西日本はベンチもちょっと豪華ですよね。
あと、ホームに直角方向になっていますが、これは酔っぱらいがベンチから立ち上がった際に、ベンチがホームと平行だとそのまままっすぐよろけていき線路に転落するケースが多かったため、安全上ホームと直角に設置することにしたようです。
地下道で接続する構造も近江舞子駅と似ていますが、同じ年代に同時に開業している以上、必然的に似たような構造になるのでしょうね。
と思ったら隣には今風の発車標が・・・
これはもうすぐ置き換えられるということでしょうか・・・
元の乗り場へ戻ると側線に貨物列車が入っていました。
特急列車を待避するんですかね。
それでは引き返します。
↑ここで「サンダーバード」の高速通過!
あとは京都まで乗っていくだけ。
最後は草津線
今朝に草津→京都だけ乗った草津線系統の117系ですが、今度は京都発柘植行きで柘植まで行き、そのまま草津まで折り返すことで117系での草津線系統の運用を制覇します。
また、草津線自体乗ったことがないので乗りつぶしでもありますね。
面白いのが、主に「サンダーバード」など特急が発着する0番線から発車するんですよね。
草津線直通列車は草津まで外側線を走るためですが、特急の合間にちょこんと割り込む普通列車というのもまたネタですね。
暗いのに加えてヘッドライトのせいでうまく写りませんが、強引に撮りましたw
それでは乗り込みます。
ここでアナウンスがあって「この列車は草津方面柘植行きです。湖西線の列車ではありません」というのは、車両が同じですし、京都から117系といえば湖西線という刷り込みがある人もいるでしょうから納得ですがその後に続いた「また、サンダーバード号でもありません」といういうのは思わずクスッときましたw
特急料金払って117系が来たら流石に一般利用者はブチギレるんじゃないでしょうかw
もっとも、鉄道マニアならむしろ117系の特急運用と聞けば喜んで乗りに来そうですけどねw
草津までは東海道線なので元々利用者が多く、結構混み合っていましたが、草津から乗ってくる人も多く、あとは減る一方という感じで、終点の柘植に付く頃にはもうガラガラになっていました。
草津線は初乗車ですが真っ暗でしたし、また乗りに来る機会もあるでしょうから、今回は細かい解説は載せないことにします。
柘植では10分程度で折返しなのでホーム上で軽く撮影したら折り返しです。
駅名標です。
当駅は難読駅の1つとして知られており、つい「たくしょく」と読みたくなりますが、「つげ」と読みます。
どうやら柘植(つげ)という植物があるそうで、それが地名の由来ですかね。
当駅は関西本線との接続駅であり、ちょうど亀山行きの列車が発車するところでした。
当駅まで乗ってきた乗客のほとんどは乗り換えていきました。
↑発車を見送ります。
伊賀上野・加茂方面は跨線橋を使って乗り換えるため、別の案内が出ていました。
それでは引き返します。
和歌山へ夜の大移動
あとは、今宵の宿がある和歌山を目指すだけなんですが、今いる柘植駅が三重県で、一旦滋賀県に出て、京都府・大阪府を経ての和歌山県ですから2府3県を跨ぐ大移動ですからねw
正直、ここまで来てしまったら関西本線で奈良まで出て桜井線・和歌山線で和歌山へ向かったほうが早いのは間違いないんですが、それじゃあ草津線の117系に全区間・両方向乗車が達成できなくなりますからね・・・
117系で草津に戻り、そこからは新快速で大阪まで行きます。
新快速は何度もお世話になった列車なので時々船を漕ぎつつ乗車していましたが、意外だったのが自動放送があったことです。
京阪神地区・・・というかJR西日本は新幹線とワンマン列車以外では特急列車や都市部の通勤路線でも自動放送はほとんど採用されておらず、新快速も長らく自動放送がなかったのですが、ここに来ての導入で驚きました。
大阪からは大阪環状線に乗り換えて天王寺へ・・・
天王寺からは天王寺始発の快速和歌山行きです。
大阪環状線には乗り入れないため紀州路快速とは名乗りません。
反対側は223系だったのでこっちにしますw
あとはこのまま一気に和歌山まで行ってゴールです。
「ながら」での寝不足に加えて、テッペン近くまで乗りっぱなしの行程が祟り、流石に疲れもピークでほとんど寝ていたように思いますw
どうせ終点ですし、寝過ごす心配もないですからね。
和歌山に付いたら宿に入って今日の活動はおしまいです。
翌日分は別途レポートしますので、しばらくお待ち下さい。
~追記~
2日目も公開しました。