今回は中部・関西方面への遠征ということですが、折しも大雨の中の旅となり、計画していた経路に運休や遅れが発生して所定どおり回れなくなったこともあり予定変更が多発し「成り行き任せの~」というタイトルを付けざるを得なくなりました・・・
時系列としては「青春ドリームなごや」で名古屋に到着した後ということになり、予定では特急「ひだ」に乗って富山まで行きまた「ひだ」で大阪へ抜ける行程だったのですが、高山本線が土砂崩れにより不通となり、「ひだ」も運休となってしまったため計画を変更せざるを得なくなり、名古屋に到着後に急遽予定を変更したわけです。
で、どう変更したかというと、東海地区で唯一乗っていなかった養老鉄道に乗り、時間が余ったので大阪へ向かう道中にある近江鉄道にも立ち寄りつつ大阪へ向かうこととなりました。
よって、今回の内容は養老鉄道と近江鉄道の乗りつぶしです。
まずは大垣へ
養老鉄道の出る大垣へ向かうのですが、ここは普通に東海道本線を使います。
乗り場へ向かう途中に見かけた案内ですが、「リニア鉄道館」がちゃんとしてるのに「レゴランド」の扱いw
首都圏ではめっきり見なくなった211系が出迎えてくれました。
どうせなら名古屋~大垣では乗ったことのない普通列車で行こうということで待ちます。
ちなみに、普通列車はほとんどが岐阜までなので、大垣まで行くのはレアです。まあ、快速・特別快速・新快速は全て岐阜以西は各駅に止まりますから実質普通列車のようなものですけどねw
車種は安定の313系
と思ったら入ってきた区間快速がなんと311系だったので予定変更してこの区間快速に乗ることにしました。
ちなみに、米原行きです。
大垣以西での311系は乗っていないのでそのまま乗り通したいところですが、ここはぐっと我慢して養老鉄道に乗るために大垣で降りました。
途中で川を渡りますが、結構な水位でした。
私が旅行した地域では大きな被害は出なかったようですが、この車窓だけでも豪雨の恐ろしさを実感します。
ここまでは遅れもなく大垣駅に到着です。
ここから養老鉄道に乗り換えます。
養老鉄道
ここから乗る養老鉄道ですが、まずは解説を挟んでから本編に入りたいと思います。
養老鉄道は桑名駅と揖斐駅を結ぶ養老線を運営する鉄道会社であり、2007年に近鉄から養老線の運営を引き継ぐために設立された近鉄の子会社となっています。
近鉄から養老線を引き継いだ経緯から第三セクターと思われがちですが、近鉄が100%出資しての設立であるため、国や地方公共団体と民間が出資し合う第三セクターの定義には当てはまらず、純然たる私鉄ということになります。当初は線路や駅などは近鉄が第三種鉄道事業者として保有し、列車の運行のみを第二種鉄道事業者として養老鉄道が行う形式でしたが、今年(2018年)より新たに自治体の基金拠出により設立された「養老線管理機構」が線路などの設備を近鉄から移譲して第三種鉄道事業者となり、上下分離方式へと移行しており、現在では近鉄は運営に直接関わらなくなっていますが、車両は引き続き近鉄時代から使われている600系が使われており、近鉄カラーを残す鉄道となっています。
続いて、養老線という路線についてですが、前述の通り桑名駅と揖斐駅を結んでいるのですが、三重県と岐阜県を直接結ぶ唯一の鉄道となっています。歴史としては、1911年に立川勇次郎氏が設立した養老鉄道(現在の養老鉄道とは無関係)を起源としていて、その後紆余曲折の合併・分離を経て近鉄の路線となりました。当初は港がある四日市と敦賀を結ぶ壮大な計画の一部として建設されましたが、1919年に現在の運行区間である桑名~揖斐間の開通を果たしたところでそれ以上の延伸は実現せず現在に至ります。
長らく近鉄の路線として運営されていましたが、東海地方の中心都市である名古屋を通らずローカル輸送に徹することになった養老線の経営は厳しく累積赤字が問題となり、養老鉄道への移管となりました。現在は設備の保有を含めて近鉄の運営への関与はなくなっているものの、養老鉄道では自前で車両の重要な検査を行う設備を持っていないことから近鉄線内にある塩浜検修車庫へ持ち込んで実施するなど、現在でも近鉄との関係はゼロになったわけではありません。
運行系統としては、大垣を境に分断されており、桑名~大垣間・大垣~揖斐間で独立した運行形態をとっていますが、扱いとしては桑名~揖斐間を通して養老線となっています。すべての列車は普通列車であり完全なローカル線ですが、車内で薬膳を食べられる「薬膳列車」や、区間や列車を限定して自転車をそのまま持ち込める「サイクルトレイン」など特色ある取り組みで集客に励んでいます。
と言ったところでそろそろ乗車レポートへと入っていきます。
養老鉄道の駅舎はJRの駅舎のすぐ隣ですが独立した駅舎を持っています。
同じく大垣から出ているローカル鉄道の樽見鉄道は元々国鉄の路線だった経緯からJRと構内を共有しているのとは対照的ですね。
きっぷ売り場です。簡易タイプの券売機ですが、私は1日券を使うので窓口へ向かいます。
養老鉄道の1日券は1500円となっており、1000円ポッキリの設定が多い中で割高感もありますが、これでも1往復するだけでちゃんと元が取れます。
まあ、経営が厳しい養老鉄道へのお布施ということでw
JRへの連絡改札があるようですが、ラッチがあるのみの簡素な構造であり、ここでJRのきっぷを買い求めることはできず、事前にJRのきっぷを買っていない人は利用できないようです。
また、18きっぷが使えないとありますが、この先にあるJRの改札口が自動改札機のみで駅員のいる窓口がないためだそうで、18きっぷ以外でも自動改札機に対応しないきっぷはこの連絡改札は利用できないようです。
JRの大垣駅は大規模な構内を持っていますが、養老鉄道としては1面2線のみと簡素な構造です。
養老線としては途中駅になりますが、当駅を境に揖斐方面と桑名方面で完全に運行形態が分離されており、またスイッチバック構造となっていて、1番線が桑名方面、2番線が揖斐方面と使い分けられています。
駅名標はかなり凝ったデザインでお城が描かれていますが、大垣にある大垣城は戦災で古くからの城郭は焼失してしまい、現在のものは復元されたものなんだそうです。
通常の駅名標もありました。
この駅名標のデザインも近鉄のデザインから帯の色を変更したのみですから、微妙に近鉄の面影を残していると言えますかね。
また、前述の通りスイッチバック構造のため2つの隣駅が片方にまとめて書かれています。
JRとの間には側線が広がるため、養老鉄道だけなんか疎外感がw
ホーム上にはサボ(?)が置かれていました。
こうして置かれているということは今でも使われているんですかね。
そして、車両です。
こちらは私が乗る揖斐行きではなくて桑名行きですが、ちょうど入線していたので撮影しました。
使用されているのは600系という車種でして、近鉄時代に養老線向けに既存のいくつかの形式を改造して導入した車両であり、1600系、1800系、6000系、6800系、6020系を組み替えたりして改造の上で600系としており、派生系列として610系、620系、625系とあるそうですが、ただでさえ近鉄の車両形式が未だにちんぷんかんぷんな私としてはたぶん区別できなくて間違えてしまうので、この記事中では養老鉄道の電車は全部600系ってことで勘弁して下さいw
近鉄時代は当然近鉄の標準的な塗装でしたが、養老鉄道の転換以降は徐々に写真のような塗装に変更されていき、現在養老鉄道といえばこの塗装がイメージカラーのようになっています。
また、転換時は車両の所有は近鉄のままで、養老鉄道にリースしているという扱いでしたが、2014年からは養老鉄道の保有となり、近鉄としては600系は消滅形式ということになるようです。
↑ここで私が乗る揖斐行きの入線です。
入線したら早速乗車ですが、この時間帯は大垣へ向かう人がほとんどで逆方向の利用者は皆無だったため車内はガラガラ、乗り鉄&音鉄には最高の環境でした。
驚いたのは国鉄型車両でお馴染みの扇風機が現役だったことw
これがあるだけで一気に古い車両感が出ますね。
それでは発車ですが、道中は特に書くこともありませんでしたw
車窓についても揖斐川に沿ってはいるんですが、堤防のせいで川そのものは車窓からほとんど見えませんし、何より雨のために車窓を撮影するのが困難だったということもあり、ご紹介することは少ないですね。
とはいえ、道中写真ゼロというのはどうかと思いましたので、1枚だけ貼っておきます。
まあ、こんな感じでのどかな景色が多かったですね。
そして、列車は25分程度で終点の揖斐に到着です。
揖斐駅
揖斐駅ですが、乗ってきた列車の折返しに乗車すると5分足らずしか滞在できなかったため、1本見送ることにしましたが、すると今度は30分ほど滞在時間ができました。
初訪問の駅ですし、次に再訪できるのがいつになるかも分からない駅ですし、じっくり見ていきましょう。
それにしても、かなり年季が入った柱ですね。
いつから使われているのかは分かりませんが、かなり古いことだけは間違いなさそうです。
改札は昔ながらのラッチのみ
そういえば、先程乗ってきた列車の中で、どうみても乗り鉄だろうという風貌の人がいたんですが、彼は5分折り返しを選んだそうで改札を出る様子もなくそのまま折り返したようでした。
駅員さんもどうせフリーきっぷだろうと思ってか呼び止めたりする様子もありませんでした。
駅舎の規模の割には立派な駅前ロータリーが整備されていました。
そこへやってきたのは名阪近鉄バスでした。
鉄道は養老鉄道へと移管されてもバスは引き続き近鉄系列の会社が運行しているんですね。
似た例として福井県内の鉄道事業をえちぜん鉄道へ移管した京福電鉄がありますが、系列の京福バスは引き続き福井県内で運行を続けている例なんかがありますね。
なお、ここに乗り入れる路線は全て「揖斐川町コミュニティバス」であり名阪近鉄バスは運行を受託しているだけで名阪近鉄バス直営の路線のうち当駅発着の路線は全廃されてしまったようです。
駅前に町内の案内マップがありました。
ご覧のように実は揖斐駅は揖斐川町の外れに位置しており、中心部まではバスを使わないとアクセスできません。とはいえ、鉄道で揖斐川町を訪れようと思えばこの揖斐駅が唯一のアクセス手段です。
なお、2001年までは名鉄揖斐線の本揖斐駅が揖斐川町中心部に設けられていて鉄道で揖斐川町中心部まで行くことができました。町内から鉄道が全廃されたわけではないとはいえ、中心部から乗れる鉄道がなくなったのはやはり不便ではないですかね。
駅前にはここがかつて近鉄の駅だったと主張するかのように「名阪近鉄旅行」なる旅行会社がありました。
名前から察しが付くと思いますが、名阪近鉄バスの子会社であり、バスツアーを中心に展開しているようです。
ベンチもしっかり完備!
どうせ他に利用者もいないようですし、雨の中での取材を余儀なくされたのでここでしばらく休憩させてもらうことにしました。
路線図や時刻表ですが、意外と路線網が充実しているようですね。
しばし雨宿りを兼ねて休憩したところでバスもやってきましたし駅舎に戻ります。
ここもいわゆる列車別改札のようですが、降車客が全員出場してから入場させると言った徹底した運用ではなく、発車の5~10分程度前になったら入れてもらえるようです。
北陸・東北・北海道などいわゆる寒冷地では列車別改札が徹底され、到着時は速やかに出場するように促され、入場時は列車到着まで入れてもらえないということになり、ホーム上の撮影が困難であり駅員さんとの交渉次第となることが多く懸念していた事でしたが、そんなに徹底した列車別改札ではないようで安心しました。
↑せっかく早めに入れてもらえた&雨脚も弱くなったので入線シーンも動画撮影
これが600系なのか610系なのか・・・私にはいまいち区別が付きませんが、何系かはともかく注目してほしいのは正面に貼られたステッカーです。
「サイクルトレイン」とありますが、自転車が持ち込める列車であることを示しています。
利用可能区間は播磨~揖斐間、ようするに桑名駅以外のすべての駅ということになっており、土日祝日は終日全列車、平日は9時~15時頃までとなっていて、利用可能列車にはこのようなステッカーを掲示するようです。
利用できるのは2両目の車両であり、折り畳み自転車ではない普通の自転車を追加料金を払ったり予約なども不要で持ち込むことが出来るサービスです。
地方だと駅から先の路線バスと言った2次交通が脆弱なことが多いですから、これはありがたいサービスですよね。
私が乗車したときも1名だけ自転車を持ち込んでいる人を見かけました。まあ旅行当日は雨だったので自転車の利用を控える人が多かっただけで、普段はもっと多いのかもしれませんけどね。
今度の電車にも扇風機がありましたがより現代風なものが付いていました。
さて、この電車で大垣へ戻り桑名行きに乗り換えるわけですが、大垣は数分乗り換えだったのでこのまま養老鉄道の大垣以南のレポートへと移ります。
養老線で一旦三重県へ
大垣以北を乗りつぶした私は続いて桑名を目指し養老線完乗を目指します。
ただ、この区間も本格的な峠越えがあるわけでもなく、かといって並行する揖斐川もはっきりと見えるわけでもないなど車窓的ハイライトには乏しく、あまり書くことがないのが本音だったりしますw
運行形態としては、揖斐側は揖斐~大垣間で通し運転ばかりで途中駅で折り返す列車が皆無なのに対し、大垣~桑名間では車両基地がある西大垣への出入庫を兼ねた大垣~西大垣1駅間のみの列車があったり、朝夕に駒野や養老を起終点となる列車があるなどバリエーションは多いですね。
あと、大垣駅から養老鉄道の職員と思われる制服姿の人たちが何人か乗り込んできたのですが、次の西大垣駅で降りていきましたので、車庫のある西大垣との移動に営業列車を使っているようですね。
養老鉄道、および養老線の名前の由来となる養老駅はこの区間にあります。
別に降りたわけではないですが、記念に撮影しておきました。
ところで、養老といえば、「養老の滝」を連想する人も多いのではないでしょうか。
故事に出てくる滝として知られていますが、養老町内に実在する滝です。ただし、故事と違って流れているのは酒ではなく普通の水ですがw
そういえば、「養老の滝」は鉄道唱歌第1章の35番の歌詞にも「父やしなひし養老の 瀧は今なほ大垣を 三里へだてゝ流れたり 孝子の名譽ともろともに」と歌われていました。私もそれで聞き覚えがあったのですが、私のこの手の故事や旧跡に関する知識は鉄道唱歌由来が多いですw
そして、列車は桑名に到着です。
ところで、大垣から揖斐は25分程度の乗車でしたが、大垣から桑名は1時間10分も乗っており最初に揖斐の方へ行ったせいもありやけに長く感じましたw
桑名駅
桑名駅自体は以前に訪れているのですが、養老鉄道乗り場は手付かずだったこともあり、ホームを中心に取材していきたいと思います。
こちらが桑名駅のホームです。
JR・近鉄・養老鉄道の3社で一体の駅となっており、乗り場番号もJRから連続しており、1~3番がJR、6~8番が近鉄となっており、近鉄の2面4線のうちの1線を4番線として養老鉄道が使用しています。
元々近鉄線だったためであり、経営移管後も乗り場を分離するなどはしていないようです。
近鉄とホームを共有していますが改札は別々のようでホーム上に柵を設けて養老鉄道と近鉄の利用者を分離していました。
改札口は現在駅の工事をしている関係もあり列車の停止位置より先にあります。
ホームの途中で線路が分断されていました。
そのため現在4番線は養老鉄道の列車のみ入線可能であり、近鉄線の列車は4番線に入れないのですが、そもそも養老鉄道と近鉄名古屋線は軌間が異なるので乗り場を共有することができない事情もありますね。
通常の駅名標は近鉄の駅名標の裏面を利用しているのかこんな場所にありましたw
こちらが養老鉄道と近鉄を隔てる中間改札です。
養老鉄道と近鉄を乗り継ぐ人はもちろん、養老鉄道に乗ってきて桑名駅で下車する人、桑名駅から養老鉄道に乗車する人もこの中間改札を通らないと養老鉄道乗り場へは入れません。
つまりは、桑名駅で養老鉄道に乗り降りする人はまず近鉄の改札から入場してこの中間改札を通るという2回の改札を体験することになります。
ようするに4番線以外は近鉄のものを間借りする形のようですが、そのために桑名駅だけはサイクルトレインの利用対象外となっているんでしょうね。
中間改札にも券売機が設けられており、「精算券」を売っているようです。
特急の乗車位置案内ですが号車部分が反転フラップ式(通称:パタパタ)なんですね。
まだまだ滞在時間はありますが、近鉄の車両ってあまり撮っていないので撮影タイムとしつつ時間を潰したいと思います。
5200系急行
これは以前に快速急行と急行を伊勢中川で乗り継いで鶴橋→名古屋を移動した際にお世話になりました。
↑特急「伊勢志摩ライナー」の入線です。
あれ?私の知ってる「伊勢志摩ライナー」は黄色かったような・・・
知らぬ間にリニューアルされていたようです。関西私鉄はどうも最新のトレンドに追いつけていない私です。もっと勉強しないといけませんね。
↑通いて入線してきたは1000系による準急四日市行き
今度は22000系がやってきました。近鉄特急って実は乗ったことがなく写真もほとんどありませんからこの機会に撮っておかねば
↑というわけで発車シーン
今までは停車列車ばかりでしたが、「通過します」という放送で反射的にカメラを構えるとやってきたのはぜかまし「しまかぜ」でした。
は、はっや~い!
↑こちらも動画もどうぞ
40ノット以上の快速(多分)をお楽しみ下さいw
最後にこれだけ撮ったらもう折返し列車の時間が迫っていました。
本当は一瞬でも駅前には出ようと思っていたのが撮影に夢中になりトイレに行く時間すらなくなりましたw
おかげで、復路の大垣行きの車中ではずっと尿意と戦うことにw
実はこのとき、このまま近鉄線をたどって大阪を目指し、伊賀鉄道などを乗りつぶす案もあったんですが、近鉄線ルートは山越えが多くこの気象状況ではリスクが高いと判断して養老鉄道で大垣へ戻り東海道本線で米原へ抜け、運行状況に問題がなければ近江鉄道に立ち寄るという決定をしました。
道中は例によって飛ばして大垣駅へ飛びます。
一路滋賀県へ
大垣からはJR東海道本線で米原を目指します。岐阜から滋賀にかけての県境区間はJRが唯一の鉄道になりますからね。
やってきたのは313系
311系だったら嬉しかったのに・・・w
何度も乗った313系ということで適当に乗車時間を過ごすだけかと思ったら大雨の影響で関ヶ原~米原間は徐行運転をしているとのこと。米原到着は大幅に遅れるとのアナウンスが流れていましたが、平常運行の新幹線に逃げようにも大垣からでは利用できず、岐阜羽島か名古屋まで戻る必要がありますし、他に利用可能な交通手段もないということで遅延を承知で米原まで乗ることにしました。
関ヶ原からは並行する国道を走る自動車にも追い抜かれるほどのノロノロ運転が続き、一方の新幹線はいつもどおりの俊足で駆け抜けていくので、鈍行列車で旅をしていると新幹線の速さが恨めしく思えるのがあるあるとはいえ、いつも以上にそれを感じましたw
近江長岡駅では貨物列車が側線に停車中でした。抑止を食らって停車中だったんですかね。
窓の濡れ具合からも分かるようにこのあたりでは雨脚が強くなってました。
この後の行程があるのでやきもきすつつ過ごしますが、かといって車内の座席に座っているだけの私が何をしたところで列車の遅れが減るということでもないですし、私に出来る唯一の対策として米原以降の行程の見直しをすることとしました。すると米原で近江鉄道の列車を1本逃しても元々の行程が貴生川から折り返しの接続が悪くそこで元々の行程に復帰できることが分かり、あとはのんびりと過ごしました。
223系がいました。この車両を見ると関西に来たという気がします。
ただ、転落防止幌は安全上致し方ないとはいえ、やっぱりデザイン的には微妙w
なお、この日は北陸本線は運転見合わせとなっており、新快速の運転も中止されていたため、全列車が米原で折返しで、普通と快速のみの運転でした。
北陸本線が不通という事は当然「サンダーバード」や「しらさぎ」も運転見合わせです。
ただ、この時点で米原駅周辺は晴れ間すら除く空模様で、利用者からは遅れてでもいいから動かせばいいのにという声も聞かれました。
乗り換え待ちの間にホームの立ち食いでうどんを頂きます。
関東ではそば文化であり特に立ち食いではうどんが少数派なのですが、関西まで来るとうどん文化であり、せっかくなのでうどんを選びました。
関西風のだしも美味しかったです。
まずは西口に出ました。
はい、そこ!新幹線駅にしてはしょぼいとか言わない!w
米原駅の場合、新幹線ホームも地平駅ということもあって、余計に駅が小さく見えてしまうんでしょうね。
このあとはしばらく駅取材
「SL北びわこ」の運転日の案内でしたが・・・ちゃんとアップデートしてあげてw
米原風土記とのことですが、なんと本物の木彫り!
非売品でしょうけど、値段をつけたらすごいことになりそう・・・
近江鉄道乗り場にやってきましたがまだ時間があるので駅取材を続行です。
それにしても、駅前もビルというより民家が目立ち、ローカル駅の駅前という感じw
交差点の案内標識ですが、新幹線のピクトグラムすら無いというw
そういえば、駅前には多くの送迎のマイカーが乗り付けていたのですが、福井ナンバーなど北陸地方のナンバーをよく見かけました。もしや、北陸本線が不通なものだから、マイカーで米原駅まで送迎する人が多かったんですかね。
と、考えるとやっぱり遅延してもいいから走らせたほうが良かったのではなんて思いたくもなりますが、今回は結果的には未曾有の豪雨と言われるような災害に発展しましたし、北陸本線で直接被害がなかったとはいえ安全第一なのは結構ということになりますかね。
あと、関西では一般的な格安チケットの自販機
新幹線や在来線の回数券のバラ売りなどを自販機でしており、正規購入より安く利用できると広まっているようです。
鉄道など陸上交通が発達する以前は琵琶湖を利用した水運が盛んで、その湊がここ米原にもあったというわけですね。
余談ですが、現在の東海道本線に相当する鉄道が全通するまでの過渡期には大津と長浜の間を琵琶湖航路で代替していた時期があるようで、琵琶湖水運と鉄道もまた無関係ではありません。
そろそろ時間なので入口へ戻ってきました。
そういえば、出る時は気づきませんでしたが、窓ガラスには新幹線が描かれていました。
駅周辺に新幹線要素が皆無だったので1つくらいはあって安心しましたw
近江鉄道に乗車
そろそろ列車の時間が近づいてきたのできっぷを買って近江鉄道に乗車です。
利用するのは「1デイ・スマイル・チケット」というもので、土日祝日と金曜日限定ではあるものの880円で近江鉄道全線が乗り放題というとってもオトクなきっぷです。
これを知ってしまうと養老鉄道の1日券が高く感じてしまいますが、それはそれとして近江鉄道の解説に入ります。
近江鉄道の歴史は古く明治にまで遡りますが、特筆すべきは1896年(明治29年)の設立から幾度かの合併などを経験しているものの、近江鉄道という社名は設立以来1度も変更されたことがないということです。日本には明治期に多くの私鉄が設立され、現在まで存続しているものも多くありますが、設立時の社名を維持している例は近江鉄道の他には東武鉄道や島原鉄道など数例しかありません。余談ですが、長らく地元住民からの近江鉄道の愛称は「近鉄」であり、読み方も「きんてつ」だったそうなのですが、皆さんご存知のように現在「近鉄」といえば、近畿地方一円に路線網を展開する営業キロ数日本一の大手私鉄「近畿日本鉄道」のことであり、近年では近江鉄道のことは「ガチャコン電車」と呼ぶ人が多いようで、「近鉄」=近江鉄道というのは年配の方に限られるようです。
そして、設立当初の目的は東海道本線からも関西本線からもルート選定にあぶれてしまった湖東平野に鉄道を通すことであり、東海道本線の彦根駅と関西本線(当時は関西鉄道)の甲南駅(当時は深川駅)を目指しました。しかし、工費削減の目的から終点を甲南から貴生川に変更されることになりますが、これが現在の近江鉄道本線となっています。
支線として多賀大社への参詣路線となる多賀線、近江八幡駅への支線となる八日市線を加えて3路線が近江鉄道のネットワークとなります。
ちなみに、かく言う私は近江鉄道に乗ることを決めたのが当日の朝というくらいに急遽決まった乗り鉄だったこともあって、実は路線図すら当日まで把握していませんでしたw
ホームに入りました。
ごく普通のホームのようですが、近江鉄道のいくつかの駅を見たあとの今から思うとここだけやけに新しいように思えるのですが、それもそのはずで、2007年に現地に移転した際に作られたホームのようですから、まだ10年ちょっとしか経っていないわけですね。
駅名標ですが、シンプル・イズ・ベストを体現するような駅名標ですね。
赤字の地方鉄道にしてはちゃんと案内設備が整っているのは好感ですね。
待っていたのは100形という車両でした。鉄道にある程度詳しい方なら見ただけで察しがついたと思いますが、西武鉄道新101系を譲り受けたものです。
古い車両に似合わず液晶モニターによる車内案内表示器を装備していました。
それでは、まずは多賀線との分岐駅となる高宮駅を目指します。
それにしても、正式名称での多賀線は高宮~多賀大社前間の支線であり、運行形態としても朝晩の一部列車が彦根や米原に直通する以外は高宮駅折返しの線内完結がほとんどなのに、路線愛称としては本線と多賀線を合わせた米原~多賀大社前間が「彦根・多賀大社線」となっていて、本線の高宮~八日市間は「湖東近江路線」となっていて、逆に本線の八日市方面のほうが支線のような扱いなのが面白いですw
話しついでに触れると、本線の八日市~貴生川が「水口・蒲生野線」、八日市線が「万葉あかね線」となっています。
と言ったところで発車ですが、米原の次の駅はフジテック前駅であり、駅名にもなっているフジテックの工場が車窓からも見えます。
ちゃっかり、東海道新幹線と絡めてみましたw
そして、彦根に到着です。
JR琵琶湖線とも接続しており、米原~彦根間はJRと並走していることになりますが、JRが米原と彦根の間に駅を設けていないのに対し、近江鉄道はフジテック前、鳥居本の2駅を設けており、よりこまめに客を拾う姿勢のようです。
ここでは停車時間があるようなのでしばらくホームをぶらつきます。
それにしても、ここは米原駅に比べて凝った駅名標ですね。
当駅には車両基地が併設されており、また、特定日には「近江鉄道ミュージアム」として開放されることがあるそうです。
ところで、米原発射時点では乗客は数えるほどであり、これでは赤字だろうなと思いながら乗っていたのですが、彦根では停車中に次々と乗客がホームへやってきて席の大半が埋まる程度の混雑にはなっていました。
米原より彦根からの利用者が多いんでしょうね。
そして、再び列車は走り出しますが、あっという間に高宮に到着です。
高宮では多賀線に乗り換えですが乗り換え時間が僅かなので駅の方は復路で立ち寄るときにご紹介することとして、多賀線のレポートへと入っていきます。
多賀線
高宮から分岐する多賀線は全部で2駅しか走っていないミニ支線なのですが、多賀大社への参詣路線という目的で開通しました。現在でも多賀大社へのアクセス路線としての利用ももちろんあるでしょうが、沿線にある事業所への通勤輸送でも活躍中です。
また、かつては貨物輸送も盛んだった時期があり、その当時の側線の名残も残っているようです。
多賀線では100形よりももっと古そうな電車が待っていましたが、800系という車両です。
古くからの鉄道ファンなら分かるでしょうが、これも西武から譲り受けた電車でかつての401系です。
さて、それでは発車ですが、乗客は数える程度・・・まあ、本線があんな感じでしたから、こっちが激混みだったらそれはそれで驚きますがw
当路線最大のネタと言えるのが唯一の中間駅となる「スクリーン駅」です。
なんでスクリーン?と突っ込みたくなるような駅名ですが、その由来は現地にいればすぐに分かります。
はい、駅前にある企業の名前なんですね。
近江鉄道には企業名由来の駅名がここ以外にも先程通ったフジテック前駅や、京セラ前駅と、このスクリーン駅を入れて合計で3つあることになりますが、他は「○○前」と前の字をつけているのに対して、ここだけはただ単に「スクリーン駅」としているため、初見では由来が分かりづらいんですね。
ちなみに、会社としての「スクリーン」は半導体や液晶を製造するための機械を作っている会社だそうで、その手の業界以外ではあまり馴染みのない社名かもしれませんね。
実は私も社名としてよりも駅名として知る方が先立ったりします。
それでは、たったの5分足らずですが終点の多賀大社前に到着です。
多賀大社前駅
多賀線の終点多賀大社前駅ですが、ここでは30分程度滞在時間がありましたのでしっかりレポートできます。
終端部の先に通路があって2番線へと接続する櫛形3面2線の構造です。
普段の利用状況からすれば過剰設備にも思えますが、三が日の初詣客などを捌くのに活躍するのでしょうね。
特に封鎖されているわけでもなかったので2番線に入ってみました。
それにしても、線路の錆び具合からして2番線の使用頻度が伺えますねw
でも、ちゃっかり列車接近を知らせる案内は付いているのに驚きました。
車両といい駅といい古いものが多く残る近江鉄道ですが、乗車位置案内はすごく都会的ですよね。
一方、高宮方の構内はこんな感じ
かつて隣接するキリンビールと住友セメント向けの貨物輸送も行われていたそうで、その名残でかつて側線だった場所が広い構内として名残を残しています。
あと、線路を跨いでいる高架は名神高速道路です。高速道路は鉄道と違って従来の市街地を避けたルートを取ることも多いので、鉄道の路線図からすると意外なところで交差したりしますよね。
そして、改札口です。
ただし、普段は列車内で運賃収受や集札を行う方式なので駅員はおらず、恐らくは三が日など多くの参拝客が見込まれるときだけ臨時に駅員が配置されるのでしょう。
2番線へは車止めの向こう側から回らなければならない以外は分かりにくいところもないように思えるシンプルな構内ですが、ちゃんと構内図がありました。
基本的には無人駅となっており、駅員はいませんが、駅舎内に観光案内所を併設しており、時間帯が限定されるもののそこにはスタッフが居るため完全な無人というわけではないようです。
一応名の知れた神社の玄関口となる駅ですし、何もないのは寂しすぎるということですかね。
例の観光案内所と駅舎が一体化したコミュニティハウスということになるようです。
よく見ると、しめ縄で神社要素を演出しているんですね。
駅舎全景です。
これまた神社風ということなのか木造チックなデザインですが、2002年に改築された、近江鉄道の中では割と新しい部類です。
これも古さ演出なのか世代の方には懐かしさを象徴するアイテムであろう丸ポストがありました。
その隣にはバス停もありますが、湖国バスが当駅へ乗り入れる路線を手がけていて、南彦根駅・彦根駅や大君ヶ畑というところへ行く路線がありますが・・・
本数はご覧の有様・・・
地方にしては頑張っている方だと思いますが、平日しか走らない系統があったりするあたりは、近隣にある事業所への通勤輸送が主眼の路線なんでしょうね。
今風に言うとインスタ映えを狙ったかのようなオブジェを発見w
「叶♡多賀門」という名前だそうですが、一体なんて読めばいいの?w
※「叶○多賀門」の○の部分は機種依存文字のため環境によっては化けるかも知れません。化けている方はハートの記号が入っていることだけ分かれば記事の理解に支障はありません。
「近江の地獄めぐり」というワードも出てきましたが、調べると昨今のパワースポットブームにあやかり、主に恋愛成就を願う女性たちに向けて町をあげてPRしているようです。
駅周辺にもネタが多かったですが、やっぱり駅名の由来にもなっている多賀大社が気になるので時間つぶしがてら行ってみます。
ところで、今年の干支である「戌」の字が掲げられていますが、もしや新年の初詣のときに設置してそのままとか?w
駅前にいきなりこんな大きな鳥居があるし、駅名も「多賀大社前」ですからすぐ着くだろう・・・この時はそう思っていました。
よく見ると矢印付きのヘキサ(県道標識)、しかも路線名付き!
「多賀停車場線」という割とそのまんまな名前なんですね。
その先は落ち着いた雰囲気の町並みが続きます。
普通の民家や商店もありましたが、観光客目当てであろう土産物店やカフェなども見られ、門前町の雰囲気が出てきました。
ただ、この日は普通の土曜日であり、しかも悪天候の折とあって人通りはまばらでしたけどね。
それでもぽつぽつと参拝者の姿があったのですが、彼らはよほど信心深い人たちとかなんでしょうかね。
落ち着いた雰囲気の道を歩くのは気分的にはよかったのですが、困ったのが行けども行けども多賀大社が出てこなかったこと・・・
「多賀大社前」なんて駅名詐欺もいいところじゃないかと内心で悪態をつきつつ歩くこと10分、ようやくそれらしい場所にたどり着きました。
この大きな鳥居に広々とした参道・・・大社を名乗るだけのことはあります。
が・・・残念なお知らせが・・・
ここまで10分程度かかってしまったのですが、言い換えればここから駅まで戻るにも(往路は時折立ち止まって撮影などしていたとはいえ)同じだけの時間がかかるということであり、駅周辺の撮影でも10分程度使っていたため、残り時間は10分・・・
境内に入って参拝をして帰ると列車の時間までに駅に戻れないということになり、入口まで来て帰るのは中途半端だとは思いつつもここで引き返すことにしました。
一応鳥居の前で合掌し、今回の旅が無事に終わることをお祈りして撤収しました。
せめてもの罪滅ぼしではありませんが、記事中で多賀大社のことについて軽く触れておくと、多賀大社はイザナギ・イザナミの2柱を祀っており、この2柱は日本神話で神産みといって、多くの神々を産んだ最初の夫婦とされていて、伊勢神宮に祀られている天照大神(あまてらすおおみかみ)もイザナギ・イザナミの2柱の子とされていることから「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」とか「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」などと歌われたりもしたそうです。
これが関係あるのかないのか、近江鉄道では貴生川まで伸ばした本線を更に延伸して現在の伊賀鉄道伊賀線広小路駅まで路線を伸ばし近鉄線に直通して伊勢神宮のある宇治山田まで直通運転する構想があったそうです。
そのあとは早足で駅へと戻りましたが発車まで少し余裕があったので誰もいないことをいいことに車内などを撮りつつ時間を潰しました。
古い車両に似合わず防犯カメラを完備
近江鉄道って駅や車両は古いですが細かい設備は充実している印象ですね。
再び高宮駅へ引き返して多賀線は終わりですが、高宮駅も乗り換え待ちで少し時間があったので軽くレポートします。
高宮駅
福岡生まれの福岡育ちの私としては西鉄天神大牟田線の方を連想してしまう高宮駅ですw
線路の草が気になりますが、配線は2面3線であり、本線の2面2線に多賀線の1線がくっつく形です。
駅名つながりで西鉄で例えるならば宮の陣駅を小さくした感じでしょうか。
驚いたのがホームの屋根の古さ!
昭和という設定でロケをするとしてもそのまま使えそうですw
かなり古そうですが、メンテはしっかりしているのか朽ちているとかそういう感じではないですね。
そりゃ屋根となれば風雨に耐えなければなりませんし、最悪崩れるようなことがあればホームで待つ人の安全に関わる問題ですから中小私鉄といえどもしっかりやっているのでしょう。
ホームのど真ん中にこれまたいかにも古そうな建物を見つけました。
案内図がありましたがまさかの手書きw
でも、手作り感があって嫌いじゃないです。
それにしても草生えすぎwww
北海道遠征で訪ねた長期運休中の落合駅と変わらないんですがw
なんと木製の街灯が残っていましたが、傘型のカバーがついた電球とかレトロを通り越して骨董品レベルではw
それにしても、何だか斜めになっている気もしますが、これ現役なんですかね・・・
↑ここで米原方面の電車がやってきました。800系でした。
↑続いて発車シーンです。
改札口ですが、一部時間帯しか駅員がいないようで訪問時は無人でした。
駅舎内ですが、2002年に建て替えられた比較的新しい駅舎であり、このモダンとも無機質とも言えるようなコンクリート打ちっ放しの壁面は、ホームの古さを先に見るとすごくギャップがありますw
そういえば、ステンドグラスのようなものがはめられていますが、社紋か何かでしょうか。
駅舎です。多賀大社前駅童謡にコミュニティセンターを併設しています。
なんでもうちょっと引いて撮らないんだという声が聞こえる前に引いた場合の写真をご紹介しておきますが、駅前のスペースが狭く別の建物が隣接しているため駅舎全体が入るくらい引くと他の建物が見切れてしまうんですw
これくらいで次の列車の時間ですので構内に戻ります。
↑今度の電車は700系でした。
展望車のような大型の窓を備えたこの700系ですが、近江鉄道開業100周年&八日市駅新駅舎完成の記念事業として西武401系を改造して作られた車両です。
元の車両の面影が見出だせないほど大幅に改造されていますが、イベント列車としても使える多目的車両として導入されたようです。
しかし、運用は他の普通の車両と共通になっておりこうして普通列車としてひょっこり現れたりもします。
私個人としても近江鉄道といえばこの車両のイメージがあったので乗れてよかったです。
車両の愛称は「あかね」と付けられていますが、沿線にある蒲生野というところで詠まれた「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」という万葉歌に因んでいるようです。
地方のローカル私鉄とは思えない転換クロスシートという豪華な内装です。
特別料金が必要なんじゃないかと思ってしまいますが、扱いは普通列車なので乗車券のみで乗車可能です。
さて、ここからは八日市駅を目指すわけですが、その道中いくつかネタがあったのでそれを紹介してから八日市駅へと進みます。
道中のネタとは・・・
あまりハードルを上げてしまっても困る程度の小ネタなんですが、駅ネタの合間の箸休めと思ってご覧下さい。
車窓から見えるは東海道新幹線の高架ですが・・・
実はこうして近江鉄道にピッタリくっつくように並行して東海道新幹線が走るようになった経緯にちょっとした小ネタがあります。
実はこの東海道新幹線の高架の向こう側には伊吹山が眺望でき、当然新幹線ができるまでは近江鉄道における絶景ポイントだったわけですが、それが新幹線が通ったことで台無しになってしまう・・・
東海道新幹線がこのルートで建設されることが決定すると近江鉄道はルート変更を要望するなど反発の姿勢を見せたそうですが、国家の威信をかけたと言ってもいい巨大プロジェクトの東海道新幹線のルートをそう簡単に変えられるわけもなく、結局は眺望が損なわれることに対して国鉄側が近江鉄道へ補償金を支払うという形で決着した経緯がありました。国鉄が騒音とか立ち退きとかではなく「景観」に対して補償金を支払ったということでこの件は面白おかしく取り上げられることも多く、割と有名な話なのではないかと思いますが、実際には真横に新幹線の高架橋や築堤が出来ることで踏切の見通しが悪化するため、踏切の保安装置を改良するなどの措置も含めた補償金だったようで、「景観」だけのための補償金ではなかったようです。
もう1つのネタがこちら
この写真の建物は「豊郷町立豊郷小学校」という小学校なのですが、隣接して保存されている旧校舎が「けいおん!」の主人公たちが通う「桜ヶ丘女子高等学校」のモデルとされていて、内部も公開されており、誰でも見学することが出来るようです。
「けいおん!」は私もリアルタイムで視聴しましたし、出来れば途中下車して訪れてみたいところでしたが、急遽決まった訪問でしたし、時間的にも厳しいのでまた今度ですね。
ちなみに、近江鉄道では各駅に関連した観光案内などがアナウンスで流されるのですが、豊郷駅では「けいおん!」にもちゃんと触れてくれていました。
と言ったところで八日市駅に到着です。
八日市駅からは貴生川へ
貴生川へ向かうため列車は近江八幡行きですが、一旦下車します。
近江鉄道としては主要ターミナル駅となるであろう八日市駅ですが、こうして車両が並ぶと壮観ですね。
↑発車シーンを撮ってお見送り
駅名標です。
それにしても、福岡には二日市がありますし、三重には四日市、広島には五日市、そしてこの八日市と、「○日市」という地名は各所に点在していますが、この手の地名は大抵「定期市」といって、毎月決まった日に市場が開かれていた土地であり、似たような地名に「○日町」「○日市場」がありこれも同様の由来のようです。駅名で言えば前者が十日町や六日町、後者が八日市場とかでしょうか。
気になったのが何故かあんな位置にネットが張られていたこと・・・
ここは線内随一のターミナル駅ということでか構内踏切ではなく跨線橋がありました。
反対側へやってきました。ネットが張られているのはここのようですね。
ここで列車を撮ろうとしたらネットの意味を思い知ることになりました。
これ・・・撮影者対策だw
この位置からならかなり撮りやすいポジションになりますが、ここは跨線橋とホームや改札を往来する動線でもありますから、三脚など立てて居座られたら迷惑になりそうですし、撮影に夢中になるあまり接近する列車に気づかないなんてこともありそうですから、その対策としてネットを張った線が濃そうですね。
無論日頃から撮影マナーには心がけているつもりですが、こんな悲しいスポットを増やさないためにも撮影マナーには本当に気をつけたいですね。
と、ここでタイムアップ!
え?駅前には出ないの?と物足りないあなた、安心して下さい。復路もここで乗り換えになりそのときにも時間があるので駅の外はその時ご紹介します。
というわけで、ここからは貴生川へ移動して、近江鉄道本線完乗を目指します。
貴生川へ
八日市から乗り換えた貴生川行きに乗って、いよいよ近江鉄道本線を完乗します。
「水口・蒲生野線」の愛称もある八日市~貴生川の区間ですが、米原や彦根、高宮などから貴生川へ直通する系統、八日市線と直通する近江八幡~貴生川の系統、そして、八日市を起点に八日市~貴生川間の系統、夕方に設定される貴生川~日野間の区間便などがあり、こうしてみると近江鉄道も運行系統のバリエーションは多いですよね。
道中ではこのあたりで雨脚がまた激しくなって窓ガラスが濡れて景色が十分見られなかったこともあり特にネタもないので貴生川駅のレポートへと進みます。
というわけでやってきました貴生川駅です。
ちなみに、駅名の由来ですが、「貴生川」という川があるわけではなく、かつてこのあたりに存在した「内貴」「北内貴」「虫生野」「宇川」という4つの村が合併して貴生川村となった地名に由来しているそうです。
その貴生川村は何度かの合併を経て現在は甲賀市の一部となっています。
近江鉄道乗り場と書かれたこの看板ですが、注目してほしいのはちょっと読みづらいですが下に書かれた小さな文字です。
「みんなで利用して「びわこ京阪奈線(仮称)」を実現しよう!」と書かれているのですが、「びわこ京阪奈線」とはなんぞや?というと、近江鉄道本線と信楽高原鉄道信楽線を改良の上、信楽~京田辺間に新線を建設してJR学研都市線に直通運転することで大阪市内まで直通運転させようという構想です。滋賀県側は「びわこ京阪奈線(仮称)鉄道建設期成同盟会」なるものを結成して建設推進の立場のようですが、京都府側はあまり乗り気でない様子であり、今の所具体的に建設に向けての動きがあるわけでもなく、あくまで構想の域を出ない状況のようです。
JRの方の駅名標です。JRは草津線が乗り入れていていて、これに乗ればJR東海道本線(琵琶湖線)の草津駅へ出られますが、今回はこのまま近江鉄道を折り返して近江八幡経由で宿のある大阪を目指します。
そうでないと、八日市線だけ未乗で終わってしまいますしねw
早く出てくれと言わんばかりに駅員さんが改札口でお待ちでしたので撮影は早々に切り上げて改札を出ました。
昔ながらのラッチですね。
看板同士が干渉して見えない部分がw
これ、設置する前にこうなるって気づかなかったんでしょうかw
忍者がよじ登ろうとしてるw
忍者といえば伊賀のイメージを持っていた私ですが、調べると甲賀忍者というものもあったそうで、そのアピールでこんな階段になっているんですね。
ちなみに、伊賀と甲賀は山一つ隔てて隣接しています。
北口はこれだけ撮って撤収です。ここまで滋賀県に入ってからは時折晴れ間すら見られ、雨も止んでいたので油断していましたがここへの車中から降り始めた雨は駅滞在時も止むことはなく、外は簡潔に済ませてしまいました。
そういえば、ホームで電車を撮らなかったことを思い出し、跨線橋から何とか撮りました。
と、その脇にある乗車駅証明書発行機
無人駅でもあるまいしなんでこんなものが?と思ったら、信楽高原鉄道に乗る人のためのもののようです。
信楽高原鉄道も元々はJRと同じ国鉄の路線でしたから、乗り場もJRの改札内にあるわけですが、駅では信楽高原鉄道の切符は発売しておらず、利用者はまずこの発行機で乗車駅証明書を受け取り、それをJRの有人改札で提示して入場後、信楽高原鉄道を下車する際に車内精算するスタイルを取っているようです。
せっかく有人駅なのだから切符を発売すればいいじゃないかと思いますが、駅自体はJRが運営しているためそこで信楽高原鉄道の切符を売ってもらうには委託料が必要であり、それをケチって経費節減策としてこのようにしているみたいです。
ちなみに、このときついでに信楽高原鉄道にも乗ってしまおうかとも思ったんですが、大雨の影響でダイヤが乱れているようでしたし、仮に予定通り運行する想定をしたとしても宿への到着がかなり遅くなってしまいそうだったので今回は断念しました。
続いては南口に出たいと思います。
それにしても、この壁画、信楽高原鉄道の列車がモデルなんでしょうが線形がまるでジェットコースターw
一方、草津線の113系もいました。
それにしても、乗客が忍者だったり狸だったり賑やかですねw
駅前にいた可愛らしいサイズのバスは「甲賀市コミュニティバス」です。
貴生川には純粋な民営路線バスは乗り入れていないようで、全てが甲賀市コミュニティバスとして運行されるようです。
とこれくらいで撤収。
どうせここから出ている信楽高原鉄道にもいずれ乗りに行くことになるでしょうし、そのときには必然的にこの駅をまた利用することになりますし、もっと細かい取材はそのときにとっておきましょう。
続いては八日市駅に戻ってやり残した外部の取材を完成させます。
2度目の八日市駅
本線を引き返してやってきた八日市駅ですが、残りの取材を完成させて近江八幡行きに乗り換えです。
大きな凧が飾られていました。
何故に凧と思って調べると、このあたりには「八日市大凧祭」なるお祭りがあり、100畳分の面積で重さにして700kgにもなる巨大な凧を揚げるそうです。
役にあった壁画は額田王と中大兄皇子をモチーフにしたもののようです。
この二人は飛鳥時代の人物とされていますが、この二人に加えて大海人皇子と三角関係にあったという説があるそうで、その縁の地であるとして、ある種の観光資源としてプッシュしているようです。
私にとっては学生時代の教科書で見たことあるかもしれない名前だなくらいの認識ですが、歴史好きの方にとっては十分観光資源なんでしょうね。
それを言うなら私のようにわざわざ遠方まで列車に乗ったり撮ったりするためだけに出向いたりするのはどうなんだって話ですしねw
あと、ちょっと小柄な白ポストがありました。
いつも見つける度に思いますが、これって今でも存在意義があるんでしょうかw
この電車で近江八幡まで行っていよいよ近江鉄道完乗となりますが、ここで八日市線について解説を入れておきましょう。
八日市線は近江八幡と八日市を結ぶ路線であり、歴史から行くと元々は湖南鉄道という別の私鉄が開業させたものでした。元々別の会社の路線だった経緯から当初は近江八幡から新八日市までは現在と同じですが、そこからは八日市ではなく御園というところまで伸びており、現在の八日市駅には乗り入れておらず近江鉄道本線とは立体交差していましたが、紆余曲折を経て湖南鉄道が近江鉄道の一部となると、新八日市から八日市への連絡線が作られ、一方で御園方面は廃止されて現在の形となりました。
また、その他に特筆すべき点としては、近江鉄道では唯一快速が定期運行されている路線であるということがありますね。
この快速は平日の朝に近江八幡から八日市まで片道1本だけ運転されており、途中駅は全て通過する設定になっています。
平日朝のみという形態からして明らかですが、JR線や近江八幡駅から八日市駅へ通勤・通学する人の便宜を図った列車と言えますね。
中小私鉄にしては近江鉄道の路線規模はそこそこだと思うので、もっと快速運転があってもよさそうですが、米原・彦根~近江八幡ではJR琵琶湖線が競合していてスピードでは敵わないでしょうし、端からスピード競争は避けてこまめに客を拾うほうがいいという半旦那でしょうね。
そして、いよいよゴールの近江八幡駅です。
近江八幡駅で活動終了!
乗りつぶしとしてはゴールとなる近江八幡駅です。
改札口ですが、やはり自動改札を導入していません。
そういえば、今日訪問した駅では自動改札を見ていませんし、おそらく1箇所も自動改札を導入していないんでしょうね。
ライオンズカラーをまとったバスは近江鉄道のバスです。
近江鉄道も西武グループですが、バスが一番分かりやすいですねw
この日は大雨の影響でJRでも新快速の運転が中止されており、大阪へは快速列車で向かうことになりましたが、そういえばこの区間では新快速以外には乗ったことがなかったのでいい機会でした。しかも221系が来たのでこれまたラッキー!
大阪からは大阪環状線に乗り換えて宿のある京橋へ向かいます。
前回大阪環状線に乗った時は103系がまだ現役でしたが、今は323系にすっかり置き換えられてしまいましたね。
しかし、323系には初めて乗るのでこれはこれで収穫
多賀大社の神様のご加護か、無事に京橋に着いたら後は夕飯を食べて宿に向かったわけですが、驚いたのが埼玉県民のソールフードとも言える「ぎょうざの満洲」が大阪にも進出していたことですね。
懐かしい看板に思わず入店してしまいましたが、餃子定食を平らげたあと、せっかくの大阪なので粉物も行きたいと宿への道中で見つけたお店でたこ焼きを買って部屋で食べました。
というわけで、ようやくこのレポートは終わりとなりますが、実はこの旅は家族旅行のついでみたいなものでして、この翌朝軽く活動してから家族旅行を楽しみ、帰路につくというもので、次はその翌朝の軽く活動した内容をレポートしたいと思います。
続いても関西での活動になりますが、全く活動内容が異なるものになるでしょうから、また別のタイトルを付けたレポートになると思います。そちらも気長にお待ち下さい。
翌日の活動はこちらから
そうそう、本来やる予定だった「ひだ」についてですが、高山本線の復旧と「ひだ」の運転再開を待っていずれリベンジしたいと思います。
もう字数が2万字を超えてきているのでいい加減に締めたいと思います。それでは!
~追記~
「ひだ」のリベンジに行きました。
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