今回は18きっぷで岡山県から関東地方まで移動しました。
なお、この活動は時系列としては「下津井電鉄の瀬戸大橋線に乗る!」の続きであり、2021年の年始に実施したものとなります。
今回の活動内容
今回は直前の活動内容の関係上、児島駅からスタートして、あとは瀬戸大橋線・山陽本線・東海道本線と乗り継いで関東まで進みます。
基本的にはただひたすら移動するだけですが、全くネタがないというわけでもないですし、とある駅で驚きの遭遇もありましたのでぜひご覧下さい。
旅の始まり
まずは児島駅からスタートということで、早速本編を始めたいと思います。
児島という名前なくらいですから、昔は島だったというのはなるほどなぁという感じですが、どうやら江戸時代の干拓事業により本州と地続きになったそうです。
それでは移動開始です。ホームにいたのは213系でした。
瀬戸大橋線の普通列車というと115系のイメージでしたが、213系も児島まで来るんですね。
これに乗って岡山まで移動です。
この時間だと「マリンライナー」はなく、普通列車が岡山への最速列車のようです。
岡山に着きました。
ここでしばらく撮影することにしました。
まずは8600系を撮影します。
381系「やくも」
赤穂線に入る115系普通列車
これに乗っていっても関西の方まで行けますが、この後に出る山陽本線経由の相生行きの方が早く着くようなのでそっちにします。
広島はもう國鐵廣島を脱却したというのに、岡山はまだまだ國鐵岡山ですねw
キハ187系「スーパーいなば」
岡山駅は中国・四国地方の主要ターミナル駅ということで、いろんな方面への列車が見られて楽しいですね。
↑発車シーンです。
山陽本線を東へ進む
「スーパーいなば」が発車して数分後に私が乗る相生行きの普通列車がやってきました。
もちろん115系です。写真は取りそこねましたが空いていたので座って移動できました。
岡山~相生間は本数が少ない割に、18きっぷシーズンには利用者が多くなる区間ということで、18きっぷシーズンに乗ると混んでいるイメージが強いのですが、時間的にまだ早い上に、今シーズンは「ムーンライトながら」の運転がないため18キッパー自体が少ないのかもしれませんね。
ところで、この記事を書いている時点では「ムーンライトながら」の運行終了が正式にアナウンスされていたのですが、もう「ムーンライトながら」を利用できないとなると18きっぷでの長距離移動が難しくなりますね・・・残念です。
そうそう、岡山を出て最初の停車駅となる「西川原・就実駅」というのをご紹介しておきます。この駅は2008年に開業した比較的新しい駅となっていますが、「就実」という部分が駅名としては変わっていますよね。
これは駅周辺にある就実大学という大学を経営する学校法人が駅の整備費用を負担して開業した経緯によるものですが、実は駅名を決めるにあたって一悶着あった駅だったりします。
地元民や費用を負担した就実大学などは「就実大前」という名称を主張しますが、駅を運営する立場となるJR西日本が地区名をとって「西川原」とするように主張し、駅設置の協議が難航する事態となりました。
その後、時刻表での表記など正式な駅名は「西川原」とするが、アナウンスや駅名標などでの表記は「西川原・就実」とすることで妥協し、現在の形となりました。
つまり、写真にあるように駅名標には「西川原・就実」と書かれていますが、これは正式な駅名ではなく、あくまでも「西川原」が正式な駅名ということです。(以下長い蛇足になるので、興味のない方はスキップしても構いません)
個人的には大学がお金を出して整備した駅なのだから、駅名に大学の名前をつけるくらいはしてもよかったと思いますし、地元住民すら大学名を駅名とすることに賛同していたようですから、JR西日本が地名である「西川原」にこだわったのはちょっと理解できないというのが本音ですが、これには裏話があり、それは島根県の出雲神西駅が関係しているというのです。
だいぶ脱線してしまいますが、どうせそこまでのボリュームにはならない記事だと思いますので続けますと、出雲神西駅は山陰本線にある駅であり、国鉄時代の1982年に「神西駅」として開業しました。
その後、国鉄分割民営化を経てJR西日本に継承された後の1993年に地元自治体が費用を負担する形で「出雲大社口」という駅名に改称されます。
これは1990年に出雲大社へのJRでのアクセスルートだった大社線が廃止されたことから、観光への悪影響を危惧した出雲市や大社町(現在は出雲市の一部)が観光振興のために要望したものですが、当駅から出雲大社へは9kmほど離れているため、当初は路線バスやタクシーなどでの連絡を想定していたようです。
しかし、路線バスを開設しても利用者の少なさから赤字が見込まれ、自治体で赤字補てんをする必要があるとの見込みが出ると路線バス開設の話は立ち消えとなり、タクシーも駅前に常駐するのではなく電話で呼び出す形となるなど、出雲大社へのアクセス駅としては全く機能していませんでした。
それでも時刻表などで駅名を見た出雲大社への観光客が当駅で降りてしまうケースが発生し、ついには1997年には利用者からの苦情を受けて中国四国管区行政監察局からJR西日本へ「駅名の変更」か「出雲大社への路線バスの開設」、最低でも「出雲大社方面への利用は出雲市駅を利用するようにアナウンスを徹底する」ことが勧告として出される事態になりました。
その後は出雲大社へは出雲市駅を利用するようにアナウンスされるようになりましたが、それでも苦情は無くならず、ついに改称から6年後の1999年に出雲神西駅へと改称されました。このときの改称にかかった費用も出雲市が負担したため、JR西日本としては経済的な負担はなかったようですが、お役所から勧告を受けたことがトラウマになっているのか以後は駅名に特定の施設名などを採用することに消極的となっており、西川原駅についても例えば就実大学が改名したり、別の場所に移転したりして再度駅名を変えなければならなくなるリスクを避けたいという判断から大学名の採用を避けたのかもしれません。
一方、同じJR西日本で学校名を採用している駅というのも実は存在しており、いずれも山陰本線にある「鳥取大学前駅」と「鍼灸大学前駅」です。
どちらも1995年と1996年に開業しており、出雲大社口駅の問題が大きくなる1997年より前だったので滑り込みセーフだった形ですかね。
なお、「鍼灸大学前駅」については開業時に駅周辺にあって建設費用を負担した大学の名前から付いた駅名ですが、2008年に大学の名前が変わったものの駅名は変えられずに放置されており、JR西日本は駅名を変更する予定はないと明言しています。
という蛇足もこれくらいにして旅に戻るとしましょう。
記事としてはまだまだ序盤ながら、活動としては既に下津井電鉄瀬戸大橋線の1往復を終えた後であり、あとは移動ばかりだと思うと気が抜けてウトウトしながら乗っていました。
そして、目を覚ますともう相生でした。
相生では1分連絡で赤穂線からやってきた姫路行きに接続しているためすぐに乗り換えます。
実は相生~姫路間の山陽本線は、山陽本線とはいいますが、実態は赤穂線へ直通する播州赤穂発着の列車がメインであり、播州赤穂~姫路間のローカル列車と、京阪神地区を経て敦賀・米原などへ直通する新快速が走っています。
一方で、山陽本線の列車は今回のように岡山方面から来た列車は原則として相生止まりで運転され、相生で赤穂線から来た姫路行きの普通列車か新快速に接続するダイヤとなっています。
ただし、朝夕に限っては岡山方面からの山陽本線の列車も姫路まで乗り入れています。
ここでは乗り換え時間が短いので撮影はなしで先へ進みます。
列車の終点は姫路ですが、あえて手前の網干で降りることにします。
理由は、姫路で接続する新快速が網干始発であり、網干で乗り換えたほうが座れる可能性が高いという判断からです。
ここから先はいよいよ京阪神の都市圏に入る上に、乗車時間も長い区間なので座れるかどうかは重要な問題ですからね。
網干からは18キッパーにとってのオアシスとも言える新快速です。
網干から姫路までは各駅停車ですが、姫路からいよいよ新快速の本領発揮です。
18きっぷで乗れる列車としてはかなり高速の部類に入る列車で、最高速度130km/hで京阪神を爆走しますが、18キッパーにとってはこの新快速があるおかげで関西地区は天国ですよねw
姫路を出ると加古川・西明石・明石・神戸・三ノ宮・芦屋・尼崎・大阪・・・と停車していきます。
ここからは神戸や大阪へ向かう人が増えてくる時間帯ということもあって停車駅ごとに車内が混み合っていきます。
いよいよ大阪の街並みが見えてきました。
今回は降りませんが、他の乗客たちは大阪で大部分が入れ替わります。
やはり関西の中心は大阪ですね。
大阪を出ると新大阪・高槻・京都と来て、早くも京都府に入りますが、ここで一旦途中下車です。
実は今回は移動がメインであり、せめて食事くらいはご当地のものを楽しもうということで、昼食・夕食は途中下車して頂くことにしていたのです。
牛カツ定食です。
関西では牛カツを食べる文化があるようで、以前に訪れて気に入った京都のお店には機会がある度に訪れていたりします。
およそ1年ぶりの京都でしたが、今回は食事だけして先へ進みます。
次は長浜行きの新快速ですが、その前に野洲行きの快速が221系だったので乗車しました。
快速は京都~明石間のみで快速運転をしており、琵琶湖線と呼ばれる京都以北の区間では各駅停車となります。
その上、野洲までしか行ってくれないので、後続の新快速を待ったほうがいいのですが、221系に乗りたくて乗りましたw
221系は東海道・山陽本線では快速としてはまだ運行が続いていますが、新快速からは撤退して久しいですからね。
乗ってきた221系です。
駅取材をする時間はありませんので、そのまま後続の新快速に乗り換えます。
↑入線は動画でどうぞ
山頂の雪は更に深くなっているようですね。
これから先、豪雪で名高い関ヶ原を通るので心配です・・・
琵琶湖線と呼ばれる京都~米原間では新快速も停車駅が増えて京都~姫路間ほどの爆走はしなくなりますが、それでも快速が各駅停車となる区間での快速の役割を担っているため、特急を除いては一番早い列車であることに変わりはありません。
新幹線がものすごい勢いで通過していきました。
岡山から新幹線に乗っていたらとっくに東京に着いているであろう時間ですが、さっきの京都みたいに色んな場所に立ち寄りながら旅ができるのは18きっぷならではの醍醐味ですし、これもこれで悪くないですよね。
そろそろ米原に到着ですが、車窓からは「WIN350」が見えました。
「WIN350」はJR西日本が1992年に開発した新幹線用の高速試験車であり、愛称である「WIN350」は「West Japan Railway’s Innovation for the operation at 350km/h」(350 km/h運転のためのJR西日本の革新的な技術開発)の略とされています。
形式名としては500系900番台となります。そう、実はかつて「のぞみ」として活躍し、今は山陽新幹線で「こだま」としての余生を送る500系新幹線の仲間なんですね。
ただし、それは形式名としての区分上での話であり、外観はもちろん構造的にはほとんど共通点はありません。
とはいえ、この「WIN350」で得られたデータを元にして量産車としてデビューしたのが500系なので全く関係がないわけではありません。
なんで、そんなレアな新幹線が車窓から見えるのかというと、それは線路沿いに「鉄道総合技術研究所風洞技術センター」という施設があるからであり、施設内で引退した試験車両が静態保存されているのです。
ちなみに、ここ以外だと福岡県の博多総合車両所にも保存されています。
その隣には「STAR21」がいました。
こちらはJR東日本が開発した高速試験車であり、正式には952形・953形という形式名があります。
愛称の「STAR21」は「Superior Train for Advanced Railway toward the 21st century」(21世紀に向けた先進的鉄道のための素晴らしい列車)の略です。
JR東日本が開発したとあって、試験が行われたのは東北・上越新幹線でしたが、ゆかりのある宮城県の新幹線総合車両センターの他に、ここでも保存されているようです。
ちなみに、隣にちらっと見切れているのが「300X」こと、955形試験車で、こちらはJR東海が開発した試験車両でした。
以上さまざまなレアな車両が保存されている風洞技術センターですが、毎年10月の鉄道の日近辺の週末にはこれら車両を公開するイベントが催されることがあるそうです。
まあ、コロナの影響が続く限りは開催は難しいでしょうし、早期の収束を願うばかりです。
米原からはJR東海の区間となり、313系と乗り換えです。
たまに米原始発の新快速・特別快速などで豊橋・浜松まで直通してくれるパターンがあるのですが、今回は大垣行きの普通列車ということで大垣でも乗り換えないといけません。
このあたりは東海道本線の中でも閑散区間といえ、車窓ものどかな景色が増えます。
山をバックにした新幹線というのも絵になりますが、ちょうど新幹線が通ってくれればなぁw
「関ヶ原の戦い」のあった場所としても名高い関ヶ原ですが、車窓からもちらりと古戦場が見えます。
かつては東軍と西軍が戦った関ヶ原も、今は鉄道と雪が戦っていますね。
今回は大した雪ではなく旅には全く影響はありませんでしたが・・・
その関ヶ原を過ぎると線路が分岐していきます。
これは東海道本線の下り線であり、下り線は垂井駅を通らずに大垣駅から関ヶ原駅へ至ります。
となると東海道本線の下り普通列車は垂井駅には停まらないのかといえばそんなことはなく、普通列車専用の線路として大垣~垂井~関ヶ原間に「垂井線」と呼ばれる線路が引かれているため下り普通列車も垂井駅に止まることができます。
では、この下り線は何のためにあるのかといえば、下りの貨物列車と特急列車のみが使っています。
元々は戦時中の輸送力増強策として、勾配のきつい大垣から関ヶ原にかけての線路を、より勾配のゆるい新線に付け替えたことに端を発しており、当初は普通列車も含めた全ての下り列車がこの下り線を通っていたため、下り列車は垂井駅を通らずに、代替として下り線上に設置された新垂井駅を利用する形となっていましたが、従来から垂井駅を利用していた人たちからこれでは不便であるという声が寄せられるようになると、付け替え以前に下り線だった場所に改めて線路を引き直して、普通列車に限っては下り列車はそこを通るようになりました。
現在、東海道本線の大垣~米原間はほとんどが普通列車(一部大垣以東へ直通する新快速・特別快速などもあるがこの区間では各駅停車)であり、特急列車は「しらさぎ」と1日往復だけある大阪発着の「ワイドビューひだ」、あとは夜行列車の「サンライズ瀬戸・出雲」くらいであり、この区間も別路線だとみなすならば乗りつぶしの難易度が高い路線と言えるかもしれません。
車窓からは養老鉄道が見えました。
以前に乗りに行った時は、近鉄時代から使われる600系しかいませんでしたが、今は東急から譲り受けた7700系への置き換えが進行中であり、ちょうどその7700系に遭遇しました。
車両も変わったことだし、いつかまた乗りに行きたいですね。
ここから先はひたすら乗り換えと移動ばかりであり、特にネタはありません。
大垣から乗車した特別快速豊橋行き、そして、豊橋からは浜松行き、更に熱海行きと乗り継いでいき、長い長い静岡大陸が始まります。
そんな静岡の県庁所在地であり「駿府」とも呼ばれる静岡市ですが、ここで一旦途中下車です。
目的は京都と同じく食事のためであり、静岡といえば・・・もうお分かりですかね?w
静岡駅に降り立つと目の前に停まっていたのはなんと、JR東日本のE257系でした。
それも「踊り子」仕様に改造されたE257系でも2500番台というやつです。
そういえば、ネット上の情報で最近E257系がJR東海に乗り入れて試運転をしているという情報があったのでそれだと思いますが、まさか遭遇するとは・・・
そういえば、この試運転が行われていることをもって「ムーンライトながら」が今後も運行され続ける証拠だとする意見も出ていましたが、この記事を書いている時点では「ムーンライトながら」の運行終了が正式発表されてしまいましたから外れていたことになります。
私自身も「ムーンライトながら」のための試運転ならば大垣まで試運転が実施されるはずが、実際には試運転の範囲が静岡付近のみであったり、E257系の投入数からして、「踊り子」や「湘南ライナー」の代わりに設定される「湘南」以外の運用に回せる余裕はないはずだという意見も見かけて、E257系が「ムーンライトながら」の後継車になるというのは可能性が低いだろうとは思っていました。
とはいえ、もしかしたら定期運行があった時代に活躍した373系が復活する形で投入されたりするんじゃないかという期待ももっていたので、運行終了のニュースはやっぱり残念です。
ちなみに、私にとって最後の「ムーンライトながら」乗車は2019年のことでした。
ところで、だとすれば何のために試運転をしているのかという話ですが、それは「踊り子」の修善寺発着の列車が熱海~三島間でJR東海区間を走るためであり、このわずか2駅間のために試運転をしているということになりますね。
下手をすれば185系引退に合わせて修善寺への「踊り子」の乗り入れがなくなるという説すら唱えられていたくらいですから、修善寺踊り子が残ってくれるだけでもありがたいですかね。
JR東日本区間の東海道線では既に見られなくなった211系と並べてみます。
↑まずは211系が発車です。
↑続いてE257系が発車です。
と、予想外の遭遇にしばらくホームで撮影することになりまして、静岡駅の滞在時間が減ってしまいました・・・
何を焦っているのかといえば、これから「さわやか」に行きたいからです。
「さわやか」とは、静岡県内のみに出店するレストランチェーンであり、「げんこつハンバーグ」が看板メニューとして知られています。
私もそんな「さわやか」のハンバーグの大ファンであり、今回は静岡駅に程近い「新静岡セノバ」内にある店舗を訪れ、そこで夕飯を頂くことにしていたのでした。
が、問題は「さわやか」はかなり人気のあるお店であり、更に予約も受け付けていないことから1時間以上の待ち時間もザラということであり、今回は静岡で2時間ほど滞在できるようにしていましたが、もし行ってみて1時間以上待つとなったら、駅への往復の移動時間なども考えると流石に厳しい・・・
公式サイト上で案内されている待ち時間は15分程度となっていたのでそれを信じて行ってみると、私の前には2~3組程度であり、サイトの案内通り15分程度で入店できそうでした。
そして、私の順番が来てテーブルへと案内されますが、何度も「さわやか」を訪れてきた私でも初めて見かけるものが出てきました。
これはどうやら消毒スプレーのようで、全てのお客に渡しているようでした。
もちろん店員さんの手によってもテーブルの消毒はされているんでしょうが、自分でやらないと安心できないという人のためなのか、こんなサービスもしているんですね。
いよいよ「げんこつハンバーグ」とのご対面です。
静岡へ行くときはほぼ必ず食べているくらいですが、2020年中は静岡へ行くこともなく1度も訪問できておらず、直近の訪問は2019年12月のことでしたから1年ちょっとご無沙汰していました。
1年ぶりでも変わらぬ美味しさを堪能したら、東京までもうひと踏ん張りして移動するとしましょう。
駅に戻ってきてコンコースでの1枚ですが、リニア中央新幹線についてのパネルがありました。
リニア中央新幹線は、静岡県内を一応通るものの、山間部の無人地帯の地下をかすめるだけということで、静岡県には直接恩恵がないわけですが、一方でリニア中央新幹線のトンネル掘削が大井川の水源に影響を与えることが懸念されており、静岡県はリニア中央新幹線のトンネル掘削工事に反対していることもあって、静岡県民にも理解を得ようという意味でパネルを設置しているんでしょうね。
直接はリニア中央新幹線の恩恵を受けない静岡県ですが、現在東海道新幹線の主力列車である「のぞみ」はリニア開業後は本数が減ることが見込まれ、そうなると余裕のできた線路容量を生かして「ひかり」「こだま」の増発が可能になり、それが静岡県にとってはメリットになるということもアピールしていました。
リニアも予定通りの開業は厳しそうな情勢ですが、開通したらしたで乗りに行きたいですね。
さて、このあとですが、選択肢が2つありました。
1つは普通列車熱海行きに乗車することであり、18きっぷ以外に追加料金が不要というメリットがあります。
もう1つは「ホームライナー沼津」に乗車するというものであり、沼津で前述の普通列車に接続するので結局沼津以降の行程は同じになりますが、特急型車両なので快適に移動できるメリットがあります。
なんてことを考えながら私は券売機へ向かっていました。
体が勝手に「ホームライナー沼津」の乗車整理券を買いに行っていましたw
自動的に直近の列車が表示される仕様のようですが、当日中であれば他の列車の乗車整理券を買うことも出来るようですね。
JR東日本のライナーだと直近の列車しか買えないというパターンが多いのがこれは助かりますね。
これは、静岡からだと沼津方面と浜松方面の両方にライナーが出ており、時間帯が近接することもあるためかと思われます。
あと、JR東海のライナーといえば、問答無用で座席が勝手に指定されてしまうという、M車に乗ってモーター音を楽しみたい身としては困った仕様となっていて、それを回避するためにいつもあえて車内購入していたのですが、この張り紙を見て驚きました。
なんと、券面に書いてある座席は無視して、空いている好きな座席に座ってくださいとのこと。
私としては大いに助かることですが、どうしてこうなったかといえば、開始が去年の4月からということを考えると、これもコロナが関係しているようですね。
恐らくですが、指定された座席に座る仕組みだと、せっかく車内が空いているのに他の乗客に近い席に座ることを強いられるケースが出てきて、”密”を避けるという観点からクレームが出たものの、MARSとは独立した仕組みで座席を管理しているであろうホームライナーでは、シートマップを見ながら自分で座席を選べるようなシステムにするには、システムの大幅な改修が必要になるでしょうし、他のライナーみたいに座席は指定しない方式とした場合も規則の改正などが必要になるため、当面の間の措置として、指定された席を無視して座っていいことにしたんでしょうね。
そもそもが、従来から車内購入が認められていて、車内購入の人は空席利用という暗黙のルールがあった以上、もはやJR東海のライナーは座席指定制を改めて、座席指定なしの自由席にするなどしてもよさそうですけどね。
ホームへ上がり、列車を待つ間に細かいものを撮っていきます。
「ムーンライトながら」の乗車位置案内がありました。
まだこの案内がある以上、コロナさえ収まれば「ムーンライトながら」は復活するという希望を持って撮影しましたが、結果を聞いてしまった今となっては・・・
もう1つは「サンライズエクスプレス」です。
「ムーンライトながら」が無くなるとなれば、東海道本線では唯一の夜行列車ということになりますが、せめてこれだけは末永く走り続けてほしいものです。
↑ここで反対方向の「ホームライナー浜松」が入線してきました。
↑そして、発車です。
あとは、「ホームライナー沼津」を待つのみです。
↑やってきました!
方向幕を撮ったら乗り込みます。列車名自体が行先を表すので分かりやすいですね。
「ホームライナー」については過去にも解説しているため省略しますが、特急形である373系に乗れて、乗車整理券320円を追加するだけでもいいので、長い長い静岡大陸におけるオアシスのような列車です。
できれば熱海まで行ってほしいところですが、ライナーの最東端は沼津までなので、そこから先は普通列車のお世話になります。
張り紙の通り、乗車整理券に書かれている座席を無視して、M車の台車直上の席に座りましたが、車掌さんがやってきて車内改札をしに来たものの乗車整理券を持っていることさえ確かめれば座席のことは何も言わずに立ち去っていきました。
沼津からは先行していた普通列車に追いついて、あとは熱海まで向かえばJR東海区間も終わります。
熱海からはいよいよJR東日本区間に入り、快速「アクティ」が旅の締めくくりとなります。
ここも乗り換え時間がタイトであり、先頭部まで行って撮る暇がなかったため、写真はこれだけですw
ところで、快速「アクティ」は来春のダイヤ改正において平日夜間の下り列車のみに削減されることが発表されており、上りの「アクティ」は消滅することになりますから、最後に乗ることが出来てよかったです。
まあ、「アクティ」は熱海~東京間のうち、通過する駅がある区間は小田原~藤沢間のみとなっており、その通過する駅も鴨宮・二宮・大磯・辻堂の4駅のみですから、存在意義が微妙な快速だったのも事実ですよね・・・
歴史から行くと「踊り子」の停車駅を削減する事になった際に、その代替として従来は「踊り子」が停車していた駅をカバーする目的で設定されたのが「アクティ」であり、当初は戸塚、早川、根府川も通過していたのが、徐々に停車駅が追加されて現在の形になりました。
それがとうとう平日夜間の下りのみになってしまうのですが、一方で湘南新宿ラインの特別快速は存続するので、快速は湘南新宿ラインに一本化する方向になったとも言えますね。
夜間の上りということでガラガラでしたが、やっぱりE231系の座席は硬いw
まあ、この座席に座ると東京に戻ったことを実感できますけどねw
と言ったところで記事はこのあたりで締めたいと思います。
なんやかんやで1万字を超えてしまいましたが、これにて溜め込んでいた記事にしていない活動はなくなったので、当分は溜まった写真やら録音の整理や、サイトの方で長らく更新できていないコンテンツの更新などに手を回せればと思います。
早くコロナウイルスが収束して、また普通に乗り鉄などが出来る状態になればと願うばかりです。
それでは!
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