今回は2023年8月末をもって一時休園した東京都青梅市にある「青梅鉄道公園」に訪問しましたのでそのレポートです。
ここ最近は地方への遠征の活動が多かったのですが、久々の東京都内での活動となりました。
現地への往復は特段ネタはなかったので、訪問記に特化することとします。
「青梅鉄道公園」とは
まず最初にこの記事の主題となる「青梅鉄道公園」について解説してから本編に入っていこうと思います。
青梅鉄道公園は東京都青梅市にある鉄道公園でJR東日本の関連団体である公益財団法人東日本鉄道文化財団が運営しています。
鉄道車両の展示を中心とした展示施設であり、鉄道博物館と読んでもよさそうですが、あくまでも「公園」という位置づけであり、大宮の鉄道博物館や京都鉄道博物館、リニア鉄道館などの大規模施設から比べると小規模な施設となっています。
しかしながら、展示車両の数は10両あり、地方の廃駅跡などを整備したような、SLを1両置いただけのただの公園と言ってもいいような規模の「鉄道公園」が多い中では大規模と言えるでしょう。
歴史としては1962年に国鉄によって鉄道開業90周年記念事業の一環として永山公園の一角に整備されました。
それを国鉄分割民営化の末にJR東日本が引き継いだわけですね。
すごいのが、開園から長いこと入園料は無料で自由に展示車両を見学できるという大盤振る舞いな運営がされていたことです。
国鉄時代はともかくとしてもJR東日本に引き継がれてからもその運営体制は1997年の展示車両の補修整備まで続きました。
有料化されたあとも100円というお手軽な入場料が設定されたため、手軽な行楽スポットとしても人気を博してきました。コロナ禍による影響が出る前の時期では年間に7万~8万人も訪れているようです。
そんな「青梅鉄道公園」ですが、2023年9月1日から2025年度末の間、リニューアル工事を行うため休園となり、再開後は「中央線・青梅線の鉄道の歴史を伝える学びの場」となる計画です。
となると気になるのが現在の展示車両や展示品がどうなるのかという点ですが、その点について明言はないもののリニューアルを知らせるプレスリリースの中で「展示物、展示車両の見直し、追加などを検討」とありまして、特に注目してほしいのが太字で強調した「見直し」の文言であり、これは現在展示している車両や物品がリニューアル後は展示されないものが出てくる可能性もあるということですよね。
展示車両の追加は結構なことですが、仮に同じ敷地でのリニューアルであるなら増やした車両の分、既存の車両を減らさないとスペースが確保できない可能性も出てきますからね。
そのため、現在の内容での「青梅鉄道公園」は見納めとなることもあって、大昔に1度だけ見学したことがあったものの、最後にもう1度見学しに行くことにしたのでした。
なお、「青梅鉄道公園」で展示車両の入れ替わりが発生するというのは過去にもあったらしく、「青梅鉄道公園」を去った車両たちは今のところは全て鉄道博物館(大宮)などに引き継がれ展示されているようなので、仮に今回のリニューアルで展示を終了する車両が出たとしても、別のところでまた展示される可能性は高いと思います。
そして、記事執筆時点では既に意味のない情報ではあるのですが、ここで「青梅鉄道公園」の基本情報をまとめておくと、開園時間は10時~16時半(最終入園は16時まで)、月曜日が定休日となりますが、祝日・振替休日・都民の日に該当する場合は開園となり、その場合は代わりに火曜日が休園となります。
入園料は前述の通り100円ですが20名以上の団体の場合は50円となる他、70歳以上と障害者手帳を所持する人、小学生未満は無料で入園できます。
意外にも子供料金が設定されていませんが、元々安いですしねw
交通アクセスですが、最寄り駅はJR青梅駅となるものの、駅からは徒歩15分ほどかかる上に急な坂道を登っていかないといけないと、アクセスはあまりよろしくありません。
路線バスでは都営バスの「西分」バス停を利用すると駅から歩くよりは近いですが、やはり登り坂があることに変わりはありません。
一方、自動車でのアクセスは無料の永山公園駐車場を利用可能で、駐車場から青梅鉄道公園へはすぐそこなので、自動車・バイクが利用可能な人はその方が便利かもしれません。
ただし、台数に限りがあるので、混雑が見込まれるような時期に訪問するならば電車の方が無難ではあるかもしれません。
といった基本情報を押さえたところで、レポート本編に入っていきましょう。
訪問レポート
ここからはいよいよ本題となる訪問レポートとなります。
まずは現地へ向かうのですが、坂を登り切って看板が出てきました。
周辺道路は狭い道路ばかりで、こんなところに鉄道公園があるのかと不安になりますが、看板に従えばちゃんと着きます。
でも、このような道路事情のせいで目の前に路線バスが乗り入れることは叶わないんでしょうね。
しかし、展示車両の搬入とかはもちろん大型車両を使うわけですから、この狭い道路を大型車両が通って搬入されたと思うと、その光景を見てみたくなりましたw
ところで、昔訪れたことがあると書いたんですが、いざ現地を訪れて思ったことは「懐かしい」よりも「あれ?こんなんだっけ?」の方が強かったですね。
それは、訪れたことがあると言ってもそれはもう20年は前の話ですし、当時はまだ子供でしたから、記憶もかなり薄れています。
なので、実質的には初見に近い状態での訪問でした。
それにしても、意外に洒落っ気がない看板ですね。
普通に街なかにある公園みたいな感じです。
こちらが入口です。
この建物は屋内展示のスペースであると同時に管理棟でもあるようですね。
もちろん休園についてのお知らせも出ていました。
おおむねネットのプレスリリースと同じ内容ですね。
ここが入場ゲートです。
ここで入園料を払うとチケットが貰えますが、100円なんて逆に申し訳なくなってしまうレベルですw
この頃は休園の1週間ほど前だったので人も多く、次々にゲートに入って行っていました。
さすがに入場待ちの行列が出来るとかはないですが、最終日とかはもっとすごかったのかもしれません。
入口と出口は別れているようですが、ゲートも簡素ですね。
元々無料でやっていたので、有料化に際して後付で作ったからと言うのもありそうですが・・・
記念撮影スポットなのか201系とE233系がお出迎えです。
どちらも中央線・青梅線に縁のある車両ですし、青梅にも関わりが深いですよね。
それではまずは屋内展示を見に行くこととしましょう。
ここのメインは屋外展示であることは重々承知していますが、訪問時は夏の盛りの8月でしたから、炎天下の中を歩いてきたわけで、冷房が効いた屋内でクールダウンしつつ見学しようという魂胆ですw
屋内に入るとトレインマークがお出迎えしてくれました。
かつてのブルートレインの数々ですが、新幹線の名前として残った列車名もあるものの、全て過去帳入りしてしまいました。
以前に訪れた頃はこの中の半分くらいは現役列車だったんですよねぇ~。
この中でまともに乗ったことがあるのは「はやぶさ」くらいでしょうか。
鉄道系の施設では定番ですが、模型のジオラマが中央に鎮座しています。
子どもたちの注目もこちらに集まっていましたね。
レイアウトを管理するためのものなんでしょうが、輸送指令所の制御盤みたいですね。
駅とドクターイエローですが、他3本が全て寝台特急なのがすごいですね。
ブルートレインが当たり前に走っていた時代からラインナップが変わっていなさそうですが、カシオペアだけは団体列車扱いではあるものの今でも走っていますね。
あと、これも鉄道系の施設の定番ですが、ジオラマの車両を運転できるコーナーもありました。
こちらは別料金となっていて、100円が必要ですが、子どもたちには人気のようでした。
それにしても、写真が貼ってある車両のラインナップを見ても、やっぱり一昔前の鉄道図鑑を久々に出して見ているような感覚になりますw
まあ、それだけ私も歳をとったということなんでしょうけどw
より大きなスケールの模型もありました。
多分キハ80系だと思いますが、細かい部分が読み取れるような写真は撮っていなかったので違うかもしれませんw
こちらは157系ですね。
日光型とも呼ばれ、急行型でありながら特急型並の豪華な車内設備を持ち、東武鉄道の1720系(DRC)登場のきっかけにもなった名車ですね。
花形の急行・特急型だけでなく近郊電車もありました。
多分111系・113系・115系のどれかだと思いますが、415系も見た目が似ているので断言はできませんw
新幹線や特急型車両の模型たち
運営がJR東日本の関連団体ですから、JR東日本の車両ばかりかと思えば、JR東海やJR西日本の車両も揃っていて、特に偏ったりはしていないようです。
子供の頃に訪れた際は、大人になったら沢山模型を買いたいなんて思った記憶もあるようなないようなという感じですが、今現在の私は模型趣味には手を出しておらず、乗り鉄や撮影を中心に楽しんでいるんですよね。
結局は実物の鉄道の方に興味が向いたということになるんでしょうが、しょっちゅう鉄道に乗るために旅行しまくっているという点では子供の頃に思い描いた鉄道趣味の形を実現できていると言えるでしょうか。
こっちは在来線メインですね。
それにしても、ほとんど引退済みの車両なのはこの施設の設置時期を考えれば仕方ないのかなとは思いますが、今の子供からしたら馴染みのない車両ばかりでつまらないかもしれませんね。
下段の251系なんて、当時は新しい踊り子なんて持て囃していたと思いますが、同じ「踊り子」として走っていて、国鉄時代から活躍する185系より先に廃形式になってしまうのだから運命って分かりませんね。
壁面はパネル展示になっていました。
大宮の鉄道博物館とかに比べるとざっくりした展示ですが、気軽に楽しむには丁度いいボリューム感かもしれません。
大きな施設も楽しいんですが、ちゃんと全部の展示を見て回ろうとしたら1日がかりか、下手したら数回訪問しないと厳しいものもありますからねw
子どもたちにとってはあまり注目の的ではないでしょうが、通勤形電車についてのものもありました。
これなんかはここでしか見られない展示でしょうし、私個人としては一番興味を惹かれたかもしれません。
リニューアルに際して展示車両の入れ替えが発生するならば車両の運搬も発生するでしょうし、また見られる可能性もありますが、そういうのは公表されないのが常ですし、どこかからのツテで情報を入手できたとしても、そういう作業は深夜帯と相場が決まっているので気軽に撮影に行けるものでもないですしね。
白黒の写真もあるのが青梅鉄道公園の歴史の長さを物語りますね。
中央線についての写真展示もありました。
101系や103系、201系といった既に過去帳入りしてしまった車両の貴重な写真もたくさんでした。
実物の前照灯とのことです。
屋内展示では写真や模型といった展示がメインでしたが、これは数少ない実物を展示しているものになります。
模型もまだまだあります。
0系新幹線にそっくりですが、こちらは走行試験用に開発された951形という車両で、国立市にある鉄道総研の公開イベントにて実物を見たことがあります。
国鉄気動車急行の代名詞的存在のキハ58形(多分)
あとは子供が喜びそうなゲーム筐体が設置されていました。
鉄道の保存・展示施設であると同時に、子どもたちの憩いの場でもあるんですね。
100円というお手頃な入場料ですから、近所の人が子供を連れて遊びに来るなんて利用方法もあるでしょうね。
鉄道の施設なのでクレーンゲームの景品も鉄道のおもちゃの代表格であるプラレールでした。
懐かしの「電車でGO!2高速編」の筐体もありました。
私も小さい頃は「電車でGO!」シリーズにハマったもので、この高速編も結構やり込んだものですw
これまた子どもたちが喜びそうなミニ列車もいました。
モデルは東北のドクターイエローとも言える200系ベースの「925形」というやつでしょうか?
メッセージの募集ボックスもありました。
歴史がある青梅鉄道公園ですから、幼少期に訪れて、やがて親になって子供を連れて、その子供も大きくなり今は孫を連れて・・・なんて人もいそうですよね。
あと、親切にも青梅駅の時刻表が貼ってありました。
ただ、駅まではそれなりに歩くのと、青梅駅から東京方面なら10分とか15分に1本程度は確保されているので、時刻表を見ないで適当に行ってちょうど来た電車に乗るという人が多そうですよね。
もっとも、奥多摩方面なら1時間に1~2本程度なので時刻表を確認しておく意義は大きそうです。
といったところで屋内展示は以上です。
すっかりクールダウンも出来たので、ここからは屋外展示を見ていくとしましょう。
まず最初に出迎えてくれるのは「デゴイチ」ことD51形蒸気機関車です。
鉄道ファンでなくとも知る人も多い車種ですよね。
裏手にはこんな碑文がありました。
青梅鉄道公園は鉄道開業90周年記念事業として整備されたわけですが、それを踏まえた碑文ですね。
ところで、ちょうどD51の隣にあるので、こうして並べるといかにも「青梅鉄道公園に行ってきました」という感じの写真が撮れます。
運転台です。
たくさんのレバーやバルブ、計器が並ぶ様子は、鉄道ファンならずとも心躍ることでしょう。
後ろを振り向いて炭水車です。
実際に走行する時はここは石炭が満載されているわけですが、空っぽなのはそれはそれで車体そのものの構造がよく見えていいですね。
40系電車単独でも撮ります。
東京や大阪などの大都市で通勤輸送に使う目的で作られた車両で、現代で言えばE233系に近い存在の車両と言えるでしょうか?
戦前から活躍していた車両であり、大部分は国鉄時代のうちに廃車されていますが、実は2両だけがJR東日本にも引き継がれていました。
流石に実用的な運用に就くことはなかったものの、動態保存の名目で車籍も維持されており、1998年まではイベント用ではあったものの走行する機会もあったようです。
その後は走行する機会はなく保留車のような扱いではあったものの車籍は2006年まであったため、書類上ではあるものの平成の中頃まで戦前の車両が現役だったことになりますね。
ちなみに、2両残っていたうちの1両はこうして青梅鉄道公園にいますが、もう1両は大宮の鉄道博物館にて展示されています。
反対側から
青梅行きの表示を掲げていますが、青梅線でも40系電車は活躍しており、それも1978年まで走っていたんだとか。
青梅鉄道公園の開園は1962年ですから、開園当時はまだバリバリの現役だったことになりますね。
ちなみに、このクモハ40054は末期は日光線で活躍していたようですが、僅かな期間ではあるものの青梅線で活躍したこともあるようです。
車番です。
クモハというのは”ク”が駆動車、すなわち運転台があることを意味し、”モ”が電動車、すなわちモーターがついていることを意味し、”ハ”は3等車を意味する記号であり、これは現代の車両でも使われている命名規則です。
気になるのが40054という数字ですが、意味するところはクモハ40の54号車ということになるものの、現在の車両では形式名と車番の間はハイフンで区切ることが一般的ですし、現代風に改めればクモハ40-054となりましょうか?
車内には入れませんでしたが窓越しに内部を見ることが出来ました。
通勤形車両ということでロングシートですね。
C11形を単独で
小柄な車体であることから地方線区でも幅広く使用されたことから保存車両も多く、特に動態保存の数では国内最多の6両が稼働している2023年現在では最も乗車チャンスの多いSLといえるでしょう。
ちなみに、動態保存機の内訳ですが、JR北海道に1両、大井川鐵道に2両(うち1両はトーマス仕様に改造)、東武鉄道に3両となっています。
こちらはE10形という蒸気機関車です。
SLの形式名というとほとんどは”C”か”D”から始まっていて、”E”から始まる本形式は異端にも思えますが、このアルファベットの意味するところは動輪の数であり、A→B→C→…とアルファベットが進むに連れて1つずつ動輪が増えていくというルールになっています。
なので、”C”だったら動輪が3つ、”D”だったら動輪が4つということになり、ほとんどの蒸気機関車は動輪が3つか4つのどちらかなので、形式名も”C”か”D”から始まるものばかりになるというわけです。
それがE10形の場合は”E”から始まるので、この場合は動輪が5つという意味になります。
このE10形は元々は急勾配を抱える板谷峠のために開発されたもので、5つの動輪で勾配を克服しようという意図があったようですが、いざ投入してみると従来型の機関車よりも空転が増え、レールに与える横圧も問題になり、更には活躍の舞台だった板谷峠が投入翌年に電化されたために肥薩線の人吉~吉松間(矢岳峠越え)や北陸本線の石動~津幡間(倶利伽羅峠越え)といった勾配線区を転々としますが、末期は交流と直流の電化方式の境界にあたる北陸本線の米原~田村間専用となり、本来期待された勾配区間ではなくて平坦な区間、それもわずか4.7kmを往復するだけというあまりに役不足な役割に甘んじることになりました。
元々5両しか製造されなかった上、このように本来期待された役割で使われることもほとんどなかったことや、幹線の電化が進展し、従来活躍していたD51形やC57形が余っているという状況もあり、1962年にはE10形は全車廃車となり、わずか14年の歴史に幕を下ろしました。
そのため、各地に保存車両があるD51形などの比べると保存車両も少なく、この青梅鉄道公園にいる1両が唯一の保存車両となっています。
また、国鉄では最後の蒸気機関車としての新形式として導入された車両であり、これ以後に新しく蒸気機関車の新形式が登場することはありませんでした。
廃車時期がちょうど青梅鉄道公園の開園と重なったという幸運もありましたが、ここでしか見られない貴重な機関車ということで、リニューアル後も是非展示を続けてほしい1両だと思います。
横から見たところです。
動輪が5つあるのがお分かり頂けるでしょうか?
ところで、これだけ動輪が多いと曲線の通過に支障がありそうなものですが、これについてもちゃんと考えられていて、写真では奥側にある第1動輪は左右にわずかに動くことが出来るようになっていて、第2動輪はフランジと呼ばれる出っ張り部分を通常より薄く作り、第3・第4動輪はそもそもフランジがない構造とすることで曲線もスムーズに通過できるように配慮されていたようです。
ただ、実際には横圧が問題になっていたわけですから、これでも不十分だったということになるでしょうか?
後ろから見たところです。
通常、蒸気機関車はボイラーや煙突がある方が進行方向とされていて、転車台がない駅で折り返すなどの事情がある場合に後ろ向きで走る逆行運転をすることもあるものの、運転に必要な機器はボイラー側に進むことを前提に設置されています。
しかし、E10形では逆行運転となる運転室側へ進むことを定位としており、運転機器の配置もその向きに取り付けられているそうです。
外観の特徴としては後方視界が確保できるように窓の延長線上のスペースが切り欠かれています。
このような構造は国内ではE10形が唯一だそうですが、その理由は勾配線区向けに投入されたという事情が関係しており、急勾配を走行する場合はスピードが出せず煙突から出た煙が運転室周辺にまとわりつくようになってしまうことに加えて、そういった線区ではトンネルが多いこともあって、運転室を先頭に走る方が機関士や機関助士が煙に巻かれなくて済むというメリットがあるようです。
その周りにはこれまた子供が喜びそうな、動物の乗り物もありましたw
こちらはアルパカですかね。
ミニSLもいました。
右側のやつは485系がモデルっぽいですが、このチョイスも昭和のかほりがしますねw
更にはトーマスのミニ列車もいました。
なんだか遊具のバリエーションがすごいですが、このあたり、あくまでも鉄道公園だと主張しているかのようです。
こんな場所もありました。
どうみても線路ですが、敷地内だけを走るトロッコみたいなものですかね?
私が訪れたときにはそういったものは見かけなかったので、かつてはやっていたということですかね。
ちょっと脱線しましたが、鉄道ネタに回帰すると、この踏切が気になりました。
単に雰囲気作りの情景として置いてあるだけではなくて・・・
↑なんと実際に作動します。
ボタンを押すと好きなタイミングで動作させられる上に、下り・上り・両方とパターンまで選べるんです。
これには思わず童心に帰って楽しんでしまいましたw
それでは車両展示に戻りましょう。
続いてはED16形電気機関車です。
青梅鉄道公園の保存車両はほとんどがSLである中、唯一の電気機関車となっています。
こちらも戦前生まれであり、上越線や中央線を中心に投入されますが、戦後はより大型の機関車が登場すると支線区での運用がメインとなり、最終的には青梅線・南武線の石灰石列車を牽引していたようです。
このように青梅線と縁が深い機関車ですが、1984年までに廃車となりました。
戦前生まれということを考えればかなりの長寿だったと言えますね。
特製ヘッドマークも付いていますね。
あと、古い電気機関車の特徴として両端にデッキがあることがあげられますが、何のためにあるのかというと、実は「ただの飾り」なんだとかw
そんな嘘みたいな話ですが、経済性も大事な鉄道車両で意味のないものを作ることはないので、ちゃんと理由があって、それは「先輪」の存在です。
「先輪」とは機関車の先頭部にある車輪で、カーブに差し掛かった時に動輪をレールに沿って旋回させる役割がありました。
そのため先輪は左右に動くのですが、この部分は車体の前後にはみ出ることになり、そうなるとその上のスペースが余るので、そこをデッキにしてしまおうということで付いていたらしいです。
ただ、実際には全く無意味だったわけでもないようで、連結作業時には作業員がデッキに乗り込んだり、保線作業時には資材や道具を置くスペースとして活用されたこともあったようです。
ただ、この「先輪」はSLの設計の名残で付けられていたという部分もあり、次第に先輪を持たない電気機関車が主流になってくると、デッキのある機関車も見かけなくなったわけです。
続いては8620形です。
国鉄すらまだ存在しない鉄道院時代の機関車で、大正時代を代表する機関車と言えます。
形式名を見るとアルファベットが付いていないことに気づくと思いますが、これはアルファベットを用いた命名規則が確立する前の機関車であることを物語っていますね。
国内では58654号機がJR九州によって動態保存されており、「SL人吉」として運行中ですが、2024年3月に引退することが発表済みであり、まもなく動く姿は見納めとなりそうです。
奇しくも最近九州へ行き、「SL人吉」に乗ってきたばかりで、この1つ前の記事でレポートしたばかりでしたから、ここで8620形を見かけるのはなんだか不思議な縁を感じました。
なお、その時のレポートはこちらからどうぞ!
奥には同じく大正時代を代表する9600形もいました。
8620形は旅客用であるのに対して、9600形は貨物用となっていて、旅客と貨物から代表的な車種をもってきた形ですね。
奥には2120形と5500形の2両がいます。
こちらは更に古い明治時代の機関車であり、まだ洗練されていない無骨さがありますね。
こちらも2120形が貨物用、5500形が旅客用ということで、時代を代表する旅客機と貨物機というチョイスですね。
あと、腕木式信号機もありました。
明治や大正時代の機関車が並ぶ場所にあるので、世界観としてもいいですね。
さて、あとは0系新幹線の展示を残すのみですが、周りを見渡すもどうも見当たりません。
あれ?と思っていると・・・
こんな看板を発見!
看板自体も0系を模したデザインですし、「新幹線広場」というワードからも0系の保存場所だと推定するに十分な情報でした。
なんか下へ降りる階段がありました。
この下に「新幹線広場」があるようです。
やっぱりそうみたいです。
結構長い階段ですが、敷地が丘陵地帯にあるので高低差が生じてしまうのは仕方ないんでしょうね。
鉄道のレールとしては異例の丸形のレールは、どちらかというとジェットコースターみたいに見えますw
100系のミニ列車がいました。
こっちは300系と700系でした。
現代ならE5系とかN700S系あたりがチョイスされそうですが、平成初期~中期くらいのラインナップでしょうか。
私の世代ならどストライクなチョイスですが、300系は引退済みですし、700系も東海道新幹線からは撤退し、山陽新幹線で「こだま」として余生を送るのみとなっていますから、時代を感じますね。
そして、お待ちかねの0系新幹線です。
言わずとしれた新幹線の元祖ですから、各地に保存車両がいますよね。
ちなみに、2008年に引退していますが、私はギリギリ乗車を果たせており、青梅鉄道公園にいる車両の中では唯一現役時代に乗車したことがある車両となっています。
JRのロゴも付いていました。
となるとJRへ引き継がれた車両かと思えば、廃車は1985年とのことで、実際にはJRの管轄となったことはない車両のようです。
では何故JRのロゴが入っているのかというと、実は青梅鉄道公園がJR東日本に引き継がれた際に、200系と同じ緑色の塗装に塗り替えられたそうで、後に現在の青色に戻されるも、塗り分けの線は緑色の時のままな他、JRのロゴもそのままになっているようです。
それでは車内です。
今の車両に比べると狭く感じるデッキですが、バリアフリーなんて言葉もない時代の車両ですし、車椅子のまま乗車するなんて発想もなかったんでしょうね。
段差が大きいためにステップが付いていました。
それにしても、乗客が使用することはないとはいえ、すごい段差ですね。
このような構造になっているのは運転士の目線を高くすることで、高速走行中でも視界が確保できるようにという意図があるようです。
あと、右側にもう1つ座席があります。
これは、新幹線開業からしばらくは運転士が2名という体制で運行していた名残だと思われます。
日本どころか世界で初めての高速鉄道だったわけですし、不測の事態に備えての2名乗務という部分もあったでしょうが、SLが急速に姿を消し、従来は機関士と機関助士の2名が必要だったのが、運転士1名でよくなると人員が余るようになり、雇用を維持するために組合の要求で2名乗務になったという説もあるみたいです。
でも、飛行機はオートパイロットが発達した現代でも機長と副操縦士の2名体制が維持されていますし、高速鉄道は2名乗務というのも一定の合理性はありそうですよね。
客室です。
現役当時の雰囲気そのままで、このまま旅に出るような気分ですw
テーブルは壁面に付いています。
最近の車両ならば前席に着いているか、車端部のみ壁面ですが、こういう配置は昭和っぽいです。
更に言えば、灰皿がついているのも時代ですね。
今や喫煙車も過去のものになっていますが、国鉄時代は大都市の通勤電車以外はタバコが吸えるのが当たり前で、禁煙車の方が珍しい存在だったようです。
それが今や、喫煙車が消滅してしまうんだから時代の変化ですね。
私自身はタバコは吸わないので喫煙車がなくなっても特段思うことはないですが、愛煙家の方々には辛いご時世ですよね。
この妻面は現役時代には車両基地の公開イベントなど限られた機会でしか見ることが出来ないのが、いつでも見られるのは展示車両ならではですよね。
新幹線の連結器も分割・併合を行う東北・山形・秋田新幹線以外ではなかなか見る機会がないですよね。
といったところで、青梅鉄道公園のレポートは以上となります。
決して大規模とは言えないものの、ここでしか見られない貴重な車両もあったりして、鉄道が好きならば1度は訪れておくべき場所だと思いました。
リニューアル後にどんな施設に生まれ変わるのかも楽しみですね。
個人的には青梅線とも縁が深い201系は、豊田車両センターに保存車があったはずなので、それが青梅鉄道公園に来たら嬉しいですね。
なにはともあれ、再開したらまた訪れたいと思います。
というわけで記事は以上となります。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
次回ですが、またしても遠征に出かけましたのでそのレポートでお会いしましょう。
それでは!
あわせて読みたい関連記事
- 山形新幹線に新色の「つばさ」と新列車「とれいゆ」登場!
- いすみ鉄道を満喫する旅
- 【東京総合車両センター】夏休みフェア2015【参加レポート】
- 名鉄資料館訪問記
- 西日本乗りバス旅2024(7日目/嵯峨野トロッコ)